第109話 ESCAPE
一方その頃、廬は、偽廬と対峙していた。
母親が働いているであろう生花店の近くで偽廬はいると棉葉から伝えられていた。
棉葉からの景光が襲撃してきた知らせが届いていた。しかしトランシーバーが故障していた。向こうからの声は聞こえているがこちらの声を届けることは出来ないもどかしさに歯を噛み返答はしなかった。
「仲間を見捨てて俺に向かうのは勇気じゃないだろ」
トランシーバーから聞こえた救援の要望を無視して偽廬に向かうのは、優しさがないのかと呆れたように笑った。
「勇気かどうかはお前が決めることじゃない」
「なにそれ?」
「俺は勇気があるかの確認をしに来たわけじゃない」
「だろうな。俺だってそんな事をする為に来たなら、殴り倒して此処でお終いだったぜ。俺たちは他の連中と違って特異能力なんて持ち合わせていないから、話し合いで片が付いたら、それで満足だけどな」
「だが、お前は此処にいる。お前も何かしらの力があるんだろ?」
消えていないという事は鬼殻に何かされているはずだ。
「何かしらの力。そんな特別性はないぜ。そんなのは望んでない。俺は何も知らないまま死にたくなかっただけだ。俺の身体を勝手に使って、俺の名前を勝手に使って、好き勝手しているお前の最後を知らないで消えたくなかっただけだ」
此処に居続ける権利と言う程たいそうな物じゃないがと偽廬は嘲る。
宝玉を得られるだけの中途半端な存在。佐那と同じ存在になっただけ。
「お前は誰なんだ」
「……俺は、C型0号」
「っ!? お前は、人間だろ」
「人間だった。もっとも俺は他の新生物と違って生まれ直したわけじゃない。鬼殻に身体を弄られてこうなっただけだ。確かに俺は自分の身体を維持した」
形而上の生物になることなく、偽廬は鬼殻の力を耐えきったのだ。
偽廬がただの人間だと言うのなら、佐那のように怪物の血を投与しなければ新生物にはなれないだろう。だがもう血を用意することは出来ない。
ならばどうするか。遺伝子を書き換えるしかない。鬼殻の力で強引に身体を作り変える。苦痛は避けられないが、それでもその苦痛は家族から引き離された偽廬からしたら些細な事だと受け入れることが出来た。
「人間を辞めてまで俺を殺したかったのか」
「殺したかった? 殺すだけじゃ足りないだろ? 俺と同じ痛みを感じてくれ。俺は全部奪われた。それなのにお前は俺の全てを持っていながら新しいものを手に入れようとしているんだ。腹立たしい他にあるか?」
勝手に奪った癖に、勝手に絶望して人間と距離を取り生きづらいと文句を言う。
ならば、返してくれ。それはお前のではないと何度も訴えようとしたが今日この時までそれは許されなかった。
C型0号。最後の新生物。この場所にいる権利を得た。
ただの偶然だとしてもここに居られるだけでよかった。
廬を殺すチャンスを得られるのならそれで構わなかった。
「そこまでする理由はなんだ? どうして俺をそこまでして殺そうとする。家族と引き離したからか?」
「……家族。家族、ね」
偽廬は意味深長な笑みを浮かべる。
「お前はあの親を、母親を本当に愛してたのか?」
父親が故人となった後に心を病ませて男に崩れてしまったあの女性をちゃんと愛していたのか。それとも廬しかネグレクトの体験をしていないから、実体験をしていない偽廬は未だ愛していたのかもしれない。
「愛してたよ。どれだけ嫌ってもあの人が俺を産んだ事に変わりない。お前があの人にされて来た事は知ってる。母さんは、疲れていた。だからお前にどう接して良いのかも分からなかったんだ」
愛している。ちゃんとそこには家族愛がある。
嫌いならば、偽廬は廬を襲ったりしなかったと言う。
その仕打ちを肩代わりしてくれる便利な道具を手放したりもしない。
けれど、言い切れない所もある。もしも偽廬がその身で母親の醜態を受けていたら嫌っていたし、突き放していただろう。
