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第153話 ESCAPE

 それからまた暫くして廬は御代志と筥宮を往来していた。インターネットを介しても良かったのだが直接会って話をする必要も出てきた為に忙しい日々を過ごしていた。

 やっと得た休日も棒に振るほどの多忙さ。華之が生きていたらこんなことは絶対にないのだろうと思いながら、スケジュール管理に追われている。

 真弥の見舞いにもまともに行けていない。

 下手に病院の辺りをうろうろとしていると政府の人間に気が付かれてしまう。真弥の病室に行くのも一苦労だ。

 出来る事なら筥宮の研究所で真弥の治療をしたいとすら思うが、あの研究所は民間人を入れることを禁じている。

 御代志のように人里離れた場所ならば民間人を入れたとしても出て行った際に記憶操作を施すことが出来るが地下にある研究所は出入りがエレベーターとなれば話は別になってくる。

 多くの制約の中で研究所は成り立っている。

 鬼殻を研究所に置いてもらえるのも多くの制約を取り付けてやっとの事だ。

 そんなこんなで真弥を研究所で治療することは出来なかった。

 それにあれ程のことがあったのに真弥を研究所に連れて行ってしまったら、嫌な記憶を思い出させてしまうかもしれない。

 だから、無理に研究所で治療することはなかった。


 そして、似た日々を送る廬の前にその人は現れた。

 その日は、筥宮に用事があり来ていた。駅を出るとパーカーのフードを目深く被った本物の糸識廬がいた。


「いつ目が覚めたんだ?」

「一か月と少し前だな」


 厄災が終えて、人々が戻って来た時とほぼ同じだ。


 本物は人の目につくと言って場所を変えるように言う。

 道中、厄災はイムによって止められたことを知ると本物は腹を抱えて笑っていた。

 そして、案内された場所は、昔遊んだ。寂れた公園だった。

 もっとも廬の記憶は本物の物であり廬自身が遊んだことはないのだろうと少しだけ寂しくなった。

 そんな事を知るわけがない本物は「いやー、探したぜ」と背伸びをした後、錆びたブランコに腰かけて廬を見た。


「本当にお前、行ったり来たりし過ぎだ」

「俺を……探していたのか?」

「当たり前だろ。寧ろ、お前が俺を探さなかったことが意外だったな。それとも、俺なんかを気に留めずとも良いと?」

「……違う。ただ、俺とはもう会いたくないと思ったんだ」

「会いたくはなかった。だけど、あのまま有耶無耶に出来るか? 出来ないだろ? 俺はしないぜ」

「どうしたら良い?」

「死んでくれ」

「……っ」

「なんて、冗談だ。今の状態でお前が死ねば、研究所は大混乱だろうな。今のお前は、筥宮と御代志にとっていなくてはならない研究者だ。そんなお前を殺せば俺は恨まれるんだろうな」


 自嘲気味に笑う本物に廬は言葉が出てこなかった。


 世界は救われた。だが一人だけ未だに救われていない。

 全てを奪われて、居場所を失った男は、廬を憎んでいる。


「まっ! 今更、俺がどうのこうの言ったって意味がない」

「えっ」


 両手を振ってあーあーと息を吐いた。


「俺は日本を出る」

「でる?」

「ああ、お前の顔を見ないで済む為に旅に出るんだよ」

「旅に……そんなの可笑しいだろ。どうして俺じゃなくてお前が出て行かないといけない」

「仕方ないだろ? お前が日本を離れたら、誰があの問題児たちをまとめるんだよ。それに天宮司が目を覚ました時、お前が事情を説明しないでどうするんだよ」

「だからって……。俺が! 俺が地下に籠る。そうすれば、お前は日本を離れないで良いだろ。俺は二度と地上に戻らない」


 どうして本物が追い出されるようなことになるのか。

 本物が廬に会いたくないのなら廬がもう二度と地上に戻ってこない。

 糸識廬は、本物ただ一人として世間に知らせることが出来る。

 必死に本物を引き留めようとするが「ばーか」と呆れた顔をする。


「だから、それじゃあ意味がないだろ? 何のために今、お前は筥宮に来たんだよ。研究所に行く為なんだろ? 御代志から筥宮にわざわざ来てるんだから、お前が地上に上がらないと意味がねえんだよ」

「だけど……」

「俺は別に追い出されるわけじゃない。自分から日本を離れるだけだ。ちょっと世間が見たい。それだけだ。満足したら帰って来る。お前の面を見に立ち寄ることもあるかもしれないだろ?」

「……どうして、それを俺に言うんだ? 俺は、お前の全部を奪ったんだぞ」

「ああ、俺はお前から全部取られたぜ? だからこそ、俺はお前に言う。俺はお前がコピーできないほどの情報と友人を作って帰って来る。お前には、天宮司や瑠美奈がいる。なら、俺にだって親友が居ても良いだろ? お前はその気になれば、俺と言う存在に遠慮して二人に会わせてくれるんだろうけど、そんなのは傷口を抉る事だ。俺はお前の憐れみなんて欲しくない。なら、どうするか。この街を出て、日本を出て、世界を見て回る。そして、最高の友だちを作って帰って来る」


