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第180話 ESCAPE

 翌日、廬は冷夏が運んで来た朝食を二人で食べていた。

 今朝は何をするのか。何をする予定なのか。


「本日は何をいたしましょうか」

「決まってないのか?」

「幼い頃だと勉強がありましたが。今は大人なのでこれと言って何かする事はありません。すいません、退屈にさせてしまって」

「いやそうじゃない。えっとじゃあ、冷夏がいつもやってる事に付き添っても良いか?」

「お兄様が、私のしている事に……ですか」

「ダメだったか?」

「と、とんでもないです! お兄様が来てくださるならきっと楽しい一日になります!」


 喜々と冷夏は両手を合わせて言った。

 冷夏は、朝食を終えたら礼拝堂に行く。


「毎日、お兄様の無事を願って、神様にお祈りを捧げています」

「今日は?」

「今日は……そうですね。何を願って神様にお祈りを捧げましょう」


 んーっと悩む冷夏は「そうだわ」と廬を見た。


「お兄様、何か神様に伝えることはございますでしょうか? もしよろしければ、私が代弁者を引き受けたいのですが」

「俺の願い……すまない。特に思いつかないんだ」

「そうですか……」


 しょんぼりとする冷夏に廬は苦笑する。


「なら、一緒に考えてくれるか?」

「え?」

「神に祈って俺の願いを見つけてくれ」

「っ! はいっ」


 そう言って冷夏は礼拝堂の奥に歩いて行く。

 膝をついて手を組んで目を閉じる。


「……」


(神に祈ることなんてない)


 廬は目を伏せた。神が何をしてくれた。

 瑠美奈を傷つけるだけ傷つけて、誰かを不幸にしかしない神に懇願するなんて事は廬はしたくなかった。

 地球のエネルギーが暴走して厄災が起こる。その厄災を阻止する為に新生物たちが暗躍しているのに、それでも尚世界は新生物に厳しい罰を与える。


「祈り続ける事に意味があるのですよ。糸識廬さん」


 祈りを捧げる冷夏を見ていると新たに礼拝堂に入って来た男が廬に声をかけた。

 突然呼ばれたことで驚き振り返ればそこには見たことのある男がいた。


「天理だったか」


 天理累。ヴェルギンロックにいた客だ。

 累は白い神父服を着ていた。その姿は余りにも似合わない。


「累と呼んでください、糸識廬さん」

「お前も新生物だったのか」

「秘密にしていたわけではないのですが、なに分貴方が思い悩んでいたようでしたので打ち明ける事が叶いませんでした」

「俺が思い悩んでいなかったとしても言わなかったはずだ」

「それはどうでしょう。僕としては神に懺悔するように貴方に打ち明けていたと思いますよ」


 細められた目は真意が分からない。その瞳の奥を見せてはくれないのだ。

 絶えない笑みに何処か鬼殻のような胡散臭さを感じる。


「先生、お帰りになっていたのですね」


 冷夏がお祈りを済ませて戻って来ると累に尋ねると笑みを浮かべて頷いた。


「丁度お客様とお話をしていた所です。冷夏さん、紹介よろしいですか?」

「はい! この方が私が探していたお兄様です」


 無邪気に言う。


「先生と言う事は、俺を教会から追い出したのもお前か」


 旧生物に見られたからと言って廬だけを追放するような真似をした先生と呼ばれる存在は彼以外にいない。糾弾すると累は困ったように眉を顰めていった。


「ええ、私ですよ。だけど、仕方ないことだと彼も承諾してくれたのですが貴方は違うのですね」


 困った顔はそのままに尋ねられる。

 今の廬の感性で無名が追い出されたことを怒るべきなのか、正しい判断だと褒めるべきなのかは分からない。ただもう少しやり方が合ったはずだ。


「記憶がない貴方はもうかつての若者ではないのですから、余り気にしない方が良い」

「他人事にしろって言うのか」

「そうする方が貴方の為です。僕はただ助言をしているにすぎません。どうするかは貴方が決めて良い事ですよ。貴方の意思に異議を申し立てるものはいないでしょう。神も貴方の意思を尊重してくださるに違いない。そうですね? 冷夏さん」

