表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
射城学園の殺し屋  作者: 黒楼海璃
陸 『異常』な機械少女(ユニカル・メタニカル)
44/44

肆拾参殺

新章突入。今度は誰が出るのかもうお分かりですよね。

 彼女が立っていたのは、何処かの街だった。道は荒れ果て、家々は瓦礫と化して原形を留めているのは数える程しかない。街の至る所で煙が上がり、周囲からは肉の腐敗臭と血の臭いが漂う。あちこちで座り込む人々は痩せ細って生きる気力を感じられない。


 ここはなんだろう。自分がいた土地ではないのは確かだ。そもそも時代が自分のいた時代とは違う。中世の外国、それも戦争があった後の光景だった。


 そんな場所で、自分はデコボコに破損した道を歩いていた。否、歩かされていた。


 彼女の着ている服はボロ布を袋状に縫って頭と手を出す穴だけ空けた、所謂貫頭衣で、両手には木で出来た枷で拘束され、両足には鉄の足枷によって動きが制限されている。首には首輪が嵌められており、それと繋がる鎖は彼女の後ろを歩く痩せた鎧姿の兵士の手に握られている。逃げるのは無理のようだ。

 暫く歩いて、彼女は荒れ果てた広場に到着した。広場には沢山の兵士達がソレ・・の周りを取り囲むように並んでおり、彼女はソレ・・の傍まで歩かされた。

 後ろを歩いていた兵士が彼女に取り付けられた首輪と拘束具を取り外し、十字架に背を向ける様にして立たせる。

 続いて数人の兵士達が近寄り、手にした麻縄で彼女を十字架に磔にする。これで彼女は身動きが完全に取れなくなった。


 磔にされてから一時間は経過しただろう、彼女は何もされずそのまま放置されていたが、やがて広場が騒がしくなった。一人の兵士がやって来て、その後ろには痩せ細った老若男女が怯えきった様子で手に手にナイフを持っていた。


 先導していた兵士が片手を上げた。それを合図にして老若男女が彼女へと群がっていく。


 彼等は何だろう。


 何故自分へと近づく?


 何故そんなに怯えている? 怯えるという事は何かに恐怖を抱いている。


 何故恐怖を抱く? 何故そんなにも怖がる?


 彼女の疑問は解決しなかった。


 解決よりも前に、痛みが迫ったからだ。


「ヒッ、ヒィィ……」


 一人の老父が、彼女の脇腹にナイフを刺してた。

 肉の千切れる音が聞こえ、温かな血が流れ出る。彼女は痛みで身を捩ったが、磔にされている今は身体が動かない。

 老父は怯えた顔でナイフを抜いてガクガクと脚を震わせて後ろ向きに転ぶ。


 何故刺されたのだろう。


 何故そんなに怖がっているのだろう。


 また彼女の身体に鈍い痛みが奔った。


 今度は小さな男の子が太股にナイフを刺したのだ。


「お、お前の、せいで、お前の、せいで……」


 何故こんな幼い子供が刃物を持って自分を刺す?


 彼女が疑問に思うとまた痛みが奔った。


 また刺された。


「お前が、お前がこんな所にいたから、お前が……!」

「し、死ね! 死ね! 死んで、死んでくれ!」

「あ、あ、ああ、ぁあああああっ!」


 次から次へと彼女は刺されていく。老若男女の振り翳す刃が彼女の皮を、肉を、骨を裂いていく。

 中には刺しながら泣き叫ぶ者、刺し終えてその場に崩れ落ちて絶叫する者、何もせずただジッとして涙を流す者、一心不乱に刺し続ける者、様々な感情が広場を埋め尽くす。


 何故なんだろう。


 何故人々はこんなに怖がる? 怯える? 悲しむ? 泣く?


 何故? 何故? 何故? 何故? 何故?


 彼女は差されながらも人々に対して疑問を持つ。


 何故そんな事が出来るのか。


 何故怯える事が出来る、怖がる事が出来る、悲しむ事が出来る、泣く事ができる。


 何故、そんな感情を持てる?


