第186話 ESCAPE
ガスマスクを奪われたルートは呼吸を失い次第に身体が麻痺し泡を吹いて倒れてしまう。
「さてと、そろそろ俺と遊んでくれても良いんじゃない? レギラス様?」
見上げる丹下にレギラスは、鋭い瞳を向ける。
「そうだな。これ以上見てるのも飽きた。金にもならない事をする必要もないだろ」
「俺が負けたら俺の財産プレゼントするから見逃してよ」
「それは俺の気分次第だな。そろそろガスも晴れて来ただろう」
「まさかそれを待ってたの? 名高いレギラス様が毒ガスなんかに怯えてるわけ?」
「下手な挑発はやめるんだな」
レギラスが下りて来ると地面に倒れているルートを蹴り飛ばす。
教会の壁に叩きつけられ呻くルートに同情が禁じ得ない。
「ウォーミングアップは終わり。さて、俺も楽しく遊ぼうかな」
「ジジィ相手じゃあ詰まらなかったか? そりゃあ俺の配慮が足りなかったな」
「本当だよ。だから、君が本気出してよね」
言うや丹下は地面を蹴りレギラスと距離を詰める。
レギラスは驚いた様子もなく互いに立っていた位置が変わる。
「あははっ! 俺じゃなかったら追えなかったんじゃない?」
「お前じゃなかったら追えない? はっ! 馬鹿か? 自分の腕を見てみろ」
そう言われて気が付く。右腕が引き裂かれていた。
(おっと……まだ身体の麻痺が残っていたのかな)
痛みを感じない事に驚きながら、それがレギラスの強味かと冷静に考える。
レギラスの左手の爪は鋭く尖っていた。地面に付きそうなほど伸びた爪の先は血を滴らせている。
「本当に君といると楽しくて目的を忘れちゃいそうだ」
「忘れたまま死ね」
レギラスが動くと少し遅れて丹下も動く。今後は爪で擦られることなくレギラスの腕を掴んだと思えば曲がらない方に押し込んだ。
レギラスも黙って腕を折られるわけもなく、曲げられた方向に身体を捻じりその勢いで丹下を蹴り上げた。靴が地面を擦る。
建物の壁を破壊する。背骨が折れたのではと丹下は背中に激痛を感じながらも笑い続けた。
「神の御前で随分暴力的だね」
「神は許してくれるからな。お前らを仕留める為なら仕方ない」
「寛大の域を通り越して興味がないだけじゃないの?」
「どうだって良い。俺自身、神なんて金の前では無意味だ」
「あーあー、とうとう言っちゃったよ」
神を信仰していない男が新生教会にいるなんてお笑い種だと丹下は瓦礫から起き上がる。
痺れる手を振って感覚を取り戻す。
「本当に守銭奴なんだから」
近くに合ったナイフを拾い上げる。その傍には小さな死体。
丹下たちに反撃しようとして瓦礫の下敷きに遭ったことが分かる。
挙句に死体撃ちをするようにレギラスが丹下を壁に蹴り飛ばした所為でさらに潰された。
「……はっ」
丹下が顔を上げるとレギラスが首を絞める。
「うぐっ」
「さっきから俺にやられ続けているのはどうしてだ?」
「手加減、してあげているんだよ。すぐに壊れたら楽しくないでしょっ!」
ナイフを振り上げてレギラスの腕を切り落とした。
「ぐッ!?」
「やっぱり君たちは丈夫だから、俺の精一杯の力がないと落とせないんだ。そりゃあ、旧生物じゃあ殺せない訳だよね」
レギラスは驚き後退する。
新生物を殺す方法を研究していた丹下が見出した方法。
身体はただの人間と変わらない。丈夫過ぎるが故にすぐには死なない。
けれど丈夫なだけであり人間の手で落とせない訳じゃない。
「じわじわ、苦しませて殺してあげるよ。嬉しいだろ?」
「戯言ばかりでうんざりするな」
「そう怒らないでよ。俺だって君と戦うのをずっと待っていたんだから、君の為に用意した秘密兵器だって、君を殺したくてうずうずしてる」
切り落とされた腕を丹下は捨てて踏みつける。
形勢逆転とはいかないが腕を取られたレギラスは怒りを少しだけ露にする。
「なら、さっさと出せ。時間を無駄にされることが一番嫌いだ」
「はいはい。じゃあ、ご要望通りに」
そう言って丹下は衣服に隠し持っていた部品を素早く組み立てる。
五秒と経っていないその組み立て術は才能の無駄だとレギラスは内心思う。
そこに出来たのは、アンチシンギュラリティによく似た銃器。
「俺が研究した成果はね。新生物は等しく丈夫だってこと、簡単には壊れない。だけど、君たちの弱点って後遺症だけじゃないって事に気がついたんだ」
「……」
「君たちは同じなようで違う。その違う点を追求した結果、俺は君の為に、君だけに通用するコイツを作った」
「銃は下手だけど君には確実に当ててあげるよ」と銃口をレギラスに向ける。
「研究者は暇なようだな。たった一人の怪物に費やす時間がある」
「俺だけだよ。他の……もう死んでしまったけど、俺の部下はみんな優秀だった。君たちが余計な事をしなかったらもうすぐで研究所内でバケーションの企画だってしていたのに残念だよ。だから、まあこれは俺一人の弔い合戦でもないけど、一応研究者らしくこの効力を確かめる為に君に向けるよ」
そう言って引き金を引いた。そのタイミングは最悪でレギラスも流石に話をしている最中にするほど丹下が無礼な男ではないと思っていたが、そもそも頭のネジが抜けている男ならば隙を幾らでも突いて来る。
新生物を無力化する光線と共に物体が飛んできた。レギラスの頬を掠める。
すると掠めた傷はレギラスの肌を焼いた。
「シルバーブレッド。効くんでしょう? 狼ってさ」
「……なるほど。そこまでは流石の俺も知らなかった。流石だ褒めてやる。よくそこまで調べ上げたな。俺の弱点と呼べるもんが現れるとは思わなかったぜ」
「そうなると困ったな」と最後まで手放さなかった煙管が地面に落ちて弾ける。
「お前を本格的に殺さなけりゃなくなったぜ」
「嬉しいね。やっと本気になってくれるんだ」
「ああ、どれだけ金を積まれてもお前を生かす道は何処にもねえって事だ。諦めろ」
言うや否やレギラスは丹下の手にある銃を破壊しようと近づく。
丹下も素直に破壊させるわけもなく連射する。無力化させて銀弾を撃ち込む。
弾切れになれば、レギラスから目を離さずに即座に装填して銃口を向けた時だった。レギラスは向けられた銃を掴んだ。
「っ……」
このまま引き金を引けばレギラスは顔に穴を開ける事になるだろう。けれど丹下は引き金を引くことは出来なかった。何故なら丹下の首にレギラスの爪が突き付けられているからだ。奪った腕はいつの間にか再び生えてきたのだ。互いに睨み合いが続く。
「不思議に思ってたんだけど、君。普通に暮らせているのにどうして教会に加担するのかな?」
「愚問だな。金になるからだ。俺にとって新生物だろうと旧生物だろうと関係ない。この組織が勝ち上がる事で金が手に入るのなら俺は協力を惜しまない。だが、それを不意にするような馬鹿がいるなら俺は容赦しない」
「金がそんなに欲しいんだ。強欲だね。悪いけど俺は金で釣られたりしないから」