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射城学園の殺し屋  作者: 黒楼海璃
伍 『異常』な連休(ゴールデン・ウイーク)
43/44

肆拾弐殺

「ひ、ひぃ!」


  たけよしあきは、自分にとって理不尽の連続に直面していた。


「ふざけんじゃねぇぞっ! あんな化け物みてぇな奴等だなんて聞いてねぇぞ!」

「何が金をやるから女を攫ってこいだっ! てめぇのせいで酷い目にあったじゃねぇかっ!」

「今までずっとあんたの言いなりになってたが、もうあんたとはこれっきりだっ!」


 彼等は竹井に依頼されて手駒として動いていた不良達である。竹井は神楽かぐらざかしゅんすけから強烈な一撃を受けて気絶していたが、目が覚めると早々にその場から立ち去って彼らとコンタクトを取った。が、不良達は竹井を見るや否や竹井を取り囲んだ。


「竹井さんよぉ、あんたにはずっと世話になっちまったから、しっかり礼をしねぇとなぁ」

「ひ、ひぃ! や、止めろ! ぼ、僕に何かあったら君達なんて簡単に……」

「うるせぇっ! このクソがぁっ!」


 ドカバキゴキッ!

 不良達は溜りに溜まったものを竹井に叩きつけた。一方的なリンチである。

 少しして、気が済んだ不良達は竹井が持っていた財布を丸ごと盗み、ゴミの様に放置していなくなった。

 目が覚めた竹井は頭の理解が追いつけなかった。ふと自分の下半身が湿っている事に気付き、目をやると足元に生暖かい水溜りが出来ていた。


「な、何なんだよあいつ等は……っ!?」


 竹井はあまりの屈辱に血管がブチ切れそうなぐらいの怒りを覚えた。


「許さない、この僕に、この僕にこんな恥をかかせやがって……!」


 竹井は立ち上がり、その足で走り出した。

 金さえ払えば何でも思い通りになっていた手駒に見捨てられ、愛しの想い人も手に入らず、得られたのは裏切りと屈辱のみ。自分にとって今だ経験した事の無い不幸の連続。はたしてこれが許される事だろうか。否、決して許されない。


「あんなゴロツキなんて、父さんと母さんに言いつければ……」


 竹井は何か不都合が起こると、決まって両親に告げ口をしていた。親馬鹿な両親も、可愛い息子の我が儘を何でも聞いてあげた。

 自分は選ばれた人間なのに、目の前に障害があって良い訳が無い。竹井は両親からそう何度も言われて育った。だから理不尽が起これば必ず憤りを覚えてしまう。そして、冤罪をでっち上げたり、法律を利用して脅しをかけたり、あの手この手を容赦なく使って相手を潰す。選ばれた自分を害したのだから、これは正当防衛だと当たり前に思いながら。


「それだけじゃない、僕の神楽坂さんを戒めるあいつ等も許さない。徹底的に追い詰めて、殺してやる。殺して殺して殺しまくってやるっ! 殺しまくって殺しまくって、僕の神楽坂さんを救うんだ! そうすれば神楽坂さんは……」


 竹井の頭の中では、俊介の妹・ゆきは悪魔である兄とその同類である友人達によって支配されている囚われの姫、それを倒して救い出すのが自分の使命だと、一体いつの時代のヒーローだと突っ込みたくなる妄想に満たされていた。

 これほどまでに憎悪したのは初めての事だった。勿論昔は気に入らない相手は何人もいた。最後は人生を早く終わらせてあげたが。けど今回はその中でもダントツだ。

 一先ずは両親に事情を説明して動いてもらうべく、竹井は自宅兼仕事場である竹井法律事務所へと帰ってきた。外からだと事務所に灯りが点いているのが見えたので、両親はまだ事務所で仕事をしていると思った。


「クックックッ、今に見てろ。あいつ等に、あいつ等に絶望を味わわせてやる……!」


 不気味に笑いながら、竹井は事務所の扉を開けた。すると事務所の中が奇妙である事に気付いた。

 両親の姿が見えない。どちらか片方がいないというのならまだ分かる。けど揃っていないのは不思議だ。出かけているのなら連絡の一つぐらいあるだろうし、そもそも灯りを付けっ放しにして何処かに出掛けたりはしないと竹井は分かっている。

 それから、事務所内が書類などで散らかっていた。竹井の足元に何枚もの書類が落ちている。仕事に必要な書類を整理整頓しない訳が無い。一体何かあったのだろうか。


「お、お父さん、お母さん、何処に……」


 歩きながらキョロキョロと見渡すと、足が何かに当たり、鈍い音が聞こえた。見てみると、それは事務所の備品だった。机の上に置いてあったのが落ちていたのだ。但し、その備品は何故か赤く汚れていた。拾って備品に触ってみると、それはベットリとした感触だった。


