お金が自動で殖えるお守り
これは、その日の食事にも困っていた、ある貧しい男の話。
突然の夕立に降られ、その男は古びた神社で雨宿りをしていた。
その神社の境内に人気はなく、その男以外には誰もいない。
たまたま屋根を求めて入った先は、粗末な社務所の軒先だった。
社務所には神社の神職が控えているはずだが、ここにも人の気配は感じられない。
その社務所には、お守りなどを授ける授与所もあって、
この神社のご利益である、金運のお守りが並べられていた。
その男が、くたびれた様子で口を開いた。
「金運のお守りか。
今の俺が一番欲しいものだな。
商売に失敗して、もう三日間もまともに飯を食っていないんだ。
手持ちの金は、せいぜい一食分。
食べてしまえば、無くなってしまう。
それならいっそ、お守りを授けてもらうのに使ってみようか。」
その男は、薄い財布の中身全てを授与所に置くと、
代わりに金運のお守りをひとつ、手に取った。
その金運のお守りは、見た目よりも意外に重い。
不作法を承知で中を覗くと、中には硬貨の形をした黒い石が入っていた。
「このお守りの中身は、御札とかじゃないんだな。
ちょっと重たいけど、まあいい。
商売では不運続きだから、
このお守りが金運を授けてくれることを期待しよう。」
その男は、その金運のお守りを財布に仕舞い込んだ。
いつの間にか夕立は止み、その男の行く末を表すように、
空から光が射し始めていた。
神社で金運のお守りを授けてもらってからというもの。
その男の財布は、文字通りの意味で、日に日に重くなっていった。
商売が上手くいくようになった、というのも理由だが、
それだけではなく。
あの金運のお守りを財布に入れてから、
財布の中の小銭が、勝手に殖えるようになったのだ。
決して、間違いや気のせいではなかった。
小銭がひとつもないことを確認してから財布を閉じたが、
次に開けると小銭が入っていたことがあって、それを確信していた。
財布の中の小銭が殖える頻度は、
最初は一日一回、それが次は数時間に一回というように増えていき、
殖える小銭の種類も、
最初は一円玉ばかりだったのが、
次は五円玉が多くなり、さらにその次は十円玉が多くなる、
という具合に、殖える小銭の額も大きくなっていった。
殖えるのは小銭だけだったので、ひとつひとつは少額。
しかし、少額が積もり積もれば、まとまった金額になる。
その男は、そのまとまったお金を元手に商売をして、
今度は、成功を収めることが出来たのだった。
その男が商売で成功してから。
あの神社で一度は空っぽになった財布の中身は、
今や、とても豊かになっていた。
ぎっしりと詰まった財布の中身を見て、その男は感慨深く呟いた。
「かつて俺は、商売に失敗して、
あの神社では財布の中身が空になった。
それが今や、財布の中身はいっぱいになっている。
財布の中に収まりきらなくて、他所に預けてあるくらいだ。
それもこれも、この金運のお守りが小銭を殖やしてくれたおかげだ。」
財布の中には今も、あの金運のお守りが入っていた。
その男は、財布から金運のお守りを取り出して、言葉を続ける。
「でも、もう十分にご利益にあずかることができた。
小銭が殖えるお守りに頼らなくても、
自分で金を殖やすことができるようになった。
それに、金に困らなくなって気がついたが、小銭は意外と重いからな。
重くてかさばる小銭を持ち運ぶ必要はない。
だから、このお守りには休んでいてもらおう。」
裕福になったその男には、もう小銭は不要なものになっていた。
その男は、その金運のお守りを財布から取り出すと、
家の机の上に置いて出かけていった。
それからその男は、あの金運のお守りを持ち運ばない生活に戻った。
お守り無しでも、その男の金運は衰えることがなく、
それまで通りに、商売は順調だった。