「…………」


 全身メッタ刺しにされる彼女は、ポソリと何かを呟き、そのまま視界がブチッと途切れた。



「――仮想空間からの強制帰還完了。脳波及び心拍に異常無し。その他身体への異常無し。主任チーフ、実験終了です。データ収集完了まであと十分程掛かります。」

「OK。じゃあすぐにあの子を放して上げなさい。その後すぐ拘束して」

「はいっ」


 ドタドタと走る足音が聞こえる。まず聴覚が戻った。


「…………」


 次に視覚が戻る。目の前に映るのは、半透明のヘッドディスプレイ越しに見える真っ暗闇だった。それ以外は何も見えない。

 手足は動かせない。さっきと同じで自由が効かないが指先から金属の感触が伝わる。触覚も戻っている。残る嗅覚と味覚も戻っているだろう。


 帰ってきた。こっち・・・に。


 ヘッドディスプレイがゆっくりと開き、視界が広くなる。

 目に入ったのは自分を覆っている巨大なカプセル。

 一日の大半を過ごしている実験室と白衣を着た数人の研究員。毎日見る顔触れだ。

 視線を下に落とす。現在自分は椅子に座っている。但し普通の椅子では無い。両手両足を金属製の拘束具の様な装置でスッポリと覆い隠され、心拍数を測る為に胸部には測定器、身体の自由を封じる為に腰と首には金属の拘束具が装着されており、顔だけ起き上がらせるのも出来ない。

 まもなくしてカプセルが開いた。続いて手足を覆っていた装置が開き、無駄な肉の付いていない細い四肢が露になる。

 胸部、腰、首も解放され、起き上がる事が出来るようになった。だが椅子に寝そべる様に座ったこの姿勢では自力で起き上がるのは難しい。それを知っている研究員が手を出してくれたので、その手を握って引っ張ってもらい、数人掛かりでカプセルから出してもらった。

 一人の男性研究員が近づく。


「テラ様、実験お疲れ様でした。手をお出し下さい」


 研究員に手を出せと言われたので出す。研究員は持ってきた白い手枷を差し出された両腕に嵌めて拘束する。次に彼女の首に白い金属の首輪を装着する。

 この格好は、さっきまでの彼女の状態とほぼ同じ。違う所は多々あるが、所々似ている。

 服装は違う。彼女が着るのはさっきの貫頭衣ではなく、シミ一つ無い清潔な白いスクール水着の様な服。全身がピッチリと密着され、彼女の肢体の肉付き具合がよく分かる。

 拘束具も違う。木製ではなく金属製。それも特殊合金製で鋭利な刃でも傷一つ付かない。まして非力な腕では言うまでもない。

 首輪もそうだ。これも合金製でGPS搭載。スマートフォンで操作可能な上に、スタンガンと同等の電圧を首元に放出出来るようになっている。暴れて抵抗してもこの首輪一つで簡単に無力化する。自力で外す事も出来ない。


 尤も、彼女は今まで暴れる事も抵抗する事もない。

 ただ言われるがままに動くだけ。歩けと言われれば歩き、止まれと言われれば止まる。脱げと言われれば脱ぎ、死ねと言われれば死ぬ。


 拘束を終えた彼女を二人の研究員が前後で並んで連行する。

 実験室を出ると、彼女の視界に入ったのは一人の女性。白いブラウスと黒いタイトスカートを白衣で覆い、薄めの化粧をした顔は女優と間違われる整った美しさと抜群のスタイル、耳には金色のイヤリングとアクセサリーはそれだけ。外見だけなら沢山の男が興味を示すだろう。盛り上がった胸元にはネームプレートが付いており、名前の上には『主任』と書かれている。

 外見だけ取るならば、女性は人気者だろう。外見だけなら、ば。


 女性が近づいてくる。前にいた研究員が横に退いて、彼女達は向かい合わせになる。


「テラ、今日も実験ご苦労様。随分疲れたんじゃない?」

「……いえ」


 否定する。疲労は無いからだ。女性は見下ろす彼女の返答に対して冷たい目を向けたまま続ける。


「この後はじゅんの実験の方もあるからいつも通りね」

「はい」


 分かっている。毎日行われていた日程だ。頭に記憶している。

 女性は何か物足りなさそうに溜息を吐く。


「あーあ、明日で連休終わっちゃうのよねぇ。折角あなたを弄繰り回せる良い機会だったのにぃ……」


 バシッ!


