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第169話 ESCAPE

 ヴェルギンロックにて。

 廬は休憩時間にヴェルギンロックに来ていた。寡黙な店主は今日も美味しい珈琲を淹れてくれる。のんびりとした憩いの場はこの場所くらいだと思いながら時間を徒に過ごす。


「そう言えば、棉葉は此処に泊まっていた時、料金は払ってたのか?」

「ああ。毎月きっちり釣りもなしで払っていた」

「その金って何処から来るんだ?」

「さあな。客の事を詮索する気はない」


 棉葉は無職だったはずだが、占いか何かで金を稼いだにしては噂を聞かない。

 今も何処で何をしているのやらだ。

 店主は話を振れば返って来る。しかし店主の方から話を振ることはなかった。

 廬は静かに珈琲を口にする。店内に響く喫茶店らしい音楽はざわつく心を癒やしてくれた。


 珈琲が無くなりかけていた時だった。客が入店するベルの音が聞こえた。

 自分には関係ないと廬は残り少ない珈琲を少しずつ飲んだ。

 するとどう言う訳か入って来た客は廬の横に腰かける。


「ホットミルクはあるかな?」


 店主はその注文に牛乳を温め始める。


「私はホットミルクに目がないんだよ。店によって作り方やその際に入れる物も変わって来る。そして、その店の風情が垣間見える。君はどうだい? 何か拘りはあるかな?」


 唐突に尋ねられる。困惑しながら「とくには」と口にする。折角だが、珈琲を飲んでさっさと立ち去ってしまおうと珈琲を飲み干すと「店主、彼に珈琲のお替りを」と言った。


「え、いや。俺は」

「遠慮しないで、僕の奢りだ」


 立ち上がろうと中腰になりながら廬は隣の客を見る。

 細められた目に歪むことのない笑み。切り揃えられた髪。

 見るからに出張ですと言いたげにビジネスバッグが廬とは逆隣に置かれている。


「貴方はこの町に住んでいるのかい?」

「ええ。まあ」

「そう。僕はこの町に来たのは、今日が初めてでね。地元の人なら是非案内をお願い出来ないだろうか?」

「案内なら、駅員が良いですよ」

「駅員に訊こうかとも思ったのだけど、きっと観光名所は案内してくれるけど、地元民の此処が一番ってところは教えてくれないだろう? 私はそう言う所が行きたいんだ」

「俺も去年此処に来たばかりなんです。それ程詳しいわけじゃ……」

「だけど、一年過ごして何か気が付いた事があるはず。是非、お教え願いたい」

「……人に言うほどの事でもないです」


 見ず知らずを案内出来るほど廬は口が上手くない。

 率直に断ると「残念」と眉を顰めた。


「では、自己紹介をしよう。此処であったのも何かの縁と言う。僕は、天理てんりかさねと言うんだ。よろしく」


 すぐに笑みを浮かべてそう言った。

 累が名乗ったことで廬も名乗る。


「糸識廬です」

「糸識?」

「ええ、そうですが……」

「いやね、数日前に糸識廬って名前の人に会ってね。いや、まさか同姓同名に会っちゃうなんて思わなかった」


(っ!? 本物が帰って来てるのか)


「そう言えば、彼。貴方によく似ていた気が……」

「っ……マスター。御馳走様」

「もう行ってしまうのかい? もう少し話をしていたかったんだけど」

「まだ仕事があるので。話は次に会った時に」

「ああ、そうしよう。次に会ったら今後こそ奢らせてくれるね?」

「……時間があれば」


 強引に、違和感しか残さずに廬は立ち上がる。

 その場に居続ける事が嫌になり廬は代金をテーブルに置いて店を出て行く。

 バレるのが怖かったのかもしれない。廬が偽物だと言われるがの怖くなった。

 そんな事は今まで無かった。それなのに突如として感じる気持ちに混乱を隠せなかった。


「子供の成長って言うのは随分と目覚ましいものだと思う」

「……」


 店主はホットミルクを累の前に置く。


「子供は神から贈られて来たギフト。大切にしなければならない」

「……」


 ふぅっと湯気を揺らめかせてホットミルクを一口。


「んっ……美味しい。流石だね。この店は当たりだ。次に来た時はアップルパイが欲しいなリンゴが好きなんだ。リンゴのコンポートなんてのもあれば良いかも知れない。是非食べさせてくれるかい?」

「……次に来た時に出してやる」

「ありがとう」


 累は再びホットミルクを口にしてほっと息を吐いた。



 御代志研究所にて。

 ドクドクと鼓動が激しくなる。やましいことなど何もないはずなのに廬の心臓は痛み始める。


「っ……なんなんだ」


 ここ数日、自分が可笑しい。

 不整脈が多発している。病気になったと考えるのが一番だが、新生物が病気になるのだろうか。研究所と言うある種、無菌室の中で病気になる事は滅多にないだろう。


(こういう時に棉葉が居たら状態をすぐに理解してくれるって言うのに)


 何でも知っている彼女は旅をしている。戻って来るかもしれないし戻ってこないかもしれない。今頃、廬の状態を知っていながら何処かでほくそ笑んでいるだろう。

 楽し気に廬の状態を口にして遠回しな解決策を提案するに違いない。

 ない物ねだりだと言うのは承知しているが、必要としている時に現れない。


 焦燥感に苛まれる廬。早く自分の事を解決したい気持ちに心を引っ張られてしまう。


「糸識さん、少し良いでしょうか?」


 気が付けば研究所内を歩いていた。自分がどうやって帰って来たのかも覚えていない事に廬は焦りを覚える。

 声を掛けられ我に返る。振り返れば、諜報員について報告書が上がって来た。その確認をしてほしいとのことだった。


「確認が終わったら、俺の方から佐那に渡しておくよ」

「よろしくお願いします」


 書類を受け取ると職員は去っていく。

 その背を一瞥して廬は書類に目を向ける。


「……諜報員が、見つからない?」


 駅で確かに下車したのは確認したがその後の行方が分からない。

 忽然と姿を消した。神隠しに遭ったように消息を絶った。

 調査したのは、儡が率いているホワイト隊。隠密活動に置いて憐に引けを取らないほどの実力者。それ故に見失うことはあり得ないと書かれている。


 諜報員が来たと言う報告で三日が経過している。

 御代志町の宿泊施設から一歩も出てこない事で疑問に思い泊っている部屋に入ればそこはもぬけの殻。何かの冗談かと目を疑った。そこには人がいたと言う形跡が一切なかった。出し抜かれたのかと疑ったがこの町で観光客なら目立つ。

 宿泊施設の職員に尋ねれば確かに泊まっていると宿泊費を貰っている事が確認できた。そして、施設を出て行った形跡もない。

 この奇妙な事態に新生物を出し抜く方法を見つけたのかと疑ってまた三日間は御代志町をくまなく諜報員を探したが見つけることは出来なかったことが書類には書かれていた。

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