第108話 ESCAPE
聡の左足が潰れた。景光がさとるの足を潰すなんておかしい。どうして影の力を使い殺さないのか。食い殺すことが出来るはずなのにそうしないのか。嬲り殺しにするつもりなのかもしれない。
佐那は聡に肩を貸してホテルを出る為にエレベーターに向かった。瑠美奈にはもう期待しないと一言残して病院に向かった。床に緑の宝玉を置いて。
一人スイートルームのベランダに残った瑠美奈は、後悔をする。
間に合うかもしれない事をこんなあっさりと捨ててしまう。そんな事をして許されるわけがない。
「ごめんなさい」
それでも此処を離れたら鬼殻を殺すチャンスを棒に振る。
「酷い奴だにゃあ~」
「だれっ!?」
聞き覚えのない声が聞こえた。男の声。だが姿は見えない。
「誰でも良いがにゃあ。ただお友達が消えちゃう感覚はどうかにゃあ?」
「……べつに」
「心が蝕まれていく、心が黒くにゃっていく。見た目通りだにゃあ? にゃにもないと勘違いして自惚れて、一人になろうとして中途半端な奴。オマエ自分が優秀と思っているのかにゃ? 優秀で誰にも負けない強さを持っているから、誰ともお近づきににゃれないと」
黒い少女が白いなんて事はあり得ないと声は言う。
そんな良くある話は詰まらないと言いたげに笑う。
「そのまま、真っ黒になって夜になれば誰にも見つけてもらえなければ良いにゃあ。それを望んでいたから良かったにゃあ」
誰にも見つけてもらえない。今も友だちを見捨てたのだ。
「永遠の友情にゃんてない。死ぬまで一緒なんて無理だから当然だにゃあ。オマエのしている事は間違いじゃにゃい。面倒になったら捨てればいい大正解だにゃあ。今じゃあ、独りぼっちの鬼。まるでお伽話みたいだにゃあ」
「っ!?」
御代志村を襲って結局何がしたかったのか分からない鬼。
あの本の結末を最後まで知る者はいない。
最後まで独りぼっちだった鬼。孤独な鬼。
いまの瑠美奈はその鬼その物だと言う。
鬼殻ですら景光と言う仲間がいる。では、瑠美奈には誰がいる。
鬼殻が復活して以来一人で筥宮を彷徨って鬼殻を追いかけていた。
瑠美奈を追いかけて来た者は誰もいなかった。
そして、いまも聡が怪我をしているのに相手にしなかった。
酷い鬼だ。いや、鬼は元から酷かったかと声は笑う。
「今ならまだ間に合う」
その声に瑠美奈はハッと我に返り、床に置かれた宝玉を見る。
美しく輝く宝玉を拾い上げて再びベランダに出た。欄干に足を乗せて跳んだ。
数十階のスイートルームから飛び降りた。
そして、佐那を探した。
「佐那!!」
聡を抱いて道を歩く佐那は泣いていた。聡はもう下半身が無くなっていた。一体どうしたのか尋ねる必要などないのだ。病院で景光に襲われて今度こそ喰われた。
「瑠美奈」
「ふたりをたすけたい。佐那、ごめんなさい」
「っ……ううん、瑠美奈は優しいから来てくれると思ったよ」
実際はもう来てくれないと思っていた決めたことを覆した事が無かった瑠美奈が何を思ったのか佐那には分からない。だけど、来てくれたことまた涙が満ちる。
「聡の身体が」
「まだだいじょうぶ」
この状態で大丈夫なんて言えない。このまま放置していたら間に合わないと佐那の手を取り病院に走った。
日が沈むまでに時間がない。
急がなくては聡とさとるを、劉子と棉葉を救う為に二人は病院に急いだ。
佐那は明日の日没までに厄災をどうにかしなければ政府がミサイルを落とす事を伝える。聡の言う通り、兄妹喧嘩をしている暇はなかったのだ。この街を守らなければいけない。
「廬は?」
「偽物の糸識さんと決着付けて来るって」
「……そう」
「大丈夫だよ! 糸識さんは強い人だよ」
偽廬と対峙する。瑠美奈が鬼殻を見て暴れるのと同じく廬だって偽廬を見て我を忘れてしまうのに大丈夫だろうかと心配になるが今はさとるを助けに行かなければと瑠美奈は気を逸らした。
鬼殻を殺すチャンスなんてすぐにやって来る。それまでに瑠美奈は一人でも救えるように……。
「お嬢っ!!」
そんな時、憐の声が聞こえた。振り返れば上から憐が降って来た。ミライの魔術で何とか地面に叩きつけられることはなかったが顔のところどころ焦げている。
憐が鬼殻に吹き飛ばされたのだ。儡とミライもあとを追いかけて来る。
「大丈夫かい、憐」
安否を確認して無事だと分かれば儡は安堵して瑠美奈を見る。
「瑠美奈も無事だったんだね」
「……うん」
後ろめたい気持ちはあれど、今は鬼殻だと瑠美奈は電柱の上に立つ男を睨みつける。
「ふふっ。まるで悪人ですね。まあ事実なのでしょうけど……」
