第4章 第1話 新しい日常 2
××トラップダンジョン。
若く美しい女性しか入れず、一度の生還例もないという未知のダンジョンである。
二十層からなるこのダンジョンを踏破すると魔王が如き力を手にできるという言い伝えから挑戦者は絶えず、年間数百人の女性が帰らぬ人となっている。
というのは今や昔の話。現在の××トラップダンジョンは、以前とは大きく変わっていた。
「ユリーさん、今日はあの方で最後です。気張っていきましょうっ!」
目の前に囚われている20代くらいの美しい女性。四肢と身体を触手に締め付けられ、恍惚の表情で喘いでいる剣士風の格好をした彼女を助け出さなければならない。
「どうすればいいの? あたしがやっちゃっていい?」
一口で触手と言っても、このダンジョン内には100を優に超える種類の触手が生息している。斬撃が効かないものや、魔法が効かないもの。攻撃されると体液をまき散らすものだっている。何も考えず攻撃すれば、反撃を受けて逆にこちらが捕まってしまう。
「うーん……。模様的にファイトテンタクルかな。特殊な能力はないけど、その分戦闘力が高く、どんな攻撃を受けてもすぐに回復する。まずは地面に隠れている他の触手を駆逐し、一瞬で救い出す。いくよ、フィア、スーラ」
私が指示を出すと、二人の少女が前に出てくれる。二人とも私の大切なお友だちで、今は仕事仲間でもある。
「じゃあまずはわたしがぶっ放しますっ! 暴炎っ!」
10億を超えるという値段の杖を振り回し、異常な威力の火を放った少女、フィア・ウィザー。私の命の恩人で、馬鹿で、一番のお友だちで、馬鹿な女の子。彼女は過剰なまでの火で周囲の地面を焼き尽くす。これで残っているのは女性を捕まえている触手数本だけ。
「あたしの出番ね。烈風渦旋っ!」
ここまできたら後はスピード勝負。四肢に着けた鎧から風を放出し、ツインテールの少女が飛び蹴りを放って触手から女性を解き放つ。彼女の名前はスーラ・ウィザー。フィアの妹で、ツンデレかわいい私のお友だちだ。
「二人ともありがとう。後は私が」
救出された女性を安全な場所まで運び、回復に向けた処置を行う。ここからは私、ユリー・セクレタリーの仕事だ。
「オープン!」
そう詠唱を行うと、どこからともなく分厚い本が出現する。これはダンジョンブック。××トラップダンジョンを突破したダンジョンマスターのみが扱える、魔王が如き力。
「ヒーリングテンタクル!」
私がモンスターの名前を告げると、魔法陣から一本の触手が出現する。そしてその触手は女性の口の中に一目散に入っていった。
「大丈夫なんですか?」
「うん。この触手の体液は人の体力を回復させる能力があるの。まぁ副作用で身体が敏感になっちゃうんだけど、そうさせないようにしたから問題ない」
私が手にした魔王が如き力。それは、ダンジョン内のあらゆるモンスター、トラップを召喚し、使役できるというものだ。この能力を使えば、ヒーリングテンタクルの体液はただの回復液へと変わる。
「ぇほっ……あ、あれ……私……?」
「あ、気がつきました!」
処置を行ってから一分後。彼女は口からヒーリングテンタクルの白濁とした体液を吐き出し目を覚ました。
「あなたたちは……?」
「アヤさんですね? わたしたちは勇者直轄部隊、××トラップダンジョン救出隊の者です。さぁ、帰りましょうっ」
フィアが軽く説明し、私たちはどこにでも一瞬で移動できるテレポートゲートを潜って××トラップダンジョンの最上階へと移動する。そこはモンスターが出現しない××トラップダンジョン唯一の安息の場であり、私の家がある。今は兼救出隊の事務所だけど。
「おかえりなさーい。どうでしたかー? 隊長殿―」
「うるさい、イユ。あれ? ミューは?」
「今ちょっと席を外しててー。あ、そうそう被害者と一緒に外に来い、って言ってましたよー」
事務所で出迎えてくれたのは、私の青いものとは色違いの赤い秘書官服を着た少女、イユ・シエスタ。その仕事は現勇者、ミュー・Q・ヴレイバーの秘書官だ。
「えーめんど……。まぁいいか。いきましょう」
「は、はい……」
そして私とアヤさん……だっけ? は、外の世界と直結しているテレポートゲートを潜って外へと出る。
「ユリー、来たか」
××トラップダンジョンの入口にいたのは勇者であるミューと、
「ア、アヤ……。本当に、アヤだ……!」
70代くらいの老人一人。彼は私の隣にいる女性を目にすると、瞳に涙を溜めてわなわなと震え出した。
「タンジさん……。タンジさんなの……?」
それはアヤさんも同様。二人はしばらく互いを見つめ合うと、涙で顔を汚しながら抱きついた。
「ユリー、私たちは行くぞ。二人は……」
「まぁだいたい想像はついてますよ。恋人か夫婦、ってところでしょ?」
20代くらいの女性と、70代くらいの老人。二人が付き合っているなんて本来はありえないが、××トラップダンジョンを介せば普通に起こりえる話である。
××トラップダンジョンに入った女性は、歳をとらず、死ぬこともない。だから50年前に入って囚われていた場合、片方だけが若いまま、ということになる。
「あ、あの!」
二人を置いてダンジョン内に帰ろうとしたその時、後ろから二人に呼び止められた。
「な、なんですか……?」
知らない人と話すのは苦手だ。恐る恐る振り返ると、二人は膝を地面につき、頭を深く下げていた。
「ありがとう……ありがとうございます……!」
「――――!」
それは感謝の言葉だった。フィアにごはんをあげた時にももらえるような、ただの言葉。それでも、これは――。
「もう一度アヤに会えるだなんて思ってもいませんでした。全てあなたのおかげです――」
