第86話:竜種より弱ぇー・・・
講堂の裏にある地下への通路へと続く入り口は、魔法により完全に塞がれていた。
それが意味することは、何者かが侵入したということである。
「くそっ」
吐き捨てるように呟き、目的地を変更する。
向かう先は校舎の地下。
一昨日コンラートと共に進入した穴である。
時間が惜しい俺は、すぐさま肉体強化の魔法を発動し疾走する。
途中、目の前から俺を追いかけてきたユーヤが現われた。
「止まれ!」
ユーヤが何らかの魔法を展開しようとする。
「ユーヤ、悪いがお前の相手をしている暇はない。お前も、俺に構うくらいならこの先の講堂の裏手に行け」
ユーヤの放った風の魔法を避け、すれ違いざまに告げる。
返事を聞くことなく快足を飛ばす。
校舎へ入り、地下の保管庫へ到着する。
休むことなく『ござる』から受け取った浮遊の秘薬を飲み干すと、床に開いた穴の中へ飛び込んだ。
地下へ降りると、一昨日と何も変わらない景色に安堵した。
どうやらまだ何も起きてはいないようだ。
さて、とにかくまずはあの横穴へ行かなければならない。
そう思ったのだが、俺の足は宙に浮いたままである。
「完全に失念していた・・・・」
あの時はコンラートがいたから移動できた。
しかし今の俺では何もできそうにない。
加えて、秘薬が切れたら魔法陣の線を踏むことなく進まなければならない。
これは非常に難易度が高い。
秘薬が切れるまで幾分か時間がある。
何もできないのだから、俺は腕を組んで状況を整理することにした。
まず、ここへ向かっている影だが、間違いなく竜種である。
それも聖竜や暗黒竜といった上位種に違いない。
だとするならば、この結界魔法で防ぎきることができるかわからない。
けれど、無ければ確実に島は滅ぶだろう。
まずやるべきことは結界魔法の永続を確認しなければならない。
竜への対応はその後だ。
次に、この地下への入り口を何者かが塞いだことだ。
可能性の一つとしては、理事長だが、彼も戦地近くへ赴いているはず。
であれば、バンドーンのスパイであるコウか?
そういえば、ユーヤは俺をバンドーンのスパイとか言っていたな。
そこで俺は気づいてしまった。
なぜバンドーンがこのタイミングで総攻撃を仕掛けてきたのか。
そして、ここへの入り口を知っているのは誰か。
「いやいや、でも、まさかな」
必死にその考えを消そうとするが、一度芽生えた疑いはすぐには消えない。
頭を振り、瞬きした瞬間、足元の魔法陣が消えていた。
「ふぁ?」
俺は目玉が飛び出るくらい驚き、腕で目をこすってもう一度見てみるが、やっぱりあるはずの魔法陣は見当たらない。
どうやら見間違いではないらしい。
魔法陣が消えたということは、この島を覆う結界が消えたことに他ならない。
そこから導き出される答え。
それはこの島の滅亡である。
竜によるのか、バンドーンの傭兵達によるのかわからないが・・・・。
俺は秘薬が切れた瞬間、再度肉体強化の魔法を発動し全力で駆ける。
途中、あの仮面の少女が倒れていた。
「おい、大丈夫か?」
抱え起こし、様子を確認する。
恐らく魔法によるものだろう。
胸に一撃。
息はあるものの、放っておけば命に関わる。
俺は足を止め、回復魔法による応急処置を施した。
魔力は有限であるがゆえに、最低限の処置しかできない。
そして、時間も有限である。
どうにか少女の一命は取り留めることができた。
しかし、必要だったとはいえ、既にかなりの時間をロスしている。
俺は眉間に皺を寄せ、少女を抱えると再度全速力で走り始める。
横穴まで到達すると、その入り口に少女を横たえた。
中からは以前と変わらず、黄緑色の怪しげな光が漏れ出している。
俺はためらうことなく足を踏み入れた。
目の前には試験管が並んでいる。
その全ての下に魔法陣が描かれている。
いや、正確には描かれていたと言ったほうがいいだろう。
魔法により、魔法陣は大きく傷つけられ、既にその効力を失っている。
俺は慎重に奥へと進む。
そこには、見知った少年の後姿があった。
「コンラート」
「なーんだ。おじさん来たんだね」
振り向いたコンラートの表情は、俺の知っている彼のものではない。
