第160話 ESCAPE
高級クラブ『ナイトネオン』にて。
「……どうして、お前こんな店を知ってるんだ」
「嗜みでしょう? 来たことくらいあると思いましたが?」
「知っていたとしても金額を考えろ」
「私のお金ではないので」
政府から送られる多額の運営資金をクラブで消化してしまう男。厄災の権化。
既に入店した以上料金が発生している。出された水を鬼殻は遠慮なく飲んでいる。その水と氷も料金が発生していると言うのだから、気が気ではない。
煌びやかな装飾に白いソファ。大理石と思われる床と壁、高級そうなランプに照らされた一角のスペースでこれまた煌びやかドレスを身にまとった女性が「いらっしゃい」と優しい声色で言った。
「お友達連れてきてくれたんだ。うれしぃ!」
「……知り合いだったのか?」
「ええ、貴方が病院と連絡を取り合っている時に声を掛けられました」
この街に到着した時、病院から連絡が来た。病院と言っても純からで、真弥の容態が安定してきたことを伝えられた。その間にまさか、クラブの女性と知り合っていたなんて知るわけがない。
「お前、こういうのが好きなのか?」
「ええ、素敵だと思いませんか? 必死に男性に媚を売り生きようとしている女性と言うのはなんとも征服欲が満たされる」
「……」
「冗談ですよ」
「下手なブラックジョークはやめて置いた方が良い。お前の妹に告げ口されたくないだろ」
「怖いですね。ですが、こう言う所の方がゆっくり飲めて良いと思いませんか?」
下手なキャバクラより静かに飲めると言っているが廬は、生憎とそう言う店に縁が無かった。緊張はしない。連れてこられた身としては呆れてしまうほどだ。
瑠美奈が知れば卒倒するか。口も利いてくれないかもしれない。
鬼殻だって妹に無視されるのは嫌だろう。「内密に」といたずらをする子供のように怪し気な笑みを浮かべた。
なんて話をしていると廬の横に女性が「失礼します」と腰掛ける。露出の多い服に廬は目のやり場に困る。鬼殻と言えば平然と高い酒を優雅に飲んでいる。
無駄に絵になる為、腹立たしいと思いながら廬も少し酒を飲む。
「っ……そう言えば、酒なんて久しぶりに飲んだ気がする」
「忙しかったですからね。仕事人間である貴方には息抜きも必要かと思いまして」
「気を利かせたって何もないぞ」
「残念」
眉をひそめて笑う。鬼殻にそんな下心はなかったが否定するのも面倒だとグラスを揺らす。
女性たちは、廬に声をかける。適当に返答しながら酒を飲む。
気分よく飲めるなんて思えない。
「あれあれ~。君って死んだはずの鬼頭鬼殻君じゃない?」
「おや? そう言う貴方は……どこの誰ですか?」
楽し気に話していた鬼殻が顔を上げると黒髪の青年が意外そうな顔をしてグラスを片手にこちらに来た。行儀が悪いどころの話ではない。この高級クラブで立ち飲みなんて以ての外だ。
鬼殻と面識があるような物言いをするが鬼殻は青年に視線を向けることなくグラスを握り時折口に含んでいる。グラスが空になると酒が注がれる。一周回って椀子そば形式で注がれ続けるのではと廬は見ていたいとすら思う。
「いやだな~俺の事、忘れちゃった? 俺は、入野丹下。昔よく会ってたじゃん」
「ちょっとごめんね」と丹下は女性に席を譲ってもらい鬼殻の横に腰かける。
「そっちの人は初めましてだね。よろしく」
「あ、ああ……糸識廬だ」
「丹下君とか言いましたか。此処では他の客と交流は禁止になっているはず。どうして我々に声を?」
「だって同業者じゃん」
「っ!?」
同業者。それはつまり、丹下は研究所に所属している一人という事だ。
鬼殻を知っているのなら、廬が研究所の研究員、もしくは職員であることには気が付いているだろう。
