第145話 ESCAPE
廬が目を覚ましたのは、現実だった。
しかし、それを確かめる手段は何処にもない。
病院の待合室で長椅子に横になっていた。
「あ、目が覚めた?」
そこにいたのは、佐那だった。
「佐那。お前の好きな人って誰だ?」
「えっ!? な、なんでそんな事訊くの!?」
訊かずにはいられなかった。確かめる方法にしては最悪だと分かっている。
だが、佐那の言葉で廬は安心できた。
「教えてくれ」
言うと佐那は、顔を真っ赤にさせて「る、瑠美奈だよ」と答えた。
「……まだ好きなんだな」
「当たり前じゃない! もう、なんて事訊くのかな」
「ありがとう」
「え?」
突然、失礼な事を訊いてなんだって言うのか佐那はいまいち理解出来ずに首を傾げるばかり。だが廬はそんな佐那を余所に頭を撫でた後、長椅子から立ち上がる。
「まだ、瑠美奈は外か?」
「うん。片付けも終わって……その、鬼殻、さんの持つ宝玉を……」
「そうか。ありがとう」
何度も感謝を告げて廬は表に急ごうとすると「待って!」と佐那が引き留めた。
「なにをするつもり?」
「大切だから自分の身を溝に捨てるんだ」
そう言って廬は再び走り出した。
佐那もその後を追いかける。
表では、既に瑠美奈が鬼殻の宝玉を手にしようとしていた。
「瑠美奈!」
「廬っ!?」
「もう目が覚めたのですか。早いですね」
鬼殻が意図的に廬を悪夢に落とした事が分かる。邪魔されたくないからだろう。
この場にいる人で鬼殻に反抗できるのは廬くらいだ。力で押し切られてしまうか、殺されてしまう事を危惧してまだ警戒してる所為で異見できない。
また言い合いが始まるのかと若干うんざりした顔をしている鬼殻を一瞥して廬は言った。
「それは、俺がもらう」
「え……」
「何を言っているのですか?」
何の冗談だと鬼殻は言っている意味をちゃんと理解しているのかと尋ねれば承知していると肯定されてしまう。
廬の言い分は今まで瑠美奈がして来た事を無意味にさせる行為だった。
廬が宝玉を持つことで宝玉を使い続けて破壊する。その間に廬の肉体がもたないかもしれない。
「俺は、透明の宝玉を持っていた。そして、青の宝玉も持つことが出来た。なら、残りの宝玉だって持てるはずだろ」
「デタラメの推測どうも。しくじれば死ぬ事も理解して言っていると」
何もかも理解している。理解している上で廬はその身を捨てるのだ。
廬が鬼殻に近づくと黒の宝玉を渡してくれと手を出した。
「私はどちらでも構わないですがね。貴方が全ての宝玉を支配して死んでくれるのなら瑠美奈も解放されるでしょうから」
「そんなのだめ! 廬にわたさないで」
「と、言っているので貴方に渡せないのも事実です」
「なら、奪うだけだ」
そう言って廬は鬼殻の手から黒の宝玉を奪おうとした時だった。
廬の足元が崩れた。廬だけじゃない鬼殻と瑠美奈の足元も崩落する。
「な、なにっ」
「地震?」
地震が起こった。佐那が立っていられないと座り込む。聡が佐那に近づこうにも揺れが激しくまともに近づけない。
蠢くような音と共に地面が割れた。
「お嬢っ!!」
大きなひび割れは、瑠美奈、鬼殻、廬を落とした。
街を破壊させてしまうほどの地震とひび割れ。土の中に飲み込まれるように三人は落ちて行った。
危機に目を覚ました劉子が間髪入れずに三人の後を追いかけた。飛べる事で誰か一人でも救えるだろうと翼を広げ割れ目に飛び込む。その後を憐が続こうとするが儡に止められる。
「憐、追っちゃいけない!」
「なんでっ!」
「地の底は、君の後遺症に響くかもしれない」
「じゃあ、此処で指くわえて見てろって言うんすか! お嬢が死ぬかもしれないんすよ!」
瑠美奈を救わないといけない焦燥感に憐は、敬愛する儡にすらきつく物を言う。
しかし、儡だって追いたい気持ちはある。追えないのだ。