「ヒィッ!?」


 竹井は驚いて備品を投げ捨てた。コツンと音を立てて転がっていく備品は、何かに当たって止まった。

 その『何か』とは、備品の類ではない、それより遥かに大きかった。それの周辺は備品や書類、床などが赤く染まっている。しかし、その赤色は綺麗なものではなく、何処か臭うものだった。


「あ、あ、あ、あ……」


 目を向けた竹井は、言葉が出なかった。目の前に映ったのは、自分をこれでもかと愛してくれている……愛してくれていた、床に倒れて血を流した父親だった。


「お、お父さんっ!?」


 竹井はすぐさま駆け寄って父親を揺さぶる。だが反応が無い。竹井は父親の顔を覗く。父親は目を見開いたまま、文字通り息絶えていた。竹井は自分の両手を見る。自分の両手は、死体となった父親の血によって汚れてしまった。。


「ヒッ、ヒィィィィィッ!?」


 見慣れないものを見て悲鳴を上げた竹井は腰が抜けて後ずさる。

 ドサッ、と何かに背中がぶつかる音が聞こえた。それと同時に、手から冷たい感触が伝わってくる。


「な、何だ……」


 再度自分の手を見た。さっき父親の血で染まっていた手が、更に濃い赤色で染まっていた。


「ヒ、ヒッ!?」


 思わず後ろを振り返った。そこにいたのは、姿が見えなかったもう一人――血を流して既に死している母親だった。


「あ、あ、あぁ……」


 一体全体何が起こっているのだろうか、好きな人が手に入らず、逆に打ちのめされ、精神状態が不安定だった竹井の頭では理解する事が出来ず、もはや崩壊しても良いぐらいだった。


「あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


 竹井は絶叫し、本日二度目の気絶だった。

 彼は知らない。自分の両親を手にかけた者が、その後に近くのコンビニで夜食を買い食いしていた事を。


「……ちょろかったな。霞」

「そうだねー、影くん」


 ちなみに、一人は肉まん、もう一人はあんまんを食べていた。二人は食べ終えるとその場から煙の様に消え去った。


 翌朝。竹井法律事務所で弁護士夫婦が殺害された事件がニュースで報道された。被害者である竹井夫婦は、表向きは善良な弁護士だが、裏では良くない連中との繋がりがあったり、汚い手口を使って無罪を作ったりと黒い一面があるという事が匿名でマスコミに送られた情報で判明し、朝から騒々しかったそうな。



 次の日。俺達はシュンの家でゲームをして遊んでいた。遊んでいるのは昨日シュンが言っていた『ウルトラパーティー・デラックスSP』。前作に登場したゲームに加えて新たなゲームも入っているので、大人数でやればそこそこ楽しい。


「てぃっ! やぁっ!」

「えいっ!」


 今はと穂乃雪ちゃんが対戦している番だ。ゲーム内容は簡単なテニス対決。コントローラーをラケットの様に振って操作し、11点先取した方が勝ちだ。


「とぉりゃあっ!」


 伊佐南美は軽快な動きでコントローラーを振ってキャラクターを操作している。

 ただこのデラックスSP、テニスもそうだが、結構身体を動かすゲームが多い。今やってるテニスも、実際のと似た動きをする。なので、


「あの、服部はっとりさん……」

二宮にのみや、大丈夫だ」


 二宮が指摘しようとしてきたのを慣れたように受ける。

 何が言いたいのか、それは伊佐南美がスカートを穿いているので、派手に動いているとスカートの中が容赦なく見えててしまうのだ。まあ幸いにも伊佐南美はスパッツを穿いているから大胆に捲れても問題ないが。ちなみに二宮はズボン、穂乃雪ちゃんはショートパンツを穿いている。


「え、えぃやぁっ!」


 一方の穂乃雪ちゃんも結構身体を動かしている。大人しそうな見た目からは想像付かないが、吹奏楽部出身の穂乃雪ちゃんは体力や筋力が思っていたよりもある。と言ってもそれは一般人と比較した場合であり、それでも伊佐南美の動きにちゃんとついてきている。尤も、それは伊佐南美が手加減してくれている訳で、伊佐南美が本気を出せば一週間くらいぶっ通しでやり続けてしまう。

 勝負としては今の所ほぼ互角。それは良いとして、


(……なんだかなぁ)


 一つだけ問題があるとすれば、穂乃雪ちゃん本人だろう。彼女はショートパンツを穿いているから伊佐南美みたいな事にはならない。それは良かったが、意外な問題が起こる事に気付いた。穂乃雪ちゃんが動く度に、伊佐南美には無い部分があっち行ったりこっち行ったりしている。同年代の男子がこの場にいれば必ず目で追いかける絵図だ。

 俺は別に女子中学生の胸を目で追いかける趣味は無いし、そんな事したら伊佐南美に殺されるから気にしないが、俺の隣で座っている奴は興味津々に見ていた。


「いやