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第152話 ESCAPE

 筥宮研究所にて。

 形而上の生物を本来の姿に戻す為にはどうするべきなのか。鬼殻は考えていた。

 いちいち面倒を見るなんて面倒極まりない事をするより本来の姿、もしくはそれ以上の美しい姿にしてしまえば事は収束するのではないのかと考える。

 だが傍で見張っている研究者たちの目を欺くのも至難の業。鬼殻の言動を真に受ける人など何処にもいないのだ。


 一言で表すとするのならば、退屈だ。


 少し口を開けば「仕事をしなさい」と一蹴されてしまう。確認書類、御代志研究所に経過報告など、他の研究所にもそう言ったことを伝えなければならない。

 何故か筥宮研究所が情報の伝達経路に指定されている。


 つい最近、ネットに詳しい新人研究者が入ったとかでインターネット上でのデータ送信が可能になりアナログ卒業となったのは良かったが、どう言う訳かいちいち筥宮研究所を経由してくる。軽いイジメだと思いながら仕事を熟す。


「やっと休憩ですか」


 一か月前と比べて小綺麗になった所内はちゃんとした人間の姿をした研究者が行き交っている。

 鬼殻一人で制圧したのが懐かしいとしみじみ思いながら休憩室で珈琲を口にする。


「まるで囚人ですね」

「まさか、自分は何もしてないなんて言わないだろうな?」

「おや? 来ていたのですか?」


 廬が休憩室に立ち寄っていた。呆れた顔をして腕を組んでいる。


「休憩か?」

「ええ。労働基準は守っているようですよ。政府の管轄組織だと言うのに」

「やることと言ったら新生物の研究か、厄災の研究の二つしかないからな。あとは新生物に成り得る存在を病院から連れて来ることか」

「やる事などほぼないでしょうに。こんな施設、すぐに潰して孤児院でも作ればいい」

「それはもう佐那がやってる」


 廬は自分の珈琲を作り鬼殻を見る。

 鬼殻もこの一か月は、大人しく仕事をしていた。半日で仕事を熟知して一時間もあれば、コンピュータを使いこなした。かつて優秀な新生物であったことが窺える。


「お前の仕事風景を見ていると、もしも厄災が無ければで表彰されていたんだろうなって思うよ」

「他人のさじには興味がありませんよ。私は私の常識に生きるのです」

「その結果がその首輪か」

「ええ、綺麗でしょう?」

「結局、お前は美しいってのにこだわるのか」

「それが私の在り方ですからね」


 どれだけ束縛されても、その束縛の意味が美しいものであるのなら鬼殻は甘んじて受け入れる。

 廬では理解出来ない事だと呆れたように珈琲を口にする。


「貴方は良いですよね。ただのいち研究者としているのですから」

「A型であることを証明する事は出来ない」

「特異能力を使えば良いでしょう? それとも自分がまだ旧式でいられるとでも?」

「そんな事を思っていたらお前に会いに来ていない」


 廬は二つの道を選ぶことが出来た。

 旧生物として過ごすか、新生物として過ごすか。

 廬は、前者を選んだ。別に新生物となる事で戦争に行かされるかもしれないと恐れたわけじゃない。研究の材料にされることも危惧していない。

 ただ今まで旧生物。糸識廬として過ごして来た以上、その生活を忘れる事は出来ない。かつてのA型0号の在り方を覚えていない以上、新生物として過ごすことは廬にとって難しかった。

 けれど完全に旧生物として生活できるとも思っていない。廬の中に流れている人間ではない遺伝子によって廬は軽く百年は生き続ける事になる。大抵の新生物はそうだ。無駄に長生きで、旧生物は早く死ぬ。だからあえて旧生物と関わりを持とうとしない者もいる。

 普通の人間だと思っていたら新生物と言われて遂げる自信のない寿命を得た気分だった。


「俺は、中途半端に生きて行く。そう決めた。新生物、旧生物。そう言った括りに嵌らないで中立で生きることにしたんだ」

「そうですか。言うは簡単ですね」


 どちらの目線でも生きられるように新生物として過ごすこともあるだろう。

 中途半端に生きて怒られることもあるだろう。どんなことがあっても廬は、双方の味方であろうと決めた。


「さて、私の休憩時間は終えました。後半も頑張って務めさせて頂きます。生かされているうちはね」

「そうしてくれ。問題があるなら、俺が解決する」

「ふふっ。期待していますよ」


 珈琲を飲み終えた鬼殻は休憩室を後にする。廬もすぐに珈琲を飲み干して部屋を出る。

 地上に戻る為にエレベーターに乗り込む。


 鬼殻は、もう大丈夫だ。そう直感していた。厄災が消えた以上鬼殻が人に害をなす必要が無くなった。禍津日神としてどうなのか分からないが、少なくとも瑠美奈がこれから先も生き続けて、尚且つ死んでもその魂はまた人として過ごす為に廻ることが分かった今、暫くは悪巧みをすることはない。