「ずっと、ずっとあのままだと思っていました。でもあなたに助けてもらって、タンジさんと会えて……本当に、感謝しかありません――!」
「そうですか……」
別に感謝の言葉なんて必要ない。こっちは仕事だからやっているだけで、別に彼女たちをどうしても助けたかったわけではない。だが、
「よかったですね――」
そう本心から思えるくらいには、彼女たちを祝福したかった。
これが今の私の仕事。××トラップダンジョン救出隊隊長・ユリー・セクレタリーのやるべきことだ。
100年前。私は当時の勇者、ザエフ・F・ヴレイバー様この××トラップダンジョンへと追放され、そして無傷で踏破した。それを可能にしたのは圧倒的な知識量。勇者の秘書官として助けるために身に着けた知識によって、私は生き永らえることができた。
そしてこの知識とダンジョン内のあらゆるモンスター、トラップを召喚し、使役できるダンジョンブックを使い、悠々自適、自堕落に無限の命を満喫し、スローライフを送っていた。
だがフィアに救われ、スーラと出会い、イユと戦い、ミューと和解したことにより、スローライフの日常は終わった。立ち入り禁止となったこのダンジョン内に囚われている女性全てを救出するのが今の私の仕事。今は親族や知人から申請された被害者を優先的に救出するに留まっているが、いずれは範囲を拡大させることになる。
「どうだ? この仕事は」
ダンジョン内の私の家へと戻ると、ついてきたミューが声をかけてきた。
「人を救い、感謝される。実際に言われてみると感じるんじゃないか? やりがい、ってやつを」
やりがい、か。あの二人の涙を流しながら幸せそうに笑うあの姿を見た時に感じた、幸福感。私とは関係ないはずなのに、私まで嬉しくなったあの気持ちをやりがいというのなら、悪くない。
だが、それ以前の問題だ。
「うおおおおおおおおっ! 働きたくねぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
そう、結局のところ私にはこれでしかない。
「……は?」
「こっちはスローライフを送りたかったのっ! それを! あんたが変な仕事持ってきやがってっ! くそっ! くそっ! ちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
××トラップダンジョン内では死ぬことはなく、野菜やモンスターを狩ることで自給自足の生活もできていた。だから必要ないんだ。労働も、給料も。
「だがうれしかっただろう……? 人が救われて……」
「うんそうだね! 私だって人が幸せになることはうれしいよっ! でもっ! そんなことよりもずっとずっと! 働きたくないよぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
労働はクソだ。週3で5時間でも。時間に追われ、ノルマに追われることは辛く耐えがたい。なんで私がこんな目に……。
「私はっ、ただ毎日ダラダラしたいだけなのにぃ……!」
「ユ、ユリーはこんなクズだったか……?」
「はい。ユリーさんは前からクズでしたよ」
何とでも言え。私はこのスタンスを変えるつもりはない。私の願いはいつだってスローライフなのだ。
「まぁ続けていればわかるさ。労働の素晴らしさが」
「ふざけろクソ勇者……。私は、私はぁ……!」
その瞬間、視界が光に包まれる。
家の中、いや、外か。窓の外が光に包まれたんだ。でもなんで、最上階はいつだって夜空で、落雷なんかは起こりえない。まさか――
「突破者……!?」
考え得る可能性。それは誰かが××トラップダンジョンをクリアしたということ。だがありえない。××トラップダンジョンを踏破したのは、私が二回とミューが一回。それほどの難易度だ。それに加え、私がこの仕事を始めてから一ヶ月。誰もこのダンジョンに入ってこなかったはずだ。それなのに、なんで――。
「一体何が……!?」
私たち五人は外に出る。不測の事態に備え、武器を持って臨戦態勢で。
そして最上階の中央。そこにいたのは、
「……あれ? ここどこ? 学校行かなきゃなんだけど……」
「何だ、あれは……」
少女。違和感があるほど派手な金髪のサイドテールの15歳ほどの女の子だ。それはいい。このダンジョンには美しい女性しか入れないのだから、条件は整っている。
だが彼女の服装。これがありえない。純白のセーラー服。セーラという一体のモンスターしか身に着けていない、この世界には存在しない服だ。
ダンジョン突破者の証であるダンジョンマスターの権利は移譲していない。だとしたら人間ではない、モンスター? いや、でもあれは人間にしか――。
巡る思考。そんな中、彼女は呑気に笑顔で口にする。
「変な服、剣、杖っ! これってもしかして、異世界転生しちゃったっ!?」
わけのわからない、言葉を。
だが、
「っ!」
「王炎っ!」
「飛翔斬っ!」
「烈風渦旋っ!」
その言葉を聞いた瞬間、少女の眉間をイユの銃弾が撃ち抜き、全身がフィアの魔法により焼かれ、首がミューの飛ぶ斬撃によって刎ねられ、身体にスーラの飛び蹴りで穴が開いた。
「「なんでっ!?」」
私と少女の声が重なる。これだけ殺されようと、ダンジョン内では人は死なない。人間であることを証明するように、彼女の身体は回復している。
「異世界転生者……別の世界から現れた人間のことです」
突然の殺戮に戸惑っている私に、フィアが教えてくれる。だが私が知らずにフィアが知っていることなんて何もない。私がダンジョン内にいて世界から隔絶されていた、100年の間のこと以外は。
「歴史上異世界転生者はただ一人。魔王のみなんですっ!」
××トラップダンジョンに現れた、魔王と同種の人間。彼女の出現が、この世界の運命を大きく変えることとなる。