前編
とにかく、兜を取り返さねばならなかった。
栗山利章(大膳)は一人、足早にせかせかと昼下がりの道を急いでいた。
季節は、秋。
程良い日差しが土地を照らし、豊富に食べ物が出揃う時期のことである。
そのため福岡城下の通りでは、棒を肩に担いだ物売りがやたらに多く行き交いをしていた。彼らは棒の両端に桶を括りつけ、季節の魚や野菜を道行く者らに売っている。
そんな物売りの一人が急ぎ歩く利章の姿に目をつけたらしい。
男は利章の身なりからその懐が暖かいと見て、これは良い客と捉えたようだった。
「旦那、今日はカワハギなんかが良いの入ってますよ! 良かったら、お屋敷に届けましょうか!」
そう言って無遠慮に利章に近付いた物売りの男は、自分の商っている桶の中身を彼に見せようとした。
しかし――、
「うるさい! 今、私に話しかけるな!」
利章から返ってきたのは、もはや無愛想を通り越した声である。その口調には、この上ない怒りが込められていた。
そう急に怒鳴りつけられ、物売りの男はひどく驚いた顔をする。
「……いやそんな、あっしはただ魚を」
「やかましい! 魚などいらんから、余所に行け!」
これでは会話にならないと思ったのだろう。
物売りの男は『何だこのお侍は』という顔を浮かべつつ、逃げるように利章のそばから離れていく。
また周囲の人間も急に大声を上げた利章のことを不審に思ったようだ。
あらゆる方向から不躾な視線が集まってきた。
だが、利章は自分に向けられる目などまったく気にした様子もなく、変わらぬ早足で前に道を進んでいく。
(まったく、本当に! ふざけた話だ!)
利章は内心で毒づいていた。それは今の物売りに対して、ではない。
彼が今怒りを向けているのは、また別の人物に対してなのだ。実はこの時利章は、自らの家に伝わる家宝の兜を取り上げられていた。そのため、下手に周囲に気が遣えるほどには、頭が冷静でなかったのである。
しかも、利章は先ほどその兜が妙な人間の手に渡ったことを人づてに知らされていた。
今現在、その兜を所有している男。
その名前を倉八十太夫という。
彼は福岡藩二代目藩主黒田忠之が現在、最も可愛がっている側近のうちの一人であった。
事の発端は、今から一週間ほど前に遡る。
いつもの通りにその日、家臣一同の揃ってする月の評議を終えた後のこと。
利章が評議の間を出ようとすると、忠之の側近である十太夫がいそいそと近寄ってきて利章をその場で引き止めた。
「なんの用件か?」
利章が尋ねると、十太夫は「忠之様のご意向です」と答える。ただ黒田家一番家老である利章の立場に遠慮してか、十太夫はひどく下手に出た態度を示していた。
「私が案内をしますので、大膳様には後に付いてきて頂きたいと」
どうも忠之には、個人的に利章を呼び出して伝えたい用件があるらしい。
そう十太夫が話すところを聞いた時点で、利章はひどく嫌な予感を覚えていた。
なぜならここしばらくのところ、忠之と利章の関係というのは実に不味い方向に進んでいたからである。長年の互いへの不満が、ある時から一気に噴出した形になっていた。
そのため最近、忠之は利章の顔を見ると、不快そうな表情を隠そうともしないのだ。あるいはさっきの評議の場においても、ほんの一回も利章とは目を合わせようとしなかった。
(忠之様は、いったい何を申し付けるつもりなのか)
そんな状況で利章が忠之の呼び出しを不審に思ったのも無理は無い。
まさかいきなり関係の修復を図りたいという話でもないだろうし、あまり利章の気は乗らなかった。
とはいえ、藩主に召し出されたのをまさかこちらの都合で断るわけにもいかない。
利章は十太夫の言葉に頷くと、前を歩き出した十太夫の後に続いた。
十太夫の案内で部屋に入ると、すでに忠之は部屋の中で待っていたようだ。