しかし、それまで通りなのは、商売だけではなかった。
確かに財布から取り出したはずの、あの金運のお守り。
それが、いつの間にか、財布の中に戻ってきていた。
それに気がついた理由は、財布の中身が重くなったから。
「・・・財布が重いな。
中身は、カードと紙幣くらいしか入っていないはずなのに。」
その男が、財布を取り出して中身を確認する。
そこには、入れたはずのない小銭が、何枚も入っていた。
それでようやく、財布の中に、
あの金運のお守りが戻っていることに、気がついたのだった。
「この金運のお守りは、確かに家に置いてきたはずだ。
それが今、こうして財布の中に入っているなんて。
これもこのお守りのご利益だろうか。
ご利益が強力なのはいいが、もう小銭は必要ないんだ。」
小銭が詰まった財布の重さが、伝わってくる。
いっそのこと、金運のお守りも小銭も処分してしまいたい。
しかし、お守りやお金を捨てるというのは、気が引ける。
「仕方がない。
今日はこの金運のお守りを持ち運ぶとして、
明日からは、もっとちゃんと仕舞っておくようにしよう。」
そうしてその男は、帰宅した後、
その金運のお守りを机の引き出しに入れて置くことにした。
その次の日。
あの金運のお守りを持たずに出かけたはずだったが、
やはり、いくらかの小銭とともに、財布の中に戻ってきてしまった。
仕舞い方が足りないのかと、机の引き出しに鍵を掛けたり、
金庫の中に仕舞ったりしたが、無駄だった。
どこに、どのように仕舞っても、
あの金運のお守りは必ず、財布の中に戻ってきた。
そして、お守りのご利益は更に強くなっていて、
財布から少し目を離しただけで、殖えた小銭でずっしりと重くなった。
その男は、お守りを取り出して祈るように言う。
「どうして、財布に戻ってきてしまうんだ。
俺にはもう、小銭はいらないんだ。
金には困ってないし、重くてかさばる小銭なんて、邪魔なだけだ。」
それからある日。
しびれを切らしたその男は、
その金運のお守りを、財布ごと家に置いてきてしまった。
財布を持ち運ぶことを止めれば、
あの金運のお守りが戻ってくることはない。
戻る先の財布が、手元にないのだから。
これでようやく、重い小銭が殖えることに悩まされずに済む。
そう、思っていた。
しかしすぐに、その男はまた小銭の重さを感じるようになった。
「・・・荷物が重たくなった気がする。
あのお守りは今、家の金庫の中だし、財布も家に置いてきたのに。」
その男は、持ち運んでいた鞄の中を覗いた。
するとそこには、あの金運のお守りが入っていた。
もちろん、その男が入れたものではない。
手を突っ込んで鞄の中を探ると、
鞄の底から、剥き出しの小銭がじゃらじゃらと出てきた。
重たくなった鞄を抱えて、その男は困り果てた。
「どうしたらいいんだ。
財布を持ち運んでいなくても、
鞄の中にあの金運のお守りが戻ってきて、小銭が殖えてしまうなんて。」
そうしている間にも、鞄の中の小銭はどんどん殖えていって、
夜になる頃には、鞄の中は小銭でいっぱいになった。
鞄いっぱいの小銭の重さは相当なもので、その男の自由は蝕まれていった。
それからその男は、あの金運のお守りと殖える小銭から逃れるために、
財布はおろか、鞄などの荷物を一切持ち運ばないようになった。
しかしそれでも、あの金運のお守りと殖える小銭からは、
逃れることができなかった。
財布や鞄を持ち運ばなくても、服を着ずに外出するわけにはいかない。
シャツやズボンに付いているポケット。
そこに、あの金運のお守りが戻ってきてしまった。
財布や鞄を持っていなくても、服にポケットがついていれば、
そこにあの金運のお守りが戻ってきて、すぐに小銭でいっぱいになってしまった。
その日、その男は、
小銭でいっぱいになったポケットの中を覗いて、悲鳴のような声を上げた。
「もう勘弁してくれ!