「だからもう謝ったり、俺に罪意識を感じるな」と本物は笑っていた。

 憎くて、嫌いで、殺したいほどに嫌悪している相手に笑いかけることが出来る強い男。


「あー、でも一つだけ約束してくれ。もしこれを守れないって言うなら俺はお前を殺す。研究所なんて知った事じゃない。厄災がない以上俺はお前を容赦なく殺す」

「……なんだ?」

「俺以外になるなよ」

「え?」

「糸識廬になったんなら死ぬまで、俺で居続けろ。それであることを俺は許してやるから」

「良いのか? 俺は」

「ああ、お前は俺の全てを奪った。奪ったんなら、奪ったなりに大切にしろって言ってんだよ。何度言わせるんだ。奪ったものを蔑ろにするのだけは許さない」


 奪ったもの。糸識廬と言う存在。これから会うはずだった人々。

 可能性を全て奪った廬には、本物が体験するはずだったそれまでの軌跡を大切にしろという事だ。

 奪ったものを奪い返すことが出来ないなら、これから大切にしてもらうしかない。そんな概念的なものを大切にしろなんてどだい無理な話だが、そうしなければ、廬は本物に殺されるというのなら従うだけだ。

 寧ろ奪ったものを捨てるなんて事は廬には出来ない。奪った自覚がない以上、持っているあらゆるものを尊ぶしかない。


「ああ、わかった。約束する」


 頷くと本物は安心したように笑った。


「それじゃあ、俺が旅から帰って来たら、旅の話でも聞かせてやるよ。お前にはないものを見つけて来たってな」


 自信たっぷりに本物は言ってブランコから立ち上がる。

 もう出発してしまうのだろうかと廬は寂しくなる。


「なんて顔してるんだよ」


 本物を前に廬は何も言えない。


「まだ……って言うのは少しおかしいのかもしれない。俺は本物だが、お前は偽物だ。だけど、その事をお前は自覚できない。お前個人を否定し続ける事はしない。勿論、糸識廬になっているお前の事じゃない。俺はお前と言うA型0号って呼ばれてる奴を否定したいわけじゃない。好きで俺になっているわけでもないのは知ってる」


 だから、何が言いたいかって言うと……と本物も思うように言葉が出ずにフードの中にある頭を乱暴に掻いた。

 きっと廬ではそんな仕草は出来ない。


 意を決したように本物は言った。


「友だち」

「えっ」

「だから、友だちだ。俺はA型0号と友だちになった。それで良いだろ。糸識廬としてお前を俺は一生赦すことは出来ない。だが、新生物のお前を俺は知らない。俺自身でもないしな。それにもうお前は見た目が同じなだけで俺には似ても似つかない」


 新生物の廬と友人になる。旧生物の廬は復讐相手。

 そんなよくわからない関係であろうとする本物。


「それとも、俺と友だちになりたいって言うのは、その場しのぎの言葉でしかなかったのか?」

「そんなことない! 俺はお前と……ッ」

「友だちになりたい。喧嘩して、意見を言い合う。俺たちは他の連中以上の話が出来ると思わないか?」


 他の連中には出来ない話。

 それが何を意味しているかなんて廬同士でしか分からない。

 きっと心を見透かすことが出来る儡でも知ることは出来ない。


「俺とお前は宿敵だ。忘れるなよ、相棒」


 そう言って廬の背中を強く叩いて本物はこの街を出て行った。


 一方的に言った。白黒はっきりさせるのかと身構えた。

 しかし、彼は、殴っても来なければ罵詈雑言を浴びせるわけでもなかった。

 彼なりにこの一か月と少しで考えていたのだろう。自分の在り方を、奪われた時間は戻ってこないことを、後ろを向いているのは廬ではなく自分自身であったことを自覚してしまったのだ。


 あの日、廬と対峙して見てしまった。

 廬にあって自分にはないもの。

 親友と言う確かなものを見せつけられた。


 欲しくなった。奪うことは簡単だが、奪ったものを彼は受け入れることは出来ない。所詮、まがい物だと。

 だから、自分で見つけることにした。廬が自分で見つけたように奪うだけではないという事を証明する為に旅に出た。


 次会った時、きっと本物なんて区別する事は出来なくなるだろう。

 変わらない廬と変わり続ける本物。


「こんなに辛いと思ってるのに、この感情だって、相手が偽物だと思い込んでいる」


 廬は自分が偽物だと頭では分かっているのに心では自分が本物だと言い続けている。自分の心を偽ることしか出来ない廬では、本物に適うわけがない。

 廬が偽物と言う証拠はある。相手が偽物である証拠はない。

 誰もが言っているのに未だ、廬は自分が本物であると思い込んでいるのだから救われない。

 嘆く資格などない憐れむ資格もない。


「お前が戻って来るまでに俺は、ちゃんと俺を取り戻せているんだろうか」


 儡は言っていた。記憶は消えているわけじゃない。蓋がされているだけだ。

 思い出せないのは思い出そうとしていないから。その記憶を思い出す為に廬は何かをしなくてはいけないがそれが何なのか思いつかない。


 廬は溜息を吐いて、考えても仕方ない。誰かに相談しようと研究所に足を向けた。

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