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第167話 ESCAPE

 この事態を知っている。

 廬は客観的だった。目の前で起こっている事を自分の事だと思えない。

 しかしこれが儡の知っている廬の過去なのかもしれない。儡も知らない記憶の一片とも言える。


 床にへたり込む少女は、拳を握って泣いている。

 それをただ見つめる事しかしない顔のない青年。

 そのすぐ背後に黒い影が伸びる。


「もう時間ですよ」


 背後に立つ神父服を着た人物は顔のない青年に言う。

 踵を返す廬にへたり込む少女は「いやっ」と拒絶したが一瞥もくれずに顔のない青年は行ってしまう。


「お兄様、わたくしを置いて行かないでください」


(彼女が妹?)


 真っ白な髪。青い瞳。それは廬を「お兄様」と呼んだ女性と酷似している。

 酷似ではないきっと本人なのだろう。


 彼女は酷く悲しんでいた。泣いている声が廬の心を締め付ける。


「貴方はいつか必ずこの場所に戻ります」

「……」

「何も感じていない、ですか。結構です。それが神の意思だと言うのなら従いましょう」


 そう言って神父は青年を連れて行ってしまった。



 見慣れない教会。

 人里離れた山奥に建てられた教会。


「神様よ。どうかお兄様をお救いください」


 少女は女神の像に祈り続けた。

 廬が立ち去った後の祈りなのか、廬が立ち去る前の祈りなのか。

 きっとこの記憶は後者なのだろう。


「……」

「お兄様! いらしていたのですね」

「……」

「ええ、ええ。わかっております、お兄様。お祈りの時間を終えたら一緒に器を探しに参りましょう」


 顔のない青年が礼拝堂に来ると先ほどの悲し気な声はどこに消えたのか。

 喜々と明るい声色で青年に近づき言った。

 彼女は一切言葉を発しない青年の思っている事を理解しているかのように頷きながら言った。


「お兄様。やっと明日、お兄様の器を……いいえ、中身を見つけることが出来ればお兄様は、人として生きる事が出来る。お兄様が戻って来てくださるのですよ」


 中身。それは何もないA型0号が複写する触媒を意味するものだろう。

 彼女はA型0号を完成させようとしていた。


(完成させようとしていたのに、俺は……あの神父に連れて行かれた)


 その後の彼女はいったいどうなったのだろうか。

 失意に苛まれたのか。それとも、さほど気にしていないのか。

 彼女にとってA型0号は特別な存在に見えた。

 突然離されて元気で居られるわけがない。


(彼女は新生物なのか)


