第129話 ESCAPE
少し前。
一方で瑠美奈と切り離されてしまったミライは憐を何とか正気に戻す為に奮闘していた。
悪夢に飲まれた瑠美奈は黒々とした球体の中に閉じ込められてしまい。外部からはびくともしなかった。強引に破壊する事は出来るかもしれないが瑠美奈を死なせてしまう危険性を考えて手を出さなかった。
「憐っ!」
防壁魔術をかけながらミライは憐に近づいた。
鬼殻に息巻いて置きながらこの様では笑えないだろうとミライは憐の手を掴んだ。
防壁を貫く膨大なエネルギーを前にミライの身体はズタズタに引き裂かれる痛みに苛まれる。
「っ……憐っ!! 目を覚ましなさい!」
そう言った時、ミライは弾かれてしまう。
(たく、世話の焼ける。ただの異世界人にこんな重労働。どうしてくれるのよ)
ミライは憐を正気に戻す為に何度も手を掴もうとした時だった。右手が透けていた。
その現象に「は?」とあり得ないと声が漏れる。だが、先ほど思っていたようにミライは異世界人であり、いつか本来の世界に戻るべき人だ。ミライの世界を支配する神と呼ばれている存在がミライを見つけたのだ。
「……遅すぎるのよ」
いま、消えるわけにはいかない。ミライが死ねば厄災は免れない。
それでも憐を救いたい。今、消えたら憐は暴走を続けて政府によって放たれたミサイルで全てが消し去られてしまう。
消えかける手を強く握りしめて顔を上げる。耳に光るピアスが砕ける。
その瞬間、ミライの身体に今まで以上の激痛が走るが、その代わりに半透明だった身体がしっかりと見える。
(あたしを舐めるなッ!)
人の心に介入するなど魔術師にとっては造作もないことだ。
もうなりふり構っていられない。
「未来失楽」
未来を絶望で終わらせたくない。
憐の宝玉がミライを飲み込もうとする。
もう吹き飛ばされない為に憐を抱きしめる。
「っ……憐!!」
呼びかけたって聞こえないのは分かっている。それでも声をかけずにはいられない。
ぼそぼそと聞こえて来る「俺は、偽物だ。嘘だ」と呟く憐の怯えた声。
「……っ。あたしは、あんたしか知らない! あんたの昔なんてどうだって良いの! あんたが偽物でも本物でもあんたが稲荷憐であることに変わりはないじゃない!」
あの大会で知り合った。声をかけたのは紛れもなく憐の意思でミライは声をかけられなければ、ずっと母親を探していた。この世界の何処にもいない母親。
ミライの世界にいる神と呼ばれた存在に見つけて貰わなければ、此処で意味もなく消えていた。
「あたしにとって、あんたは本物なの! それは廬だってそう。あんたを更生するって息巻いてた真弥もそうでしょう! あんたを偽物なんて思う人は誰もいない。あんたが勝手に勘違いしているだけなのよ」
互いの心が干渉する。真っ暗で明かりもない。
黄色の宝玉は嘘の宝玉。その目に嘘しか移さない。
万物を化かす狐が持つことでその力は増幅される。
「あんた、適合しているの」
憐は自分で力を手に入れようとしていたのだ。
瑠美奈の負担を少しでも減らそうと宝玉を支配していた。
「だって俺にはそれしか出来ないっすから」
黄色の宝玉。憐に適合したのは奇跡だった。
景光に誘拐された時、憐は極限状態にまで追い詰められていた。
B型が嫌いな景光が憐を虐めたのだ。その時、持っていた宝玉が憐を生かす為に力を使った。痛みを緩和させ続けたのだ。緑の宝玉と似た力。だが、緑の宝玉は後からその痛みを与える。黄色の宝玉は痛みが消えるまでその痛みを感じなくさせる。
ずっと宝玉は憐を守り続けていた。しかし、黒の宝玉はそれ以上の力を与えて憐を狂わせてしまった。
「兄貴を殺すことも、お嬢を守ることも俺には出来なかった。寧ろお嬢の足を引っ張ってばっか」
「……」
「ミライ。俺を殺してくれ。俺が死ぬ事で暴走する力が根絶する。お嬢にも迷惑は掛からない」