「あんたの力は相手を変えることじゃなかった? どうしてそんな化け物じみた力持ってんのよ」
ミライの問いに笑いながら鬼殼は答える。
「ええ、本来の力はそうですよ。ですが生憎と情報が少しだけ古い」
鬼殻の力は、身体を作り変えると言うもの、遺伝子情報を少しだけ書き換えて身体を滅茶苦茶にする代物だったが、まるで今は違うと言った物言いだった。
実際に違うのだろう。鬼殻は変わった。何処が変わったのかは分からない多くは変わっていないのだろう。何かが変わった。
鬼殻を凝視する一同に美しく笑う。
「下手な小細工は必要ないのでしょう。改めて自己紹介をしましょう」
トンっと地上に降りて来る。瑠美奈が皆を守るように立つ。
「私は、鬼頭鬼殻。そして、禍津日」
それを聞いてピンと来たのは一人だけだ。
儡は絶句していた。目を疑った。目の前の男には誰も勝てないのだと悟った。
「君は、神にでもなったって言うのか」
「儡?」
若干震えた声で言う儡に瑠美奈はどう言う事なのか説明を求めた。
「禍津日とは災厄の神霊と言う意味だよ。この世の穢れから生まれて厄災を司る神。つまり、……鬼殻はこの世の穢れで構築された存在。神になったんだよ」
「神になったと言うよりは、神にさせられたと言った方が私的に合っていると思いますが、皮肉なものですよ。美しさを極めていた私が穢れから生まれるなど」
瑠美奈に殺されて罪を償う事もせずに鬼として地獄で暮らしていたはずだがどうしてか蜘蛛の糸が鬼殻を捕えた。強引に引き上げられたと思えば、禍津日神にさせられていたなんて笑い話にもならない。
「神相手に貴方たちは立ち向かおうとしているのですよ。本当に今回の厄災は何がしたいのか。それとも私以外の神が私を作りだしてこの世界を滅ぼしたいのでしょうか?」
厄災から生まれた災厄の神。
憐が敵うわけがないのだって当然と言えた。足止め? 冗談じゃないと断ることだって出来る。何なら筥宮から出て行きたいほどだ。だが閉じ込められている。
「貴方たちは既に私の手の内である。私がその気になれば厄災は起こすことは出来ますが聞くところに寄ると明日の日没には政府がやってくれると言うじゃないですか。良いと思いますよ。潔くて私は好意的だと思います。ですが、貴方たちはそれを受け入れたりしないでしょう? ならば互いにやることは変わらないと思いませんか?」
エメラルド色の瞳は瑠美奈を見据える。
「貴方たちは私を殺す為に切磋琢磨し、私は厄災を停める為、我が妹を殺す事に切磋琢磨する。神たる私を殺す事で世界が良い方向に向かうかもしれませんよ。何といっても私は善性の神ではないようですからね」
禍津日神。負そのものと言っても過言ではない。
穢れを嫌悪した鬼殻が死に、穢れから生まれてしまった。
「今日は引き上げてあげましょうか? 憐君がそろそろ限界のようですから」
「冗談っすよね? この程度どうってこと……ッ」
「やせ我慢はダサいわよ」
立っているのもやっとだ。ミライの魔術が無ければ今頃地面に落ちて死んでいたに違いない。特異能力を発動する事すら今の憐には厳しい。
「瑠美奈、貴方の意見を聞きましょうか」
「あしたになったら、しんでくれるの」
「貴方にその気があれば、私をいつでも殺せたと思いますが?」
「……」
「なんだって構いませんが。明日になれば結局の所、日没に厄災ではなく旧人類に殺されるわけです。私は人間に殺されることはないので死にはしませんが貴方たちはどうでしょうね。一部は生き残る事が出来るでしょうけど、残りは生き残れない可能性が高いですね。それに旧生物の攻撃を耐え忍んでも結果として厄災は終えていないのですから、新生物はことごとく消失。厄災を停める術は失われるというわけです。タイムリミットは、明日の日没。もしくは、私が飽きるまでと言ったところでしょうか?」
「……なら、あした。わたしがころしにいくから……きょうはもうじゃましないで、わたしたちもあなたをさがしたりしない。あしたのごじまでたがいにかんしょうしない」
この程度の約束くらい守ってくれなければと瑠美奈は鬼殻に言うと「良いでしょう」と了解した後、姿を消した。
憐がもの言いたげにしていたが、聡の様子を見てすぐに病院に向かわなければいけない事を察した。トランシーバーで聞こえて来た棉葉の言葉で景光が襲撃してきたのは周知している。
だからこそ、さとるが危険な状態であることを察して鬼殻を追いたくても追わなかった。
それに此処で憐が我儘を言って鬼殻を追いかけてしまえば瑠美奈の迷惑になってしまうと分かっている。自分もやせ我慢をしている事も事実だった。
一同は急いで病院に向かった。