第144話 ESCAPE
違和感は簡単に見つけることは出来た。気が付かないわけがない。
そこにいたはずの人がいないのだ。よくある話だ。
表に戻って来ると佐那が水を差し出した。鬼殻ではないのかと疑問に思ったがとんでもない液体を飲まされるところだったらしい。
「佐那、お前の好きな人ってだれだ?」
「えっ!? な、なに突然」
「答えて欲しい。お前が好きな人、好意に思っている人は、瑠美奈って名前じゃないか?」
言うと暗い中でも分かるほど赤面している佐那が「瑠美奈?」と少しきょとんとした顔をする。
「そんな名前じゃないよ? ……瑠美奈。初めて聞く名前」
「……っ。そう、か」
棉葉の言っていた通りだ。
「今は、何をしているんだ?」
「突然、厄災が消えて明日には元通りだから……皆でお祝い中でしょう?」
鬼殻が見兼ねて廬を気絶させた。しかし黒の宝玉が悪さを始めた。
廬が見ているのは、瑠美奈が消えた。瑠美奈がその身をもって厄災を止めた後の光景だ。
瑠美奈がいない世界の夢。
瑠美奈が微笑むことのない世界。
世界が瑠美奈を消し去り、笑っている。
「儡!」
廬は叫んだ。納得がいかない。忘れられるわけがない。
どれだけ悪夢であり得ない現実だとしても、廬は忘れたくない。
忘れてしまったら瑠美奈が本当に死んでしまう。
「なに? 熱は冷めた?」
「瑠美奈は!」
「誰の事? まだ寝ぼけてる?」
「お前の妻になるはずの子だ! お前の半身でお前が生涯愛し続けると誓った子を忘れたのか!」
何事か廬が可笑しくなったのかと周囲は集まって来る。
憐でさえ、廬の異常さに気が付いて黙っていた。
「僕に妻? 面白い事を言うね。僕はずっと一人だった。君が良く知っているだろう? 僕は新生物だけど人工的、科学者の手から」
「ああ、知ってる。お前は他者の感情を理解出来ない。お前自身は感情を理解出来ない。だけど、そう思うはずだとおのずと解る性格の悪い奴だってことくらい、嫌と言うほど知ってる。お前が望まれないまま、親のいない状態で生きてる事だってわかってる。だがその支えとなってる子がいただろ!」
白がいるのなら黒がある。その逆もしかりだ。
儡は、瑠美奈を想っている。それがたとえ刷り込まれたものだったとしても、歪んでいて、純粋に想っていなくてもそれが儡の愛し方だ。不器用に肯定して、否定を繰り返す。
「君の夢の話に付き合うつもりはないよ」
「っ……」
心が締め付けられる。存在しない世界はこんなにも冷たいものなのか。
(瑠美奈が居ない世界を認めろって言うのか)
「俺は……忘れたくないんだ。瑠美奈を忘れたくない。頼むから、目覚めてくれ」
次はちゃんと方法を探す。このまま眠り続けていたら本当に瑠美奈を失う事になってしまう。
瑠美奈は何物にも代えがたい存在だ。世界の平和と瑠美奈を天秤に掛けていいわけがない。
ふらふらと石段に腰かける。
「君はどうしてそこまでして彼女を助けようとするんだい?」
棉葉の声が聞こえる。顔を上げれば、時間が止まったかのように周囲は静寂に包まれている。
「その質問も何度目になるだろうな。もしかしたら、訊かれてすらいないのかもしれない。瑠美奈を救って何になる。そんな疑問はいつだって俺の中にあった。救うって気持ちに、理由が必要とは思えないんだ。俺は、大切だから救いたい。それだけだ」
「それが美徳だと?」
「そんな事思ってない。ただどうして、瑠美奈が死ななきゃならないんだ。瑠美奈がいない世界なんて、何の意味がある」
「世界なんてそんなものじゃないか~。誰かが死んだって世界は勝手に回っている。そう自分が仕出かした厄災であろうと関係なく治安悪くもね。君たちだってそうだろう? 誰が死んだって構わないが瑠美奈君だけは救いたい。それはただの我儘じゃないかな〜」
