第140話 ESCAPE
瑠美奈は、最強の鬼となった。
黒の宝玉が無くても誰にも負けないほどの新生物だ。
その力を以てして世界を支配する事も出来るだろう。
勿論、そのつもりはない。早く厄災を消し去る方法を探さなければならない。
誰も死なない方法を見つけなければならない。
「一旦、病院に戻って皆と話し合おう」
「生憎とそんな時間は残されていませんよ」
「ないの?」
二三日残っていると言っていたはずだが、病院に戻るのは都合が悪いようで鬼殻は廬の提案を断った。
「ええ、二三日の猶予を得たと言っても、それは私の予想でしかありません。大なり小なり、厄災は現在も進行している」
「その進行はお前の事じゃないのか」
「面白い事を言いますね。確かに私も厄災の一部ではありますが、既に処理が終了した厄災です。貴方だって、自分の髪を切ったら、捨てるものでしょう? それと同じですよ」
「その例えは嫌なんだが……」
断髪したものは捨てるのは当然だが、髪と同等に扱われて良いのだろうかと廬は顔を顰めた。
鬼殻が言いたいのは詰まる所、鬼殻が推測している事であり、二三日の猶予が本当にあるか分からないから出来るだけ急げという事だ。
「それに私、病院特有の匂いが余り好きではないのですよ。消毒液の匂いと言うのでしょうか。まあ、私の身体が腐っているから、拒んでいるという可能性も無きにしも非ずですが」
「確かにお前はゾンビみたいな存在なのは分かってるが……だからって病院が嫌いなのとは関係ないだろ」
「……おにいちゃん、ちゅうしゃきらい」
「瑠美奈っ!!」
鬼殻は瑠美奈の口を慌てて塞ぐがもう遅く。
廬に「注射嫌い」であることが知られてしまった事を恥じる。
「注射が嫌いなのか?」
「針が苦手なのですよ。私の美しい身体に穴を開けるなんて万死に値すると思いませんか?」
「いや、でも健康の為とかだろ?」
「ええ、検査の一環ではありましたが……それでも苦手なものは苦手です」
「意外だな」
「愛嬌が合って素敵でしょう? 弱点すら魅せる私って素敵じゃないですか?」
我が強い鬼殻に廬は両手を上げて「勝手にしてくれ」という。
「ならこれからどうするつもりだ?」
「それを今から考えるのですよ」
厄災をどう止めるのか。鬼殻の策は反対される。
ならば、それよりも優れた最善策を見出さなければならない。
そんなもの無いに決まっている。と諦めるのは簡単だ。
「宝玉はあと一つ。鬼殻が持ってるんだよな?」
「ええ、確かに」
鬼殻は黒の宝玉を廬に見せる。
七つ揃っているのに、無いも出来ないとなると手の打ちようがない。
「困りましたね~?」
ニコニコと困っているなんて本当に思っているのか分からない鬼殻に廬は「真面目に考えろ」と叱る。
「私は至極真っ当ですよ? 私の案を賛同してくれるのならすぐにでも実行できます」
「瑠美奈の魂を救うことは、理解してる。だけど、瑠美奈の身体を引き裂いてまでそんな事したいなんて思わない。瑠美奈は身体も心も、全て揃って瑠美奈なんだ」
「一つでも欠けたら違うと? また可笑しなことを言いますね。瑠美奈が魂の救済を受けて、再び同じ容姿で生まれて来る確率など壊滅的です。そして、貴方は仮に瑠美奈の生まれ変わりと出会い。瑠美奈の魂だと気が付いたとして、それは瑠美奈ではない誰かだと? そう言う事ですか?」
「そうだ。此処にいるのが俺の知る瑠美奈だ。たとえ未来で瑠美奈と名乗る子がいても俺はその子を信じることは出来ない」
「薄情ですね。少しくらい信じてあげればいいのに」
「……ここにいるのは、いまのわたしをしっているひとだけ。みためをじゅうしするのはとうぜんだとおもう。だから」
瑠美奈は、鬼殻と廬の言っている事はどちらも理解出来ると言って「あいことば、きめよ?」と唐突に言い出した。
