第105話:交渉するための体力が弱ぇー・・・
「今、世界樹の子葉を私たちに渡すことが、あなた方にとって最もメリットが大きいタイミングだと思うわ」
交渉開始の第一声はレーアの先制パンチから始まった。
交渉とはマウントの取り合いである。
どちらが有利な条件を締結できるか、相手にどこまで条件を飲ませるかが鍵となる。
であれば、回りくどい言い方よりも単刀直入に条件を提示した方が良いと考えたのだろう。
「そうは思いません。古竜を失った今、我々には世界樹こそが信仰対象です。その子葉をどこの馬の骨とも分からない、まして人族などに渡せるはずがない」
ミュレットが首を振る。
彼女の後ろに控えるエルフ族達は呆れ、中には鋭い視線を俺達へ向ける者もいる。
「子葉は二枚あってこそ効果を発揮する。私達の手にはすでにルーンア族の子葉があるわ。だから、もしあなた方が子葉を渡さず、私たちが失敗したらあなた達の子葉は無駄になるわね」
「渡したとしても、失敗したら無意味でしょう?」
「そうね。けど、どうしてルーンア族達が私達に子葉を預けたかわかる? 古竜を一撃で倒せるくらいの力が彼にあるからよ」
レーアが俺の方へ視線を向ける。
ミュレットも俺を一瞥する。
「だとしても、子葉を渡す理由にはなりません。いや、むしろ二枚が必要なのだからこそ渡すつもりはありません。渡さなければ、あなた達も無謀な賭けに出ようとは思わないのではありませか?」
ミュレットは俺達が世界樹を復活させることは無謀な賭けであると言う。
「前提が違うわね。そもそも私達の目的は世界樹の復活ではなく、世界樹の奪還なのよ」
うん? どういうことだ?
復活と奪還にどんな違いがあるのか俺には分からない。
ティファニアの様子を伺うと、彼女も怪訝な表情でレーアを見ている。
リンカについては言わずもがなである。
俺達にも意味が分からないのだから、ミュレットに分かるはずがない。
彼女は眉を潜め、レーアに続きを促す。
「ティファニア、あんたから最初に聞いたのは世界樹を取り戻して欲しいってことだったわね?」
「そうです」
「それを彼は了承したわ。その後でルーンアの族長から復活を依頼されたわけだから、言ってしまえば復活はついでよ、ついで。つまり、あなた方の子葉が無くても世界樹は奪還する。というよりも、魔王を倒すのだから当然そうなるわね」
レーアがティファニア、ミュレット、最後に俺へと視線を向ける。
レーアって魔王が怖くないのだろうか?
俺は何度も魔王と呼ばれる存在と戦った経験がある。
ティファニアやリンカには戦う力がある。
だがレーアは・・・・。
俺はレーアだけは魔王を倒すと言うことに対して懐疑的だと思っていた。
それこそ夢物語くらいに考えているだろうと。
けれど、ここで彼女は明確に魔王を倒すと言い切った。
驚きと共に、彼女の胆力の強さを垣間見た。
「本当に世界樹の奪還を、まして魔王を倒せると思っているのですか?」
「できるかできないかではないのよ。古竜を一撃で倒す。そんなことができるのはこの世界で彼だけよ。彼ができないのなら、いったい誰が魔王を倒せるのよ? って私は思うわ」
「・・・・」
ミュレットは黙り込み、俺をじっと見つめる。
いくらお年を召していると言っても、特段の美貌を持つエルフ族の族長である。
正直そんなに見つめられると、照れる。
そんな様子をお構いなしにレーアが続けた。
「あなた方が子葉を渡さず、私たちが世界樹を奪還したらどうなると思います?」
「それは・・・・」
「世界樹を復活させようと、エルフ族同士の戦いが勃発するでしょうね」
レーアがティファニアへ確認するために視線を送る。
「そうですね。おそらくそうなります」
「だそうよ。当然私たちもルーンア族へつくから、先の戦いで仲間を失い弱体化したあなた方に対抗できる力はあるのかしら?」
「・・・・私達を脅すのですか?」
「いいえ。事実を伝えているだけよ」
睨み付けるミュレットに対し、真っ向から睨み返すレーア。
