第171話 ESCAPE
それからまた暫くして、緊急事態が起こった。
浜波研究所が襲撃されたと言う連絡が本部から入った。
浜波研究所は表向きは火災事故として処理されているが新生物の特異能力の痕跡が残っていた。
「生存者不明、死者多数。こんな詳細のないものを情報だとは言えない」
「です。余りにもです」
所長室に呼ばれた廬は本部から送られて来た書類に目を通すと信じられない文面に目を疑った。
同じように見ていた劉子も同意する。
「あたしもこれにはちょっとって思ったわよ。だけど、あたしたちが文句を言ってもしょうがないと思わない? 起こってしまったことは事実なんだし」
「一般のニュースでは何かやってないのか?」
「報道規制ね。まあ浜波研究所は表向きは、サプリメント生産工場って事になってるから」
「所長は? 浜波研究所に入野丹下って所長がいただろ」
「知ってたの?」
「この前、本部に行った時に偶然知り合った。それで連絡はないのか」
「……まだ何も。炎に飲まれたか、何処かで生きているか。不幸中の幸いにも浜波の新生物は本部に輸送している最中だったの」
「輸送?」
「うん。糸識さんも知っての通り、今B型は皆一様に検査対象なの」
「ああ、特異能力抑制の装置の検査だったか。浜波研究所ではなく本部でやるのか?」
「浜波研究所は検査が出来る環境にないからいつも本部のように輸送する」
新生物が居なければ、対抗してくるものはいない。旧生物は新生物の前では意味をなさない。手も足も出ないまま研究所は崩壊。
「それで後日浜波研究所の新生物たちがうちに来ることになったの」
「は? どうして」
「寒竹さんから信頼を得ているのは、御代志研究所だけだから」
「それじゃあ、まるで本部とうちが結託しているみたいじゃないか。定例会議にも参加しない、浜波研究所の新生物は引き受ける。そんなのどう考えたっておかしいだろ」
文句を言ったって仕方ないのは分かっている。境子が決めたことを覆す権利は誰も持っていない。
余りにも迂闊過ぎると劉子も思っていた。裏切り者がいると打ち明けたのは境子で、誰も信用できないと言ったのも境子。
それなのに御代志研究所だけは信用してるなんて都合がよすぎる。純粋に信じてくれているのなら、周囲から反感を買ってしまう。
しかしながらいくら考えてもどうしてそんな事をしているのか分からず劉子は溜息を吐いた。
「居なくなった諜報員については?」
「依然として情報なし、お手上げ」
「放っておいて問題は?」
「ないと思いたい。誰が送り付けて来たのか分からない以上、こっちは裏切り者を警戒していたって言う言い訳が通用するはず」
「こっちは下手に出られないのに、向こうは自由で良いな。羨ましい限りだ」
「いっそのこと全部壊すのもありです」
「劉子。それは最終手段だ」
「なんと!」
「今回の件が、例の裏切り者が起こした事とは限らない。俺たちが危惧していたことが起こった可能性もある」
「それは……他の研究所が浜波研究所を襲撃したという事?」
研究所は二つ三つじゃない。数十とある中の何処かが浜波研究所を襲撃した可能性もある。
「劉子、夜に研究所の周囲を巡回してるだろ? 何か変化はあったか?」
「ないです。一点の歪みすら見つけられなかったです」
諜報員は研究所の近くに現れていない。
「三日、俺が留守にしても平気か?」
「え?」
「直接寒竹境子の意思を訊いて来る」
通信では盗聴されているかもしれない。直接会って確認しなければならない。
廬がそう言うと「その必要はないよ~」と声が聞こえた。驚いて一様が声の方を向くとそこには思いも寄らない相手が所長室の扉を開いて現れた。
その人、入野丹下は立っていた。
「どうして貴方がいるんですか」
佐那が警戒しながら尋ねる。研究所の警備は一体どうなっているのか。
誰かれも連絡は来ていない。誰にも見つからないで此処まで来たなんてあり得ない。丹下は御代志研究所は初めてのはずだ。
そんな疑問を知って知らずか丹下はのんびりした様子でいった。
「奇跡的に生還ってあるもんなんだね。本当に俺じゃなかったら死んでいたよ」
へらへらと笑っている。命の危険に陥ってもいつもの調子だった。
無傷で生還した。他の研究者が何とか丹下だけでもと逃がしてくれたと言う。
「本当に酷い事をするよね。寄りにもよって俺の所を狙うなんて……」
「執行者を知っているんですか?」
佐那が尋ねると丹下は「うんっ」と元気に頷いた。
「俺を出し抜いたと思ったんだろうけど、甘かったね。職業柄夜は起きている派の人間なんだ。だから夜を狙っても俺を仕留めることは出来ないよ。何よりも俺を仕留めたいなら人質なんて取らずに真正面から来たら良いのに」