「はい! 神様はきっとお兄様がどんなお心でもお許しくださります」


 とんでもない信仰心だと廬は若干奇妙だと思った。

 だがそれと同時に心地良さを覚えていた。許されるのだ。

 自分が何を選んでも咎められない。無名を捨てることも、廬を捨てることもどちらを選んでも許される。


「……何をした」

「疑心は何も生まれてきませんよ。全てを受け入れろとは言いません。少しずつ信頼出来る者を増やすことが一番の安息への近道だと思っていますよ」


 十を疑うより一を信頼しろ。


「無性の信頼はバカを見る事になる」

「ならば、その信頼を蔑ろにしたものは地獄に落ちる事になるでしょう。神はいつだって信じる者の傍にいる」


 廬の横を通ってその場を離れる。


「先生とお知り合いだったんですね」

「ああ、行きつけの喫茶店に来た」

「そうだったんですね」

「冷夏、あの男は……」

「先生はずっと私たちの為に沢山の事を教えてくださいました。先生は、お兄様を教会に戻って来られるように手配もいろいろ」


 累が何を考えているのかは分からない。


(迎え入れようとしているという事は敵じゃないのか)


 ――戻らない? 何を馬鹿な事を。


「またかッ?!」

「お兄様?」


 ――貴方はもう一度戻ってきます。

 ――神が言っている事は全て本当なのですから貴方が戻らないことはない。


(なんだこれは……)


 廬は再びフラッシュバックを見る。

 壊れたテレビのような光景。ノイズが走り霞んで見えない。

 けれど確かにそこに無名ともう一人男がいる。紛れもなく累だ。


「ぐぁぁああッ!」

「お兄様っ……お兄様!」


 遠くで冷夏が廬を呼ぶ。大丈夫など言っていられるほど余裕がない。

 頭が割れてしまう程の痛みが廬を襲った。





 白い扉をノックする。「お入りください」と優しい声で入室の許可が下る。

 扉を開けば白い調度品に囲まれた部屋が広がっていた。

 部屋の主は来るのが分かっていたかのように浮かべられた笑みは蝋燭の光に照らされた。


「冷夏さんの誕生日会は大成功でしたね。もっともそれは表向きだけですが」

「……」

「外の人間に貴方の存在が知られてしまった。勿論、不都合はないです。貴方が無事なら私はとても喜ばしい」

「……」

「そして、同時に残念だと思っています。貴方はこれから外に出て行かなければならない。何故だか、理解はしていますね。そう、外の人間に貴方の存在がバレてしまったから。きっと貴方を見つける為に人々は血眼になってこの近辺を捜索する事でしょう。それでは他の子供たちが危険に晒されてしまうのです」


 子供を守る為に彼、無名は外に出なければならない。


「覚悟の内だったという事ですね」


 ――もう戻らない。


「戻らない? 何を馬鹿な事を。貴方はもう一度戻ってきます。神が言っている事は全て本当なのですから貴方が戻らないことはない」

「……」

「この先の事は容易に想像がつきます。貴方は誰かの身を借りて生活をする事になるでしょう。もしも本来の自分がある事に気が付いた時、探究心を駆り立て自分を探すでしょう。そして、此処に辿り着く。何も覚えていなくて結構ですよ。僕はそれでも貴方を受けれます。此処は誰もが受け入れられる場所です」


 いつでも帰って来る事を許すから必ず戻って来る事を約束しなさいと累は言った。

 今、累の言う言葉通りの現状が起こっている。まるで預言者だ。


「戻って来た時、私の手伝いをしてほしいんです。何難しい事じゃない。子供たちにこれ以上悲劇を与えたくはない。この教会を再建するときに心に、いえ神に誓いました」


 新生物の子供を守る為に無名はいなくてはならない存在だ。

 今ここで教会を離れて行ってしまうのはとても心苦しいが、規則は規則。従わなければならないルールに特別なんてものはない。


 無名は頷いた。累の手伝いをする。

 それが何であれ、冷夏が幸せになれる未来があるのならと……。




 そんな事、忘れていた。

 都合が良いと言われても構わない。冷夏はずっと無名を待っていた。

 待っていたのに、本人は彼女の事を忘れていた。


「……きっかけがあればすぐに思い出す」

「お兄様?」


 礼拝堂の長椅子で冷夏に膝枕をされていた廬は起き上がる。心配そうに呟いた冷夏を見て廬は微笑んだ。


「ただいま、冷夏」

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