本当に、レーアの胆力は人族のそれではないと驚嘆した。
「攻めてくるならばそうすればいい。その時は子葉を燃やします」
「それなら今から燃やしたらどう? だって未来は分かりきっているから。でもね、今ならその子葉を交渉のテーブルに載せてあげるわ」
「・・・・そういうことか。今が一番メリットの大きいタイミングというのは」
俺は唸るように呟き頷く。
「ええ、そうよ。私ならこのチャンスを生かす選択をするわ。あなたはどうなの?」
ミュレットへ問いかけるレーア。
逡巡していると思う。
だが、こと交渉にかけては、一筋縄ではいかない。
長寿のエルフ族で、しかもミュレットはその中でも高齢である。
百戦錬磨の経験が彼女にはあるのだろう。
表情からは何も読み取ることができない。
しばし沈黙が辺りを支配する。
先に耐えかねたのはレーアであった。
「そろそろ返事をもらいたいのだけれど?」
「わかりました。では、あなたの言う交渉というものに乗ってあげましょう。それで、条件はなんですか?」
ミュレットは先にこちらのカードを明かせと言う。
そもそも彼女達に大きなメリットが無いのであれば、子葉を渡すつもりはないのだろう。
ゆえに、まずは様子見といったところか。
「あなた方が何を求めているのか私にはわからないわ。だから、まずはそちらの条件を教えてほしいわね」
レーアも自分から子葉との交換条件を提示するつもりはないようである。
「ふむ。では、世界樹の麓を全て私達の領地とさせていただきましょうか」
ミュレットの要求は、はっきり言って無理難題を吹っかけられたに等しい。
到底飲めるものではない。
レーアの様子を伺おうと視線を向ける。
すると、レーアではなくティファニアが視界に入った。
彼女は眉間に皺を寄せ、すぐにでも抜刀しそうである。
「どうやら、ここまでのようね。セリア、ティファニア、リンカ、行きましょう」
そう言ってレーアが踵を返す。
向かうは元来た道。
呆気にとられる俺に対し、レーアは顎でしゃくり移動を促す。
どうやら交渉はここまでのようだ。
「ま、待ちなさい!」
数歩歩き出した俺達へ、ミュレットが慌てて声をかける。
振り返る瞬間、レーアの顔を垣間見ることができた。
彼女はニヤリといった表現がぴったりな表情を一瞬だけ浮かべていた。
「私達はこちらの要望を提示しました。であれば、あなた方も条件を提示するのが礼儀というものではないでしょうか?」
焦りを隠すようにミュレットがまくし立てる。
「それは構わないけど、こっちの条件とは乖離が激しくて交渉になるとは思えないけど?」
「そうだとしても、まずは聞かせていただきましょう」
相変わらずミュレットの口調はどこか上から目線のような気がする。
「分かったわ。こちらは、子葉の変わりに『通信魔法』の構成と、リーフ族の安全を保障ってことでどうかしら?」
これはさすがに微妙と言わざる負えない。
すでに『通信魔法』は人族に伝えている。
さらに安全を保障って、そんなものは口約束でしかない。
「『通信魔法』というのは魅力的ですが、さすがにそれでは子葉との交換条件には成り得ません。少なくとも、世界樹が復活した暁にはその麓への移住させていただかなければ到底承諾できません」
はぁ~、っとレーアがため息を吐く。
ほら、交渉などできないでしょ? といった具合だ。
レーアはチラッとティファニアへ視線を送る。
ティファニアが僅かに頷いたように見えた。
「世界樹を奪還し、復活させるのは私達なのに、そちらが世界樹の麓を領土とするのは強欲すぎない?」
レーアがミュレットへ問いかける。
「これが最低条件です」
ミュレットもこれだけは譲れないと、はっきりとした口調で主張する。
平行線である。
それからもレーアはいくつかの条件を提示したが、頑としてミュレットは首を縦に振らない。
ただ、彼女の言葉の端々に、他のリーフ族達を説得しなければという内容が見え隠れする。
つまり、ここでミュレットの条件を飲んだとしても、すぐに子葉が手に入るわけではないということだ。
