第85話:睡魔に弱ぇー・・・
小鳥のさえずりと共に、朝陽は今日もゆっくりと昇る。
あらゆる動物、植物、人工物、自然物を一つ一つ丁寧に照らし出す。
そんな日の出を、俺はうつろな瞳で見つめている。
昨晩から、誰かが地下へ向かうのではないかと見張っていた。
しかしそれは、完全に無駄足である。
誰も来ない。
俺は必死に眠気と戦い、最後まで戦い抜いた。
思い返してみると、この世界に来て一睡もしなかったのは始めてのような気がする。
この体は歳であるから、睡魔に勝つのは容易ではない。
ゆえにこれまで、挑戦しようとも思わなかった。
だが、戦ってみれば案外勝てるものだ。
「やってやったぜ」
そう呟きながら、膝から崩れ落ちる。
最後に見たのは、青々と茂った名前も知らない草の姿であった。
はっ! と目を覚ますと、既に太陽は完全に姿を現している。
寝過ごしたと思ったが、この時間はそろそろ教室へ集合するくらいの時間である。
ホッと安心し、一度背伸びをする。
ぐ~っと腹がなるが、もう朝食は食べられそうにない。
凝り固まった体をほぐしつつ、北寮へ向かう。
授業の用意をしようと思ったが、すれ違う生徒の様子がどこかおかしい。
皆、校舎へ向かわず、講堂へ入っていく。
どういうことだ?
疑問に思い、俺は元来た道を引き返し講堂へ向かう。
入り口から中を覗くと、ものすごい数の生徒がそこにいる。
ほぼ全校生徒がここへ集まっているようだ。
講堂へ集まるよう指示でもあったのだろうか?
「あ! おじさん、やっと来たんだね!」
コンラートが俺の姿を見つけ、手を振ってくる。
仕方なく、手を軽く挙げて答えた。
コンラート後ろの席にはコウ達がいた。
彼らもまた、俺の方を見ている。
「おい、おっさん。昨夜はどこにいたんだ?」
コウが鋭い眼差しで俺へ問いかける。
その口調もこれまでのものとは違う。
まるで最初に会ったときのようだ。
俺はコウの横に座るユーヤをチラッと見る。
どうやら告げ口したのはこいつのようだ。
「ちょっと夜風に当たろうと思って歩いてたら、いつの間にか草の上で寝てた」
「ぶっ」
吹き出したのはコンラートである。
それ以外の者は皆、「それはないだろ?」とでも言いたそうな顔をしている。
「いや、マジだって」
「証拠は?」
証拠って・・・・そんなのない――――こともない!
「はっはっは、これを見ろ!」
俺はローブの袖を巻く利上げ、白いシャツの袖を見せる。
袖はせっかく白かったのに、今は所々緑色になっている。
つまり、押しつぶしたことにより草の色が写ったのだ。
「こんなにくっきりと草の形が残ってるだろ? これは昨夜草の上で寝てた証拠だ!」
自信満々に言う俺に対し、皆が呆れた顔をしている。
なぜだ!?
「うわっ、キモ。外で寝て、しかも汚した服を見せびらかすなんて、本当に気持ち悪い」
心の底からそう言ったのは、サキだろうか、シアだろうか。
まぁ、どちらでも変わらない。
二人とも、汚物でも見るような目で俺を見ているからだ。
「そ、それよりも、どうして皆ここに集まっているんだ?」
とにかく話題を変えようと、俺はコンラートへ尋ねる。
「おじさんは何も聞いていないの?」
俺が首を傾げると、コンラートが説明してくれた。
どうやら、最上級生と志願者、彼らと共に教師達も戦場へ向かったそうだ。
それで、学院は休校になったが、皆戦争のことが気がかりだ。
そこで『遠視』と『投影』を研究しているラボが協力し、この講堂で戦況を映し出すことにしたそうだ。
話は瞬く間に生徒の間に広がり、皆講堂へ駆けつけたとのこと。
「静粛に! これより投影を開始する」
一人の男子生徒がステージへ上がり宣言する。
それと同時に、講堂の天井に遠く離れた海面が映し出される。
「座標が違う。もう少し沖合いだろ」
「わかってるよ。遠視って難しいんだからな!」
ステージの縁で数人が魔法の調節を行っている。
どうやら彼らがそれぞれのラボメンバーのようだ。
「これでどうだ?」
天井にバンドーンの艦隊が映し出される。
どうやら調節はうまくいったようだ。
バンドーンの艦隊は噂どおり、百隻を超えている。
規則的に並ぶその姿は、量と質、両面において非凡であると伺える。
対するのは魔法使いのみが乗船している5隻の船。
今まさに、結界の外へ出ようとしている。
どうやら、間もなく戦いが始まるようだ。
先ほどまで騒がしかった講堂も、今では緊張に支配されている。
誰もが固唾を呑み、その時を待っている。
メデゥカディアの船が結界を越えた時、バンドーンから一隻の船が近づいてくる。
遠視をしている生徒がその船へ焦点を当て、拡大すると状況が分かった。
その船には魔法使いが一人乗っていた。
エルフ族ではない。
メデゥカディア島の魔法使いのようだ。
おそらく、昨日戦いに敗れて捕虜になったのだろう。
バンドーンの兵士が何かを言っている。
残念ながら投影や遠視の魔法では、声を拾うことができない。
けれど大よその予想は立つ。
おそらく、捕虜の身柄を渡す代わりに敗戦を受け入れろとか、そんなところだろう。
当然そんな条件は受け入れられない。
交渉は決裂となり、船はゆっくりとバンドーンの艦隊へ戻っていく。
船の到着を皮切りに、バンドーンの艦隊が前進を開始した。
その圧倒的な物量を前にしても、5隻の船は物怖じすることなく相対する。