「煩いっ! ああ、そうだ! 全部俺の我儘だ」
でも、だって、だけど、そんな免罪符を必死に手繰り寄せて廬は瑠美奈を引き留める何かを探していた。
瑠美奈が笑える日々を、瑠美奈が存在できる世界を探していた。
世界からしたら、瑠美奈なんて捨てる事の出来る相手だ。
どれだけ宝玉を扱うことに長けていても、世界からしたらその程度だ。
「こう考えてみたらどうだい? 元から鬼頭瑠美奈は存在していない。そう言う事にしてしまえば、君だってこの先、楽に生きられるんじゃないのかな?」
「っ……」
廬は歯を噛み締めた。そんな事が許されるわけがないと糾弾することだって出来た。
「瑠美奈君はいない。そう吹っ切れてしまえば、目が覚めた時、瑠美奈君に反対する事もない」
「悪夢の受け入れたら日常か」
「イエスッ!」
「なら、どうしてお前は瑠美奈の事を覚えているんだ」
「ほら、私は君の中では全知なのさ。君の夢を媒介にした結果とも言えるだろうね」
たとえ廬の頭の中で棉葉が万能だとしても瑠美奈を捨てる覚悟を知ろなんて言わない。
「瑠美奈君と君の間には何の接点もない。瑠美奈君が死んで生活に支障をきたすわけでもない。なんて言えば私は薄情だと罵られてしまうんだろうね~。難儀だね~。私が現れなければ、もう二度と君は瑠美奈を思い出すこともないんだ! 素晴らしい事じゃないか!!」
「瑠美奈を殺すつもりか」
「勘違いしてくれるなよ~。人の記憶から消えたとしても人は死なないんだ。なんて言っても人はもう死んでいるんだからね。人々の記憶からも消えてしまったら、二度の死があるなんて迷信でしかないとも……こういうのは絶対に忘れないと思っても人ってのは薄情だから忘れてしまうものだよ」
「そんなの捻くれた奴の言い分だ」
「そう。私は捻くれているよ。けれど、現実逃避している人間よりは、まともだと自負しているけどね~。なんて言っても、返事のしない偶像に捕らわれている者ほど、夢を見るという。私の友は死んだ。その記憶も来年になれば消えてしまい友がいたことすら私は思い出せなくなるだろう。それなのに二度死ぬ理論を振り翳していたら、私は大量殺人鬼として名を馳せているさ!」
大袈裟に笑う棉葉。
瑠美奈を忘れたって誰も咎めない。今、覚えているのは廬だけなのだから……。
「どれだけ君にとって納得のいかない平和でも、それは人々にとっては唯一無二の物なんだぜ。そのまがい物の平和の中で新しい命が芽生える事もまた事実だ。それを無かったことにしてしまえば、それこそ君は悪党になってしまう。私はあまり望まない事だ」
「理不尽だな。瑠美奈が死んだことをあっさりと忘れて、他の奴が死んだことは咎められるのか」
はははっと渇いた笑いが漏れる。
本当に悪夢のようだ。この悪夢から抜け出す方法を廬は当然知っている。
「もう分かった。やることは決まった」
「優柔不断な君にしては早い決断だ」
「世界なんて救えなくてもいい。俺は、瑠美奈を救う。それで世界が滅んだって構いやしない。ずっとそう思っていた。この気持ちを忘れたくない」
もう俯いている暇だってないんだと廬は棉葉を見る。
「お前は、誰か一人が覚えていたら……お前も思い出すのか?」
「さあね。君の知識内でそこまで知らないから、此処にいる私も知るわけがないだろう? だが、もしも誰か一人でも瑠美奈君を覚えているのなら、是非その子に会ってみたいものだ」
棉葉はいつもの冗談めいた物言いをして「じゃあね~」と手を振った。
眩暈が廬を襲った。額に手を当てて咄嗟に眩暈を止めようとするが意味がない。
そのまま、廬は倒れてしまった。