3 いちにち応援団長
高専の学生時代、ブラスバンド部の副部長をやっていたときだった。毎年、ブラスバンドは野球部の地区予選の応援に行くことが決まっている。その応援の前の日、部室に見慣れないスキンヘッドの先生がやってきた。機械科の赴任1,2年目の先生だった。
先生は、「応援団を作ろうと思ってるのですが、色々なところに頼んだけど断られてしまって。吹奏楽部でなんとかできませんか」と言う。この学校の応援団は、むかしクラブとしてはあったけれど、部員が足りずに消滅していた。学校側が新しくつくろうとしているとも思えないので、つまりこの先生(たぶんおじさんで、いかにも今まで企業でエンジニアをしていましたという感じの人)がやりたいだけなのだった。試合はもう明日で、とんでもない無茶ぶりだった。
そのときの様子はほとんど覚えてないのだけど、僕は「やります」と言い、ついでに後輩のエレキベースの子を無理に誘った。野球場でエレキの演奏は無理だから、たぶん何かの楽器をする予定だったのだと思う。とにかく、あしたの試合開始まであと17時間、バスが出発するまで睡眠じかん含めて14時間くらいしかなく、それまでに応援の振り付けを覚えないといけない。アイドルのオーディションかよと思ったけど、それから2時間ほど先生とみっちり練習した。帰宅してからも鏡の前で練習した。そのときの僕はもう私服登校だったので、数年ぶりに学ランを引っぱり出してきた。
次の日、快晴のなかバスで球場に出発。相手高校は、県内でもそこそこ有名な高校で、応援に3クラス分くらいの学生を引き連れていた。対して僕らは20人弱。学生時代に野球応援に駆り出された方はご存知だと思うけど、試合の前後には相手高校とエール交換をする。僕の担当だった。
「〇〇高校の、健闘を祈ってェ――」
「フレー、フレー、〇〇ー」
どん、どん、どどどどどどん
僕のからだはものすごく小さい。振り付けがピシッと整っているわけでもない。せめて声だけは相手スタンドに届けようとがんばった。後ろでバスドラムを叩く後輩が、そのときはとても心強く思えた。最初のエールは振り付けをど忘れしてなんとかごまかし、自校へのエールはうまくできた。僕の学ランの内側は、洗濯機を回したように汗でぐちゃぐちゃになった。先生が「けっこうええ声やな」と言ってくれた。試合には負けたけど、部員のみんなの協力もあって、ここ数年のなかでいちばん燃える応援になった。
学校に戻って、楽器のあとかたづけをしていたら、先生は「おつかれさま」と言って静かに去っていった。僕はひそかにお礼を言いたい気持ちになっていたけど、同時に半分は「なんでこんなことしてるんだろ」と思って、そのときは何も言えなかった。
そのあと、僕がOBとして吹奏楽部の助っ人で野球応援にいったとき、やっぱり先生はいた。先生は楽しそうに10人くらいの応援団を指導していた。僕があのときどうして「やります」と引き受けたのか、長いあいだ疑問だったけど、そのとき合点がいった。前日になっても、無茶ぶりをしてでも応援団を作りたいという、先生の情熱に感化されたのだと思う。先生が楽しそうに応援団を指導しているのを見て、僕は少しだけ誇らしかった。
※ エール交換は、前に試合をしていた高校と、あとに試合する高校にも行うので、計6回でした。暑すぎて先生がくれたウィダーがおいしかった