「あんたはそれで良いわけ? 死ぬ事に後悔はないの?」
「ない……とは言い切れないっすよ。そりゃあ、やりたい事はまだある」
やり残したことは多くある。瑠美奈と儡の三人で旅がしたい。研究所の外をたくさん見て、帰りたい。だが憐には出来ないのだ。三人並んで歩くことは出来ない。
それが憐の後遺症なのだから仕方ない事だ。受け入れている。焼き尽くされたって立ち上がるしかない。心を燃やし尽くすまで憐は瑠美奈と儡の為に戦い続ける。
「だけど、俺のやりたい事よりもお嬢が傷つく方が嫌なんすよ。俺はお嬢を傷つけてはいけない。それがお嬢と俺の誓約なのに……これじゃあ俺は、お嬢との約束を破ってる事になる」
互いに傷つけてはいけない。臆病だった憐が瑠美奈に言った約束。
鬼が怖かった。瑠美奈が怖かった。食べないと言う保証が欲しかった。
今は、そんな約束が無くても瑠美奈を信じる事が出来る。
「そんな約束、瑠美奈はとっくに破ってるっつの」
「……そんなの俺の所為じゃないっすか! お嬢が俺なんかに時間をかけている暇はないんすよ」
「なら、とっとと目ぇ覚まして瑠美奈を助けに行けよ!」
「ッ!?」
うじうじと蛆虫のように這い蹲って気色悪いとミライは憐を叱る。
やりたい事があるのだろう。果たしたいことがあるのだろう。
それを放棄して死のうなど、それ程までお人好しではなかっただろ。
「あんたが死んで瑠美奈は救われると思ってるとかお門違い。勘違いも甚だしいわ! あんたが死んだって誰も喜ばないし得しない。あんたが生きていたって誰も悲しまないし損をしない。あんたが何をしたって世界は微動だにしないのよ! あんたは自分の意思で変わるの。誰の指示も受けずに、我儘に生きる。それが稲荷憐と言う万物を騙す狐じゃないの」
狐は千年先も生きる。
憐は見届けなければならないのだ。瑠美奈の最後を見なければならない。
こんな所で死ぬべき男じゃない。
だからミライは憐に宝玉を預けたのだ。憐がろくでもない男だったなら、今すぐでもミライは憐から宝玉を奪い。本来の世界に戻っているだろう。
「……あたしは、もうあんたたちの無茶苦茶を見ていられないから」
透けるミライに憐は目を疑う。
やっと憐はミライを見たのだ。
「あんた……なんで……」
「あたしは、異世界人。迎えが来たら帰るだけ」
先ほどまで怒っていたのに今は酷く穏やかな顔をしていた。
「あんたがうじうじしてる所を見せられただけで、あたしは帰る羽目になる。もう少しだけ、待ってあげるから早く帰るわよ」
ミライが言った瞬間、暴走する憐の力が突如として息を潜めた。
勢いがなくなり憐は力が入らなくなる。視界が開け、ミライ越しに半壊した筥宮が見えた。
「ミライっ!」
ミライを掴もうとするがすり抜けて掴めない。
「酷い顔」とミライは笑った。
「別に死ぬわけじゃないわ。帰るだけ……本当はもう少しだけあんたたちと一緒にいたかった。旅行も楽しみにしてたし、もしかしたらこの世界にも母さんがいるかも思った。廬に謝っておいて」
ミライ自身も憐を支える事が出来なくなり憐は落ちる。遠くなるミライ。
もう目を凝らさなければミライが見えない。必死に手を伸ばした。こんな中途半端に言いたい放題言われて終わりなんて許さないと憐は、ミライを掴もうと躍起になる。
もう会えない。だがそれは死の乖離じゃない。
ミライは元から異世界人であることは分かっていた。
帰り方が分からない独りぼっちの魔術師。
迎えが来て帰る。それはきっとこの街がもう終わるからだ。
ミライが死ねばそれを管理する者も面倒になる。だからミライを回収した。
「また、ゲームやろう。憐」
ミライが消えたのが分かった。優し気に微笑むミライに憐はいまにも泣きだしそうだった。
落ちて行く。この浮遊感が終われば憐は死んでしまうだろう。
そう思ったが、次の瞬間「っと……間に合ったです」と聞き覚えのある声が聞こえた。