 彼女の頬に衝撃が加わった。いきなりの事だったので回避も防御も出来ず受けてしまい、身体を支えきれずその場に倒れ込む。両手を拘束されている為、床に手をつく事も出来なかった。


「テ、テラ様!」


 研究員が何人か駆け寄ろうとする。


「邪魔しないでちょうだい」


 が、女性が研究員達を睨みつけて制止させる。


「し、しかし主任。テラ様にお怪我があってはこの後の実験に支障が……」

「……権藤ごんどう

「は、はいっ!」

「あなた、いつから私に意見出来る程偉くなったのかしら?」


 権藤と呼ばれた男性研究員は女性主任の鋭い目付きに威圧され、蛇に睨まれた蛙の様に動かなくなってしまう。彼だけではなく、止めに入ろうとした他の研究員達もだ。

 彼等は知っている。外面の美貌で包み込んだ女性主任の内面の恐ろしさを。逆らえば自分達の末路がどうなるのかも。だから動けない。

 女性主任は権藤を押し退け、彼女の髪の毛を乱暴に掴む。


「…………」


 彼女は引っ張られているのに、表情一つ変えず女性主任を感情の篭っていない目で見つめる。


「何なのよ、その目はっ!?」


 女性主任にはそれが気に食わない。悲しまず苦しまず痛いとも言わない、何も思っていない彼女の顔が気に入らない。


「本当にムカつくわね。あなたのその顔、その目、その態度」

「……はい」


 毎日聞かされる言葉だが、それでも彼女は素っ気無く返事をする。


「いいテラ? あなたは所詮道具なの。それ以上は無くて、それ以下は家畜かゴミ、虫けら、色々あるわ。あなたはまだ利用価値がほんのちょっと残ってるから、出来損ないの道具として扱ってあげてるのよ」