魔法使いとしての自負と誇り、そして絶対の自信がそうさせているのだろう。
先制攻撃は魔法使いであった。
魔法の射程距離は、弓矢のそれを大きく凌駕している。
さらに、船の推進力を魔法で補っているため、機動力もバンドーンより上であるから、必然である。
それに対しバンドーンの船は、風と波を読み、見事な連携で対抗する。
しかし、全ての魔法を避けることなど不可能。
ゆえに、少なくない数の魔法が着弾する。
先頭を行く3隻はまもなく沈没するだろう。
とはいえ、弓矢の射程まで距離を潰すことに成功していた。
バンドーンの船は袈裟懸けのように、斜めに進み弓を放つ。
そのまま5隻を包囲しようと動くが、当然魔法使い達もそれを許すはずが無い。
逆風をものともしない推進力で距離を取る。
そこに、過信も驕りも見当たらない。
どうやら、昨日の敗戦が相当効いているようだ。
船の数を減らし、ダメージを蓄積しているのはバンドーンである。
もっとも、総数から言えば微々たるものかもしれない。
メデゥカディアの船は半包囲されつつあり、飛来する弓矢の数が次第に増している。
当然、魔法使い達は障壁を展開しているため、実被害は皆無である。
この光景を見れば、バンドーンの攻撃は矢の無駄遣いに見える。
陸地であれば後ほど矢の回収が可能である。
しかし、海では回収などできるはずが無い。
有限である武器を湯水のように使うのは愚策のように思えた。
「足が止まったな」
バンドーンの包囲がほぼ完了すると、船の推進を担当していた魔法使いは、障壁展開へ配置を換えたようだ。
それにより、船の守りが強化される。
ここからは真っ向からの打ち合いになる。
バンドーンの被害が拡大していく。
一撃一撃が致命傷となる魔法。
あらゆる物理攻撃を無効化する障壁。
勝負は初めから見えている。
誰もがそう思っていた。
突如、魔法使いの船1隻が炎上した。
攻撃を受けたようには見えなかった。
それゆえ、講堂内の誰も何が起きたのか理解できない。
唖然とする生徒達。
講堂は不気味な静寂に包まれた。
「海からだな」
「え?」
「なに?」
俺の呟きに、コンラートとコウが反応する。
こいつらも他の生徒と同様、分かっていないようだ。
「四方から弓矢が飛んでくるから、四方を障壁で囲っていたんだろう。だけど、それは海から上の部分だけだ。考えられるとすれば、海の中から接近し、船に乗り込んだということしか考えられない」
俺がそう言っている間に、またメデゥカディアの船の1隻が炎上する。
今度は見えた。
バンドーンの傭兵が海中から接近し船に取り付いていた。
講堂内では悲鳴や怒号が飛び交う。
「海の中からって、それは盲点だったぜ」
「俺がバンドーンの指揮官でも同じ方法を取るけどな。とはいえ、これは何度も使えはしない。ほら、現場の魔法使い達は船を動かし始めたぞ。これなら海の中から近づくのは不可能だ」
メデゥカディアの船は動き出し、包囲を突破しようとしている。
方向は、島へ向けてである。
一旦結界の中へ逃げ込むみ、態勢を立て直すといったところか。
良い判断である。
その後、メデゥカディアの船は帰路を確保するために魔法を多投する。
対するバンドーンの船は体当たりしてでも動きを止めようと、針路方向の戦力を厚くする。
攻防は一進一退である。
さすがの魔法使い達も魔力を使いすぎたのか、数、威力共に減少している。
魔力が完全に切れる前に結界までたどり着けるかが勝負であった。
結果、バンドーンの包囲網を破った魔法使い達が生還を果たした。
これで立て直す時間を得ることができるだろう。
総括としては、メデゥカディア島は2隻の船を失ったが、バンドーンはそれの十倍以上の船が戦闘不能へ陥っている。
ゆえに、俺としてはメデゥカディア島有利だと思っている。
「お前はどう思う? ・・・・あれ? コウは?」
後ろを振り向くが、コウの姿がない。
そういえば、隣のコンラートもいない。
あいつらどこへ行った?
「トイレじゃないか?」
そう答えたのはユーヤである。
本当だろうか?
何だか嫌な予感がする。
「それじゃぁ俺もトイレに行くか。って、おいおい何でユーヤまで立ち上がるんだ?」
「いやな、コウがお前を見張れって言うからな」
「は? 何でだよ!?」
「お前が夜な夜な部屋から抜け出してたからだろ? 昨日なんて帰っても来なかったし」
どうやら俺が彼らを疑っているように、彼らもまた俺を疑っているようだ。
「お前らの邪魔を俺がする可能性があるからか?」
「ん? お前がバンドーンのスパイじゃないかって疑ってんだよ、うちのコウは。俺は違うと思ってんだけどな」
ユーヤが小声でささやく。
「お前らがスパイじゃないのか?」
「は?」
「え?」
俺達がお互いに首をかしげたとき、講堂内に大きな声が聞こえた。
「何だあれは?」
皆が男子生徒の指差すほうを見る。
上空に黒い影が見える。
それはすさまじい速度で滑空し、メデゥカディア島へ向かっている。
次第に大きくなる影は。
目を凝らした俺は、その影の正体に気づく。
「あれはヤバイ。くっそ、どうする?」
久々に焦った俺は、ユーヤの制止を振り切って講堂から飛び出した。
向かう先は講堂の裏手。
とにかく今は、結界を維持している魔法陣へ向かわなければならない。
もし何らかの要因で結界が解除されたら、この島は終わりである。
更新ペースが落ちており、申し訳ありません。