第170話 ESCAPE
「顔色悪いけど、どうかしたのかい?」
諜報員が消失して一週間が経過した時、儡が尋ねた。
廬はその一週間の中で頭痛が続いていた。病気を疑い研究所にいる医者に診察を頼んで隅々まで検査した結果異常はなかった。
そうなるとやはり、この頭痛の原因はA型0号と密接な関係があるのではと疑い始める。
「……なんでもない」
「へえ。僕に嘘をつくんだ。いい度胸だね」
目を逸らして廬は儡から離れようとする。それが気に入らない儡は無理にでもその心を覗いてやろうと目を合わせようとする。けれどその行動が廬の逆鱗に触れたのか「放っておいてくれ!」と叫んでしまった。
「っ!?」
「! 悪い。少し、考える事が多いんだ」
儡もまさか、怒鳴られるとは思わなかったようで目を見開いて驚愕している。
いつもなら、廬は儡が特異能力を使ったからと言って怒りはしなかった。
それ程までに知られたくない事があるのかと儡は「僕の方こそ、ごめん」とばつが悪そうに顔を逸らした。
「そうだ。検査の結果はどうだった?」
廬はその場の空気を変える為に強引に話題を変える。
「僕に異常はないよ。憐も同じく。だけど瑠美奈は暫く動けそうにないかな」
「何か、問題が?」
「寧ろ逆だね。問題がないように療養を長引かせてる」
「そうか」
「心配ならお見舞いの一つくらいしたら?」
「え? 行っても大丈夫なのか? てっきりダメだと思って近づかなかったんだ」
「部屋に入る事は出来ないけど、窓があるからそこから会話ができる。海良と同じだよ」
「そうか。なら、あとで顔を出してみるよ」
「そうしてあげて、瑠美奈も寂しがっていたよ」
儡はそう言って佐那に会いに行った。
今後の予定を訊きに行ったのだろう。
(こんなはずじゃなかったんだ)
廬は儡を責めるつもりはなかった。まさか自分の感情が制御出来ないとは思わなかったのだ。またいつものように儡に覗かれて、分かったように話をしてアドバイス程度の事を口にすると思っていた。
廬もその方が良いと儡が現れて安堵していたはずだった。それなのに心を見られる事を恐れていた。儡の力を知っている。覗かれることでやましいことなど何もないはずなのに……。
こんなはずじゃなかったと頭の中で何度も言う。
こんな状態では瑠美奈に会いに行けないと廬は何としても本来の状態に戻る為に気持ちを落ち着かせた。
酷い疎外感に苛まれている。別に誰かに仲間外れにされているわけじゃない。
仮にされていたとしても廬は別に構わなかった。もとから一人を好んでいた為に誰かに疎外されていたとして問題はない。
「廬。なにしてんの?」
「大智。お前こそ、それどんだけ持っているんだ」
頭痛に悩まされていた廬の前に大量の書類を持った大智がやって来る。それをどこに持っていくのか尋ねれば、下層の書類保管庫におさめに行く途中らしい。
手伝いを名乗り出て半分持ち一緒に下層に向かう為エレベーターホールに向かう。
「最近、あんたの様子が変だって噂になってるけど?」
「……俺もそう思うよ」
「イタリアに行きたくてしょうがない?」
「そう言うわけじゃない。今の状態を知っているから、そんな身勝手な事は出来ないだろ。だから、早く裏切り者を見つけて……」
「イタリアに飛びたいって? 夢にそこまで執着出来て羨ましい限りだ」
「大智だって気になった夢は考えたりするだろ?」
「僕は、夢を見るんじゃなくて叶える側だから」
「叶える?」
「そう。僕の専門は、メタバース。仮想現実、仮想空間、AR、VR。筥宮に張り巡らされたモニターのように僕は、この世界を仮想空間と瓜二つにすること。夢を見ている暇があるのなら、夢を叶える努力する。それで得られるもの、失うものを僕は弁えてるつもりだ」
「そうか。強いんだな」
「強くなんかない。寧ろ弱いよ。僕はこうして踏ん切りをつけないと向き合えないんだから」
何かを得る為に、それを失うのは仕方ない事だと大智は受け入れた。
「廬、人は失う事を恐れている。僕だってそれは同じだ。だけど、どちらを取ることも出来ない。どちらかを選ぶしかないなら、僕は僕にとって最良の結果を選ぶよ。それがどれだけ他人を苦しめたって構わないと思ってる」
「珍しいなお前がそうして俺に打ち明けてくれるなんて」
「あんたがそう言う事を素直に受け入れないからだ。見ていて腹が立つ」
(俺は誰にでも嫌われるな)
儡にも憐にも嫌われて、大智にまで嫌われてしまったと廬は苦笑いが出る。
エレベーターを降りて倉庫に到着する。
大量の書類を仕分けするのにかなりの時間が必要だと各々手を動かす。
大智は廬に一番消えて困るものを尋ねた。
その問いに熟考する。その末に出て来た答えを口にする。
「今の環境が無くなるのは、嫌だな」
「じゃあ、今の環境を守る為にどうするか考えるべきじゃない?」
「……裏切り者を見つける。結局はそこに行きつくわけか」
裏切り者が誰であっても廬はこの平和を守るしかない。
「よし。こんなものか」
「ありがとう。廬」
手伝いを終えて大智はやっと今日の分の仕事を終えたと背伸びをする。
役に立てた事で少しだけ気が軽くなった事を言うと「ハードワークも大概に」と注意されてしまった。