当然のように上座に座っていた忠之は、無言で部屋に入ってきた利章の顔を一瞥する。
利章も同様に視線を返したが、忠之の顔に表情というのはほとんど浮かんでいなかった。ただ逆にそれが忠之の強い感情を表しているように思えて、利章は苦い顔を浮かべそうになるのをようやく堪えた。
利章は忠之に向かって一度頭を下げると、ちょうど彼と対面する位置に静かに座った。また十太夫は部屋の中に入ってこず、外で控えているつもりらしい。
「お召しに従い、参上致しました」
利章は抑揚ない声色でそう言うと、再び忠之に向かって頭を下げる。
それを受け、忠之もまた口を開いた。
「ご苦労である。今日は他でもないお主に頼みたいことがあったのだ。それでわざわざ、来てもらったのだが」
頼み事。
また嫌な予感を覚えながら、利章は頭を上げて尋ねる。
「どのような用件でございましょう」
すると忠之は妙な形に唇の端を曲げ、こう答えた。
「お主に預けてある合子の兜、のことなのだが」
忠之の言葉に、利章は訝しげに彼の顔を見た。合子の兜という言葉から利章が思いつくのは一つしかない。
「それは亡き如水様から父が拝領した、あの兜のことでしょうか」
「そうだ。それと一緒に唐皮威の鎧もお主の屋敷にあるだろう」
利章は頷く。
合子の兜と唐皮威の鎧。それはかつて利章の父である備後守利安が今は亡き黒田如水その人から長年の忠義の褒美として拝領した品だった。
もちろんどちらも、栗山家にとっては他の何物にも代えがたい家宝である。また同時にその二つは、黒田家に対する栗山家の忠誠を内外に示す象徴のようなものだった。
「実はな、その兜と鎧をこの福岡城の蔵に戻して欲しいのだ」
だから、その後忠之の口から続けて出た言葉に利章は信じられない思いで忠之の顔を見返した。
「……それはいったい、どのような理由のためでございますか」
利章にとってみれば当然の疑問である。一度配下に与えたものを取り返すというのは、よほどの事情がなければならない。まして、利章に落ち度という落ち度はないはずだ。
しかし、忠之は前もって用意していたように、少しの間も置かず利章の質問に答えた。
「先日、お主の父である備後守が身罷っただろう。それゆえだ。もともとあの兜と鎧は黒田の家に代々伝わるべきもの。今までは黒田家に長年仕えた備後が立場を慮ってその私蔵に目をつぶってきたが、もはやそのような時期も過ぎた。そこでお主には明日までに兜と鎧を城の蔵に戻してくれるよう頼みたい」
ほとんど命令に近い響きの口調で忠之は言った。
「……それは」
あまりに突然の話である。それゆえ利章は、咄嗟に忠之に対して言葉を返すことができなかった。いや正しくは、忠之のひどく乱暴な論理にどう返答するか迷ったと言ったほうが良かったかもしれない。
その言い分はまったく筋が通らないというほど的外れではなかったが、それでも難癖を付けているに近しいところがあった。
ただ忠之の方でも、利章の反論など受け付けるつもりはなかったようだ。
利章が何か反論を言い出す前に忠之はすくと立ち上がると、用は済んだとばかりにそのまま部屋から出て行く。
利章は目で忠之を追ったが、その後ろ姿には声をかけて寄越すなという忠之の気分がありありと表れていた。
そうして部屋に一人残された利章は、ひどく難しい思いを抱きつつ下を向いて畳の模様を見つめる。
あの様子では、忠之の意思が翻ることはあるまい。ならば、あの兜と鎧の二点については城の蔵に入れておくほかはないだろう。あれは栗山家が黒田家に対する忠誠の証であるのだから。
それに加えて利章は、忠之との間にこれ以上新たな揉め事を増やしたくはなかった。
(……)
しかし、どうして忠之と自分はこのような関係に至ってしまったのか。
ようやく立ち上がり、部屋を出た利章の頭には、そんな問いかけが何度も浮かんではぐるぐると回り続けていた。