しかも相手はエルフ族である。
彼の種族は人族の時間とは流れる感覚が違い、意見をまとめるだけでも数ヶ月、下手すれば数年単位で掛かることがある。
長寿の民の特徴と言える。
そうだとするのなら、もうミュレットの条件を飲んでさっさと説得に移らせた方が建設的である。
俺がそんなことを考えていると、レーアもこれ以上は埒があかないと思ったのだろう。
「世界樹の麓の半分を譲るってことでどうかしら? これならいいよね?」
レーアはミュレットへ条件を提示した後、ティファニアへ問いかける。
「仕方がありません」
ティファニアが頷く。
俺はティファニアの側らに忍び寄ると、小声で尋ねた。
「いいのか? そんな約束を勝手にしても?」
「ええ。レーアからそんな話があった場合は半分までなら譲歩しても良いと伝えていました。これはルーンア族の族長の決定です」
「そ、そうか」
どうやら二人の中では、ここが妥協点だと分かっていたようだ。
よく考えれば、今の人口が減少したエルフ族であれば、ルーンア族とリーフ族が共に世界樹の麓で生活するには十分である。
むしろ、巨大な世界樹の麓を管理するのにルーンア族だけでは手が足りない可能性もある。
ルーンア族が今の森やトレントの森を手放すとは考えられないからだ。
「半分・・・・ですか・・・・」
「えぇ、どうかしら? と言っても、これで飲めないようなら本当に帰らせていただくけどね」
レーアが笑いながらミュレットへ問いかける。
ただ、目は全く笑っていない。
ミュレットはしばらく黙り込んだ。
彼女の後ろに控えるエルフ達も、彼女の決定を待つ。
「分かりました。では、その条件で協議します」
やはりか。
ミュレット達はこれから話し合いを行うつもりのようだ。
「悪いけど、そんなに待てないわね」
レーアが俺達の思いを代弁する。
「貴様、我々エルフ族が考えてやると言っているのだ、無礼であろう! それに、そもそも私には貴様達が世界樹を奪還するだの、魔王を倒すだの、というのが到底信じられん」
フーリエが怒りの形相で叫ぶ。
「ではどうしろと?」
今度はティファニアが凄む。
「貴様達の力を見せろ。本当に魔王を倒せるかどうか見極めてやる」
フーリエの偉そうな物言いに、俺はあきれ果てていた。
この世界ではなんでもかんでも力を見せろと決闘を促してくる。
あれか? 魔王に攻められ過ぎて思考が前時代的にでもなったのだろうか?
力こそ全てならば、交渉も話し合いもいらんだろうに。
つか、そもそも最初に古竜を一撃で屠ったのは俺だって言ったよな?
そんな男に力を見せろとか、馬鹿じゃないのか?
ちょっと、というか大分頭にきた俺はマジックポーチから漆黒の愛剣を取り出す。
「お前ら気軽に力を見せろとか言ってるが、俺が古竜さえ屠れる力があるって分かってんだろうな?」
凄んでエルフ達を睨み付ける。
「それでも力を見せろと言うのなら見せてやる。で、誰が相手をするんだ? 言っておくが手加減なんぞできないから命賭けろよ?」
愛剣を正眼に構える。
今の俺には強化の指輪も、魔力回復の秘薬もある。
いざとなれば総動員すればいい。
俺の気迫にエルフ達が僅かに怯んだ。
それを感じ取ったのだろう。
ミュレットが慌てて口を開く。
「これは申し訳ありませんでした。何分若輩者の言葉ですので、気を悪くしないでください」
ミュレットの言葉に、俺は剣を降ろす。
「もう力を見せて欲しいなどと申しませんので、どうか皆を説得する時間をください。そんなに時間は取らせません。つきましては今夜宴を開きますのでそれに参加していただけませんか?」
意外なほどミュレットの腰が低くなる。
どうやら俺の迫力も捨てたもんじゃないようだ。
「分かったわ。でも、そんなに長くは待てない。私達は先を急いでいるのを忘れないように」
レーアの言葉で、一旦この話し合いは終了である。
正直疲れた。
だからエルフ族相手の交渉は面倒だ。
俺は伸びをして空を見上げる。
木々の隙間から見える空は既に夕焼け色を帯びていた。