第115話 ESCAPE
廬が来たのは、病院の外だった。
玄関ポーチの上にいまだ座っている憐は廬を見ると「なにしてるんすか」と声をかけた。
「手伝ってくれ」
「は?」
「どう言う事か説明してくれる?」
あとを追いかけて来た儡が廬に言う。
「誰かを救える力がお前にはあるんだろ?」
「? 何の話すか」
脈絡が無いと憐はきょとんとした顔をする。
「御代志にいた時にお前の母親と会った。お前が死ねば厄災になる。いや、祟りになると言っていた。けど、お前が誰かを救う事で死ねば祟りは起こらないとも言っていた。つまり、お前は誰かを、死んだ誰かを救う術を持っているんじゃないのか?」
廬の言葉に憐は「はぁ~」と深い溜息を吐いた。呆れたような溜息、救いようがない相手を見るように憐は言う。
「あのばばぁ。気に入った相手には容赦なく人の個人情報を漏洩するんすね。まあ、半分は事実っすよ」
「初知りだね。憐、君そんな事が出来たの?」
儡が意外そうな顔をする。
別にそれによって今まで死んだ相手をどうして助けてやらなかったなどと言った糾弾はしなかった。ただ、それが出来る意外さに驚ていた。
「出来るようになったんすよ。それも一度切り。二度三度は無理っす」
「頼む。二人を助けてくれ」
「あ、それは無理」
あっさりと断られた。何故だと言えば憐は笑った。
「だって俺、お嬢と旦那の為にこの力を残してるんすよ? ハンプティとダンプティの為に使う力じゃない」
周東ブラザーズも大切ではあれど、ヒエラルキー的に言えば瑠美奈や儡以外優先順位などたかが知れている。
もし、周東ブラザーズを救えば、今後瑠美奈に何かあったら、儡に何かあったら、そう思うだけで憐は後悔するだろう。こんな所で助けなければと後悔して、周東ブラザーズも申し訳なさに生きづらくなる。
「だから俺は救わない」
此処に居続ければ廬が煩いと思い憐は立ち上がり病院内に入ってしまう。
ダメ元だった。憐が二人を救ってくれる可能性など低いに決まっている。それでもダメ元で提案した。
「万人を救うことは出来ない。彼らの犠牲で筥宮の住民、真弥が救われるのならそれで良いと思わない?」
もしも救えるのなら、救いたい。
救えないと諦めたくない。
「今、諦めたら俺はまた、ただのろくでなしになって終わる」
廬は病院に戻り憐を探した。どうにかして二人を救ってもらえるように説得する為に。
「それじゃあ、誰も救えないんじゃないの」
「それは違うと思います」
影で話を聞いていた佐那が儡に声をかけた。
今まで距離を取っていた佐那から声をかけて来る事に意外そうな顔をして儡は佐那を見た。
「どう言う意味?」
「糸識さんは、変わろうとしているんだと……思います」
御代志研究所の新生物を取り仕切っていた相手に下手な事を言えば消されてしまう恐怖を持ちながら佐那は続けた。
「糸識さんに会った時、彼はあたしじゃなくて瑠美奈だけを考えていました。瑠美奈の為にあたしが持っていた宝玉を目的に、あたしの恋人を演じていた。だけど今は、瑠美奈の為じゃない。別に聡を助けなくても瑠美奈は死んだりしないのに、稲荷さんを説得しようとしている。それは一重に彼の心境が変化したからじゃないのかなって思うんです」
誰も救えないと思い込んでいるだけで、誰か一人でも救えるのなら廬は満たされる。今まで何もなかった廬が自分から誰かを救いたいと思っているのだ。
「糸識さんは別に……誰かに褒めてもらいたいからやっているわけじゃないと思うんです。そうしたいからする。そうじゃないと彼は自分に嘘をついて行くことになる。これ以上、彼は嘘をつきたくないと心が言ってるんだと思うんです」
心が命じたことだ。A型0号の空っぽの心が瑠美奈によって満たされて、誰かの為に注がれようとしてる。
「聖人君主になろうってこと?」
「そうじゃない! ……と思います」
咄嗟に強く言ってしまいそうになり佐那は俯いた。
怖くて体が震えている。何とかいなしながら言葉を紡いだ。
「誰かに褒めてもらおうとか、皆に愛されたいからとかじゃない。廬の気持ちが本物だから、本当の廬がそうしたいと思っているから無条件で誰かを助けたいと思う」
「本当の彼。それって僕への当てつけなのかな?」
「えっ」
「僕は本当を理解出来ない。それが僕の後遺症なんだよ。つまり、人形《傀儡》である僕では廬には到底及ばないって事だよね?」
儡の後遺症。どれだけ本物と思っていてもすぐに壊れてしまうフェイクであると言う事であり、佐那が廬を本物と持ち上げている手前、儡は本物であることは出来ない。
それは一重に廬と儡の間でしか許されない会話なのだ。それを余所者が首を突っ込むのは無粋で余計なお世話と言えた。
その事に気が付いた佐那はサッと血の気を引かせた。
「知らないって言うのは罪だって言うけど、確かにだね」
「っ……ご、ごめんなさい。差し出がましい事を言いました」
「流石に、何も知らない人に好き勝手言われるのは、気分が良くないな」
