おもいでの場所で
加筆修正を行いました(5/28)。
ロストカラーシンドロームだと言われてからはや2週間。
色が失われることはなかった。
症状が治まったのか、それとも何か起こる前触れなのか。
それでも、症状が進まないことに少し気が緩んでいたことは明白だ。
だから、神様が忘れるな。そう言ったんじゃないかって思ってしまった。
私には救いなんてないんだって。
私はお弁当片手に校内を歩いていた。
陽射しも暖かくて、中庭でお昼をとろうとしていたが、みんな考えることは一緒だったみたい。中庭のベンチは全て人がいて座れなさそうだ。だから、私は空中庭園の奥。私たちがよく集まるテーブルに向かっていた。
花を眺めながらお昼を食べるのもたまにはいいかなと少し気分が上がる。
黄色やオレンジ色が見えなくなって空中庭園から足が遠退いていたけれど、もうすぐ桜が見頃になる。
私と同じ名前の花だから、見に行こうと思えた。
空中庭園の扉を開ければ、心地好い風が吹き渡る。
やっぱり、空中庭園にしてよかった。
色とりどりの(私には色彩が少ないが)花を横目に奥に置かれたテーブルに向かう。
ワスレナグサの花壇を越せば着くというところで笑い声が響いた。誰か来ているのかと思うけれど、聞こえてきたのは女性の笑い声。聞き覚えのある声に、どくんどくんと鼓動が耳に響く。
テーブルを見たとき。全てが止まった。
当たり前のように白い椅子に座る妹の姿。そして、それを咎める様子のない彼ら。
私には見せないような…愛おしい。そう伝わってくる表情で笑うシュラ殿下。
どうして。その言葉だけがぐるぐる回る。
その席は、特別なのに。
そんな目で妹を見るの。
どうして、
――――――パチン。
――――――パチン。
どこかでスイッチの消える音がしたかと思うと、私の世界はまた色を失う。
空中庭園は色を失い、人や花だけがモノクロに浮かぶ。
驚いて後退りすれば、鉢植えに足を取られる。ガタンと音をたててしまい、妹や彼ら、シュラ殿下がこちらを見る。
「お姉様?」
「サクラ?」
シュラ殿下が席から立ち上がり、私の方へと向かってくる。その様子に無意識に後退りしてしまう。
「も、申し訳ありません。此方でお昼をとろうと思っていたのですが、皆様が先に使われていたのですね。」
「サクラも一緒にどうだ?」
グレン様が声をかけてくる。
けれど、椅子は5脚。
「いえ、私は…お邪魔してしまい申し訳ありません。失礼します。」
一息に言えば、くるっと身体の向きを変えて足早に立ち去る。
モノクロの中を歩くのは気が狂いそうだったけれど、手を握り教室に向かう。
最後に見えた白い椅子。
そこから見えるストロベリーブロンド。
特別な場所だった。でも、他の人はそうじゃなかった。私は、他の人にとっては替えがきくものなんだってそう思い知らされた。
「特別、だったのにな…。」
そう呟けば、身体から力が抜けていく。全てが反転する前、誰かが私を呼んだ気がした。
「消えてくれるなよ。サクラ…」
一人の少女が少年に手を引かれながら駆けている。その二人を見守る3人の少年たち。
「こっちだ、サクラ。」
「シュラ殿下、待ってください。」
「シュラ、そんなに急がなくてもあれは逃げないよ~」
「そうだ。それよりサクラに怪我させる方が問題だろ。」
「サクラちゃん、嫌なら嫌ならって言っていいんだよ?この馬鹿には言わないとわかんないんだからね。」
あれは、幼い頃の私たちだ。確か、あの日は初めて空中庭園に行ったんだ。見せたいものがある。そうシュラ殿下に言われて、手を引かれながら空中庭園まで駆けていった。
「ここですか?」
「そうだよ。」
「サクラ、目を瞑れ。いいって言うまで開けるなよ」
「え、あ、はい。」
シュラ殿下に言われ幼い私は目を手で隠す。
「じゃ、連れていくよ~。」
ユージン様の声とともに引かれる腕。あの時も真っ暗で怖かったけれど、先程よりもゆっくりとした歩調でシュラ殿下が腕を引いてくれたから、不思議と怖さはなかった。
少し歩けば止まる足音。ガタンゴトンと音がする。
「サクラ、目を開けろよ。」
シュラ殿下の声が聞こえ、ゆっくりと目を開く。そこには、テーブルと背凭れが紫、青、翠、黄色、白の5脚の椅子。
「これは、」
「先生に頼んで置かせてもらったんだ。」
「紫色はジェイド、翠はユージン、青はシュラ。黄色は俺の椅子。」
各々が椅子に座り、残った席はひとつ。
「白はサクラの椅子だ。」
「私の?」
「ほら、早く座って。お茶にしようよ」