そもそも利章と忠之の関係は、二十年ほど前に利章が忠之の守り役(教育係)に就いたところから始まる。
当時、利章は黒田家家中において、最も学問を修めた人物のうちの一人であった。特に四書五経を深く学び、儒家の思想に強く触れた彼は『徳で世を治める』など君子の行動規範に関する深い知識と教養を修めていたのである。
それゆえ、次代の黒田家当主を育てる教育係として、利章はまさにうってつけの人物と言えた。
また利章は栗山家という黒田家に長年仕えた家の出ででもあるので、家格も十分に備えている。そんな彼が忠之の守り役についたのはある意味当然の流れだっただろう。
それでも先代藩主である長政から直々にその役目を言い渡された時、利章は自らの立場が黒田家の将来を左右するのだと責任の重さに身が引き締まる思いだった。
――が、しかし。
そんな利章の意気込みとは異なり、彼は守り役として幼い忠之に満足なほど君子としての規範や在り方を教え込む事ができなかった。
というのも、この忠之という生徒は、幼い頃からひどく武張った性格をしていて、学問というものを端から頭に入れる気がなかったのだ。
それこそ忠之は刀を振るったり馬に乗ることは誰に頼まれなくともやろうとするが、逆に学問と名の付くものからは、それがどんなに易しい内容であろうと出来る限り避けて通ろうとした。
そのため、利章はせっかくの知識を十分伝えることが出来ず、せいぜい人並みに等しいほどしか満足に忠之を教育し切らなかった。それどころか、人並みまで到達させたのも、利章が苦慮に苦慮を重ねての話だった。
もちろん、このような事態に陥ってしまったことは守り役たる利章にとって言い訳できることではない。もっと他に、上手いやり方があったのかもしれない。
とはいえ教わる側にまったくやる気がなければ、いくら利章が優秀な教師役であっても自ずと限界というものがあった。
あるいはこれがまだ戦国の時代の真っ只中であれば、忠之のそうした態度も少しは周囲に認められた分もあっただろう。人が気質として持つ剛気さや短気さ、また闊達さや奔放さには得てして紙一重なところがありーー、かの時代はそうした曖昧な部分をなるべく良いように、情緒や気風という言葉で受け入れるだけの余白が存在した。
だが、今の世は徳川家が中心となってすでに天下統一がなされているのである。たとえその気風が半端に残っていたとしても、やはり武張った性格というのは時代に求められるところではなくなっていた。
いやそれどころか、世情を考えればそのような態度は時代の流れに逆らうも同然で、控えてしかるべき事柄だったのである。少なくとも、これから世に出ようとする忠之がやたらめったら表に出して良いものではない。
そのような事情もあって、先代藩主である長政は何度か、長男の忠之を廃嫡して弟の長興に福岡藩を継がせようとしたことがあった。
一番初めのそれは忠之が十五になった頃のことで、この時、利章はどうにか忠之の廃嫡を避けようと動いた。それは利章の守り役という立場からすれば当然の行動であり、また原理原則として、長子相続こそお家を保つ手段の最たるものだという頭が彼には強くあった。
ゆえに、利章は廃嫡に焦る忠之を落ち着かせると、まず彼を説得して長政に切腹願いを出させた。それと同時に利章は自分を含めて九十名もの家臣の嫡男を集めると、その全員の意思として長政に対し嘆願を申し出た。
その内容とは、『忠之の廃嫡を撤回しなければ、ここに名を挙げた九十名全員が切腹する忠之の後を追って追腹を切る』というものだった。
当然、黒田家の将来を担うこととなる九十名もの嫡子が一度にいなくなれば、途端に黒田家は混乱に陥ることになる。
その果て、そうした事実が幕府の知るところとなれば――。
そんな我が身を張った策を利章が講じた甲斐もあって、忠之の廃嫡は即刻撤回された。
