第174話 ESCAPE
廬が逃げた先には屍がうろついていた。迂闊に移動できない事に拳を握る。
「た、たすけて! だれかぁー」
そんな時、子供の声が聞こえた。まだ殺されていない子供がいる事に驚きながら、もしそうなら屍に廬だと勘違いされ殺されてしまうかもしれない。
わんわんと泣きじゃくる声が聞こえる。廬は震える足を叩いて屍を押し退けて声のする方へと駆け出した。
声は非常階段から聞こえて来た。何とか手すりを越えて駆け下りる。
声の主と思われるその子供は屍たちに囲まれていた。
廬は屍を払いのけて子供に近づいた。
「大丈ッ?!」
大丈夫。そう尋ねようとした瞬間、腹部に激痛が走り身体が動かなくなった。
「まーったくダメじゃないお兄さん。こんな緊急事態に他人を気にしていたら自分が痛い目見るってわかっていたじゃない。お姉さんたちがしくじったらおいらの出番。ふふ~ん。おいら、凄いでしょう?」
意識が遠くなる。瞼が重く閉ざされる間際、子供は不敵な笑みを浮かべていた。
少しして子供を囲っていた屍は灰となり消失した。その後、包帯を巻いた少女がやってくると冷ややかな目を子供に向ける。
「コロしたのか」
「まさか! おいら、そんな野蛮なことはしないぜ! お姉さんの言われた通り、ちょーっとだけビリっとしただけさ!」
胸を張って「褒めてくれても良いよ?」と威張っている。
気を失っている廬を包帯をした少女は抱き上げる。
「冷夏様はレイのバンゾクとタタカっていらっしゃる。ジャマをしないようにハヤくデるぞ」
「はーい! 鬼に見つかる前に帰れば鬼ごっこに参加しなくてもいいもんね!」
ふんふんっと鼻歌をしながら子供はビルを出て行こうとする。
「おいらたちが一歩有利だね!」
「ユウリ……チガう。ワタシたちはツネにジョウイのソンザイだ」
「おいらたち以外の生物なんて食物連鎖の贄になっちゃえばいいんだよ」
(そうだ。やっと冷夏様のネガいがカナう)
包帯の女性は意識のない廬を一瞥する。
(やっとオわって、やっとハジまる。ワタシたちのセカイ)
一方で鬼殻は左腕を欠損していた。
凍り付き折れてしまった。氷のお陰と言うべきか腕から血は流れて来ない。
(焼いて塞ぐのと凍らせて塞ぐのどちらが良いのやら。どちらにしてもケロイドは防げないですね)
「鬼の人。何故、我々の邪魔をしてしまうの?」
「貴方の邪魔と言うより、貴方の指揮官の邪魔をしたいのですよ私はね」
「……先生の邪魔は許されないこと即刻辞める事をお勧めいたします」
「それが出来れば私も苦労はしていないのですがね」
困った顔をする鬼殻に氷の女性は表情を変えずに鬼殻を仕留める為に力を発動する。
「苦労を払拭して差し上げますわ」
氷が鬼殻を襲う。今度は逃がさないと言いたげに身体が氷に侵食される。
「さようなら、鬼の人」
踵を返して立ち去ろうとする氷の女性。だが何か違和感を感じ鬼殻の方を振り返るとそこには誰もいなかった。
ビル屋上にて。
鬼殻は床に座り込んでいた。呼吸を整えようとするが腕の痛みが鬼殻を蝕む。左腕の氷は溶けることがないのか、欠損部位の修復に移行できない。
「まさかこれで私の動きを封じたつもりですか? 全く愚かですね」
鬼殻が禍津日神だと知らない相手は普通の新生物と同じ扱いをする。
お陰で簡単に逃げ出すことが出来たが次はそう簡単にはいかないだろうと覚悟する。
神の力を使い鬼殻は腕の氷を解かす。そして、腕を生やすが簡単にはいかなかった。使い慣れていない力を使うと思うように形を作り出すことが出来ない。
「……まあいいでしょう。ないよりはましです」
出来上がった左腕を見て苦笑する。屋上から見えたのは、廬が連れ去られる光景だった。
「全く、彼は女の子にも拉致されるのですか」
呆れてしまうと鬼殻は額を押さえた。
拉致した身としては何とも言えないが、まさか彼がそれ程までに弱いとは思わなかった。
「ですが、まあ丁度いい。案内して頂きましょうか」
廬が捕まった事で、廬を殺すつもりはないと言うのは理解出来た。
廬一人を人質にしたって何の役にも立たないのは向こうも分かっている事だろう。
つまり、廬の存在が重要になる。否、廬と言うよりはA型0号を必要としている。
「私も少々考えすぎですかね」
そう呟いた瞬間、鬼殻の視界に白がよぎった。
それを一瞥すると白い鳩が青い瞳でこちらを見ている。
鬼殻は舌打ちをして背を向けて誘拐された廬を追いかけた。
御代志研究所にて。
廬を本部に送ってから少ししてやっと研究所内は落ち着きを取り戻した。
所長室には、佐那は勿論のこと劉子と周東ブラザーズ、そして丹下がいた。
「どうして廬の兄ちゃんを逮捕しちゃったんだ」
警戒心を剥き出しにした聡が丹下に言う。
「一から説明させてもらうよ」
悪びれもなく言う丹下に聡は気に入らないのか睨み続けていた。
初めから全て順を追って説明すると言って丹下は皆に「楽にしてよ」と自分の部屋のように言った。
「俺が此処にいるのは、実は言うと境子ちゃんの命令だったんだよね。そして、その命令した当の本人はもう死んでいる」
丹下は言う。
死ぬ前に境子から言われていた事を実行している最中であることを。
それは厄災が落ち着いた日。
政府の諜報機関から流れて来た情報の一部に未登録の新生物が何やら怪しい動きをしているというものがあった。
未登録の新生物と言うのもまた不思議な話ではない。研究所に保護、確保などから逃れた新生物は多くいる。
当たりの悪い研究所に入れられてしまえば死期を早めてしまう事を知っている新生物は逃げ惑う。
そう言った未登録の新生物を警戒しているのが諜報機関だった。
未登録の新生物が組織している情報。
それには、研究組織を壊滅させる計画もあった。
その計画を何としても阻止する為に組織を根絶する必要が合った。
情報を探っていると新生物組織がある者を探していると言う情報が入った。
新生物を統括する力を持つ存在。
「それが多分君たちが糸識廬と呼んでいる男だよ」
「どうしてわかったんですか?」
さとるが尋ねると丹下は答える。
「この世に糸識廬が二人なんてあり得ない。同姓同名で容姿も瓜二つ。調べるのは簡単だったよ。だってまさか、鬼殻君と一緒いるなんて思わないだろ?」
本当に可笑しいとけらけら笑う丹下。
幾ら調べたても廬が双子と言う情報はない。
「廬さんを監視してたのかです」
「監視なんて人聞きが悪いな~。安全の為の対策と言って欲しいよ。糸識廬とか言う新生物を見つけて以来ずっと見張っていた。擦れば出る垢みたいな奴だね。経歴不明。周囲の人間はいつから彼がいるのか分からない。それってつまり彼の力がそう言うものだからなんだろうね」
「だとしても、糸識さんが新生物の統括者と言うのは意味が分かりません」
佐那が言うと「そうだった」と忘れていたかのように言う。
「その廬君さ。新生物の王様だって言ったら笑う?」