いつの間にかテーブルにはお茶菓子と飲み物。椅子の背凭れに手を添える。でも、
幼い私は、座れなかった。与えられないのが当たり前だった。望まないのが当たり前だった。
だから、私は、あのときの私は座れなかった。
だけど、「なんだ。サクラはエスコートが必要だったか。」と言ってシュラ殿下は椅子を引いて手を差し伸べてくれた。
「ほら、サクラ」
「あ、ありがとうございます。」
「はい、サクラちゃん。サクラちゃんの好きなココア。」
「ちゃんとホットサンドも持ってきたよ~」
驚きと夢のような時間。
「この場所は俺たちの秘密の場所だ。」
コップを持ち上げながらグレン様が話す。
「シュラが掛け合ってくれたんだよねぇ」
「ユージン、余計なことを言うな。」
口調は荒かったけれど耳が赤くなっているシュラ殿下は照れているだけなんだってわかった。
「僕たちは貴族だからそういう振る舞いをしなくちゃいけない。特に、シュラは王様の子供だし、サクラちゃんはその婚約者。けどね、まだ僕たちは子供なんだ。子供でいれる場所も必要でしょ?」
「だから、ここでは気を張る必要はない。サクラ・サーディルではなく、ただのサクラだ。」
ジェイド様とグレン様がそう言って私を諭す。あの頃の私は、シュラ殿下の婚約者になって急いで大人になろうとしていた。シュラ殿下に相応しい女性にならなくちゃって。
「その椅子はサクラだけの椅子だ。」
シュラ殿下の一言に、雫が落ちた。
私だけの場所。
私が私を偽らないでいられる場所だった。
空中庭園の奥。
ワスレナグサの花壇を越えた一角。
テーブルと5脚の椅子。
私の特別な場所。
けれど、その場所に黒は似合わなかったのかもしれない。
「気がついたか」
青い瞳が私を覗き込んでいた。大空のような明るい青。
「シュラ殿下……あ、すみません、先生。」
「わりぃな、あの王子様じゃなくて」
シュラ殿下の瞳は海のように深い青…藍色に近い青。それなのに間違えるなんて…。そんなにシュラ殿下に会いたかったのか。
「いえ…すみません…。」
「あー…意地が悪かったな。悪い。」
がしがしと自分の髪を掻く先生。その顔は失敗した。と言わんばかりにしかめられていた。私が間違ったのが悪いのにそんな顔をさせてしまったのが申し訳ない。
「先生がいらっしゃるということは、ここは保健室ですか?」
空中庭園から出て教室に向かう途中で記憶が途切れている。無意識に保健室まで来たのかな。
「あぁ、アルシェルトが連れてきたんだ。」
「ジェイド様が?」
「傍に居たそうだったんだけどな、授業に行くように言った」
「そうでしたか…」
「そろそろ授業も終わる頃だ。それまでゆっくりしていけ。」
そう言って先生はベッドから離れて机の方へと向かって戻っていく。私はその背中に向かって小さく呟いた。
「先生。私、また色が消えちゃいました。」
「あ?最近、調子いいって…」
首をこちらに向け、戸惑いのような苛立ちのような表情を浮かべていた。
「はい、あれから2週間。色は失われなかったです。でも…緑が見えなくなってしまいました。」
何がきっかけだったのか。多分答えは出ている。けれど、それは認めたくなかった。認めてしまえば、きっと…。
「……今日はこのまま休んでいけ。」
「いえ、そうはいきません。最近、魔術が上手く発動しないんです。練習しないと…。」
色が消えたあの日から上手く魔術が発動しない。特に、土魔法は殆ど発動しない。私はこんなところで躓いてられないのに…。発動しなければしないだけ焦りが募っていく。
「無理はするな。色が消えただけでも精神的に負担がかかっているはずだ。それなのに無茶をすれば倒れるぞ。」
「でもっ…」
「でもじゃねぇよ。お前が倒れれば心配する奴らがいることを自覚しろ。」
「……」
心配する人なんて…。俯く私に呆れたような声がかかる。その声に嫌われたかと不安になる。
「少なくとも、俺はお前のことを気に入ってる。だから、お前が倒れれば心配する。」
大きな手が頭に乗る。先生は私の頭をよく撫でる。それは嫌じゃなくて…少し安心する。
「……ありがとう、ございます。」
「おう」
ぷいっとそっぽ向いた先生。赤くなった耳に、照れただけなことがわかる。
「もう少しだけ頑張ってみます。でも、辛くなったらまた来てもいいですか?」
「言ったろ?俺はお前のことを気に入ってるって。いつでもこい。」
先生の表情に嘘はなくて、私の居場所にしてもいいって言われたような気がした。