いつもの人懐っこい笑顔も、真面目で困った顔とも違う。
暗い。
本当に暗い薄笑いを浮かべている。
「お前の仕業か?」
「もう分かっているのにそれでも聞くって、おじさんはやっぱり愚かだね」
愚かであることは否定できない。
俺は奥歯をかみ締めた。
「なぜだ?」
「それも分かっているよね?」
分かっている。
コンラートはバンドーンのスパイだ。
「先ほどバンドーンの方から竜がこちらへ向かってくるのが見えた。結界を壊したのだから、お前もただではすまない」
「わかってるよ。けど、これが僕の役目だから」
ダメだ。
必要の無い質問。
既に取り返しのつかない事態。
そんなことを話しても、もう意味は無い。
「おじさんさぁ、魔法陣に詳しいんだよね? だったらあの巨大な魔法陣は破壊できないって教えといてよ。魔法を放ったのに効果がなかったよ。本当に、あれは焦ったなー」
「じゃぁ、どうやって魔法陣を壊した?」
「初めは教祖様を殺せば止まるって思ったけど、そうじゃなかったみたい。ここの魔法陣すべて使えなくしたら、やっと止まったよ」
「そうか。ここの魔法陣にはあの魔法陣への認証効果もあったのか」
結界魔法を司る巨大魔法陣。
それへ魔力を供給する媒体である教祖の少女。
そして、少女を媒体と認証させる効果もの一つ一つの魔法陣にあったわけだ。
当然、認証されている媒体が無くなれば魔力の供給源がなくなり、魔法陣はその効力を失くす。
「やっぱりわかるんだね。僕は手当たり次第だったよ」
コンラートがムカつく笑い方をする。
本当に、ずっと俺は騙されていたようだ。
「おじさんはこれからどうする? 僕を捕まえる? それとも殺す?」
「とりあえず、そのムカつく笑い方をできなくしてやる」
「おじさんには無理じゃない?」
コンラートがケラケラ笑う。
「無理かどうか、試してみるか」
俺は魔法のポーチへ手を入れる。
――――その瞬間、立っていられないほど地面が揺れた。
突然の揺れに、コンラートがふらつき、片膝を着く。
当然、俺がそれを見逃すはずが無い。
俺は心の中で『英雄の心』を発動し、揺れ動く地面の中、怯むことなく足を踏み出す。
これは、間違いなく経験の差である。
どんな状況であっても冷静な俺と、動揺したコンラート。
初動の違いが勝敗を分ける。
俺はコンラートが杖を構えるよりも早く、魔法のポーチから愛剣『真なる闇』を取り出した。
そして、肉体強化の魔法を発動し、一気に最高速へ到達する。
「我が魔力を糧とし、眼前の敵を討ち滅ぼせ。シャドーグレイブ」
闇の魔法が正面から飲み込むように飛来する。
俺はそれを居合斬りの要領で両断する。
「なっ!」
驚愕するコンラート。
無理も無い。
これは完全に、魔法使いにとっての初見殺しである。
あのギルドマスターには本当に感謝だな。
そのままコンラートに接敵すると、次の魔法を唱える前に杖を叩き斬った。
これで勝負あり。
だが、俺は慎重な男である。
返す剣の柄で鳩尾を突く。
「ぐっ」
コンラートの口から悲鳴が漏れる。
体がくの字に折れ曲がったため、最も無防備になっている首筋を左手の手刀で打ち抜いた。
「がはっ」
コンラートが地面に倒れ付すのを俺は見下ろしていた。
仕方がなかったとはいえ、コンラートとの戦いはまったくの無意味である。
彼を無力化しても、この状況は何も変わらないのだ。
それでもこの償いはさせなければならない。
彼を縛れるものが無いかと周囲を見渡せば、無数のコードが目に入る。
「もう、いらんだろ」
魔法陣もダメになったのだから、コードも不要だと思い引きちぎる。
そして、意識のないコンラートの腕と足を背中の後ろで縛る。
ガキを縛るのは少し抵抗があったが、心を鬼にして遂行した。
そのまま担ぎ上げると、横穴の入り口へ向かう。
入り口には先ほどと同じ姿勢で少女が横たわっている。
どうやらまだ目が覚めていないようだ。
少女の様子を確認していると、何者かが近づいてくる気配を感じる。
視線をそちらへ向けると、ペンで描いたようなくっきりとした青筋を立てた壮年の男が俺を見下ろしていた。
「――――これは貴様の仕業か?」