畏れていた兆し
一部加筆修正を行いました(10/11)。
「この魔術はこの理論より…」
あの誕生日パーティーから1週間。
妹は貴族の間でも噂になっている。
今まで表舞台に立たなかった深窓の令嬢であるリリー・サーディルはサーディル家の宝玉だと。
間違ってはいない。
リリーは生来病弱でお父様やお母様に大切に護られてきた。体の丈夫な私に生命力を奪われたのではないか。そんな口さもないことを言われたこともあった。
「サクラ・サーディル。この問題の答えは?」
「え、あ…」
慌ててノートを開くが、教師は眉間にシワを寄せて「授業に集中するように」と厳しく言い放ち、そのまま授業を進めた。
やってしまった。
魔術構築理論の講義中だったのに。
これで今週注意された回数は両手では足りない。
引っ掛かっているのは、シュラ殿下の姿。
どうして、彼があんなことしたのかわからない…。ただ、自分の意思で口付けをしたことだけはわかる。あんなにも熱い眼差しで妹を見ていたのだから。
シュラ・エルディス殿下。
ファルディア王国の第二王子。
勉学は勿論、魔術や剣術も優れている方で、人望も篤く王としての素質も兼ね備えておられる。ゆくゆくは臣下に降り第一王子を支えると公言されている。
本人曰く、王座には興味がないそうだ。
それから、シュラ殿下と私は婚約者でもある。
彼との出逢いは私が6歳。シュラ殿下が8歳の頃だ。
シュラ殿下の婚約者として紹介されたあの日から、私は彼に恋している。
『王子様みたい』
初めて会ったときそう呟いた私にシュラ殿下は笑った。
そして…シュラ殿下はあのときなんて返してくれたんだっけ…?
「サクラ。講義は終わったよ。サクラ」
肩を揺すられる感覚に意識を戻す。目の前にはジェイド様。
「え…あ…」
周りを見渡すと教室には人は疎らになり、黒板はすっかり消されていた。
「あ…やってしまった…」
手元のノートを見ると真っ白。貴重な講義なのに何をやっているのかと自己嫌悪に陥る。そして、クラスの方にノートを借りなければならないことも憂鬱でしかない。
「どうしたんだい?サクラ。ここのところ上の空だ。具合でも悪い?」
「いえ、そんなこと…」
ジェイド様の瞳には心配の色が見て取れる。けれど、シュラ殿下の姿が離れない、そんなこと言えるはずもなかった。
私が言葉を濁せば、「無理はしないようにね」と笑顔を見せ話題を終わらせてくれる。
一歩引いたところで見守ってくれるお兄様みたいなジェイド様にいつも甘えてしまう。
「はい…」
「さ、じゃあお昼にしようか。みんな待っているからね」
「みんな…?」
よく考えればおかしい。魔術科3年のジェイド様が1年の教室に来られるなんて。
「誕生日パーティーの時言ったでしょ?幼馴染み5人で話をしようと。パーティーのときは話せなかったから。」
「それで、今日。」
「そ、みんな待っているよ。ユージンやグレン。シュラもね」
ぱちんとウィンクを決めると、そのまま手を引かれる。
「わ、ジェイド様」
「ほら、行くよ」
その声とともに歩いて向かったのは学院内に創られた空中庭園だった。
そして空中庭園の奥には男性3人が各々過ごしていた。
「お待たせ」
「ジェイド、遅かったじゃん。」
「も、申し訳ありません。」
机にだらけていたユージン様が青をあげて不満そうに私たちを見る。慌てて頭を下げれば、頭の上に大きな手が乗る。この手はグレン様だ。
「怒ってない。心配しただけだ。」
「ユージンのことはほっておけ。ただのワガママだ。」
「ひっどー。俺だって怒ってないからね。ほら、座って座って」
とユージン様の隣の席を叩かれる。
四人の顔を見れば「座ってやれ。拗ねるぞ、こいつ」とシュラ殿下の言葉におずおずと座る。そうすれば満足そうにユージン様は笑う。
「じゃ、僕は食堂から昼食を取ってくるよ。」
「俺も行こう。」
「なら、私も…」
「サクラはそこにいて。」
「こいつの機嫌をとるのはお前が一番上手かっただろ。ここにいろ」
立ち上がろうとすれば、ジェイド様に肩を押さえられる。追い討ちをかけられるように、シュラ殿下にはここにいろと。
「わ、わかりました」
そのまま座れば、満足そうに頷き。
「じゃ、すぐに戻ってくるから。」
そう言ってジェイド様とグレン様は空中庭園から出ていった。
3人の間に流れる沈黙。
シュラ殿下は書物に目を落としているし、ジェイド様は眠そうに私を見ていた。
嫌な雰囲気ではなくどこか安心する。そんな私の居場所に肩の力が抜けていくのが分かる。
「…サクラ。俺はサクラの膝枕を所望する~。」
「え、あの…」
眠そうなまま私の方にやってくるジェイド様に戸惑う。
「…おい、ユージン。他人の婚約者に手を出すな。」
眼は書物を向いたままなのにまるでじっと見られていたかのような気分だ。
「ふふ、冗談だよ。でも、眠いのはほんとだから。シュラ、背中貸して~」
