第163話 ESCAPE
十五年前。
当時十四歳の丹下は、浜波研究所の所長に連れられて定例会議に出席していた。
退屈な会議を長時間聞いているのは、丹下には苦痛だった。目を盗んで会議室を出て行った丹下は研究所本部を探索した。
勝手に出て行ったことを怒られると思いながら退屈な会議が悪いだろうと正当化して散策していた時に鬼殻と出会った。
鬼殻は会議中の母親に代わって共に来ていた御代志町の研究者と打ち合わせをしていた。全ての決定権があるわけではない為、可能性を口にしながら今後の方針を固めている最中だった。
「ですから我々が宝玉を管理する事になれば運ぶ為の器。新生物が必要です。私がやっても構いませんが、内蔵の幾つかを犠牲にする覚悟をしなくてなりませんね。そして、次の問題ですが宝玉が集結してしまえば、御代志町に厄災が起こる可能性があります。策も講じず宝玉を一か所に集めるのはお勧め出来ませんね。それに日本で保管するとなっても、もしも厄災が起こってしまえば、確率的に日本に厄災が発生する可能性が高くなる。どこかの国で一時的にでも分散してくだされば、こちらの準備が整うまで保管してくだされば、良いのですが……。保身に走る者たちばかりでしょうし、困りましたね。既に宝玉を持ってこようとしている国もあるそうですし」
丹下は会話から鬼殻が新生物であることを察して声をかけた。
「……君、新生物なの?」
「おや? 貴方は?」
「俺は、入野丹下。浜波研究所から来たんだけど、……君は新生物?」
鬼殻より少年の丹下を前に少しだけ困惑した表情をする。
「私は、A型1号です」
「ふぅん。新生物なんだ」
「ええ、此処にいるのは特別な許可を得ています。貴方に危害を加えるつもりはないのでご安心ください」
そう言われて「じゃあ、俺が何しても襲って来ないんだ」と呟いた。
その呟きは鬼殻には聞こえず訊き返す前に丹下は鬼殻の手を掴んで、そのまま床に押し倒した。
「A型1号!」
共に居た研究者が焦ったように鬼殻を呼ぶ。しかし、何もしないと言った手前子供である丹下を退かすことは出来なかった。
この事態を収めるため「早く! 浜波研究所の所長を呼んで来い!」「華之さんを」と双方の所長を呼びに向かう。
「なんとも、やんちゃな子ですね」
「ねえ。悔しくないの?」
「何故です?」
「だって、新生物って俺たちを下に見てるんだろう? 新生物は特異能力を持った人型の怪物なのに」
鬼殻の腕を背に回して身じろぎ一つさせない。その技術に感服するが感心はしない。
「無抵抗の新生物を相手に武力行使をすると言うのなら下に見るのは当然でしょう」
「無駄口利けるならまだ痛めつけても大丈夫そうだね」
「ッ……ぐあぁっ!」
みしみしと右腕が嫌な音を発する。
「どうしたの? 振り解かないと折角の綺麗な腕が折れちゃうよ? でもま、此処で俺を振り解いたら君は約束を破った事になる。危険な新生物として地下に幽閉なんて事もあり得るね」
(だから、耐えているのでしょう。何を見ているのです。この子供は)
酷く痛む腕に表情を強張らせながら鬼殻は何とかやり過ごしていると遠くから無数の足音が聞こえる。
だが生憎とそれは鬼殻の聴力のお陰で聞こえるだけ。到着までまだ暫くはかかるだろう。
「ほら、動かないと腕が取れちゃうよ~」
「……ッ」
拘束されていない手が床を引っ掻いて痛みを堪える。
「あはっ! 凄いね! 壊れないんだ!」
新しいおもちゃを得た子供が無邪気に笑っている。
「A型1号。知ってるよ。君は鬼の子だ。鬼から生まれた子供は原初の血が流れているんだよね。とんでもなく強いって聞いたよ。君に会えて良かった」
「私は……よくはなかったですね……」
