第168話 ESCAPE
『衛星カメラには何も映ってないよ?』
「そう。じゃあ、何か土地の違和感を探してくれる?」
『違和感?』
「うん。変に整地されていたり、木々が周囲より明確に多い所とか」
『わかった! 検索してみるね』
涼しい風が大智の頬を撫でる。外でのパソコンも乙な物だ。だが、それが男と一緒で尚且つ山頂にいるとなれば話は別になって来る。
「それで分かるのか?」
「ネット社会舐めないで。教会を探すなんて朝飯前。ほら、出て来た」
パソコン内にいるAIが『結果が出たよ!』と感情があるかのように発している。流石、筥宮出身なだけあり機械に強い。
廬は全くわからず首を傾げるばかりだ。
「……イタリア?」
衛星カメラから検出したのは、イタリアの一角に点在する山。
その山は確かに人さと所か人工物がない。しかし、一点に置いて違和感があるとAIは言う。解像度を上げてみても一向に鮮明に映らない場所があり、車が走る事が出来る道路は整備されているのにぶつりと途切れている。
「イタリアまで行けって言うのか?」
「そう言う事になる。間違っていても僕に責任はない」
「わかってる。……でも、参ったなイタリアか。何日で戻って来られるか」
「は? まさか行く気?」
「勿論だ。俺は知りたいからな」
「研究者の性ってやつ?」
「そんなところだ」
廬は自分の事を知らなければならない。その為にもイタリアに行くしかない。
もしも間違いだったとしても構わない。所詮夢だ。ない方が不思議じゃない。
「付き合わせて悪かった。山を下りよう」
近場で見つかるとは到底思っていない。
車に乗って研究所に戻るとすぐ廬は海外の出張許可を取りに佐那のもとへ行った。
「大智! 丁度良かった。コンピュータがエラーを吐いてるんだ。助けてくれ」
大智が手持ち無沙汰になっていると困っていた職員が声をかける。
所長室にて。
廬が所長室に来るとソファで寝ている劉子と仕事をしている佐那がいた。
廬は、夢で見たことを説明して、大智が調べたことを伝える。
「認められない」
「どうして」
「当たり前じゃない。単身でイタリアに行くなんて、どうかしてるとしか言いようがない。それが夢の中で見た教会を探しに行くことだって言われたらなおさら。そんな現実味のない事を二つ返事で了承出来るわけがない」
「俺が何者なのか分かるかもしれないんだ。頼む」
「認められません。それに今は裏切り者の件で各研究所が睨み合いをしている状態だから、イタリアに単身で向かってイタリア研究所の人に見つかったらどうするの? 裏切り者かもしれないって拷問にかけられたら? 気が立ってる所為で人の話なんて聴かない。日本だってそう。今、御代志研究所を疑って来た諜報員が来たって情報が入ったの」
「!? ……此処まで来たのか」
まさか、知らないうちに御代志町に来る研究者がいるなんて思わず廬は驚愕する。
「正直に言えば、この研究所から糸識さんが居なくなると困るって言うのが本音。瑠美奈も、傀儡さんも稲荷さんも、今は検査観察中で動ける状態にない。多分、相手はこれを狙って行動しているんだと思う」
「佐那は? お前は検査しなくて良いのか?」
「私は、もとは旧生物だから……理性が効いているみたい。だけど、私の力は誰かと喧嘩をするに特化していない。そりゃあ使い方によっては人を殺めることは出来る。……歌で人を殺したくない」
「……」
「ごめん。私情を挟んで。……今、糸識さんがイタリアに行ってしまうと研究所が危険になる事だけは分かって」
「……ああ」
わかっていた事だ。今の状態で廬が出て行けば、御代志研究所が壊されてしまうかもしれない。その上、検査中の瑠美奈たちにも問題が生じる可能性だってある。
「何を焦ってるの?」
「え? 俺が焦ってる?」
「すごく焦ってるように見える。そんなに自分のことが知りたい? 今までそんな事なかったのに」
本物の記憶を複写して、自分自身が本物の糸識廬だと錯覚していた頃は、自分が本当は何者かなんて考えることはなかった。
しかし、瑠美奈と会い。こうして周囲の干渉に順応していくと自分が本当は何者でどう言った人間なのか考える余裕が生まれて来た。
廬にとって、今の生活は心地の良いもので、本物の廬と違うようになっていく。
本物と偽物。それだけのことだった。自分は偽物でも良い。
偽物でも良いから、此処に居たい。だが、偽物だと思えば思う程、廬の中で何かが噛み合わなくなってくる。本当に偽物のまま生きていくのか。
本物に全てを返すことは出来ないのか。
自分を思い出すきっかけなんて些細な事だった。
本部に行った時、自分を「お兄様」と呼んだあの女性。
夢の中で何度も「お兄様」を呼んで泣いていた少女。
「俺は……誰なのか分からなくなってきているんだ」
「……それって、特異能力が消えかかってるってこと?」
「分からない。俺は自分の力をよく認識していないからな」
自分にかけた複写。意図して解けるものなのか、不意に解けるものなのか。分かっていない。使いこなすことが出来れば永久に解けることはないのだろう。
解きたいときに解いて、掛けたいときに掛ける。そう言った力であればと……。
「俺はまだ、自分の事を糸識廬だと思ってる。確信している。だから、力が解けているなんてことはないはずだ」
難儀なものだ。こうして自分が廬だと思っていたら何事も無く研究所に専念できると言うのに、自分が新生物で尚且つ一切の情報がない者だと言うだけで好奇心なのか、探究心なのか。そのどちらもなのか。廬の中で回り続けている。
「研究所に迷惑はかけられない。ただこの騒動が終わったら俺はイタリアに行くよ」
「……わかりました」
引き留める理由がないのなら、廬は行ってしまう。
(このまま騒動が終わらなければ良い。そうしたら糸識さんは研究所にいてくれる)
嫌な予感がする。そう安直な表現をする事しか出来ない佐那は目を伏せた。
所長室を後にした廬を待っていたのは、エラーを直し終えて華之のパソコンを操作している大智だった。
「外出許可は下りた?」
「いや、今の研究所の状態を垣間見ても俺が今、研究所を離れるわけにはいかない。だから、状態が落ち着いてからまた佐那の所に行くことにした」
「そうか。なら、僕のお目付け役ってのは解任で良いかな?」
「ああ、すまない。暫くは俺が気を失うことはないと思う」
「そうしてくれるとありがたい。僕の専門外の事は気が動転する」
大智はそう言って廬にパソコンを渡すと踵を返した。
そこでふと思い出したように顔をこちらに向けて大智は言う。
「一応、他にも不審な教会がないか僕の方で調べてはみる。イタリアだけピン当てするには難易度高すぎだから」
「ありがとう。そうしてくれると助かる」
廬が言うと大智は満足したように自分の仕事に戻っていった。
ただの夢と受け入れられたら良かった。現実であの女性に呼ばれなければ廬は今頃、自分の事を調べようなんて思わなかったはずだ。
再び会うことは叶わないだろうか。どうしてあの時、廬に声をかけたのか。
廬否A型0号とどう言う関係なのか。あの時、一方的に話をして終えてしまった。
「とりあえず、諜報員を探すことからか」
自分の事を後回しにして廬は研究所の危機をどうにか切り抜ける方法を見つけ出す為に思考を巡らせた。