第116話 ESCAPE
ミライは、土気色の顔をした周東ブラザーズを前に呪文を唱えた。
それは一瞬の事で、神秘的でも何でもない。周東ブラザーズの身体はミライの魔力によって再生性される。土気色の顔色は明るくなる。
約五分くらいだろうか、人が生き返る瞬間を見るのは何とも言えない気持ちになった。間違っていないはずなのに間違っているような錯覚に陥る。
結果から言えば、周東ブラザーズは息を吹き返したのだ。
青の宝玉の力でも蘇らせることが出来なかったのに、ミライはその魔術でやってのけた。人の命を救ったのだ。
「凄い」
月並みな言葉しか出なかった。ただただ凄いとしか言えなかった。
廬の傍らにいた瑠美奈も驚いて目を見開いている。
「はい。これで終わり。さっ、早く厄災を消しに行きましょう」
周東ブラザーズはまだ意識が戻ることはないと言う。
その間に厄災を消すことに成功したら、身体検査などを病院で行えるかもしれない。もっとも半壊している為、難しいかもしれないが、日常を取り戻しに行くしかない。
廬はミライに近寄りそんな事をして大丈夫なのかと尋ねた。
「あたしを舐めてる?」
「いや、そんなつもりはない。二人を生き返らせることでミライの身体に異常が合ったら困るだろ」
「ふぅん、心配してくれるのね」
「当たり前だ」
「それって、厄災が起こるから?」
「違う。友だちが死ぬのは見たくないんだ。周東ブラザーズだってそうだ。あいつらが死ぬのなんて見たくない。だから憐に頼み込んだ」
二人を救ってミライが死んでは意味がない。
ミライは微笑んで「大丈夫」と言った。
「確かに人を生き返らせる魔術なんて初めてやったけど、あの子たちは子供だから平気。大人じゃあ流石に厳しいかもしれないから、あんたは死なないでよ?」
「ああ、勿論だ」
「そっ。それじゃあ先に出ているわよ。早く鬼殻を見つけて片付けてしまいましょう?」
ミライはそう言って一足先に病院を出て行った。
ミライは子守唄を口遊みながら病院の周囲を歩いていた。
鬼殻がいるわけがないと分かっていても万が一と警戒していたのだ。
「~〜♪ ……ごほッ!?」
ミライは胸を押さえて地面に向かって咳をする。吐き出されたのは真っ赤な血。
「そりゃあそうよね。無理もない」
ミライは全て見ていたのだ。屋上から憐に双子を救うように頼み込む廬の姿、そして儡と言い合いをしている佐那を。
今日、筥宮が滅びてしまうかもしれないのにいがみ合ったって仕方ないと溜息を吐いて、憐と廬のもとへ向かった。
「命は時間。失った時間をあたし一人で補ったんだもの血も吐くわ」
一年が365日。時間にして8760時間。十歳の子どもに三十年を与えるとして、10950日、もしくは262800時間。身体からそれ程の生気を一度に奪われたら死ぬに決まっている。それを二人分。つまり、六十年で21900日、もしくは525600時間。
目が回るほどの数字の中で魔法があれば、目が回る事もないが生憎何でも出来るほど魔術は便利じゃない。
人の命を好き勝手するにはそれ相応の代償を払う必要がある。
人を殺すことも生かすことも魔力を支払わなければならない。
ミライの六十年という人生を魔力に変換して、周東ブラザーズに与えた。
彼らは、三十年しか生きられない。それを知れば、生き返らなくても良いと糾弾されてしまうだろうか。生きられるに越したことはないだろう。
約四十歳になれば死んでしまうが、それでもそれまでに楽しい人生を満喫したら良い。
ミライの寿命とも呼べる魔力を与えたのだ。魔術は使えないが、生き延びることが出来る。
「はははっ……この世界に来て、あたしも変わったのかな。なにが子供で良かったよ。子供の方が魔力使うに決まってるじゃない」
大人ならば、もっと少ない時間を分けることができる。魔力を過剰消耗しなくて済んだ。
魔力の枯渇。周東ブラザーズの魂をこの世に引き戻すのに通常使われている魔力は枯渇。引き戻しても寿命が無い所為でただのゾンビ。ならば、ミライの残り少ない人生を与える。
「びぃ」
「……馬鹿なことをしたって思っているようね。ええ、そうよ。あたしのしたことは馬鹿なこと。誰も感謝しないし、誰も得しない」
イムがミライを見つめている。
二人にしたのは、死を可視化させただけである。
「呪いね。誰かの願いを背負って戻って来てしまった。その重圧を身に受けても寿命まで生きなければいけない。死ぬに死ねない。別に死んだっていいのよ。あたしの時間なんて取るに足らないものなんだもの。……どの道、死ぬのは決まっている」
周東ブラザーズが人生に嘆いて死んでしまっても文句は言わない。
もうそれはミライの人生ではないのだから、勝手に死んで勝手に満足してしまえば良い。
「もう少しだけ……この世界に残っていたかったけど仕方ないわね」
ミライが仮に百歳生きられたとして、六十年を周東ブラザーズに譲った。
そして、いまの年齢的に言えば二十歳を優に超えている。
八十歳になっていると言っても過言ではないのだ。
残り約二十年の人生。どう生きてやろうかという程にミライの心は酷く落ち着いていた。これほどまで満ち足りた気持ちになったのは初めてだった。
「お母さん、あたしも誰かの役に立てたかな?」
もう会えないかもしれない相手。
「おい」
「! ……憐」
電信柱の上に立つ憐はこちらを見下ろしている。
不機嫌な顔をする憐にミライは誰かと喧嘩でもしたのかと揶揄すると舌打ちをして、憐はその手から何かを放った。
咄嗟に掴み取るとピアスだった。憐が無数に付けているピアスの一つだと気が付く。
「どう言うつもり?」
「あんたに借りを作りたくないんすよ」
「借り? 別にあんたの為じゃないわよ。こっちは筥宮に閉じ込められて外に出られない。早く鬼殻を倒してこの街から出たいのよ」
「じゃあなんであんたは血を吐いてるんすか!」
「持病?」
「ふざけるんな! あんた、魔力とか言うの使い過ぎたら死ぬんじゃないんすか?」
憐は言い当てた。魔術師にとって魔力は生命エネルギー。それが枯渇してしまえば死期を早める。周東ブラザーズを一人生き返らせるのだって至難の業だと言うのに二人を同時に生き返らせた。
それはきっとミライの師も熟した事のない大魔術。
生命エネルギーを求めて身体が蝕まれていくのを今も感じる。
平然を装うが憐はそれを見抜いた。
「俺は二人を生き返らせることは叶わないっすけど、あんた一人をこの世に繋ぎとめる事くらい造作もないんすよ」
妖狐が託したピアス。大妖怪の妖狐の力が宿るそれは人間を一人はあの世から引き戻すことが出来るだろう。使い方を間違えれば祟りにもなる。
憐はそれをミライに渡した。周東ブラザーズは救えないが、ミライは救える。簡単な事だと憐は言う。
「可愛い所があるのね。あたしの事が好きにでもなった?」
「旧生物に興味ねえっすよ。借りを作りたくないって言ってるじゃないっすか」
ミライはピアスを耳につける。不思議なことに魔力が沸き上がる感覚がした。
流石、妖狐の力と言うべきか。これほどの力を持ち合わせているのなら祟りも簡単に起こせるだろう。
(もしかしたら、これを使えば……)
ミライが僅かによぎる気持ちを殺して「鬼殻を探しに行きましょう」とミライは歩き出した。
憐は「ちょっ! 待つっすよ」と足場を探してミライのあとを追いかけた。