俺にはもう、小銭なんて不要なんだ!
こんなに小銭だらけになったら、邪魔で仕方がない。
小銭を処分するだけで、一日が終わってしまう。」
重たい小銭を抱えて、その男は日常生活さえ困難になっていった。
そうして結局。
その男は、財布や鞄などを持ち運ばず、
ポケットが一切ついていない衣服を着るようになった。
そんな生活が続いて、ある日。
その男は、日頃の苦労から逃れたくて、
小さなクルーザーで海のバカンスに来ていた。
今日も変わらずその男は、
あの金運のお守りが戻ってきて小銭が殖えないように、
財布や鞄は持たず、衣服は全てポケットがついていないものを着ている。
「それでも、ちょっとした袋とか、容器とか、
小銭が入るものをしばらく持っていると、
すぐに小銭でいっぱいになってしまうんだよな。
金運のお守りの効果がありすぎるのも、困ったものだ。」
うんざりしたようにそう言うと、その男は、
クルーザーに持ち込んだデッキチェアの上に横たわった。
周りは見渡す限りの海。
穏やかな波。
燦々と降り注ぐ陽光。
その男は、のんびりと海を満喫していた。
だが、それも長くは続かなかった。
クルーザーの上で海を満喫する、その男。
しかし、異変は静かに訪れていた。
「ちょっと飲みすぎたかな。トイレは・・っと。」
その男は、飲み物を置いて、立ち上がった。
低い入口をくぐって、船内に入る。
そして、船内の様子を見て、足が止まった。
ちょっとした部屋ほどの広さの船内。
そこに設えられた上品なテーブル。
そのテーブルの上に、あの金運のお守りが、ひっそりと置かれていた。
もちろん、その男が持ち込んだものではない。
「・・・あのお守りか?
こんな海の真ん中にまで、追いかけてきたのか。
それじゃあ、まさかこの船内のどこかに・・・」
探すまでもなかった。
船内の戸棚などの家具の中は、既に小銭でいっぱいになっていた。
支えきれなくなった戸が開いて、中身が溢れ出てくる。
それ以外にも、船のどこかから、じゃらじゃらと小銭の音が聞こえている。
「まずい。ここは船の上だ。
小銭が際限なく殖えたら、重いだけじゃ済まなくなる。」
その男の言う通り、クルーザーは徐々に傾いてきていた。
慌てて、手当たりしだいに小銭を拾っては、海に投げ捨てる。
しかしそれでも、殖える小銭には間に合わない。
クルーザーは傾きを増して、
真っすぐに立っていることも出来なくなりつつあった。
「なんてこった!
このままじゃ、小銭の重さでクルーザーが転覆してしまう!」
そうしてその男は、殖える小銭としばらく悪戦苦闘していたが、
とうとう諦めて、水着に救命胴衣だけで、海に飛び込んだ。
その男が海に飛び込んで間もなく、
クルーザーは転覆してしまった。
ひっくり返って海に浮かんだ船体の中では、
じゃらじゃらと小銭の音が鳴り止まない。
そして、転覆したクルーザーは、
ゴボゴボと泡を吐いて海の底に沈んでいった。
クルーザーは、大量の小銭の重さに耐えかねて、
あの金運のお守りとともに、海の底に沈んでしまった。
その光景を見て、その男は言葉を漏らした。
「こんな海の真ん中にまで、あの金運のお守りが追いかけてくるとは。
あやうく俺も、クルーザーの沈没に巻き込まれるところだった。
でも、これでもうあの金運のお守りは戻ってこないだろう。
財布も服も、乗り込む船さえ無くなったのだからな。」
ほっと一息ついて、その男は海の上で仰向けに浮かんだ。
あの金運のお守りが戻ってこないよう、荷物を持たない生活をしていたので、
今は携帯電話も何も手元に残っていない。
「もしも携帯電話を持っていたとしても、海の真ん中では使えないか。
陸地まで泳いでいける距離ではないな。
このまま海に浮かんで、救助を待つしかない。」
