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第4章 第21話 愛

「フィア……なんでここに……?」


 サーキュンに脳を弄られいたはずのユリー。しかしいつの間にか彼女たちの姿は消え、目の前には満面の笑みを浮かべているフィアがいた。それだけではない。ユリーを掴んでいた触手も消えているし、場所も森から××トラップダンジョンの自室へと変わっている。



「いや……これは幻覚か。脳みそ弄られたからな……」


 意識を失う寸前に伝えられたサーキュンの言葉を思い出す。


 『今からあなたの前に現れるのは、あなたの理想そのもの。あなたが最も愛した存在が、あなたの理想の姿で現れます』。サーキュンはそう言っていたはずだ。でもそれが事実とは限らない。なぜなら、



「なんでフィア?」



 ユリーが最も愛している存在。それは考えるまでもなく、ノエル・L・ヴレイバー以外にいない。


 112年前ユリーを救い、魔王と戦い亡くなるまで、ずっと育ててくれた御人。理想であり、恩人であり、ユリーにとっての全てだった存在だ。


 ならばここに現れるのはノエルのはず。それなのにいつも通りの馬鹿みたいに呑気に笑っているフィアが目の前にいる。何らかのフェイクを伝えられたのだろうか。



「ユリーさん、わたし……」

「話しかけないで。いま考えてるから」


 いずれにしても、このフィアはユリーが頭の中で創り出した幻覚であることは間違いないだろう。話しかけてくるフィアを手で払い、思考を回していく。



「フィアが現れたのは置いとくとして、ここからどうやって抜け出すか……。所詮自分の妄想なんだし、やろうと思えば……」

「ユリーさん」

「ふぇあっ!?」



 気づけばフィアはユリーへと大きく迫ってきていた。突然のことで思わず後ずさるユリーに、追い詰めるようにどんどん近づいてくるフィア。いつしかユリーは壁際に追いやられてしまっていた。



「……何のつもり? 偽物。今のでわかったよ、あんたの能力。言うなれば模倣。私の記憶からフィアの姿や性格を把握し、化ける。そうやって私の心を捉えるつもりでしょ? でも残念、フィアはそんなことしない。フィアは私の言葉には絶対に従ってくれるんだから」


 この考えが当たっているとしたら、このフィアの正体ははサーキュン。倒せば洗脳も解けるはず。



「フィアの姿に化けてたら私が攻撃できないとでも思った? 私は感情で生きてない。私の理性を舐めないでよっ! 抜刀! せ……」

「ユリーさん」


 再びフィアはユリーの名を呼ぶと、十手を抜こうとした手を左手で掴み、右膝を股の下に入れ、余った右手の指でユリーの顎に触れると、クイと押し上げた。 目と鼻の先にフィアのかわいらしい顔が来たことで思わず顔を逸らしそうになったが、顔を紅くしたまま必死に睨みつける。



「またボロが出たね。フィアは私より背が低いんだよ。こんなことできるわけがない」

「聞きましたよね? わたしはユリーさんの理想のわたし。ユリーさんの理想が具現化された存在です。あなたは自分より背が高い人がタイプで、こうやって無理矢理迫られるのが好きなんですよ。こんな風に、ね」

「っ~~~!」


 耳元に息を吹きかけられ、小さく声を漏らすユリー。その仕草を見て、本物ではありえない大人びた妖艶な笑みをフィアは見せる。



「ほら、こんなに悦んでる」

「うっさい偽物……! だいたい! 私はフィアじゃなくてノエル様を愛してるのっ!」


 フィアだってもちろん大好きだ。それでもノエル様は別。もう好き嫌いの次元ではないのだ。心の底からそう思っているのに、偽物のフィアは楽しそうに笑みを深めるばかり。全て見透かされているように感じる。



「ノエルさんを一番愛している。あくまでもユリーさんはそう言い張るんですね?」

「当たり前でしょっ!」


 ユリーが声を荒らげると、フィアは一つため息をつき、こう言った。



「じゃあユリーさん、ノエルさんとの思い出を全て克明に話せますか?」



 何を。何をくだらないことを。



「話せるに決まってるでしょ! 助けてもらった時のこと、教えてもらったこと、最期のこと。今でも全部覚えてるっ!」

「もっと具体的な話をしてくださいよ。105年前の今日、どんな会話をしましたか? その前日は? 翌日のことでもいいです」

「それは……!」



 覚えていない。覚えているわけがない。なんせ100年以上前のこと。何か特別なことが起きたとかでもない限り記憶に残っているはずがない。



「でもわたしとのお話はだいたい覚えてますよね?」

「時間の問題でしょ」

「そう。時間の問題なんですよ」



 フィアはユリーの耳元から顔を離し、正面からユリーの顔を覗き見る。記憶から再現した存在のくせに、嫌に本物そっくりだ。自分の頭の出来が嫌になる。



「ユリーさん、あなたの時間はもう進み始めている。100年前に止まってしまった時計の針は、わたしと出会ったことで再び動き出したんです。もうノエルさんの方へは向いていない」

「……そうだね。だから私は帰らなくちゃいけないの。こんな妄想から抜け出して、早く本物のあなたの元に」

「そうですよね。でもせっかくのリアリティのある夢です。少しくらいなら、本物のわたしにできないわがままをしたいと思ってるんじゃないですか?」



 そしてフィアは一度小さく笑うと、



「ユリーさん、好きですよ」



 ゆっくりと唇を近づけてきた。



「だ、だめだよ……そんなこと……してる場合じゃ……」



 今こうしている間にも、本物のフィアが危険な森に来てるかもしれない。だから助けに行かなきゃいけないんだ。



 それなのに、目が離せない。果実のような桃色の唇、雪のような白い肌、吸い込まれるような紅い瞳。



 その全てが今のユリーのノエルで。



「わ、たしも……」



 少しだけならいいやと。唇を合わせてしまった。




「ふぃあ、しゅきぃ……」

「はい、これで終わりです」


 ユリーの脳から鞭を引き抜き、サーキュンはすっかり変貌したユリーの表情を恍惚の顔で眺める。



 とろんと溶けた虚ろな瞳で、ただ想い人の名前を漏らす少女。さっきまでの異常な強情さが嘘のように消えている。



「何をしたんですか?」

 サーキュンの行動を後ろで見ていたケードがなくなった腕を押さえながら近づいてくる。



「言いましたでしょう? ただ理想を見せただけですわ」

「それだけであの人間がここまで堕ちるとは思えませんが」

「そうですかね?」


 サーキュンは触手を叩き、ユリーを解放させると立ち上がる。



「好きな人に迫られて、何もしない生物なんて存在しませんよ」



 人間はモンスターに比べ、知能が発達している生物だ。そのせいで力で勝るモンスターが支配者の立ち位置を追われている。



 それでも欲望を完全に抑えることはできない。人間は愛だなんだと理屈をこねくり回しているが、結局は性欲。だがそれも食欲や睡眠欲に並ぶ、生物として必要な本能だ。



 ユリー・セクレタリーは、生物の本能に敗北したのだ。



「さ、早くライブラを破壊して帰りましょう。この子の調教もしないといけ……」



 刹那。強烈な風の刃がサーキュンとユリーの間を通り過ぎた。地面が裂け、木々が騒ぎ、サーキュンの額に冷や汗が垂れる。



「よかったですわね。どうやらあなたのお姫様が来たようですわ」



 それを起こした人物が、武器を構えながらライブラから歩いてくる。その怒りの感情を爆発させて。



「ユリーを返してもらおう」



 それはユリーが捨てた者と同じ顔をした人物。



 勇者、ミュー・Q・ヴレイバーだった。

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