第100話 ESCAPE
病院にて。
儡から鬼殻と接触したことが伝えられる。
『今、憐が仕掛けに出た。あとは任せたよ』
返事を聞く前にぶつりと通信を終える。
さとるはソファを向かい合わせて人が寝られるようにする。
人数分の寝床を用意して非常食を見つけた為、トランシーバーと共に受付の上に置いた。
手当する為の包帯や消毒薬、ありとあらゆる治療道具を集める。
「文字通り毒にも薬にもなる代物ばかりだね」
棉葉がのんびりと薬瓶の一つを取り笑っているがさとるは「良いから手伝ってくださいよ」と文句を言う。
「そんな事を言っているとモテないぞ~」
「別にモテなくて良いですよ」
「……ふっ。それもそうか。君の想い人はもういないんだからね」
寝床を整えているさとるの手が止まり顔を上げる。
棉葉は意地が悪い顔をしていた。
「君、海良君が好きだったんだろ?」
棉葉の事は知っている。一目見るだけで相手の事を全て分かる。
さとるからしたら別に知られて困ることはないと気にしていなかったが、そこを突いてくるかと手を止めずに言った。
「だったらなんだって言うんですか?」
「鬼殻が憎くないわけないじゃない。出来る事なら自分が鬼殻を殴りに行きたい。だけど自分にはその力が無いから兄に任せる」
「僕を唆すつもりですか?」
「まさか! 此処では一蓮托生。その気はないさ」
さとるの好意の相手は殺された。腐った姿を見ている事しか出来ない。
あの時、硝子の向こう側で死を待つしか出来なかった女性に言葉一つかけることができなかった。死の恐怖が迫っていたのに気丈に振る舞う姿は痛ましいと同時に美しかった。
海良の全てがそこにある気がした。
「海良さんがそう望んだ事を僕がとやかく言う事は出来ないですよ」
「それはそうだ。誰にもその人の生き様を決める資格はない。けど、アドバイスは送れると思わないかい? もっと素敵な現在を送ることは出来たと思うけどね」
「そうですね。そうする事で海良さんをもう少し長生きさせることは出来たと思います。四肢を切り落として完全に誰も侵入できない部屋に閉じ込めてしまえば良い。でも、そこには自由はない。海良さんの自由をこれ以上奪いたくない。それに僕は、海良さんが最後に好きな人に触れられたってだけで満足しています」
「彼女の願いだもんね。誰かに抱きしめられて眠りたい。誰かの腕の中で息絶えたい。無理な話だよね!」
けらけらと笑う。
人を馬鹿にしないと生きられないのかとさとるは気にせずに手を動かした。
研究所で暮らして、海良の存在は誰でも知っている。のんびりと大人びた新生物。
聡が佐那の事を好きなように、さとるにだって好きな人は出来る。
「悔しいと思わないのかい? 兄は好きな子と一緒なのに自分だけどうして手に入れられないのかって、ただ身体が丈夫で身体能力に優れているだけで周囲が褒め甘やかす。それに比べて君はただ頭が冴えるだけで出来て当然を強いられる。君には何も与えられない。いつだって兄……周東聡だけが持ち上げられる。縁の下の力持ちは誰にも知られない影」
聡ばかり褒められる。お調子者だから口も上手くて誰とでも親しくなれる。
友だち思いで困った事があれば後先考えないで頷いてさとるに泣きついて来る。
いたずらをしたら同じ顔のさとるに押し付けられる。だから、さとるもやり返す。
それが日常だ。自分が優れている事は知っている。だが、自分だけが全てじゃない。聡だって優れている。自分が劣っている所は聡が優れている。その逆もしかり。
「聡が羨ましいと思います。いつも聡に揶揄われて、どうして僕はこんな頭の悪い奴と兄弟なんだろうって思ってますよ。兄弟じゃなかったら僕はきっとあんな奴と一緒にいないだろうって……。僕のお小遣いを勝手に使って自転車を買っちゃうような奴。大嫌いだ」
不憫に生きて、器用に生きる。
だけどもう吹っ切れて突き放してしまえば良い。
聡は自分が居ないと生きられないと思わせたら良い。
「でも、嫌いだから……誰よりも僕は聡を知ってる。貴方の力で聡を見たって僕以上の事を知ることは絶対に無理ですよ」
誰かが兄の事を一番知っていると豪語しても、さとるは別に痛くも痒くもない。
何なら知っているのなら、部屋は散らかったまま、勉強も出来ない、服だって着まわして、嫌いな食べ物をひとの皿に移すようなだらしのない奴とずっと一緒にいたいなんて思わないだろう。
「兄が不安定になっている事は絶対に許せない。水穏さんが好きなら最後まで好きでいて欲しい。好きならずっと一緒にいて守り通して欲しい。それで僕が犠牲になったって構わないです」
絶対にあの自信過剰な兄が地に膝をついた姿を見たくはない。
そんな姿を大衆に晒すくらいならさとるが聡を殺す。
その言葉に棉葉はやっと二人の性質を理解した。
ドッペルゲンガーの子供たちを理解した。
「情けない自分は二人もいらない。死の前兆。君たちはどちらもドッペルゲンガーになり得た存在という事か」
二人は確かに存在しているが、聡が情けなく弱音を口にしたらさとるは殺す。
そして、さとるが強気になり聡を押しのけた日には聡が殺す。一見するとさとるが不憫に思えるが、違う。聡はたとえ、佐那が死んでも泣いてはいけないのだ。
守れなかったと泣いてはいけないし、逃げ腰になることも出来ない。佐那に「逃げよう」なんて言えない。その場の空気を和ませるのは自分が死にたくないからだ。