「鬼殻君が丸くなるなんて思わなかった。やっぱり君に期待してよかったぜ」

「……棉葉」


 エレベーターに乗っていなかったはずだがどうしてか、綿葉がいた。


「監視カメラに映るんじゃないのか」

「そのご心配は無用だとも。なんと言っても私の協力者が手伝ってくれているからね」

「猫か」

「イエス!」


 棉葉に協力する人など猫以外に思いつかないと廬は言う。

 姿の見えない猫ならば、監視カメラに細工も簡単に出来てしまうだろう。


「俺に何の用だ」

「お別れを言おうと思ってね~。厄災の件もこれで区切りがついたことだし、私は次の面白いものを探して旅に出ることにしたのさ!」

「旅か。なら少し聞きたいことがある」

「ん? なんだい?」

「今日。この時まで、お前は見越していたのか?」

「見越していたよ? 勿論。君に会った日から今日までは決まっていたとも! だがそれを言えば君たちの未来が変わってしまっただろうから私は心を鬼にして告げなかった!」


 そんな大袈裟に言われても説得力がないのは本人も分かってるだろうにどうしてわざわざそんな言い方をするのか。


「イムの正体も知りたいだろう? 教えてあげても構わないぜ?」

「なんだ?」

「ミライ君と同じさ」

「異世界人なのか? なら、イムが死んだら厄災が」


 異世界人の魔術師であるミライが死ぬ事で厄災が起こる。

 イムがミライと同じように異世界からやって来たのなら保護しなければならないのではないのかと危惧すると棉葉は「安心したまえよ」と言った。


「イム君は、この世界の子だから」

「どう言う事だ?」

「その心、精神はこの世界の物じゃない。だが肉体はこの世界に属している。だから肉体が滅んでも問題はないとも」

「厄災の所為なのか?」

「厄災の所為とも言えるし、厄災じゃないとも言える。だけど、その件に関しては君には無関係さ。イム君はある意味、特殊だね。君も大概特殊だけど」

「この世界に関する脅威は?」

「今のところはない。少なくとも99%は厄災の悲劇は起こらないと断言できる」

「残りの1%は?」

「人災、自然災。厄災はそれらの規模を極限まで大きく引き伸ばしたものであってね。争いはどう足掻いても増えるからね。こればかりはどうしようもないさ。確実に言えるのは、イム君が死んだところで厄災は起こらない」


 安心してくれていいと再度言った。

 イムの事はこれから知っていくしかない。時間は山のようにある。

 瑠美奈も付き合ってくれるだろう。鬼殻が形而上の生物を人間に戻す為にやり方を暗中模索している。長い時間をかければイムが本来の姿を取り戻すことも出来るだろう。


「厄災は言うほど脅威的じゃないのか?」


 今思えば、厄災に恐れていることが馬鹿らしくなっていた。

 棉葉は「どうだろうね~」と曖昧な返答をする。


「考え方の違いだとも。宝玉の方が脅威と思うか、厄災が脅威と思うか。確かに厄災は身に受けなければ、そうでもない。だけど、身に受けたら脅威だ。消えてしまったことすら気が付かない。殺された事も気が付けない。君は宝玉の方を強く感じて、厄災を身近に感じていないから、厄災はその程度と開き直ることが出来る。厄災なんて名ばかりさ。宝玉が消えたって人の争いは続く。同時にイム君の中で何が起こっているのか、気になりはするが、体験したいとは思わない。厄災は周知されて余り気に留めていない者もいる。宝玉は周知されていないからこそ、脅威だと感じるんじゃないかな。もっとも自然災害だとか人的災害だとかじゃなくて、怪物が出てきてほしかったというなら、確かに拍子抜けかもしれないけどね」


