プロローグ
書くことが仕事である。
塔の上にある狭い部屋の中、天井まである本棚にギッシリと並んだ本に埋もれながら僕は未来を書き続ける。
座り心地の良い椅子と、程よい広さのデスク。テーブルスタンドは前任者の忘れ物だ。レトロなグリーンの傘が非常に気に入ってそのまま使っている。
部屋の中央にはカウチが二つとローテーブル。来客に使ったり休憩に浸かったりする。
本棚に埋もれるようにある小さなドアは寝室に繋がっている。寝室は手狭でベッドとサイドテーブルと小ぶりの衣装ダンスでいっぱいだ。大きな茶色いアーチ型のドアは一度も開けたことがない。
書斎と寝室の二部屋が僕の世界の全てであった。
デスクの向こうにある窓からは外の世界が見える。
どこまでも続く青い空。はるか下にはどこまでも続く緑の地面。ぽつりぽつりと白い動物が草を食んでいる。
平和な世界だ。
僕の容姿は変わらない。髪の毛は白くて、手や顔はしわくちゃだ。 窓の外から見える景色が変わらないのと同じように僕も何も変わらない。
何も変わることはない、
はずだった。
──ガタン
背後のドアから物音がして、ぼんやりと外を眺めていた僕は驚いて振り返った。こんなに驚いたのは何十年ぶりだろう。心臓が壊れるんじゃないかと思うくらいバクバクと騒いでいる。椅子から転げ落ちそうになるのをなんとか耐えて、息を止めてドアをじっと見つめた。
──ガチャ、ガチャ
音を立ててドアのぶが回される。
え、一体なに?怖い。
茶色いアーチ状のドアについた古ぼけた金色のドアノブは何度かガチャガチャと鳴り、しばらくするとキィっという音を立ててドアが開いた。
金色の髪の毛でくりくりしたグリーンの瞳の男の子がドアの影からひょっこりと顔を出した。少年は襟付きの白っぽいシャツにグレーの短パンのきちんとした身なりをしていた。
「……」
僕は、だれ?と声を出したつもりだったが掠れた息が漏れただけだった。誰とも話さないから声が出なくなってしまったようだ。
何度か咳払いをしてみると声が出るようになった。
「だれ?」
「わたしはアルフレッドと申します。迷い込んでしまったようです」
僕と同じ名前だ。アルフレッド少年はまだ七歳くらいに見えたが大人びた口調で答えた。
「僕もアルフレッドと言います…座って」
カウチを進めるとアルフレッド少年は「失礼」と言ってカウチへと腰を下ろした。
僕は本棚の間にある食器棚からティーセットとお湯の沸いたポットを取り出して、おいしいお茶をいれた。
「アルフレッドさん、いま、どこからお湯を出したんですか?」
アルフレッド少年はとても驚いた様子だったので僕は困ってしまった。
どこからお湯を出したかと聞かれても、戸棚から出したんだけど…
「戸棚だけど」
そういうと、アルフレッド少年は戸棚を見ても良いかと聞いてきたのでどうぞと答えた。
するとアルフレッド少年は戸棚の扉を開けたり閉めたりしながらあちこちを触って難しい顔をして唸る。
「普通の戸棚ですね。仕掛けもないし、空っぽだ」
アルフレッド少年がカウチに腰かけたので、僕は
「ビスケットも食べる?」
と焼き立てのビスケットを戸棚から取り出してローテーブルにおいた。
するとまたアルフレッド少年は跳ねるように飛び上がった。
「そのビスケットはどこから?」
「戸棚からだってば」
同じ質問にうんざりしながら同じ答えを返す。アルフレッド少年はまた戸棚を調べ始めたので、僕は先にビスケットと紅茶をいただくことにした。
アルフレッド少年はしばらく戸棚を調べて諦めたのか、首をひねりながらカウチに腰掛けた。
「いや、不思議な戸棚ですな」
大人びた口調でいうアルフレッドを不思議な思いで見ながら、覚めてしまったお茶を入れ直すことにする。ポットから湧きたてのお湯をティーポットに注ぐとアルフレッドはまた驚いた様子で奇妙な声をあげた。
「そのお湯はどこから!?」
「ああ、うるさいな」
「し、失礼」
アルフレッド少年は顔を赤くして手を揉んだり擦ったりした。
「ところで、アルフレッドはどこからきたの?」
「いつも通り家に帰る道を歩いていたら、いつの間にかここに来ていたのです」
「迷子ってこと?」
「そうなりますな」
そう言ってアルフレッド少年はキョロキョロと辺りを見回す。
「ここは書斎のようですが…ずいぶん高いところにあるようですね。わたしの住むところにはこのように高い建物はなかったと記憶しているんですが…ここはどこなのでしょうか」
「ここは僕の世界だよ」
「ふむ…貴方様の屋敷ということでしょうかな。住所や番地をお教え願えますか」
「じゅうしょ…?バンチ…?」
「ふむ…」
首を傾げていると、アルフレッド少年はまるで髭を撫でるような仕草で顎を撫でた。
「とりあえず下まで降りてみることにいたしましょう」