儡も憐も、自由に動ける身体を持っていない。
佐那も周東ブラザーズも同じだ。
「瑠美奈を救う志は認めるよ。だけど、自分の身も心配して……瑠美奈が悲しむ」
瑠美奈を救いに行って憐が燃えてしまうのは誰も納得しない。
「そんなのどうだって良い」
憐は、儡に反抗した。
「お嬢が死んで良い事なんて何もない。俺は俺が知らない所でお嬢が死ぬ事も旦那が傷つくことも嫌なんすよ。俺の身体は二人の為にある。此処で俺が臆病風に吹かれて行かなかったら、俺は後悔するに決まってる」
そう言ってポーチに立っていた憐が足に力を入れて割れ目に飛び込んだ。
「憐っ!!」
儡の声も無視して憐は瑠美奈を救いに行った。
暗闇に支配された割れ目の底。儡は追いかける事は出来ない。
行ったとしても足手まといになって終えるだけだ。劉子のように飛べる訳じゃない。憐のように幻覚で地上に戻れるわけじゃない。
「え、えーっと俺たちはどうしたら良い感じ?」
聡が言う。
「みんなが戻って来るのを信じて待つしかないよ」
待っている事しか出来ないが、待つことが出来るうちはまだ希望がある。
「厄災が始まった」
筥宮が崩落する。筥宮と言う街が姿を消す。儡たちはただ自分たちが消えてしまわないように瑠美奈たちを信じるしかないのだ。不規則に地は揺れて何処かが崩れる。
「……喧嘩なんてするから」
廬と瑠美奈が言い合いをしてしまった。その醜さに宝玉は反応したのだろう。
きっかけがあればすぐにでも厄災は起こっていた。だが、一時的にでも祭りをして楽しんだ結果、偶然にも厄災は来なかった。
だが、もう終わりを迎えて瑠美奈が自分の死を認識してしまった。自分が死ぬ事で祭りの楽しさを他の人々も共有できると思ってしまった。
受け入れたのだ。死を受け入れて、厄災を止めようと、自分が死ぬ事で救われる人がいる。
廬が反対しなければ、厄災は起こらなかった。
(……だけど、僕だって瑠美奈が死ぬなんて嫌だ)
黙って見ている事しか出来ない不甲斐なさ。
やるせ無い気持ちを持ちながら、儡は立っている事しか出来ない。
なに一つ出来ないのなら……。
「辛気臭いよ」
儡が呟いた。「え?」と佐那たちはどう言う事なのか儡の言葉を待った。
「君たち、それでもイベント担当? 世界が滅びる? 街が消える? はっ! だから? 君たちの仕事は、どんな辺境な地でも歌を届ける存在じゃないの? だから、僕は君たちを各地に旅させたんだ。その成果を今発揮しないで何処で発揮するつもり?」
「で、でも……人なんて何処にもいないですよ。そんな事したって……」
「人魚姫は、誰もいない夜の海で歌い続けた。こんなにお膳立てされているのに君はそのチャンスをふいにするの?」
人がいない舞台で歌って何になるというのか。それに佐那の歌はもう役に立たない。万人を魅了するほどの力は持っていない。
「人がいなくても歌は歌える。人が欲しいなら僕たちがいる。この街の最後を歌って締めくくる。乙なものじゃない?」
「そうだよ! 人魚姫、歌ってよ! 生ライブだ!」
「歌ってくださいよ! 水穏さんっ」
周東ブラザーズが喜々と言う。
暗い最後など二人は嫌なのだろう。折角、生き返ったのに死ぬ事になって踏んだり蹴ったりであれ、今度は推しの生歌を聴けるのなら復活した甲斐があったと言うものだ。
もう此処にミライはいない。お礼を言えていないのが心残りだが、そのお礼を歌に乗せる事だってきっと出来るはずだ。
こんな時に歌っている暇なんてないが、何もしないよりましだ。
佐那は、何も出来ない自分でも出来る事をする。皆が助かるように祈りを込めながら歌を歌うと決めた。
「やりますっ」
周東ブラザーズが二人で即席のステージを作り上げる。ポーチ下に立つ。
壁の向こう側で平和を謳歌している人々。
いま此処で命を懸けている人たち。
今は憂いを全て忘れて歌い続ける。