 そんな不明瞭な疑問は必要なかったのかもしれない。

 あの日、少女は、女性と成長して廬の前に現れた。

 彼女は確実に廬がA型0号だと分かっていた。

 わかっていて声をかけた。自分がかつて顔のない青年だった面影などないと言うのに一切の迷いもなく彼女は廬を「お兄様」と言った。


「……自問自答をするつもりはなかったんだ。だけど教えてくれ。お前の本当の家族は生きてるのか?」


 記憶の奥底に眠る自分自身。A型0号と呼ばれた顔のない青年。

 しかし、彼は何も答えなかった。答えられなかったのかもしれない。

 どれだけ廬の深層心理とは言え、本人が覚えていない事を答えろなど無理な話だ。


 明晰夢を頻繁に見ることが出来たなら、自分の謎を解明する事が出来た。

 今だけなのだ。夢を夢と実感できるのは……。


「彼女は誰なんだ」


 自問自答を繰り返したって自覚していなければ答えなんて出てこない。

 夢なんてそんなものだ。欲しいものを与えてくれない。


 身体が重くなる。目が覚める感覚だ。

 顔のない青年も踵を返して行ってしまう。


「待ってくれ!」


 まさか自分自身を引き留めるようなことになるとは思わなかった。

 目が覚める感覚、視界が歪む。




「……ッ」


 廬は目を覚ました。不可解な感覚に襲われる。


「おはよう」


 そう声を掛けられてそちらに視線を向けると簡易椅子に膝を曲げて座りノートパソコンを操作している大智がいた。


「大智」

「……倒れたんだ。覚えてる?」

「ああ、大丈夫だ」


 意識ははっきりしている。上半身を起こすとまだ頭痛が残っていたようで顔を顰める。


「なんでか知らないけど、あんたの面倒事に巻き込まれたんだけど」

「どう言う事だ?」

「劉子、さんの……依頼だったんでしょうそれ。解決するまで廬と一緒にいるようにって……また、倒れられたらすぐに対応できるように」

「……心配性だな」


 照れ臭くなり頬を掻いたが「こっちは仕事が出来なくて迷惑」だと言いながらパソコンのキーボードを打ち続けている。


「何してたんだ?」

「……新型システムデバイスの制作。誰にも破壊されない複雑プログラムを組み込めば今度こそ」

「大智、もう少し分かりやすく話してくれないか?」

「人工知能を作ってる最中。前に作っていたのは壊れたから」

「そうか。時間かかるか?」

「いや。バックアップはいつも取ってるし問題はない。なに?」

「ちょっと行きたいところがあるんだ。ついて来てくれ」

「は?」


 廬はベッドから起き上がって検査服からいつもの服に着替える。


 大智を連れて研究所の車を借りて走らせる。


「そ、外なんて聞いてない!」


 ノートパソコンを抱きかかえながら助手席で震えている大智に運転席にいる廬は「なにをそんなに驚いてるんだ?」と疑問に思う。


「だ、だって、外は危険が一杯だろ! 僕が引きこもりなのは外的障害から身を守る為で、僕自身が外であくせくする必要性は皆無なんだよ!」

「なんか必死だな」


 引きこもりの典型的な例だと廬は、大智の言っている事が可笑しく笑った。

 車が行く先は、御代志山。車が通れるかどうかやっとの獣道を何とか突き進んでいく。がたがたと激しく揺れる車内で大智はもうジェットコースターに乗っているような錯覚に陥る。

 別段、廬の運転が荒いわけじゃない。この道がそれ程までに荒れているのだ。


 運転席側に山があり、助手席側に崖。少しでも運転をしくじれば崩れて落ちてしまう事を激しく恐怖する大智は自分がどうして此処にいるのか疑問でしかなかった。


「麓で降りて歩いたらよかったじゃないか!」

「それじゃあまだ距離があるんだ。車で行った方が時間が短縮される」

「なら、せめて! 僕を研究所に置いて行ってほしかった!!」


 車の中でのんびりパソコンが出来ると思えば、そのまま登山なんて聞いていない。聞いていたら全力で研究所待機を申し出ていた。幾ら廬の面倒を見るように言われていたとしてもこんな重労働は給料と割に合わない。佐那に一言文句を言わなければ気が済まないほどだとありもしない根性が大智の中で沸々と煮え滾っている。



 山道を車で走らせて大智からしたら一生分の覚悟を使い果たしながらやっと山頂に到着した。澄んだ空気とは裏腹に大智の周りにはどんよりとしたネガティブ空気が漂っていた。


「車が通れるほどの道だった。つまり、御代志付近にはないって事か」


 人さと離れた教会を廬は探していた。

 あの夢がもしも廬の蓋のされた記憶の一片だとしたら実在するはずだ。あれ程現実的な夢を勘違いで終わらせたくはなかった。


「大丈夫か? 大智」

「大丈夫じゃないから、研究所の人を呼んで救助してもらおう」

「遭難しているわけじゃないんだ。俺の車で下山するよ」

「その下山が怖いんだよ! 僕の寿命を返して! 政府機関なら緊急事態に備えてヘリとかあるだろ! それ使って研究所に帰ろうよ!?」


 比較的安全に下山したい大智は必死に廬に懇願するがたった二人の研究者を山から下ろす為にヘリを出してくれるとは思えない。ヘリを一台出動させるだけでどれだけの金が動くか考えるだけでも目が回る。


「別に外出まで一緒に居なくてもいいじゃないか。どうして僕が……」

「悪いな。付き合わせちゃって」

「起きたと思ったら突然外に出たがるし、なんなの?」

「過去の記憶を辿ってる」

「は?」


 廬は気絶していた時に見た夢の話を掻い摘んで大智にいうと心底あり得ないといった表情をする。その表情から窺えるのは「疲れて願望を見るのはやめろよ」と言った非難だ。


「手伝ってくれ。報酬なら幾らでも容易する」

「……はあ。少しだけだ。それ以上は手伝わない」


 本来ならパスワードを解析して終わるはずだったのにこんな事になるなんて思わなかったと溜息が絶たない。

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