一人延々と語る丹下に三人は茫然とする。
一頻り話し終えたのか丹下は廬を見て言った。
「ねえ。裏切り者さん」
その言葉に絶句した。裏切り者。それが何を意味するかなんて丹下が現れる前から話し合いがされていた事だ。誰かもわからない状態で疑心暗鬼だった。
それが今、丹下の口から放たれる。
「!? それは、どう言う意味だ」
「そうです! 糸識さんが裏切り者なんてあり得ない!」
廬の疑問に佐那は便乗する。
実際にあり得ないのだ。廬が浜波研究所を襲撃するなんてどうやっても不可能だ。
「あり得ない? だって彼、新生物なんでしょう?」
一部しか知らない情報が丹下の口から発せられる。
本部にも伝えていない事をどうして丹下が知っている。
「何の冗談だ」
「俺の情報網を舐めないでくれるかい? これでもちゃんと所長をして来たんだ。君たちが筥宮で起こった厄災を止めた方法だってもう知ってるし、この世に宝玉がない事も知ってる」
「そこまで知っていて、どうして俺が裏切り者だと言える」
「だって証拠写真があるから」
そう言われて丹下が取り出したのは、一枚の写真。
スマホが使えなくなる手前で唯一現像出来たモノだと言う。
そこには浜波研究所と思われる場所に立つ廬の姿が映っていた。
「いつの写真だ」
「一週間か、二週間前」
諜報員が行方不明になった日と重なる。だとしても廬ではない。
廬は此処一か月は御代志を離れていないのだから、不可能だ。
「何かの間違いだ」
「んー。何かの間違いで俺の部下は殺されたって事? 酷いね」
「待つです。現場不在証明が出来るはずです」
劉子が言うと佐那のデスクに近づいて「貸してほしいです」とキーボードを打ち込んだ。部屋のモニターに映し出されたのは、廬が研究所内を歩いている監視カメラの映像だった。
「此処にちゃんと廬さんがいるです」
「それじゃあ証拠にならない。こっちは実害が生じているんだよ? それに君たちの所には万物をも騙す狐君がいるじゃない。廬君と憐君が結託する事でアリバイ証明は完了してしまう。勿論、憐君が検査をしていたなんて言い訳は通用しないことはわかってるよね?」
「っ……」
「被害者である俺がわざわざ御代志町まで来て、裏切り者を見つけたんだ。称賛されても咎められることはないと思うけど?」
検査室には監視カメラは付いていない。憐が廬に化けていたとしても否定できない。
「どうしてそれを本部に言わないです」
劉子が丹下の証言を覆そうと頭を働かせた。
「境子ちゃんに会いに行く前に確認したかったことが幾つかあったし、わざわざ本部都市に行ってから御代志に行くなんて、被害者の俺が無駄に金落とすのも嫌だった」
「確認とは? です」
「それは追々。それで? どうする? 俺は此処で虚偽を発言したとして私刑に遭うのかな? まあ、俺はそれでも良いんだけどさ。君たち御代志の新生物がどれ程の力を持っているのか興味もあるしね」
研究所に廬がいたと証言しても憐の力を知っているものからしたら証拠の一つにもならない。完全犯罪が出来てしまう程の力を憐は持っている。
きっと憐は「は? 廬の手伝いなんてするわけねえだろ」と言うだろう。けれどそれを信じる者がどれ程いるかだ。御代志研究所の職員、研究者はみな一様に信じるが、外部の者は違う。
身内の証言は確固とした証拠にはならない。
「……劉子さん」
「です?」
「糸識廬を拘束してください」
「っ!? 佐那っ!!」
「立証されてしまっている事です」
何の冗談だと廬は佐那を見る。
「信じてくれ! 俺はやってない!」
「罪人はみぃんなそう言うんだよね」
「黙ってろ! 俺は違う。俺はずっと此処にいた」
「糸識さん、言ってましたね。たまに記憶が途切れてしまう事があると」
「それはっ……」
「もしもその消失した記憶の中で浜波研究所を襲撃していたとしたら」
大智と話をする以前は、たびたび記憶が混濁していた。気がついたら研究所にいたり、いつの間にか一日が過ぎていた事もあった。その中で廬が意図せず浜波研究所を襲撃したなんてどんなイリュージョンだ。
そんな短時間で事が起こってしまって良いわけがない。
御代志から浜波に行くまでに乗り継ぎで6時間はかかる。一日て浜波研究所を襲撃して帰るなんて無理な話だ。
「消失した諜報員に貴方の特異能力を行使する事で……事は起こる」
「ッ!?」
複写する事で消失した諜報員が何処に行って何をしたのかなんて一目瞭然。
「俺じゃない。俺は……」
「はいはい。言い訳は、本部に行ってから言おうか。君が新生物であることも合わせていろいろと証言してよね」
劉子が申し訳ないといった顔をして廬に近づく。
(冗談じゃない!)
廬は丹下を押しのけて所長室を出て行った。