第166話 ESCAPE
廬がパソコンを持って研究所を歩き回り人を探していた。
T字の通路で目的の人物は歩いていた。
「いた。大智、少し良いか?」
「……なに?」
研究所に似つかわしくない若い男。
成人になったばかりなのか少しだけ反抗的な雰囲気を持った青年は廬を見る。
「少し頼みたいことがある。パスワードの解読は出来るか?」
彼は栗原大智。
天才ハッカーであり、コンピュータに関して右に出るものはいないほどの実力者。
「出来ないことはないけど、なにするの?」
疑いを込めたような瞳を向けるのを苦笑して「瑠美奈の母親のものなんだ」と言うと少しだけ驚いた顔をする。
「……彼女、今検査中だけど」
「知ってる」
「勝手にやって怒られないの?」
「心配ない。もし怒られても俺が責任を持つ。それで良いだろ?」
「……ん。分かった」
パソコンを受け取り壁に背もたれてパソコンを起動させた。
そして、ポケットに入っているUSBメモリーを差し込み何かを読み込んでいる。
その場でパスワードを解除出来てしまうのかと大智の技術に驚きながら様子を見守る。
それから、五分もしないで「出来た」といった。横に腰かけて画面を見るとデフォルトの待機画面が出て来る。
「まだ個別でロックが掛かってるけど、何か開く?」
待機画面にはフォルダが幾つかある。
「これで、華之さんの日記とか出て来られても困るな」
「……僕、嫌なんだけど」
「だよな」
華之に限ってそんな事はないと思うがこのパソコンが万が一プライベートな事以外何もない可能性もある。知られたくない黒歴史が中に入っていて、それを目撃してしまったら廬は今後故人である華之をどう言う感情を抱けばいいのか。
「とりあえず、一つずつ開いてくれるか。それでヤバそうなら即ウィンドウを削除」
「了解」
そう言ってカタカタとキーボードを打ち込む。読み込みゲージがすぐに満たされてフォルダが開かれる。
一つ目は、華之の新生物の観測記録だった。本部に送信する必要のないものだが、前例として記録を残していた。
二つ目は、瑠美奈と鬼殻が庭先で儡と憐の二人と戯れている光景の写真の入っていた。
「思ったより普通だった」
「まあ、華之さんは表向きは冷血な女性として過ごさないといけなかったからな。こういうのが合っても不思議じゃない」
寧ろある事に二人がしっかり愛されていた事に安堵した。
最後のフォルダには写真が一枚入っていた。培養槽のようなものが不気味に映っている。
「なにこれ?」
大智が首を傾げる。
解像度を維持しながら写真を拡大する。
プレートに『J-02』と刻まれている。その意味は分からない。ただそのプレートは培養槽のような容器に付いているため『J-02』が入っていたのだろう。
「これって、うちにあるのと似てない?」
「なにかあるのか?」
研究所内に何かこの培養槽と似たような物があると言うが廬は全く覚えがない。
「連れて行ってくれるか?」と尋ねれば頷いて大智は歩き出した。
向かう先は最下層より少し上。中層よりも下と言うなんとも微妙な所だった。
倉庫となって誰も近寄らないはずだが大智は何の為にこんな所に来たのか。
「此処は暗くて落ち着く」
「引きこもりだからか?」
「……別に、外に出る意味がないと思っただけ」
長い間、外に出ていないと何かと不便だっただろう。それで人気が無い所を探した結果、見つけた。
「此処だ」
不用品が積み上げられた倉庫。その奥には、確かに写真のような似たり寄ったりな物が存在した。
それはれっきとした培養槽で人が一人入れるほどの大きさをしている。
培養槽には脇にプレートが付けられている。
『J-00』
――お兄様。
「――ッ! ぐあっ」
「廬!?」
突如として頭に響く音。甲高い音。機械の故障のようにノイズのような音が頭に響く。
頭が割れるように痛い。大智は驚いた様子でどうするべきなのか困惑している。
――待って! お兄様!
――お兄様を連れて行かないでください!
白い少女が手を伸ばす。その手を握ることは出来ずに誰かに連れて行かれた。
「ッ……なんだ。これっ」
「どうしたって言うんだ? っ!? 廬!!」
痛みに耐えられず廬はそのまま倒れてしまった。
慌てる大智は非力な身体で何とか廬に肩を貸してエレベーターに向かった。
「誰か! 誰か助けてっ。廬が倒れたんだ」
地上に戻って来た大智は叫んだ。
すぐに研究者たちが駆けて来る。
「栗原さん、一体なにを?」
救済の声に駆け付けた佐那が大智に尋ねる。
「地下で倒れたんだ」
「地下? 何かしていたの?」
「それは……」
パソコンの事から伝えて良いのか分からず大智は困惑する。
すると今度は劉子が駆けつけて行った。
「劉子が、廬さんにお願いしたです」
「劉子さん」
「です。廬さんにお願いしたことをきっと大智さんにも手伝ってもらってたです」
「……何をしていたのかは知らないけど、糸識さんが倒れてしまうのはオーバーワークだったんじゃない?」
「です。廬さんには休養が必要です。大智さん、暫く廬さんに付き添って欲しいです」
「ぼ、僕がですかっ!?」
「です。劉子は、佐那さんと一緒にいるように言われてるです。だから、廬さんと一緒に居られるのは大智さんだけです。お願いするです」
「そうね。傀儡さんも稲荷さんも検査で時間は空いてない。お願い出来る?」
「……わ、わかり……ました」
余り前向きになれない大智だったが上司の命令は聞いておかなければ後が面倒だと素直に頷いた。