「おい、邪魔するな」
「いいじゃんいいじゃん」
そう言って本当に背中合わせになって座る二人。読みにくそうにしているシュラ殿下もそれ以上は言わない。
ユージン・シルファン。今の王の右腕と言われるシルファン卿のご子息でシュラ殿下の従兄だ。彼はシュラ殿下の右腕となるべく幼い頃からずっとそばにいて、私とシュラ殿下の婚約の儀にも立ち会ってくださった。
今みたいに年下に見える時もあるけれど、いざという時には頼りになる私にとってもお兄さんのような人。
お二人の姿を見ていると、変わらない。そう思える。
「あ、サクラ笑った。なになに?何か面白いことでもあった?」
「いえ、幸せだな、と」
「そう。俺も幸せだなぁ。サクラにシュラ、ジェイドにグレン。この5人でこんなにゆっくりと過ごせるんだから」
そう嬉しそうに目を細めるユージン様に、私も少し安心した。妹に、彼らも取られたくないと思っていたから。
「サクラ、お前は…」
「お待たせ~。お昼持ってきたよ。」
バスケットとボトルを手にジェイド様とグレン様が戻ってきた。
「ありがとうございます。ジェイド様、グレン様。」
「あぁ、サクラはホットサンドで良かったか?」
「ホットサンド!うれしいです。」
お皿に乗せられて差し出されたのは、私の大好きなホットサンド。
学園のホットサンドはふわふわのタマゴが挟まっていてお気に入り。
なんだけど…
「今日は、失敗されたのでしょうか?タマゴが焦げて…」
タマゴが炭のように黒くなっていた。
「え?美味しそうなホットサンドだけど…」
ジェイド様がそう言うと、他の3人も不思議そうな顔をしていた。
「え…あ、そ、そうですね!美味しそう
なホットサンド」
慌てて言い直す。けれど、私の目には真っ黒な塊が入っているようにしか見えなかった。
「サクラ?」
「いただきますね。ジェイド様、グレン様」
誤魔化すようにそう言ってホットサンドを口に運ぶ。その味は何時ものホットサンドだった。
「美味しい…ホットサンドだ…」
「良かった。急に焦げてるなんて言うから驚いちゃったよ。」
「すみません。私、どうかしていて…」
手にしているホットサンドを視界から逸らしつつ答える。
私の手には変わらず黒いタマゴ。
「疲れてるんじゃないか?」
心配そうにこちらを見てくるグレン様とシュラ殿下。
「そんなわけじゃ…」
体調が悪いわけでもないので戸惑ってしまう。
「誕生日パーティーからそんなに日も経ってないから、疲れが残っているんじゃないのか?」
「あ、そうそう。誕生日パーティー。サクラの妹様、リリー嬢。可愛い子だね。」
ユージン様の言葉に動きが止まる。
「リリー嬢か。社交界デビューはまだだと聞いたが?」
「は、はい。妹は身体が弱く、無理はさせられません。」
「儚いという言葉が似合う子だったね」
口々に感想を言う中、私は一抹の不安を感じる。
「しかし、来週からこの学院に転入するとサーディル卿に伺った。」
「お父様が…?」
そんなこと一言も聞いていない。しかも、わざわざシュラ殿下に言うなんて。
「リリー嬢のことをよろしく頼むと」
「サクラ、聞いていなかったのか?」
「あ、いえ…身体の調子は良くなってきたとは伺っていたので…もう転入するとは知りませんでした」
「そうなの?姉妹なのに?」
ジェイド様の言葉が胸に刺さる。姉妹なのに、私には何も知らせて貰えなかった。
「まぁ、サーディル卿にはよろしく頼むと言われたしね。あんな可愛い子なら大歓迎。」
「1度ここに連れてくればいい」
「ここに、ですか?」
空中庭園の奥のテーブル。5脚用意されている椅子。
そこにいる私たちの中に妹が入る。
それがなんだか不安になる。
「サクラ、連れてこい。」
シュラ殿下の一言に頷くしかなかった。
―――――――――パチン。
またどこかでスイッチの消える音がした。
「お父様。お話があるのですが」
「後にしろ。」
書類を捲る音が部屋の中に響く。
「リリーのことです。」
妹の名前を出せば、父の手は止まる。可愛い愛娘の事となると彼は優先順位を変えてしまえるのだろう。
ただ、それが私には 。
「……5分だけだ。」
「ありがとうございます。リリーが来週から学院に通うというのは本当でしょうか。」
「あぁ。医師からも大丈夫だと太鼓判をもらった。来週からリリーはお前と同じ学院に通わせる。それだけか」
「……はい。お時間を割いていただきありがとうございました。」
私の一言で父はまた書類に目を落とした。この人は、本当に私の事…。
「お父様…」
「……なんだ。まだ何かあるのか」
「いえ、失礼いたします」
父の書斎から出る。父の背中越しに見えた月。確か今日は満月だった。けれど、私の目には月がモノクロに見えた。
闇夜に浮かぶのは灰色の月。
「私、いったいどうしちゃったの?」
私は服をきつく握り締めるしかなかった。