「はい」

「だから何なのよその誠意の無い返事は。少しは感謝しなさいよ。分かってるのかしらっ!?」


 女性主任が彼女を殴ろうと手を振り翳そうとして、


「主任!」


 誰かが後ろから腕を掴んで止めた。女性主任が振り返ると、自分を止めたのは顔立ちが何処と無く誰かに似た男性研究員。胸元のネームプレートには『副主任』と書かれている。


「その辺にしてくれ。テラが怪我をして、俺の実験に支障が出たらどうするつもりだよ」

「……ふん」


 副主任に睨まれた女性主任が不満げに力を弱めて彼女が崩れ落ちる。


「お前達、先に午後の実験の準備をしておけ。テラは俺が連れて行く」

「わ、分かりました、副主任サブチーフ


 研究員達は急ぎ足でその場を去って行った。

 副主任が彼女の下へと駆け寄る。


「テラ、大丈夫か? 立てるか?」

「……はい」

「よし。ゆっくりで良いから。俺に掴まれ」


 彼女は副主任の服の裾を掴んでゆっくりと立ち上がった。


「純……」

「主任、また後でな」

「……ええ」


 女性主任は何か言いかけたが、副主任――純と呼んだ彼に睨まれてしまい、ここは一旦引き下がる事にした。

 純は彼女を連れてその場から去った。二人を見る女性主任は冷徹な目を向けていた。



 主任と別れてから、彼は彼女を部屋まで送り届けていた。


「テラ、その枷、痛くないか? キツかったら外してやるぞ」

「いえ」

「そ、そうか……」


 彼女は否定する。痛くないしキツくもないからだ。

 それから暫く、二人の間に会話は無い。白を基調とした壁や床が目に入るだけでそれ以外は時たま擦れ違う研究員達だ。


「なあテラ」

「はい」

「その、学校どうだ?」

「……どう、とは?」


 質問の意味が分からず聞き返す。


「楽しいか? 学校」

「…………」


 楽しい。明るく満ち足りた気持ち。

 彼は、学校生活が明るく満ち足りているのかについて聞いている。


 明るく、とはどういう事だろう。満ち足りるとは、何が満ちて足りている事だろう。

 全く理解出来ない。楽しいとは何か分からない。結論が出た。


「分かりま……」


 と言いかけて止まった。


 何故止まった? 結論は出ている。楽しいが分からないから分からないと答える。それだけだ。

 それなのに、ふと脳内を過ぎる記憶。

 何故? 何故彼女の顔が思い浮かぶ? な……


「テラ?」

「……はい」

「え?」


 彼は耳を疑った。

 もし聞き間違えじゃなければ返事の内容は、


「はい。楽しいです」


 肯定だった。なんの感情も無い無表情だったが、確かに楽しいと答えた。


「そ、そうか……」


 彼は彼女に悟られないよう本心を隠して歩き続けた。


 歩き始めて十分。二人は目的の場所に到着した。壁と同じ塗装がされた扉の前に立った彼はポケットから自分のICカードを取り出して扉の横にある電子ロックに翳し、顔認証、虹彩認証、暗証番号を入力して三重構造になっている超硬合金製の扉を開錠する。

 次に彼は持っていた枷と首輪の鍵を取り出して彼女を拘束するそれらを外す。


「じゃあテラ、また後で迎えが来るから。それまで飯食っとけよ」

「はい」


 彼女が部屋の中に入ると扉は自動的に閉まった。見送りを終えた彼は戻る事にした。


 それからというもの。


「まったく純は。いつまであの子に構っているのかしらね」

「煩いな。俺の勝手だろうが」


 さっき睨み合っていた主任と副主任が管制室で顔を合わせていた。

 女優顔負けの容姿を持つ女性主任の名はれんざき。煉崎重工研究部門主任部長。

 先程貴代美に逆らった彼の名はれんざき純。肩書きは副主任だが、れっきとした貴代美の実の息子である。

 煉崎重工は表向きは『普通』の一般企業向けの重工業会社だが、本業は最新技術によって作られた数々の兵器を製造・販売している兵器開発会社。日本だけでなく世界中にその名を轟かせており、各国の軍隊や自兵機関、昔は犯罪組織相手に商売をしていた。今では犯罪の片棒を担ぐと面倒事が付いてくるので退いたが、誰かの知らない所で闇取引に持ち込む人間は少なくないという。


「あーあ、本当だったらあの子をどっかのオヤジに遊ばせてあげたかったのに、余計な事するんだから純は」

「どっかのオヤジとか言うなよ。仮にも先生はウチのパトロンじゃないか」

「パトロンだからこそ、使い物にならないあの子を愛玩人形にでもしてあげたら研究資金をたんまりくれるでしよ。あのオヤジは女子高生とか女子中学生とかに目が無いし」

「今更だが、先生もあんたも大概に最低だな」


 純は呆れて物も言えない。仕方なく手持ちのタブレットを弄る。


「それで純、あなたの方はどうなのかしら? あなたが担当している機怪化武装メタニカル・アーマーの具合は」

「まだ無駄な出力を放出し過ぎてる。前回の実験は良かったけどもうちょっと微調整が必要だな。搭載した武装も強化やら軽量化やらまだまだ改良する所は多いし、実用化までまだ時間は掛かるな」