嫌気が差して、母親から逃げ出した偽廬を鬼殻は見つけたって手を差し伸べたりしない。鬼殻の美しいものに該当しないからだ。戻りたいと願っても過去に戻れないのは当然だ。
異世界人と違って自分たちでは過去に戻って事をやり直すことは出来ない。
そうなる運命だったと受け入れるしかない。
男に崩れた母親が借金を抱えてしまい侘しい生活を強いられていたかもしれない。
そう言う運命が合ったと言うのなら、偽廬は廬の存在はそんな不幸を回避した天使とも言えるだろう。
その未来がある事を知らない偽廬には、目の前の男が天使と受け入れるには無理があった。
自分と同じ姿をしているのに全てを放棄する男が気に入らない。
「鬼殻が何を企んでいるのかは正直どうでも良かった。母さんの事も、子供だった俺にはどうする事も出来ない。何もわからないなりに考えたんだぜ」
偽廬は地面を蹴り、廬に向かって手を突き付けて来た。
透明の宝玉の力で何とか防ぐことが出来たがそれが鬼殻に与えられた力だと知る。何でも斬れるその手は廬を襲う。
「こうなった理由を抹殺する。俺は偽物であるお前を殺す為に、復讐する!」
普通を奪った廬を殺してしまえば、また偽廬は普通に戻れる。
戻りたい生活。どれだけ侘しい思いをしても構わない。
偽廬の普通の生活に戻りたい。
繰り出される攻撃を廬は受け止めるしか出来なかった。
「守るだけか!」
「俺にはそれしか出来ない」
「ちっ」
偽廬は苛立ちを見せる。やっとこの日が来た。
やっと廬を殺して自分が本物に戻れる。
「鬼殻ですら変えたお前の力で俺も変えてみろ!!」
「っ……俺がやったことじゃない!」
無意識だったんだ。
自分の中にある特異能力が勝手に鬼殻を作り変えてしまった。
優しかった瑠美奈の兄を壊したのは廬だ。
A型0号があの事故で死んでいれば、今日は来ていない。
(そんなの俺が一番よくわかっている!)
もしも事故があったのなら、そこで消えてしまってもよかった。
生き残ってしまった事の記憶が残っていたら後悔していたはずだ。
「複写しろよ。お前の力を見せてみろ」
「……っ」
「自分の力すら制御出来ない癖に、何がA型0号だ」
振り上げれる手を受け止めようと手を出すと宝玉が廬を守るように透明な壁を生み出す。
複写、上書き。人の意思を簡単に書き換えてしまう。鬼殻よりも酷い力だと偽廬は訴える。
「俺の感情を書き換えろ。そうすればお前を攻撃しない便利な道具に成り下がる」
「そんな事、俺はしないっ!」
既に鬼殻にやってしまっている。そして、瑠美奈たちを不幸にした。
瑠美奈の父親を殺したのは間接的に廬になる。廬が逃げ出さなければ。
「全部後の祭りだ! やってしまったことだ。もうどうする事も出来ないで此処まで来た」
「放り出すつもりか!」
「そうするしか出来ないんだ!」
壁が偽廬を弾き飛ばす。
肩を上下させて呼吸を整える。
「俺は何も覚えてない。覚えていたらいけないんだ。糸識廬を自分に複写したその時からA型0号の記憶は抹消される。それが俺の後遺症だ。もうどうする事も出来ない。鬼殻を変えたのも俺だ。母さんを見限ったのも俺だ。瑠美奈の人生を滅茶苦茶にしたのも俺だ。全部俺がやった事だ。もう戻す事なんて出来ないとわかっている。俺自身の特異能力を使おうにもやり方を知らない。ならもう投げ出すしかないだろ」
「弱虫の屑が」
知られたくない事だって多い。だがその知られたくない事を廬は知らない。
目の前にいる自分にそっくりな顔をした男が糸識廬だと言うのだって本当は疑いたい。相手が偽物で、自分が本物なんだと訴えたい。
そうじゃないと周囲から言われて自分はもう壊れてしまう。壊れたかった。
半狂乱になって自分の存在を証明したかった。しかしいくら考えても、不自然なことはあった。誰かとの会話がちぐはぐになっていく。
今の自分がしている事と昔の自分がしている事が合わない。自分はこんなことをしない。自分ならこうする。その考えが他人の評価だと思った。
廬は、糸識廬と名乗っている誰か。