「合言葉。一体何のためにですか?」
「もしも、また、らいせ? であえたら……ここであいことばをきめたさんにんだって、わかるよ」
「……非現実的ですね。瑠美奈に来世があったとしても、一度死んでいる私に来世があるかもわからない。その上、そちらの他人の身体を奪っている彼もまた罪を犯している事に変わりないのですから、来世を許されるのはもっと先の事になるでしょうね」
「それでも、あいたい。みためがちがっても、なかみがおなじならいいなって」
「その逆だったら目も当てられませんね」
「夢見てる女の子の言葉を砕くなよ」
「失礼」
「それより、見た目が違ってたら、」
「あいことばは……んーっとね」
容姿が違えば、魂が同じでも互いに認識できないのではと廬が言おうとする前に瑠美奈がんーんーと考え始める。
「容姿が違っては意味がないだろうに……」
「まあ、我が妹は人の話を聞きませんからね」
「兄のお前が言う事でもないけどな」
「ならば、こうしましょう。私はラピスラズリの腕時計を付けます」
「なんでそんな限定的なんだ」
「ラピスラズリの言葉をご存じですか?」
「言葉?」
「ええ、宝石にも花言葉と同じ意味合いがあるのですよ。ラピスラズリは高潔と尊厳、幸運への入り口とも言われています。なので、瑠美奈との再会を期待して」
ロマンチストなのか、フェミニストなのか。
当の本人は合言葉を決めるのに一生懸命で話を聞いていない。
「モーメントエタニティ」
瑠美奈が呟いた。
直訳すると「一瞬」と「永遠」になるのだが一体どういう事なのか分からず廬と鬼殻は首を傾げた。
「いのちはいっしゅんできえちゃうけど、おもいでは……そのきもちはえいえんだから」
「おやおや。随分と可愛らしい事を言いますね」
「寧ろ恥ずかしいな」
廬は赤面して頬を掻いた。
「瑠美奈、再会するとして合言葉だけではダメですよ。容姿が違ってしまえば合言葉を言っても通じませんよ。見た目にも目印になるものをもたないとなりません。私は、ラピスラズリの腕時計を付けます。左腕にです。瑠美奈はどうしますか?」
「んー。めがね」
「眼鏡?」
「うん、めがね、かけてみたいの!」
「伊達メガネですか。色は?」
「えっとね。えめらるどぐりーんのふちをしためがね!」
「綺麗な眼鏡だな。お前の兄と同じ色だ」
「……」
廬の言葉に鬼殻が何か言われるかと思っていたが、何も言わなかった事を訝しみ鬼殻を見ると今度は鬼殻が顔を真っ赤にして照れていた。
「……シスコン」
「煩いですよ。スライムにされたくないのなら黙っていなさい」
瑠美奈はきっと兄の瞳の色が純粋に好きなのだろう。
「眼鏡だけじゃあ、区別つけられないんじゃないか?」
「なら、貴方は何を持っているというのですか? まさか『私は前世の記憶を持っている糸識廬だった者です』と書かれた名札なんて言わないでしょうね?」
「言うわけないだろ。不審者扱いされて終わる」
そう言った後、廬は少し考えた後に言う。
「本を書く」
「本?」
「ああ、前世の記憶をもとに本を書く。厄災の事、宝玉の事、勿論新生物の事も書く。俺が見て来た事を、感じていた事を本にする」
「売れるかどうかも分からないモノにするんですか?」
「今だってネットの普及してるんだ。もっと便利に文字を掲示する手段があるはずだろ? それなら、売れなくてもいい」
「タイトルは?」
「ESCAPE」
「どういういみ?」
「逃走。脱走。難から逃げるという意味ですね。そのタイトルにした意味は?」
「俺の人生、逃げてばかりだったからな。教訓……は、少しおかしいな。戒めかな」
記憶がないと言い訳をして逃げていた。
瑠美奈たちに会わなかったら、廬はずっと自分がA型0号である事を知らずに人生を終える所だった。
「もう逃げない為にだ」