「理由になっていませんね」
「細かいことは気にしない〜。君たちだって気になってんるだろう? だから、この街にいる。違う?」
「……」
話が見えない廬だったがもしかすると境子の支援の件であるのは雰囲気で理解できた。
「お客様、他のお客様との相席は禁止されています」
注意をしに来た店員と焦って止めに来た店員。
「申し訳ございません。コイツまだ新人で」
どう言うわけか、注意した方が叱られる様子を見せられる。丹下は「良いよ。無理もない。ひと月前に入ったばかりだからね」と店員を許すと安堵したようにその場を離れて行く。
「なるほど。この店は貴方の支配下でしかた」
「支配下なんて人聞きが悪いな~。ちょーっとだけ支援はしてるけどね」
「鬼殻、お前は知ってたのか?」
「まったく? 彼の事だって覚えていないのです。この店が彼の息のかかった物だと知っていたら入店もしていなかったでしょうね」
「冷たい事言わないでよ。ショック受けちゃうな」
なんて言っているが丹下は傷ついた様子はない。
寧ろこの会話を楽しんでいるように見える。
「それで、私たちに何か御用ですか? 一応は仕事を終えてオフの状態でお酒を楽しんでいたのですが」
「邪魔をしたいわけじゃないよ。俺も仲間に加えてほしいんだ。一人で飲んでるのもつまんないだろ?」
「女性なら沢山いるだろ」
「彼女たちはあくまでも俺の財布が欲しいだけ。俺自身を褒めてはくれない」
「純粋に褒められたいならこんな店に通わないで仕事に努めたら良い。そうすれば境子だって褒めてくれるはずだ」
「彼女に褒められても嬉しくないよ。まあ、彼女のお膝下って言うのは有難いことかもしれないけどさ。彼女に忠誠を誓ってるわけでもない」
「寧ろ反抗的だな」
「そう思う? 俺の意に反しているからこれくらい受け入れてくれないと困るって感じ」
「意に反している? 思い通りに見えるが?」
自由気ままに生きているように見える。
店のルールを破って客にちょっかいを掛けるほどだ。
意に反しているなんて烏滸がましい。
「そのうち分かるよ。さて、さっきから黙ってる鬼殻君は何かないのかな?」
「酒が不味くなるので何処か余所へ行ってください」
「はははっ! 酷い言われよう」
「当然です。私は女性を愛でに来たのであって男と席を共にするつもりはない」
鬼殻は意外にも丹下のことが嫌いなのか口調がきつくなる。
事実少しだけ眉を顰めて酒を呷っている。
「情報は時に力なりってね。だけど、俺は情報なんかよりも実力が全てだと思うんだ。因みにこれ持論なんだけど、力こそがこの世を支配する。金なんかよりもよっぽど実用的だね。女もそうだと思う」
そう言うと丹下はすぐ近くにいた女性の白い腕を掴んだ。
突然の事で驚いた女性は小さな悲鳴を上げる。
「華奢な身体じゃあ、大人の男を前に抵抗なんて無意味。だけど……裏を掻けばどうだろうね」
「闇討ちをしてほしいのですか? なら、お望み通り始末して差し上げます」
「おい。やめろ。それと入野さん、女性から離れてくれ」
仮にも謹慎対象が同業者を殺したとなれば問題になる。
それこそ、今後こそ鬼殻の死刑は免れない。
「入野さんなんて他人行儀なのはやめようよ。俺の事は丹下で良いよ」
丹下は廬に言われた通り女性から退くと女性は恐怖からなのか泣き出しそうになる。その姿を見せない為にバックに下がってしまうのを鬼殻は惜しいと文句を言った。
「貴方の所為で美しい女性が行ってしまったじゃないですか」
「可愛い女の子がそんなに良いんだ」
「ええ、貴方のように誰彼構わず脅し回る男より見目麗しい女性の方が良いに決まっているでしょう? ねえ、廬君」
「俺に同意を求めないでくれ」