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真珠星の乙女達より。  作者: 瀬々咲
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1.高島聖について

 


 最後の音が、天へと響いて消えていく。



 静寂が世界を包み込んだ。人は皆、息をするのも忘れてその姿に魅入る。舞台の上には1人の少女が立っていた。

 少女が構えているのは、榛摺色に輝く4本の弦楽器と弓。

 ひとつ、息を吸い込むと、緩やかにその手を下ろす。それを合図に、静寂は一転、拍手の音に溢れていた。


 ーーーああ、この瞬間のために、私は生きている。



 私を生かしてくれている世界に、尊敬の念を込めて。そう思い、カーテシーよろしく、少女は淑女の礼を取った。





 † † †



 高島聖(たかしまひじり)は送迎の車から降りて、門から校舎への道のりを歩いていた。

 木々の間から春の光が差し込む通学路には、同じ制服に身を包む少女達が歩いている。檳榔子黒色を基調としたその制服は、深紅の襟が印象的だ。


「おはよう、聖」


 鈴の音を転がしたような愛らしい声が飛び交う通学路で、決して大きくはないのによく響く、凛とした声が聖を呼び止めた。立ち止まり振り返ると、そこに立っていたのは、錫色の髪に濃色の瞳の、聖と同じ制服に身を包む少女だ。

 その姿を写した瞬間、聖は柔らかく微笑んだ。


「おはようございます、更紗」


 彼女は同じ教室で学ぶ学友であり、この学院の生徒会長であり、そして聖の親友であり、名を黒城更紗(こくじょうさらさ)という。

 習い事と勉学に明け暮れる聖にとって、数少ない友人だ。

 二人は言葉を交わさずとも、教室に向かうべく肩を並べて歩き出す。


「聞いたよ、聖。新入生が入ってきてまだ1週間も経っていないっていうのに、もう"妹"を決めたんだってね」

「あら、噂って早いのね。昨日ブローチをあげたばかりよ。誰から聞いたの?」

「家から通いのお嬢様は知らないでしょうけど、寮はその話題で持ち切りよ。次期エレオノーラ候補筆頭の高島聖(たかしまひじり)様。妹の座を狙ってた新入生達が入学早々に夢敗れて泣いていたわ」


 慰めるの大変だったのよ、と更紗が苦笑する。そんな更紗が珍しくて、聖はころころと笑った。


「あらあら、ごめんなさいね。まさかそんなに私の妹になりたい子達がいるなんて知らなかったのよ」


 まあ、でも、と言葉を続ける。


「知っていたとしても、私の妹は私に相応しくなければ意味はないわ」


 春の陽光を浴びて、微笑む横顔に悪意は感じられない。

 末恐ろしい女だな、と更紗は口から漏れ出そうになった言葉を飲み込んだ。

 こんな恐ろしく純粋で、優秀で、気位が高い彼女の"妹"になったという新入生に同情する。

 親友にそれ程までに思われるほど、高島聖は完璧すぎたのだ。



 † † † †



 お茶、お花、お琴、お習字、お裁縫、ピアノ、乗馬、バレエ、日本舞踊、語学。両親が1番熱心に教育したヴァイオリン。他にも、幼い頃から手習いは一通りさせられてきた。成績は常に優秀で、所作ひとつ取っても非の打ち所がない。彼女が優秀たる所以はその体に流れる血統であろうか。

 高島聖は、医者の父と、ヴァオリニストの母から産まれた生粋のお嬢様である。

 高島家は古くを辿れば公家の一族。大正の世では公爵位を賜り、貴族制度が廃止されてからもその栄華は廃れることなく、今でも日本有数の資産家と言える。父はその高島家の次男として生まれ、聖は傍系の子に当たる。


 そんな聖が通うのは、明治時代から続く、丘の上に建てられた女学校だ。

 ーー聖スピカ女学院。

 大正には華族の子女が通い、今は一般の女生徒にもその門が開かれている由緒正しい学院だ。

 スピカを優秀な成績で卒業することは、家の利になる。より良い嫁ぎ先を見つけるために花嫁修業に励む者、政界や大手企業で活躍する為に勉学に励む者、親の期待に答えるべく淑女の教育を受けに来た者。聖も確かな目的があって入学した。


 更紗との談笑を楽しみながら歩いていると、ふと遠くから聞き慣れた楽器の、聞き慣れない音が聞こえてきた。

 音が聞こえたきた方向を振り返り、足を止める。


「聖?どうしたの?」

「…ごめんなさい、更紗。先に行っててくださる?」

「え?」


 驚く更紗を余所に、校舎に向かう道から外れた方向に歩き出す。

 常日頃から淑女らしく振る舞う聖にしては、その足取りは少し浮き足立っていた。

 音を頼りに進む。近づくにつれて、不快なその音が聖の耳を刺激した。しかしその音ですら、聖の胸を高鳴らす。


「和樹!」


 目的の少女を見つけて、聖は声を張り上げた。自分が思っていたより大きな声が出て、思わず口元を手で覆う。

 和樹と呼ばれた少女が、手を止めてこちらを振り返った。栗色の髪がふわふわと揺れ、天色の大きな瞳が聖の姿を捉える。手にしているのはフランス製のモダン・ヴァイオリン。

 少女はふにゃりとあどけない笑顔を見せた。


「聖」


 可愛らしい声が、聖の心を溶かす。

 なんとも言い難い気持ちが溢れ出して、少女につられるように聖も口元を緩めた。


「またヴァイオリンの練習をしていたの?和樹」


 軽やかな足取りで近寄ると、少女の顔にかかった髪を優しい手つきで避けてあげる。くすぐったそうに笑う少女の名は、西園寺和樹(さいおんじかずき)



 昨日、高島聖の妹となり、学園中の話題を攫ったその人である。




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