「そう……」

「失礼します」


 二人の元へ、一人の研究員が来た。貴代美の部下の一人である。


「主任、先ほどの実験結果を纏めたデータをお持ちしました」

「ありがとう」


 貴代美は部下が差し出さしたUSBメモリを受け取り、タブレット端末に差し込んで結果を確認する。


「どうだったそっちは?」


 純は自分のタブレットを見たまま貴代美に訊ねる。


「こっちもまあまあって所かしら。絶命寸前で強制帰還させたからそれなりのデータは取れたわね。ただあの子はあれだから、自分が死ぬって恐怖が無いのがつまらないわぁ~」


 同じくタブレットを見たまま返答する貴代美は物足りなさそうな声だった。


「大体、今日の実験って何だったんだ。権藤達から聞いたが、理不尽な処刑って言ってたぞ」

「正確には、『中世ヨーロッパ辺りにある何処かの敗戦国で、何の理由も無く公衆の面前で怯える市民に殺戮されて処刑される少女』って設定だったんだけど」

「どんな設定だよ」


 一体いつの漫画の話だそれ、と内心でツッコむ純。貴代美の世代ではそんな漫画が流行っていたのかは不明だが理解に欠ける。


「うーん、やっぱり寸止めまでのデータ取れるのは良いんだけど、『普通』の女の子なら五、六回刺されたら痛みと恐怖で気絶しちゃうわよね」

「女の子じゃなくても気絶すると思うけど」

「そうじゃなくて、痛みを感じて恐怖を味わうってデータが取りたいのよねぇ。またあれ・・やろうかしら」


 貴代美の言葉に、純のタブレットを動かす指が止まる。


「……またやる気か? いい加減懲りろよ」

「今度は大丈夫よ。ちゃんと合法的に出来るよう動くから。いいサンプルが集まれば、あの子もオヤジに送りつけて良い具合にイッてくれるでしょ」


 何やら悪巧みを考える貴代美の笑みは周りから見れば怖いことこの上ない。

 が、純はあくまでも自然体だ。


「純もいい加減あの子に固執するの止めたらどうかしら? ここでの実験が必要なくなったらどの道そうするつもりだし、オヤジが飽きたらどっかの男にでも安く売りつけるわ。中古なのが惜しいけど」

「テラにそんな事はさせない」


 ――スッ


 貴代美の首元に、ボールペンの芯が当てられる。

 貴代美は目だけ動かして純を見る。彼は憎たらしげな目で彼女を睨み、ボールペンを首元に突きつけていた。


「テラにも、無関係な人達にも、もう二度とそんな事させない。いざとなったら、全部放り捨てて、テラを連れ出して片田舎で静かに暮らしてやるさ」

「……純、私は私なりに、あの子の将来を心配して上げてるのよ? あんなゴミクズい相応しい親孝行じゃない」

「何が親孝行だよ」


 純の声は殺気が篭っており、


「今まで親らしい事、何一つしてやらなかった癖に。俺にも、テラにも」

「……」


 貴代美は動じた様子を見せず、無言で見つめる。これ以上何を言っても無駄だと分かった純は突きつけたボールペンを引っ込めて管制室を出ようと身を翻す。


「ねえ純」


 貴代美が純を呼び止める。


「……何だよ」

「……いいえ。やっぱり何でもないわ」

「あっそ」


 純は管制室を後にした。部屋の中には貴代美と、二人の会話を聞かないフリをしていた数人の研究員達だけが残った。


「……あーあ、やっぱりあの子、産まなきゃ良かったわね」


 貴代美の吐いた台詞は、何処までも、何処までも濁りきっていた。



 彼女はシャワーの蛇口を捻ってお湯を出した。シャワー室で着ていた実験服を脱いで裸になり、少しだけ掻いた汗を洗い流す。


 今日の午前の実験、あれは一体何の意図があったのか不明だ。何故自分が刺され、罵倒され、痛みを感じた。

 しかし、知る事は仕事ではない。自分はただ、言われた通りにあの実験装置に座り、言われた通りにあの世界に入り、一定時間が経てば戻る。それが午前中自分が行う仕事だ。


 シャワーで身体を綺麗にした彼女は用意された清潔な白いタオルで濡れた肌を拭いていく。


 目の前の全身鏡に自分の姿が映る。


 筋肉の付いていないすらりとした細い四肢、僅かに成長している胸部や臀部、形は整っているのに何の感情も欠片もない空っぽな顔。短く切り揃えられた赤い髪と日本人には一般的な黒い目。傍から見れば人形の様に美しい身体、悪く言えば成長を制限された不健康な肉体。


 彼女にとってはどうでも良い事だった。そもそも気にする理由が無いというか、何に対して気にすれば良いのかが分からないから。


 髪の毛を乾かすのは服を着てからだ。乾かしている間に体温が低下して風邪を引いてしまう、と以前純に言われた。


 タオルと一緒に用意された真新しい実験服を手に取る。先程彼女が着ていたのと同じスクール水着によく似た作りだ。ここにいる間はこれを着ろと貴代美に言われているので着る。