 集結した罪が、怪物を生み出して人に危害を齎してしまえば、多くの人が死ぬだろう。厄災が何かそう言った奇妙な生物を生み出した例は鬼殻くらいだ。


「厄災は、瑠美奈が求めたから鬼殻を生み出した。その気になれば怪物も生み出せたのか」

「ふふ~ん。どうだろうね~。まあもしも本当に怪物が生み出せたとしたら、今の研究者たちは、その怪物の新生物を生み出そうとするだろうね~。考えたくもない。そんな子供がいたら世界はきっとあっと言う間に滅びているさ。地球だ、惑星だなんて無関係にね。いや、もしかしたら私たちが厄災の子供……なのかもしれないね」


 数少ない生物を捕まえて生まれて来る子供たち。

 人間のエゴで生まれた子供たちが成長して起こした反乱も厄災と言うことかと廬は報われないと目を伏せた。

 瑠美奈たちが、御代志研究所を支配しようとしたのは五年前、鬼殻が瑠美奈に父親を殺して喰わせたのは十年前。

 厄災は小さなものは頻繁に何処かで起こっていた。大きな厄災だけが人々の目に留まっていただけ。


 厄災と言う怪物。罪と言う怪物が世界を襲撃して滅ぼそうとしていた。


「君の父親……いや、糸識廬君の父親が死んだのも、気の狂った男の所為だが、それも厄災と言うか、言わないかは君の匙だ」

「……あれは、ただの事故だ。厄災じゃない。……と俺は思ってる」

「そうすると君はいつまでも彼に嫌われるわけだ! なんとも難儀だね~」


 エレベーターが地上に到着する。

 ゆっくりと開かれる扉を二人で降りる。

 ビルを出て、元通りの筥宮を横に並び歩く。


 何とも変な気分だと廬は、横にいる棉葉を一瞥する。

 視線に気が付いた棉葉は「惚れないでくれよ~」と茶化す。


「お前、劉子を証人に自分をこの世から死んだ人として認識させるつもりだったんだろ?」

「わぉ! そこまでお見通しとは! 恐れ入ったよ!」

「どうしてそこまで……いや、うんざりしていたからか」

「それもイエスだぜ、廬君。私の力はどう転んでも良い事になることはない。だから、私は! 厄災の哀れな被害者として幕を閉じるのさ!」


 劉子に連れられて景光に喰われることも想定内であり、劉子が景光を八つ裂きにする事も予定に入っている。さとるを救う為に劉子が一人で頑張る事を知っていたからこそ、棉葉は逃げ出すことが出来た。誰にも見つからずに病院内に潜むことが可能だ。


「これで、糸垂棉葉と言う新生物は消える。これで良かったのさ。私も無事に自由の身だぜ!」


 いぇーい! と口では言っているが廬は何処か寂し気に見えた。


「こんなやり方しか知らないのか」


 そう呟いてしまうと棉葉がいつもの明るい調子は消えて「そうだよ」と心細い子供のように言った。

 自由になる事で棉葉の力を悪用する者も現れない。


「同情はやめてくれたまえ! 君たちだって私を利用した一人にすぎないんだぜ? それにもう私はこの世にいないのさ! 今更、どうする事も出来ない。たらればの話をするつもりもないしね!」

「お前はそれが幸せってわけでもないだろ」

「自由を手に入れたんだ。それ以上を望むのは罪と言うやつさ! 何よりも、それ以上を望めば私は君以上のろくでなしになる」

「……贅沢は保証されても自由がないのと、自由はあるが贅沢は出来ない。どっちが幸せなんだろな」

「人それぞれさ。君だってそうだろう? 別に誰かと関わり合いたいわけでもなかった。そんなのが幸せなんて思えなかったはずさ。だけど、今は違う。瑠美奈君と一緒にいる事で安心しているだろう? 他人と分かり合えないと思っている者もいれば、君のように無理にでも他人と関わることで違う価値を見出す者もいるという事さ。私にとってどれだけ不自由していても自由が欲しかった。自由を手に入れた後の私の事なんて私にしかわからないことだとも」


 駅まで来ると棉葉は「ご苦労!」と廬に背を向ける。


「もう君に会う事はないだろう! だが、もしも……君たちの未来に私がいるのなら、その時は君の本を片手に合言葉を言う事にするよ」

「……お前は、本当に」


 最後までちゃっかりしていると呆れてしまう。

 その様子に満足したのか棉葉は口元を緩めて歩き出した。


 廬は、棉葉を研究所に連れて行くことはしない。

 そう信じて、棉葉は廬に会った。


(君の未来に幸多からんことを)

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