第136話 ESCAPE
シュアン、萌黄。次は一体誰が現れるのか分からず、瑠美奈はひたすら足を前に突き出した。現実に帰りたかった。
熱の時に見る悪夢のような現状だった。森の中で不気味に佇む扉を開けば、そこは、海が広がっていた。さざ波の音が海であることを証明する。
瑠美奈は初めて海に来た。もっともこの場所に置いてこの海が本物かどうかなど分からない。
周囲を見回すとそこには女性が立っていた。
女性は素足でさざ波に足を浸からせる。
どうせ話をしなくてはいけないのならと瑠美奈は女性の方に歩みを勧めた。
砂の踏む音が聞こえたのか、女性はこちらを見る。
「ついに此処まで来てしまったのですね」
今までの二人とは違って、落ち着いた口調で物を言う。
「薄々は気が付いているのではないのですか? 此処が何処で何の為にあるのかという事を」
「……わかってる」
口癖のように言っていた「わからない」を口にはしなかった。
無知でいるには奥に進み過ぎたことを瑠美奈は気が付いている。
「私には二人と違い、誰かを想う気持ちは持ち合わせてはいません。長い時間、私は私だけでした。不平等に審査していた彼らと違って私は比較的平等に貴方を視る事が出来るのではないでしょうか」
勿論、不慣れである為に不手際は容赦してほしいと女性は言う。
「あなたは、だれ?」
「申し遅れましたね。私は天。天国の天と書きアマと読みます。さて、こちらも貴方のお名前を伺いましょう」
「鬼頭瑠美奈」
偏屈な萌黄のように苗字を尋ねられる前に瑠美奈は答えた。
「さて、互いに名前を知った所で、此処にいる貴方は何が目的ですか?」
「ここからでたい」
「どうしてですか?」
「やくさいをとめないと」
「何故ですか?」
「なぜ?」
「貴方はまるでそうあるべきとして行動しています。他人の為に献身的ですが、それは必ずしも美徳ではありません」
そうあるべきとして瑠美奈は行動してる。
瑠美奈自身が死ぬ前提で事が進み。周囲は匙を投げる。
死を覆そうとしない事を瑠美奈は怒る事をしない。仕方ない事と受け入れる。
「貴方は奇妙です。申し訳ございません不快に思われる表現をしているのは重々承知していますが、貴方の行動理念はまるで自殺志願者のようでとても奇妙です」
死ぬ気はないと言っている癖にやっていることは死に直行すること。
それを奇妙だと言わずに何と言えば良いのか天には分からない。
「人は死を抗うものです。肉体から精神が乖離することを人々は畏怖する。貴方と言う存在は死を求めているようで奇妙です」
「……だれかがしなないといけないなら、しぬ」
「何故ですか? 貴方は死にたいのですか?」
「しにたくない。だけど、だれかがしぬくらいなら」
自分を聖女だとでも思っているのか。殉教の道を突き進み崇めて欲しいのだろうか。天は瑠美奈の行動理念が余りにも奇妙で不快だった。
淡々と述べるその言葉に瑠美奈は首を傾げる。
「無知。無垢。無欲。無害。無意識。無関心。その中のどれもが人を仇なすことが出来ます。貴方の中には欲望が渦巻いているはずなのに圧し殺されています。どうして、そのような事をしているのですか?」
「よくがないわけじゃない。ただそれをくちにしたら、もうかなわないきがするからいわないだけ」
「その理論を倣うとするならば、平和を謳う貴方は、平和を望んでいないという事ですか?」
「ちがうっ。そんなのことばのあや」
そんな屁理屈が通用してたまるかと瑠美奈は訂正する。
「わたしは……できることならいきていたい。だけど、それができないから」
「出来ないと決めつけてはいけません。……決めつけた結果、貴方は此処にいるのでしたね」
「わたしは……まにあわないの?」
瑠美奈はいまの状況を理解している。
もう現実には戻れないのではと危惧する。
「間に合わせたいですか?」
「できることなら……」
「ダメですね」
「っ!? どうしてっ!」
「貴方はもう諦めているからです」
さざ波が雑音のように聞こえる。
現実に戻れない。諦めろと天は言う。
それは瑠美奈が諦めているから現実に戻れないのだという。
諦めてなどいない。諦めていたら此処まで来ていない。
「あきらめてない! かえりたい! おねがい、かえしてっ!!」
瑠美奈は天に必死に頼み込む。
現実に戻らなければ大切な人たちが死んでしまう。
「では、なぜ私たちを裏切ったのですか?」
「え……」
「貴方は私たちと誓い合ったはず。どうして、それを違えたのですか?」
「……っ」
瑠美奈は顔を伏せた。靴を湿らせる波。
「ずっと待っていたんですが、貴方は来てくれませんでしたね。一度も来てくれなかった。貴方ともあろう人が、引き込まれることを恐れていたなんて事はないでしょう? 貴方は私たちの事を道具として認識してた。壊すことは容易だと、だから私たちは貴方を嫌い、貴方を現実に戻さないんです。貴方が約束を遂げていたら、こんなことになっていなかった。心から貴方を受け入れ、貴方を現実に導いていたはずです」
「……わたしがわるい?」
「善悪の定義は定かではありません。貴方が罪を感じていないのなら悪は私たちにあるのですから」
瑠美奈は自覚している。
瑠美奈は恨まれている。
その決定的な憎悪を身に受けている。
「ごめんなさい」
素直に謝ってもきっと許されることではないのだろう。
彼らはずっと瑠美奈を待っていた。どんな思想をしていたとしてもずっと待っていてくれたのだ。それなのに瑠美奈はその感情をふいにした。
「貴方は二人からも逃げ出した。そして、私からも逃げ出すのでしょう」
相手にしていられないと言い訳をして、現実に帰らなければならないという理由を作り出して、背を向けたのだ。
「悲しいですね。こうして会えても、こんな話しかする事が出来ないとは」
「……」
天が見つめる水平線の向こうには白い扉が合った。
「許しを得たようです。さあ、瑠美奈さん。この先がおそらくは最後でしょう」
瑠美奈は言われるがまま海に足を出した。水にぬれることも厭わずに瑠美奈は扉に近づく。
「さようなら、貴方はきっと私たちに許されたと思っているでしょう。しかし、私たちは貴方を許すことは出来ない」
背後から聞こえた声に瑠美奈は立ち止まり、天を見る。
「ゆるされたなんておもってない。しかられるかくごはできていた。さいごのひとつをしはいするためにはこうするしかなかった」
「……そうですか。では、そう言う事にしておきましょう」
お気を付けて。
天は姿を消していた。誰もいない砂浜は寂しいものだ。
瑠美奈は、白い扉を見る。
一切の穢れがない白。その先にいる人物に会うことで最後なのだろうと瑠美奈は意を決して手を伸ばした。