 下着は穿かない。実験時に多々の支障を来たすという理由で実験服を着る時は下着の着用は禁止されている。これも貴代美から言われた事だ。


 実験服だけでも風邪を引くかもしれないので、上着を羽織って備え付けのドライヤーとタオルを使って髪を乾かす。充分に乾かし終え、タオルとシャワーを浴びる前まで着ていた実験服をランドリーシューターに放り込んでシャワー室を出る。


 拘束具を外されて彼女が入った部屋。二十畳程の広さで、内装は全て白だ。食事と勉強をする為の机と椅子と睡眠を取る為のベッド、後は照明器具と空調設備、監視カメラが天井の四隅に設置されている。


 彼女は椅子に腰掛ける。机の上には、シャワーを浴びている間に運ばれた昼食が置かれていた。白米、味噌汁、魚フライ、野菜サラダ、果物。

 それらを黙々と食べる。まず白米を全部食べる。次に味噌汁を静かに啜って全部飲み干す。次に魚フライを付いていたソースも掛けずに全部食べる。次に野菜サラダをドレッシング無しに食べる。最後に剥かれたミカンと桃を食べる。完食した。


 食べた後の食器はそのままにして椅子から立ち上がる。

 進行方向はベッド。羽織っていた上着を椅子の背もたれに掛ける。

 シワも汚れも無いシーツで横になる。


 今日の午前も実験があった。午後もまた実験が行われ、彼女はまた連れ出される。そして言われた事を言われたままに行動する。


 明日で世間が言う連休、ゴールデンウィークが終わる。それに伴い、彼女が通う学園に戻される。荷造りの必要は無い。周りの人間が勝手にやってくれるからだ。


 彼女は自分の境遇をなんとも思わない。満足もしていないし不満も無い。


 世の中には分からない事が多い。

 何故人は恐怖する? 何故笑う? 何故楽しむ? 何故思考しても答えが出ない?


 何故あの時……純との会話の時に、あんな事が起こった?


 答えが出ない。分からない。


 ただ言えるのは、


 彼女・・は、彼女・・にとってどういう存在になれるのか、だ。


 彼女は一度思考を停止させる。瞼を閉じ、深い暗闇にへと沈んでいく。





「……テラ様」


 名前を呼ばれたので目を開ける。


 彼女はむくりと起き上がった。部屋の中に研究員が二人いた。彼女を起こしたのはその内の一人だ。


「テラ様。午後の実験開始の十分前です。お迎えに上がりました。手をお出し下さい」


 手を出せと言われたので両手を出す。研究員はさっき自分が着けていたのと同じ手枷を彼女の両手に嵌めていく。続いてさっきと同じ首輪も装着する。

 ベッドから立ち上がり、研究員二人に挟まれるように歩かされて部屋を出る。


「テラ様、本日の副主任の実験は『ハロス』の稼動実験になります。くれぐれも無茶を為さらずお気をつけ下さい」

(コク)


 小さく頷く。


 気をつける、身体への外傷、機体に目立つ損傷をしない。

 無茶、許容範囲の限界を超えたりはしない。当たり前な事を何故忠告してくるのか不明。


 不明でも良い。自分が知っても大した意味は無い。


「副主任、『ネプテューヌス』の稼動実験はどうしましょうか?」

「そっちはいいを中心に準備を進めてくれ。高藤たかとう、『ヴラド・エンド』と『ワスターレ』の調整急いでくれ」

「分かりました」

「副主任、『ハロス』の最終調整、あと五分で終わります」

「副主任、テラ様をお連れしました」

「分かった。永山ながやますぎ、テラへのセットアップ頼む」

「分かりました」


 純が忙しそうに研究員達に細やかな指示を出すのを彼女はジッと見ている。


「テラ」


 純が近づく。


「今日で連休中の実験は終わりだ。だからもう少しだけ我慢してくれ」

「はい」


 我慢? 何に対して我慢、耐えれば良い? 分からないが返事はする。


 分かろうが分からなかろうが自分には大した差は無い。


 自分がやるべき事は、今から実験を行う事なのだから。

今回はちょっと短めに書きました。

ご意見・感想・質問・ご指摘ありましたらお気軽にどうぞ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