「これから飯でもどうだ? 奢るよ」
「食堂じゃあ満足できないって? 栄養士が泣くよ」
「たまには外で食べるのも良いだろ。寿司とかどうだ?」
「じゃあ、お高い所で……僕そう言う所行ったことがないんだ。まあ身の丈に合わないで肩身が狭い気がするけど」
「俺が全部注文するよ。気楽にやってくれ」
「なら、お言葉に甘えて」
それじゃあ行くかと廬は大智を外に連れて行く。
大智ももう廬を前に外は嫌だなんて言えなくなっている事に苦笑する。
「大智、酒は?」
「え? 一応飲めるけど、廬は飲酒?」
「代行を頼むよ。たまには酒が飲みたい気分だ」
なんて言って、三週間ほど前に鬼殻と飲んでいるが少し飲むとまた飲みたくなる。
そして、誰かと飲む酒が旨い事を知った。
廬は自分の車に大智を乗せて、御代志町一の寿司屋に向かった。
他に外で食事をしてくれる相手がいないと言うのも事実で、大智は御代志町に来て初めて御代志町の外食店で食事をする。
寿司屋の個室で大智はパソコンを操作している。
「AIって人じゃないんだろ?」
注文を待っている廬が尋ねる。
「人ではない。実在してるわけじゃないし、人権なんて物もない。人型じゃなければ馬鹿にされて終わる。だけど、僕は彼らを大切にしたい」
「どうして?」
「……昔、姉さんが言ったんだ。意思あるものは尊重しろって」
「意思?」
「正直、正確な意味までは分からない。だけど、僕は昔から人工知能を作る事が得意だったこともあって、作っては削除していたら、怒られたんだ」
大智の姉は、大智の才能を誇りに思ってくれていた。
それでいて、慢心しないように、作り出したものには心が宿る事を教えてもらった。
量産しては不要となって削除なんてよくしていた事だった。その事を知った姉は激怒した。
「『生み出したなら死ぬまで責任を取れ』って怒られた」
子供は両親を選べないようにAIも設計者の意図で削除される。
幾らでも同じものは生み出せる。だが、数秒前のデータは何処にもない。
「生み出したら家を用意する。作ったなら役目を与える。姉さんは僕にそう言ったんだ」
「良い姉だな」
「うん、自慢の姉だ」
寿司が運ばれてくる。
大智は目についたサーモンに醤油を少し付けて一口で食べる。
「廬には兄妹いるの?」
「今その事で悩んでるよ」
「兄妹がいるか、いないかで?」
「ああ」
廬は自分が新生物であることを伏せて話せる範囲を口にする。
今まで一人っ子だと思っていたが、実は妹がいたかもしれない事を伝える。
「廬、両親の顔を覚えてないんだっけ?」
「ああ。おかしな話、気がついたらもう社会人だった」
本物の記憶を借りているだけで本当に両親が何処にいるかも生きているかもわからない。
「それなのに、以前の出張で自分を「お兄様」って呼ぶ女性。不気味だ。寧ろ不審者として警戒するべきじゃない?」
「……そうだよな」
普通はそうなんだろう。警戒しておくのが普通で廬は気にし過ぎている。
「もしも本当に妹だったら?」
「それなら、向こうからアクションが来るはずだ。向こうは廬の事を怨んでるかもしれないだろ?」
「怨む? どうして?」
「だって、今まで放置してきたんだ。知らなかったで相手は済まされない。ずっと待っていたかもしれないし、迎えに来てくれるって誰かに言われていたかもしれない」
「……」
「なんて、全部創作物でよくある話だ。僕が身勝手な事が言えるわけじゃない」
冗談だと大智は、エビを口にする。
それが美味しかったのか「ん〜」って嬉しそうな顔をした。
「親の顔を知らないって事は孤児だった可能性だってある」
「孤児?」
「身寄りがない子供の事だ。もしも廬が孤児なら親の顔を知らないってのも納得がいく。そして、問題の女性も同じ孤児院育ちなら、廬を兄と慕う事だって不思議じゃない」
「孤児院。そうか、あの教会が孤児院の役割を果たしていたなら……」
綺麗に嵌ったような気がした。廬の中で納得がいく説明が出来た。
「それにその人の髪は白いって言うなら似てないだろ? あんた、目も青くないし」
「そうだよな。ああ、本当にどうかしていた」
容姿に関しては複写している為、本来の姿は分からない。
だが、もしも顔のない青年と同じだとしてもあの少女とは似ても似つかない。
(教会の孤児院で育った俺があの神父に連れられて、その後に新生物になったのか。いや、少女は俺の事を知っていた。なら、元から新生物か)
佐那のように作られたわけではなく、純粋な新生物として廬は生まれた。
両親はそれを疎んで捨てた末に行きついたのが教会だとするなら納得がいく。
あの少女も孤児院で会ったなら親しくなって兄妹のようになることだってあるはずだ。
「よし、大智。いっぱい食べろ」
「え? 突然なに? もう食べてるけど」
「気分が晴れたよ」
「いまので?」
突然、気が狂ったのかと大智は廬を凝視する。
それでも廬は悩んでいるのが馬鹿らしくなった。
血の繋がりがないのなら家族ではないと受け入れられる。
施設を探すのはそのままに深く考えずに済んだ。
「ありがとう。大智」
「変なの」
大智はイカを食べる。
熱いお茶が廬の中を温める。