最大級の弱音。
「くっあっははははっ!! 本当に君たちは実に興味深い。君は兄の心を殺すつもりかい?」
それが二人のあり方。そうしなければ死ぬし、それが二人の後遺症。
いつまでも一蓮托生、運命共同体。
「だってその方が面白いでしょう?」
無邪気に尋ねる。新生物の可笑しいところが垣間見える。
嫌いだが、知っている。
そして、さとるの弱音を聡は何処までが本気で嘘なのか知っている。
少しでもさとるが知識以外で意見しようものなら聡はさとるを殺す。
聡もさとるを殺す機会はある。
「双子と言う生物は何かと因果関係が繋がっていると言うけど、君たちは双子以前に怪物だったと言う訳だ」
「愛のある怪物です!」
にこりと笑い作業を再開させた。
話を終えて暫くしてから劉子が目を覚まして「来るです!」と叫んだ。
ソファにシーツを被せていたさとるの方に整え終えていたソファが飛んでくる。
「うわぁっ!!」
突然の事で逃げるのが遅れたさとるはソファが身体に直撃して挟まれてしまう。
劉子と棉葉が急いで救出に向かう。ソファの足が額に直撃したようで額が切れて血が滲み出ていた。
「一番初めの怪我人がまさか病院にいる子だとは」
けらけらと笑った後、襲ってきた方を見る。
ソファがあったであろう場所には影が蠢いていた。
「双子の一人やっちゃったぁ。やっちゃったー」
二度同じことを言うのは一人しかない。
景光が入って来たのだ。影の中に入る事が出来るのだから病院に入るのは造作もない事だ。
戸締りなんてしていないし特別な警戒もしていない。
下手な小細工は寧ろこちらの首を絞める事になりかねないからだ。
「劉子ぉ、おはよぉ。棉葉さんもいるねぇ」
「随分と過激な登場じゃないか。君よりも体格の小さい少年が吹っ飛んで行った」
「俺ってどこにでも入れるからねぇ。それにB型の反射神経なんてその程度だったんだろぉ~?」
影の中で縦横無尽に移動できる景光の事を知っている棉葉は「全く以てその通りだ」と失笑する。
そんな棉葉に景光は少しだけ視線を下に下げる。
「やっぱり景光さんは敵です?」
「そうなるのかなぁ。知らないけどぉ。知らないけどねー」
別に棉葉や劉子に恨みはない。
寧ろ同じA型の棉葉や相棒として今までずっと一緒だった劉子を攻撃したいわけではない。
(……出来る事なら敵になりたくなかったなぁ)
視線の先にいる人物を直視出来ずに少し視線を上に向かせて口を開いた。
「でもさぁ。そこにいるB型は俺たちの敵だって知らないのぉ?」
「え……」
血を流しているさとるが驚いた顔をする。
「俺、B型って嫌いなんだよなぁ。だって君らって……俺たちが不完全の不良品扱いして生み出した優等生って奴らだからぁ」
A型が失敗作として殺され続けてB型が創り出された。生み出された。
A型だって生きていたのに簡単に呆気なく殺された。
景光はその光景を見ていないが、もう何処にもA型がいないという事はそう言う事だ。
「鬼殻から訊いたんだけど、俺たちは反逆していなくても殺されたのに君らが反逆して勝ったから殺されなかったんだろぉ? それってズルじゃね?」
「で、でも貴方たちは、力を私利私欲に使って我欲に負けたって」
「どこにその証拠があんだよ!」
ドカンと近くのソファが飛んでくるのを劉子は片手で砂ぼこりを払うようにソファを退けてさとるを守る。
「八つ当たりです。さとるさんは何も知らないです」
A型は暴走個体が多かった。だから、処分された。
仕方ない事だった。誰かを守る為には仕方ない死だった。
そんな事が許されるわけがない。
「俺が鬼殻についたのは、B型が嫌いだからだよぉ。大嫌いだ」
「っ……」
旧生物にも新生物にも怨みはない。鬼殻が研究所で何かをやらかした事も別にどうだって良い。
ただ一つだけ、B型が居る事が景光は許せなかった。
A型と名乗るだけで失敗作の烙印を押されて殺されそうになる。逃げても逃げても追いかけて来る。B型は力の制御が上手くいって操りやすいとちやほや。
甘やかされたいわけじゃない。ただA型だって同じことをしたら力の制御が出来るかもしれない。A型だって機械じゃない。ちゃんと生きている。
生きているのに、使い捨ての駒にされる。
「俺、戦争に出たかったんだぁ。俺の力を活用するにはそれしかないって思ってたしさぁ」
影を操って殺すしか出来ない。親を怨んでいない。仕方ない事だ。
そもそも特異能力を持って生まれて来た事が奇跡なのだ。特異能力を持って生まれて来なかったら不要だと消されてしまう。泣きじゃくる声が頭から離れない。
あの地獄のような光景。確かにA型とB型が一緒にいた期間は合っただろう。しかしA型の訓練は凄惨なものだとB型は知らない。後遺症に触れないように限界まで追及される。
宝玉に耐える為の仕方ない事だと建前。人間なんてどうだって良い。厄災なんてどうだって良い。どう考えたって景光の力は人の為には役に立たないのだから戦争の兵器として扱われた方がまだ生きやすかった。
鬼殻の暴走でそれも意味がなかった。
寝れない身体。傍らですやすや眠る相棒を守る為に走り続けるしかなかった。
「俺、君が嫌いだから殺す」
そう言って、さとるに手を向けた。
「逃げるです!」
劉子が動き出した。さとるの手を掴んで病院の奥に駆けて行く。