ミントのタブレット
竜也が仕事に就いたばかりの頃。
なにもかもが初々しくて、はらはらする様子だった。
「就業9時からだからそれまでに来ればいい」と彼は言っていたが、彼の同僚は「少なくとも8時半には来ておかなくちゃ」と言っていた。
「8時半までに来なきゃいけないらしいよ」と私が言うと竜也は冷や汗をかきながら上司に尋ねに行った。
「9時からでいいって」
「本当?良かったね!はいこれあげる」
竜也は私からもらった飴玉を1個頬張って安心した様子だった。
私は他の人たちとちょっと違って変則的な時間に勤務していた。
竜也と1時間くらい二人っきりの時間が毎朝あって、送迎もしてもらっていた。
一度だけ、夫に内緒でお弁当を3つ作って1つ竜也に食べさせたりした。
夏に手作業している竜也の両脇をこちょこちょくすぐってけたけた笑ったことがあった。その日、作業室で竜也は長い話をして、私はお昼前で空腹だった。やっと話が終わったと思ったら、竜也が内側から鍵をかけて、こっちに迫ってきた。空腹過ぎて壁にもたれかかってる私を見て、竜也はあれ?っていう顔になった。
「お腹が空いてたの!」私の言葉に不得要領の顔だった。
その後竜也は資格を取得して、会社の中核の人物になった。
契約書に、金銭のやり取りは駄目とか性的な嫌がらせは駄目とか文章で明記されてて、節度を保つようになった。
竜也は俳優の松坂桃李似のいい男で、他の女性からもモテまくった。
上司や同僚も彼を大切にした。
陰で竜也がいるから必要ないと言われてクビを切られた人もいたが、会社は竜也中心に回っていった。
私は病気で入院して、いつもゆうがたの時報の音楽が流れると、竜也はどうしてるだろう、と涙した。
「お見舞いに来てほしい」
そう言ったあと、彼は来なかった。来ない理由は後でわかったが、結婚を控えた彼女のためだった。
竜也は、結婚してから人が変わった。
厳しい社会人になってしまった。
もう、昔のことは忘れてしまったのかな?と私は悲しかった。
以前使っていたバッグを使う機会があって、そのポケットにミントのタブレットが封を切らずに入っていた。そういえば、飴玉をあげた後ずっと竜也はこのミントのタブレットを愛用していたんだっけ……。いつか渡そうと思って持ったままだった。
竜也が昔のこと忘れても、私はずっと胸に秘めていよう。
ミントのタブレットを握りしめて、私は大きく息をついた。