にこりと微笑んでいるが佐那はそれが寧ろ恐ろしく感じた。
「僕も廬も好きで偽物なわけじゃない。君たちが考えているより数倍は苦痛を強いられているんだ。一切の努力が必要ない心とまがい物なのに傷だらけの僕たちの心。どちらに価値があると思う? 勿論、君たちさ。君たちの心なんて安っぽいのに僕たちのよりも優れている。使い古された僕たち道具は君たちには到底追いつかない。君が言うのは僕だけが努力していないような物言いだ。「知らなかったんです」なんて都合が良い事も頭に入れてくれると嬉しいな」
「ご、ごめ、ごめんなさい、あたし……っ」
「儡。佐那をいじめないで」
佐那が戻ってこない事を疑問に思った瑠美奈がやって来た。
もの言いたげな顔をしている。儡はその意図を理解して肩をすくめた。
「虐めていないよ。純粋に思ったことを口にしただけ、僕の気持ちだよ」
「わたしのともだちをいじめたらきらいになる」
「それは困ったな。君に嫌われたくないよ」
「だから嫌われないように撤退する」と儡は病院に戻ってしまう。瑠美奈の横を過ぎる時、瑠美奈は「儡のおもってることはぜんぶほんものだから」と言った。
その事に少し驚いたが何も言わずに病院内に消える。
残された瑠美奈と佐那も病院内に戻る。周東ブラザーズの面倒を見なければならないのだ。
一方で憐を追いかけていた廬。
追いかけられるのも限界がやって来ると憐はうんざりしたように叫んだ。
「二人は無理なんすよ!」
「っ……!」
景光が崩した病院。雨が降っていた所為でまだ水溜りが残っている。
しずくが時折水溜りに落ち波紋を広げた。
「俺の力は、確かに死んだ誰かを生き返らせることが出来るかもしれないっすよ。やったことが無いから成功率なんてたかが知れてるけど……それでも、もしそれが出来るとしても、救える命は一つ。あの二人を引き裂こうって言うんすか?」
顔を顰めて酷く悲しそうな顔をして廬を糾弾する。
「そりゃあ、一人を生き返らせることが出来ればきっと本物の人間になれる。後遺症のない唯一の新生物として生まれるっすよ。素晴らしいっすよね? 怪我をしても相手を気にしなくて良いんすから、俺たちのように平然としていられる。だけど、あの二人は、切り離したらダメなんすよ」
ホワイト隊の双子。役目はたかが知れているがいつだって二人だった。
憐は二人を知っている。面倒を見て来たし、いろんな仕事を与えて来た。
二人が自由に使える金を自分の力で稼がせていたのだ。
彼らの出来る仕事を、憐の仕事から探し出して委託していた。
未成年と言う事で銀行の口座はないが、仕事一つ分の給料を与えると嬉しそうに笑って互いに何を買おうかといつも言い合いになり喧嘩をする。兄弟らしい微笑ましい光景だと憐は好きだった。
「ハンプティとダンプティの親は、金が無いからって二人を研究所に売ったんすよ。怪物と愛し合っても生まれた子供はどうでもいい。だから、研究所に置いて行った。ただ置いて行ったわけじゃない。『迎えに来るからね』って言ったんすよ?」
嘘が大嫌いな憐にとって周東ブラザーズの親は忌み嫌う存在。
憐は二人の世話役としてあてがわれた。親が双子を捨てる光景を見てしまった憐は二人を邪険には扱えなかった。扱う気もなかった。
心細い双子に憐は自分の特異能力で楽しませた。成長して仕事が出来るようになって外の世界に行ける双子は学校に通っていく。旧生物との違いがない為、周東ブラザーズは外の世界に馴染めた。
「あの二人が仕事をする。手に入れた金で好きな物を買う。残った金はどうすると思う? 自分たちを捨てた親に向けるって言うんすよ? そんな痛ましい事が合っていいと思うんすか? もう会うことのないクソの親に渡す。迎えに来てくれるって信じているんすよ? なら此処で、二人揃って死んだ方が幸せじゃないっすか」
一人を生き返らせて、一人を死なせたままにする。
憐には出来なかった。そんな事をしたら、彼らは一人でも親を待つだろう。
もう戻ってこない親を待ち続けて、親に語る話を積み重ねる。
「それでも、あんたは取り戻そうって言うんすか?」
もう廬は何も言えなくなってしまった。
一人を救っても一人は救えない。
だから、憐は、瑠美奈か儡のどちらかを救う為に力を残している。
「俺が意地悪をして言ってるわけじゃないんすよ。あいつらの為に俺はあいつらを助けない」
「なら、あたしが助けようかしら」
突如として聞こえて来た声。ミライだった。
「あんたが?」
「ええ、あたしでもあの子たちを救えると思うのだけど、ダメなのかしら? 魔術は万能ではないけど、出来ないことを出来るようにする事もまた魔術だってあたしの師が言っていたわ」
周東ブラザーズを助けるのなんて朝飯前だと言ってミライは憐を見る。
「あんたと違って優秀なあたしは、子供たちを二人生き返らせることくらい造作もない」
したり顔をして腕を組んだミライは周東ブラザーズを救うと言って踵を返した。