第148話 ESCAPE
左右に揺れるソレは、極彩色をしていた。
もきゅもきゅと宝玉を咀嚼している。だが宝玉が割れるような音は聞こえない。
宝玉の集合体を飲み込んでしまって、異常はないのか劉子は警戒しているが襲って来る様子はない。
八割が水分のような身体の中に膨大なエネルギーを宿した宝玉が飲み込まれた。ぼこりと膨らむわけでもなく、その体積は変わらない。
ソレの近くに転がっていた残された宝玉。黒の宝玉を見て、ぴょっと跳ねて覆いごくりと音を鳴らした。
当然、その場にいた者たちは絶句する。あり得ない。
こんなことが合っていいわけがない。もしもそれが可能だと言われてしまえば、今までの苦労は何だったのか。今までの押し問答が無意味だったと言われてしまう。
「びゃ~びゃぷっ」
「イム」
げっぷをするソレの名前を瑠美奈は呼んだ。
体色を食べるものによって縦横無尽に変える事の生物。イム。
イムが全ての宝玉をその小さな身体に取り込んでしまったのだ。
瑠美奈が死ぬ覚悟で破壊する予定だった宝玉をいとも容易く飲み込んだ。
宝玉を飲み込んだイムならば、暴走して襲い掛かって来る事だってあったかもしれない。しかし、そう言った兆候は見られない。
その粘膜で覆われた中身がどうなっているかなんて知っている者などいない。
「びぃ?」
イムは不思議そうな顔をしている。
もっとも顔らしい所など何処なのか分からない。目かもしれない部位はある。
「お前、何ともないのか?」
「びぃ」
何とか底に戻って来た廬が尋ねる。
イムは何のことだと言いたげに頭を傾げている。
宝玉を食べたことに気が付いていないのか。
綺麗で巨大な飴玉だと勘違いして飲み込んだ可能性もある。
だが、生憎今は現実逃避するわけにはいかない。
今までどこで何をしていたのか。イムは突然現れてはすぐに何処かに行ってしまう。
イムの事は、ある程度知っているつもりでいた。人気のない所を跳ねるように移動して、瑠美奈の前に現れる為、姿が見えなくなってもすぐに見つかると思っていた。
そして、今、また突然に現れて宝玉を食った。
「くっふふふっ。あっはははははっ!!」
「!?」
突如として笑い出したのは、鬼殻だった。顔に手をやり傑作だと笑っている。
「まさか、数十年かけた私の計画を……本当に、今まで何のために頑張って来たと思っているのですか」
「どう言う事だ」
笑い続けてる鬼殻は、廬を見てもやはり笑っているだけで言葉を紡ごうとはしない。
作り笑いなどではない純粋に心から笑っているのだ。瑠美奈もその鬼殻が珍しかったのか目を見開いている。
もう笑い死にさせるつもりなのかと言うほどに笑った鬼殻は瞳に溜めた涙を指で払って言う。
「よかった?」
不思議そうな顔をする瑠美奈が尋ねる。
「まったくわかりません。ですが、多分良かったのでしょうね」
鬼殻が平然と言う。一頻り笑った癖にイムになにが起こったのか分からないと言った。
瑠美奈もいまいち理解出来ていないようでイムを持ち上げる。
かつて見た光景だ。イムは瑠美奈に抱えられる事を好んでいる。
その様子は懐かしく思うのは当然の事だろう。
今までの苦労は全て水の泡になったのだ。
廬が瑠美奈と言い合ったのに、こんな近くに解決法が合ったのなら何故もっと早く言ってくれなかったのか。
いや、誰も想像していないのだ。廬が想像つかなかったように誰もイムに宝玉を食わせようという発想に至らなかった。
この中で唯一無関係な存在であり、この中で重要な生き物だったなんて皮肉だ。
「情報量が多過ぎて、頭痛が……」
「では、此処で完結させずに地上に戻りましょう。私たちでは知恵が少々足りない」
「仮にも神だろ、お前」
「神は神でも私は穢れた神らしいので、全知ではありませんよ」
全能ではあれ全知ではない。どこかで聞いたことがあるようなフレーズに廬は額を押さえて顔を顰める。
こんな呆気もなく終わらせていいのか。
別に嫌な予感は何一つしない。寧ろ、腰が抜けるほどに安堵している。
「兎も角、憐をこれ以上此処に居させられない」
出来るだけ、劉子たちの特異能力が復活するまでの間、廬が憐を背負って上に登ると言った。鬼殻は宝玉の力が抜け落ちた瑠美奈を背負って上に登る。
劉子は自分の力で登る事が出来ると登るのに安全な場所を探してくれた。
「こっちです!」
先導する劉子を追って廬は不格好に絶壁を登る。
鬼殻は瑠美奈を背負って一足先に地上に近い足場を軽々と跳んだ。
後々になって廬のように絶壁を登ることになるなんて本人は気が付いているのだろうかと廬は思いながら劉子のあとを追いかけた。
「びぃびぃ」
廬の頭にイムが乗る。まるで自分の定位置と言いたげにだ。
「お前、体調は平気なのか?」
「びぃ」
イムの様子は玉を取り込んだとしても異常はない。
イムの腹の中がどうなってるか分からない。消化するのか、しないのか。
消化するにしても宝玉は砕けないのだ。その罪を使い切らなければ宝玉は亀裂一つ入らない。イムの腹の中でどうなっていたとしても、宝玉は消えない。
厄災は宝玉が集まる場所の下に現れると言うのなら、次の厄災はイムの腹の中で起こると言う何とも頓珍漢な状態になる。
イムは物を食べているがその身体の中に留まっている。食べて消化したものは排泄物となったりしない。
瑠美奈曰く、研究所で精密検査をしたがイムの中から食べ物は発見できなかった。イムの腹の中がまさかブラックホールになっているのではとも考えたが世界を食らうほどの力はイムにはない。
宝玉の力が使えるわけでもないのなら、イムは本当に宝玉を食べ物と勘違いして食べたという事になる。
何処とも知れない場所に宝玉は無傷のまま虚空の闇に消えるのだろう。
だが、それで本当に大丈夫なのだろうか。何処か知らない場所、世界。それこそミライが暮らしていた世界に宝玉が移り厄災が起こる可能性だってあるんじゃないのか。
救われているのに仇で返すような真似をしているのではないのか。
廬の思考は様々な事が巡る。本当にこれで良かったのか。
良かったには良かったのだろう。誰一人として犠牲を出さずに厄災を阻止する事が出来たのだ。
「あと少しです」
劉子が何とか開けた足場を見つけてくれた。
人が二人乗れるほどの足場。
廬は憐を地につけないように抱えて座り込む。
「疲れたっ」
廬は汗を流しながら上を見上げる。まだ地上には程遠い。
劉子が心配そうにこちらを見ているが廬は「大丈夫だ」と笑いかける。
「引き続き案内を頼む」
「です」
憐を背負い直して廬は劉子の導きのままに壁を登った。