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第27.5話 子どもだった

 匂い。嗅覚と記憶はどうやら密接に結びつくものらしい。


 長らく蓋をしていた、(けん)()の記憶。


「へぇー、ミオ姉とか呼んじゃってるんだー」




 ――羽衣(うい)ちゃんとか呼んじゃってるんだ?

 ――うわぁ……キモッ。

 ――こいつシスコンじゃね?




 ――それ、可愛いね。




(どうして今さら……あの匂いのせいか――)




 話を続けるふたりは(みお)の泊まる部屋へ場所を移していた。


「そうだったの。言われてみればいい匂いさせてたもんね、あの娘。甘~い感じの」

「甘い……? いや、そうだったかな……?」

「あれ? 違った? ……はぉぐ」


 澪は紙皿に載ったわらび餅を楊枝でつついては頬張りしている。


「どうだろ。俺が森で嗅いだのはラベンダーの匂いだった気がする」

「らべんだー? 献慈はそういうの詳しいの? ……もぐもぐ」

「ん……うん、まぁ……」


 口ごもる献慈の脳裏には、かつての苦い思い出がはっきりと思い起こされていた。

 中学三年の出来事だった。


「うちの姉貴がサシェ――匂い袋とか作るのにハマってた頃があって、妹とか俺にも配ってよこしてさ……いろいろと、ね」

「いろいろってなぁに? もっと詳しく聞かせてよぅ……んぁぐ」


 澪は餅に食らいつく傍ら、話のほうへも食いついてきた。

 こうなった以上澪は容易に引き下がってはくれない。献慈は洗いざらい話すことにした。


「そんな大した話じゃないよ。うっかり学校に持って行ったのをクラスの奴にからかわれてさ。それがきっかけで何となく、姉貴や妹とも距離を置くようになっちゃって……情けないよな」

「誰よ、からかった奴。私がしばき倒す」


 静かに言い切る澪の目は完全に据わっている。


「(そうきたか……)いや、もう終わったことだからさ。俺も悪いんだよ。中三にもなって姉貴とべったり仲良くなんて、そんな歳じゃないってのにさ」

「それって、悪いこと?」

「……言い方が良くなかったかな。俺、ずっと子どもだったんだよ。自分の好きなことにばっか夢中で、周りのみんながちゃんと大人になっていってるの、気づきもしなかったんだから」

「違うよぅ! 献慈のことからかった奴のほうがずっ……と子どもだよぅ!」


 純真なまでに寄り添ってくれた。それがどれだけ有難かったことか。

 同時に自分の卑屈さをも改めてくれる気がして。


「そう……だね、うん。ありがとう。俺ってホント恵まれてるなぁ。今といい、あの時といい」

「あの時……?」

「ふてくされてた俺に、(さな)()さんがそっと声をかけてくれたんだ。照れくさくて気の利いた言葉も返せなかったの、ちょっと後悔してる」

「…………」

「つまんないこと話しちゃったかな。ま、そんなわけでラベンダーの香りは俺の勘違いかも、ってことで……」


 切り上げようとした献慈の眼前に、澪は何かを差し出してきた。


「え……何……?」


 楊枝に刺さったわらび餅。


「最後の一個。あげる」

「(間接……)いや、えっと……このあと夕食が……」

「私が全部食べたら太っちゃうじゃない。ほらぁ」


 添えられた澪の手に、餅の上から黒蜜が一滴こぼれ落ちる。


「(一個ぐらい大して変わらないんじゃ……)わ、わかっ……むぐぁ」


 半ば強引に餅がねじ込まれる。ひんやり柔らかい触感。黒蜜の甘みときな粉の香ばしさが舌の上へ広がった。


「元気出すには甘いものが一番」


 優しげな微笑みを浮かべ、澪が見つめている。

 自分を気遣ってくれたのだろうか。献慈は思いを巡らせながら、じっくりと口の中のものを噛み下す。


「ん……俺は元気だよ」

「そう? ならいいけど」


 澪は手に付いたしずくを舌先で舐め取った。


「澪姉こそ……」

「私? 私は元気だから! 明日だって街を歩き回らなきゃでしょ?」


 澪は膝立ちになり胸を張って元気ぶりをアピールする。


 ナコイには数日逗留する予定でいた。次の町へ向かう準備と休息、そしてユードナシアやマレビトの調査もある。


「そうだったね。じゃあ……俺はそろそろ部屋に戻るから」

「え、あ……あの娘、まだこの町にいるのかな?」


 献慈につられるよう澪も立ち上がる。


「さあ? 仮にいたとして大きな町だし、また会えるかどうかは……」

「そっか。あれだけ可愛いと目立つかなー、って思ったんだけど」

「かもね(何でついて来るんだろう……)」


 ふたりはいつしか部屋の入り口まで来ていた。

 献慈の手がふすま戸の取っ手に掛かった、その時だ。


「お、お口に――」


 真横から差し込んできた澪の指先が、献慈の唇の辺りを拭う。


「きな粉、付いてるよ」

「(そうだったのか……)あ、ありがと。それじゃ」


 若干の照れを置き去りに、献慈は澪の部屋を後にした。


 窓の外では紫色の空が群青に染まりゆく中、港の()が水平線の向こうへと、その腕をあらん限り伸ばしていた。

 前半から後半へ、変わりゆく街の様相をぼんやりと眺めながら、献慈は慌ただしい一日の出来事を振り返る。


(結局何だったんだろうな……あのリコルヌの娘)


 もつれ合った思考を頭の端に押し込むと、献慈は夕食までのわずかな時間を過ごしに自室へ戻るのだった。

お話のつづき


【本編】第28話 夏風に踊る長い黒髪

https://ncode.syosetu.com/n0941hz/28/

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