気絶が出来れば楽になれたが、生憎と腕を折られるだけでは気絶など無理だ。
ぼきっと音が聞こえた。手が麻痺している。麻痺と言っても神経がまだ若干生きているだけで地獄のような痛みを堪能する。
丹下が飽きたのか、なんの反応も見せない鬼殻から下りる。鬼殻も起き上がり自身の腕を見ると
紫色と言うより黒くなっている。
壁に背もたれて呼吸を整える。
たった腕一本負傷しただけなのに身体が疲れ切っている。
「君、A型1号って弱いね」
「ええ。貴方に比べたら取るに足らないですよ」
「下手に出て俺が気分良くなると思ってる?」
「腕一本を代償にしても満足しないのですか。貴方にとって誰かを傷つける事こそが生き甲斐。ですがそれは、私たち新生物を甚振ったとしても貴方の心は満たされない」
「は?」
息も絶え絶えの鬼殻の矜持は誰にも壊されることはない。
「っ……君」
「どうしました? 私は手出しはしていませんよ。手を折られて負傷しているのも私です」
「もう一本折ってやろうかな?」
そう言って手を伸ばそうとした時「丹下!」と男の激昂した声が聞こえた。
丹下は驚いて顔を上げればそこには、華之と共に浜波研究所の所長が駆けて来た。
「大丈夫ですか。鬼殻」
「はい。ただ少々腕が負傷しました」
紫と黒で見るに堪えない有り様で「うっ」と声を殺す職員もいた。
その様子に「お見苦しい所を」と腕捲りをしていたのを強引に袖を引いて痣を隠した。外的損傷はないと言うのに衣服が触れると激痛に襲われる。
「丹下、お前は何を考えているんだ」
「何を考えているんだろうね」
自分自身の事なのにまるでわかっていないと言いたげに丹下は平然としていた。叱られている事すら気が付いてないようだ。
「鬼頭さん、申し訳ない」
「構いません。子供だからこそ新生物を前に衝動を抑えられなかったのでしょうから」
華之は職員に鬼殻の手当てをするように指示して話を進める。
非が有るのは紛れもなく丹下の方だ。どれだけ脅威的な新生物と言えど交流が出来る上で一方的な暴力は何も生み出さない。
「よく我慢しましたね。偉いですよ」
「……当然の事をしたまでですよ」
鬼殻は華之に褒められ少しだけ嬉しく思い口元を緩めて微笑んだ。
新生物は治癒能力に長けている。骨が折られても外されても鬼殻の腕は一日経てば治ってしまう。
定例会議以外にも華之と共に本部に行く機会が合った。
その際に度々丹下に会ってはちょっかいを掛けられた。新しい壊れないおもちゃ。
丹下にとって鬼殻の認識なんてその程度だろう。
「そんなこんなで、彼にとって私は簡単には壊れないおもちゃとなってしまったと言うわけです」
電車の中で聞くような内容ではなかったと廬は後悔する。
初対面で腕を折るなんてどんな教育を受けているのか。
あの両親から見て丹下は普通の子供だったはずだと廬が考えているとその思想を悟ったように鬼殻は言う。
「人には二面性があり。表面上は誰彼に愛されるものだとしても、必ず闇を持っているものですよ。猫が爪を研ぐのと同じですね。獲物を狩るのにも全力です」
「……家族を大切にしているのも演技。見かけによらないな。だから、クラブの事も研究所の事も話せない」
「研究所の件は口外する事は禁止されているので仕方ないのでしょうけど、副業に関してはカモフラージュでしょう。本業に気が付かれてしまえば言い逃れが出来ない。となれば、なん重にも言い訳を錯誤するものですよ。それに彼にとっては家族に対する感情も本物でしょう」
「それで、生きることを実感できないって言うのか? 贅沢な悩みだな」
「道を踏み外した物はこの世に違和感を覚えるものですよ。厄災に翻弄される日々を疑うようにね」
「……それで答えたつもりか?」
「ふふっ口下手なので許してください」