第127話 ESCAPE
数十年前に鬼殻は、母親が隠し持っていたとある文献を見つけた。
六つの宝玉について記された本。政府が恐れた宝玉。
人間が触れてしまえば、人間の方が壊れてしまう。
完璧な新生物に宝玉を与える。適合させる。
瑠美奈の複製を生み出そうともしている。
それが失敗したら、瑠美奈に全て適合させて殺す。
自分の妹が壊されてしまう。完璧に完成している妹が親の手で殺される。
宝玉の意思に飲み込まれてしまう。
宝玉の意思として死にきれなくなってしまう。
宝玉の力によって世界中から瑠美奈と言う存在が消されてしまう。
もしも本当に輪廻がこの世にあるのなら、瑠美奈は輪廻の輪に戻る事が出来ずに未来永劫、もしくは瑠美奈よりも優れた者が現れない限り宝玉から解放されない。
現れても瑠美奈があの世に無事に行けるかもわからない。
もしかしたら消失してしまうかもしれない。
「中止は出来ないのでしょうか」
母親に言った。戦争でも何でも向かわされても構わない。
鬼殻は言った。瑠美奈の血液情報を勝手に使って作り出すのはやめてくれ。
家族がバラバラになった。洞穴で暮らしていた頃はまだ幸せだった。
「それはできません」
そう断言した時、鬼殻は母親を見限った。
ああ、この女はもう駄目だ。此処に身を置くことしか考えていない。
もう自分たちの母親として過ごす気はないのだろう。と見切りをつけた。
「おにいちゃん?」
拙い言葉は生まれつきの物で言葉とは裏腹に瑠美奈はしっかりしている。
「瑠美奈、儡君と一緒だったのでは?」
「うん、だけど……けんさがあって」
「ああ、そうでしたか」
兄らしく。妹を可愛がるのは当然の事で鬼殻にとって人と言うのは両親と妹だけだった。洞穴での生活なんて幼い瑠美奈は大人になれば忘却の彼方に消えてしまうのだろう。
(私はそれでもこの子を守りたいと思うのでしょうか)
完璧である事が理想。今の瑠美奈は完璧だ。
後遺症のない新生物として此処にいる。
穢れない少女を守るのは当然の事だ。それが兄ならなおの事。
「瑠美奈、一つ訊いても良いですか?」
「ん? なぁに?」
「もしも貴方だけが世界を救えるとして、救った際に貴方の事を周りの人々が忘れてしまったらどうしますか?」
「おにいちゃんも?」
「ええ、多分。私も忘れてしまうかもしれませんね」
記憶の忘却は不思議な事じゃない。
一年間しか記憶を保持できない新生物もいる。
しかしながら、実際かつて宝玉を所持していた者が何者なのか記されていない。
誰かは居たのだろう。けれど、それが誰なのか誰にもわからない。
前任のようにこの世から瑠美奈が消えてしまうのは鬼殻は堪えられない。
「みんなをまもれるなら、それでいいよ」
「っ! ……消えてしまっても良いと? 誰にも憶えてもらえないのですよ? もう貴方を認識出来ずに、平然と生きている人々を貴方は許せると言うのですか?」
「んわっ……む、むずかしいことは、わかんないよ」
瑠美奈の両肩を掴んで訴える鬼殻に瑠美奈は困った顔をする。
突然どうしたと言うのか、瑠美奈は眉を顰める。
ハッとして鬼殻は瑠美奈を解放して「すみません」とそっぽ向いた。
「大丈夫ですよ。絶対に貴方の事は忘れません。私の妹なのですから、貴方を守るのが兄の役目です」
大丈夫。それは自分に言い聞かせていた事だった。
瑠美奈がどうして死ななければならない。
どうして瑠美奈が消えなければならない。
彼女は普通の少女だ。
(なんて言えるのは、今だけなんでしょうね)
兄として彼女を守るとしても、収まるところに収まるのだろう。
鬼殻の目的は、厄災を停める事である。
それは揺るぎない事実であり、その裏には瑠美奈を救うことが合った。
この世の人々の為に厄災を停めれば一時的にでも世界は平和を取り戻す。
厄災がない事に喜びを感じてくれる。宝玉を消し去る事が出来ないのなら一時的でも平和を与える事が出来れば……。
それに、政府も厄災がある事で新生物を処分しろと命じない。
厄災があるから新生物は生まれて来る。
『家族を守りたいんだろう?』
黒の宝玉が囁く。
宝玉の言う家族とは御代志研究所にいる新生物ではない。
ただ一人の妹を守りたい。それは生命活動の有無ではない。
宝玉の呪縛から瑠美奈を解放したかった。
瑠美奈が死んでしまっても構わない。
別に瑠美奈の生死については執着していない。
(白の宝玉を瑠美奈から奪い取ることはもう不可能)
瑠美奈に根付いた宝玉を引き剥がすことは不可能。
ならば、瑠美奈が極限まで宝玉を使い続けて亀裂を作り破壊しなければならない。
今の瑠美奈に、その力量はない。
自分の力すら制御出来ない瑠美奈が白の宝玉を破壊する事は不可能。
それなら、と鬼殻は考えた。
近い未来。瑠美奈が成長して完全な状態になった日には、宝玉を与えて支配させる。そして殺すことで宝玉は復活までのタイムリミットを刻む。同時に死んだ瑠美奈は意思としてカウントされないのではないのかと……。
(全く、我ながら酷い推論ですね)
歩き慣れた研究所の窓の外で子供たちがはしゃいでいる。
アスレチックの上で怯えている子ぎつねの少年が儡を見ていた。儡は検査終わりで庭に出されたのだろう。
『壊しちまえばいい。瑠美奈が成長した後、本来の力を取り戻した日、宝玉を壊すように言えば従うだろうよ』
黒の宝玉は言う。
「そうですね。もしも瑠美奈が、いまの私と同じように鬼の力を有効活用する事が出来るなら、白の宝玉は粉砕して復活を待つことになるのでしょう」
窓の外で儡を見つけた瑠美奈が小走りで駆けているのが見える。
アスレチックから降りられなくなっている子ぎつねに瑠美奈は手を差し伸べていた。
「ですが、その時になるのはいつになる事やら」
瑠美奈の力はきっと後遺症が発症した日に発現するだろう。
まだ角も牙も突然生えては消える。人間のふりをするのは少しだけ不慣れでまだ子供であることに変わりはない。
研究所の一部は早く戦争に出して利益を得たい穢れた大人がいる。
A型の何人かも、海外に連れて行かれた。鬼殻は所長の息子という事で生き残っているに過ぎない。
「……私が死ぬ前に、彼女を解放してあげる事が出来るなら、私は彼女の悪い人でも良いですね」
(誰も恨まない瑠美奈が私だけを恨むのなら、それはそれで私は褒められるべきではないでしょうか)
そして、数十年の末に成長した……とは言い難いが少しだけ大人になった瑠美奈が鬼殻の前に立っている。人化と鬼化を交互に操る事も出来るようになり立派になった妹は、鬼殻を殺そうとしている。
(狂っていたのは、事実。しかし、その狂いこそが私を正常へと導いてくれていたのでしょう。どれだけ狂った大人として振る舞っても、貴方を嫌うことは出来なかった)
――悪人は善人になれるが、善人は悪人にはなれない。
「私もそろそろ目を覚ましたい所ですよ。瑠美奈」
黒の宝玉がこの手に戻った。
本領を発揮するには十分すぎる触媒だ。