実はその後も幾度か同じような事態が発生したのだが、その度に利章は奔走し、忠之はついには福岡藩の二代目藩主になることができたのだ。
ただ――。
(全ては、あの時点で間違っていたのだろうか)
十太夫の屋敷へ向かう道を急ぎ足で歩きながら利章はふと思う。
あの時にもし万が一、忠之ではなく長興が藩主を継ぐことになっていたら。あるいは、長政に忠之廃嫡の撤回を嘆願していなかったら。
少なくとも、こんな情けない状況にはなりはしなかったのではないか。
止むに止まれず浮かんだその考えを、しかし利章はすぐに否定した。
いや、あの時はあの時で正しいと信じた行動を利章は取ったはずなのだ。今でも長子相続の理というのは決して疎かにしてよい類の規範ではない。それを後悔するのはやはり間違っている。
だから利章がこの状況において受け止めるべきは、『いくら正しい筋道を通っても最後に正しい結果が付いてくるとは限らない』ということなのかもしれない。
利章がつくづくそのことを実感したのは、十年前、先代藩主の長政が身罷られた後のことである。
廃嫡騒ぎ以降、長政が存命のうちはまだ忠之もまともな態度を周囲に見せようとしていた。しかし、長政が儚くなりその跡を継いだ途端、忠之は何かのたがが外れたように精力的に動き始めた。それもどちらかと言えば悪い方向になのである。
ここ十年のうち、大きなところでは幕府が建造を禁じているはずの大船を無理やり押し切る形で建造してみたり、あるいはこれまた幕府に禁じられているはずの兵士の新規雇用をやってみたりと忠之はかなり自儘に藩主の権力を行使した。
ただそれらの行為に、忠之を満足させる以外に大きな意味があるようには思えず、黒田家に古くから仕える旧臣たちは当然この新しい藩主に対して大きな不審感を抱くことになる。
そんな時、忠之に対して最も多く諫言を繰り返したのが利章という存在であった。
どうにか忠之の態度をまともなものに戻そうと、利章は口を酸っぱくして何度も何度も同じことを言って聞かせた。すると忠之も最初の方は、利章の言葉に耳を傾けないわけでもなかった。
ただたまに利章の物言いが過剰になって、いつも姿勢よくいろだとか、朝は早く起きろだとか、果ては食事の作法にまでつい子供に言い聞かせるようなことを口に出して叱ってしまうと、さすがに忠之もいい気分はしない。
そしてついには忠之は、利章の存在を煙たがり始めた。藩主としての自負を十分以上に抱いていた忠之は、次第にうるさいばかりの利章と距離を置き始めるようになったのである。
とはいえ、ここで利章も忠之の行状について諦めるわけにはいかなかった。
先代長政が逝去する直前にも、彼は直々に忠之を頼むと強く言いつけられている。
それゆえ利章は、忠之が距離を置こうとするなら無理にでもその距離を詰めて、どうにか彼の態度を改めさせようとした。
が、やはり一度こじれた関係は、巻き返すと言うのが難しい。
お互いの主張をぶつけあった結果、十年という長い年月を経た二人の関係は、もはや後戻りが難しいところにまで悪化してしまった。
また最近、二人の関係悪化の大きな一因になっていたのが、忠之が特に可愛がっている十太夫の存在である。
十太夫は親が二百石取りの鉄砲頭の地位にあり、その身分自体はあまり高くない家の出であった。
が、幼い頃から小姓として忠之の側に付き、一度その気に入られるところになると、彼はみるみる間に昇進していき、今では九千石の大禄をもらう身にまで出世していた。
(それだけでも、過剰なほどの待遇だというのに)
近頃、忠之の十太夫への可愛がりというのは、もはや度を越したまでになっている。
それは十太夫の提案をまさしく全てと言っていいほど受け入れ、実現させようとしたところにも表れていたし、またこの度のこと、利章が返却した合子形兜を十太夫に下げ渡したことにも表れていた。