大の字になって海に浮かぶ。
しかし、その考えは甘かった。
時間が経つにつれて、あっぷあっぷと息をするのが苦しくなってきた。
そこでようやく、その男は気がついた。
「・・・沈んできている?どうして。」
慌てて自分が今着ている救命胴衣を見る。
オレンジ色の救命胴衣。
それには、ポケットがいくつも縫い付けられていた。
恐る恐る、ポケットのひとつに手を伸ばす。
その中にはやはり、あの金運のお守りがあった。
他のポケットの中は、確認するまでもない。
見る見る小銭が詰まって、ポケットが膨らんでいくのがわかった。
それどころか、水に浮くために空気を溜める気室にまで、
小銭がじゃらじゃらと湧き出ていた。
その男は、慌てて救命胴衣を外す。
脱ぎ捨てられた救命胴衣は、全く浮力を感じさせずに、
そのまま海の底に沈んでいった。
それだけでは終わらない。
今度は、今履いている水着が、ずっしりと重たくなってきたのだった。
「今度は水着か!」
その男は躊躇せずに水着を脱ぎ捨てた。
履いていた水着の中は、既に小銭でいっぱいだった。
そこにあの金運のお守りがあるのかは、もう確認する気にもならなかった。
その男はとうとう、身一つになった。
海の真ん中で身一つ。
その男は、何とか海に浮かんでいた。
周りには、クルーザーから落ちた家具などが浮かんでいる。
「クルーザーも何もかも、海に沈んでしまった。
でも今度こそ、お守りや小銭が戻ってくることはないはずだ。
ともかく、浮きになるものを探そう。」
周りで浮いていたクーラーボックスを見つけて、それにしがみつく。
すると、クーラーボックスの中でじゃらじゃらと音がして、
それもまた海の底に沈んでいった。
浮いてるものにその男が触ると、すぐに沈んでいってしまう。
それが分かって、その男は恐れおののいた。
「浮くものは全て、中に空間があるんだ。
だからそこに、あの金運のお守りと小銭が入ってきてしまう。」
その男は浮きになるものを探すのを諦めて、体だけで海に浮かんだ。
そうして呆然としていると、ふと、ある考えが頭に浮かぶ。
「・・・待てよ。
浮かぶものは全て、内部に空間があって、
そこにあの金運のお守りと小銭が戻ってくるんだよな。
今、俺がこうして海に浮かんでいられるのは・・・」
その時、何かが喉に引っかかったような気がして、ぺっと吐き出した。
手の上に吐き出されたのは、小銭だった。
クルーザーから逃れる時に、誤って飲み込んでいたのだろうか。
いや、そんなわけはない。
そう考えている間にも、体が重くなって、
水に浮かんでいるのが難しくなっていく。
何が起ころうとしているのか。
その男はそれを理解したが、もう声を上げることも出来なかった。
体が浮力を失って、海底に向かって引っ張られていく。
なんとかしてそれに抗おうと、手が海面を掴もうとする。
しかし、海面を掴むことはできず。
空を掴むように伸ばされた手先だけが、海面の上に残った。
だが、やがてそれも、海に飲み込まれていった。
それから、しばらくの時間が経って。
その男が、海で行方不明になったということで、
海難救助隊が組織されて、捜索活動が行われた。
懸命な捜索活動が行われた結果、
海の底に沈んでいた遺体が発見された。
発見された遺体は、見た目よりもずっしりと重く、
引き上げるのが大変だった。
その遺体の検死の結果。
固く食いしばったその口には、
何かのお守りが咥えられていた。
また、胃袋などの臓物の中からは、
ぎっしりと詰め込まれた小銭が、発見されたという。
終わり。
お金はたくさん欲しいし、あって困ることはないのですが、
同時にやはり、お金は恐ろしいものだと思います。
そんなお金の怖い印象から、この話を作りました。
お読み頂きありがとうございました。