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かぐわしき我がKAMI

作者: 河野 晶

 これはテストである。いったいなんのテストであるのか、ここでいま述べる必要性を、あるいは必然性を私は感じていないので、特別書き示そうとは思わない。しかしながら一応念のために言っておくと「要望があれば」説明するのもやぶさかではないとだけ伝えておこう。

 さて、ではテストを続けよう。

 

 たとえばそこに色とりどりの花があるとしよう。その花を君はいったいどう認識するだろうか。

 色とりどりの花が咲き乱れる花壇だろうか?

 それとも色とりどりの花模様の浴衣だろうか?

 いやしかし、折り紙かもしれない。ワンピースかもしれない。

 いや、それともちり紙だろうか? 最近のちり紙は種類も多く香りも様々だ。花模様のものももちろん存在していて簡単に購入できる。

 そう・・・・・・簡単に購入できるのだ。スーパー、コンビニ、ドラッグストア等々。それこそ割高であっても二十四時間購入可能なものがちり紙だ。

 ちり紙、ちり紙、ああちり紙。君は「ちりし」と読んでいるだろうか? それとも「ちりがみ」だろうか? その違いは地域性だろうか、それとも世代別だろうか。

 かく言う私は「どちらにしようかな、裏のゴンベイさんに聞いたらよくわかる。ぶんどこぶんどこぶんぶんぶん。も一つおまけにぶんどこぶんどこぶんぶんぶん」の地域であり世代だ。ちなにみ我が子は「どちらにしようかな神様の言うとおり、天の神様の言うとおり」らしい。信仰心はないがうちは仏教だ。天におわす神を頼って良いものなのだろうか。あと今までに十五回ほど引っ越しをしているが、裏の住民がゴンベイさんだったことは一度たりてない。一抜けした試しがないのはゴンベイさんがいなかったからだきっと。

 

 そんなことより、ちり紙についての考察だ。

 奴は簡単に買える生活必需品である。ないと困る。どんなにウォシュレットが高性能なウェーブ洗浄を撃ちだしてきてもふき取らずにはいられないのが日本人の性だと私は思う。ウオシュレットを過信してはならない。盲信するなどもってのほかだ。

 私は決して過信も盲信もウォシュレット信仰もしていないT○T○の工作員でもない。

 いや、しかし、あるいは、神父のようにストイックに敬虔にウォシュレットを信仰していたらトイレの神様が助けてくれたかもしれい。などと考えるのは一応仏教徒であるからして裏切り行為になるなだろうか? 以後私のことはデーヴァダッタと呼んでくれてかまわない。

 さて、デーヴァダッタであるところの私がいったいなんのテストをしているのか、お分かりいただけただろうか。

 いいわけが許されるならひとつ。わざと或いは悪意をもって私は違背したわけではない。なぜなら明確な規則があった訳ではないからだ。 

 それに、日本中のトイレすべてがウォシュレットではないからだ。

 ここは半世紀前に建てられた実家だ。修繕目的のリホームはしている。が、古い家だ。家族が集まる居間からトイレまでは案外距離がある。大声を出しても音ゲーに熱中している彼らには聞こえていないようだ。


 私は今、テストをしている。

 

 なにをどうすれば私の尻を拭う紙を持ってきてもらえるかということを。

 聞かれてもいないの答えてしまったのは、それだけ切羽詰っているということである。



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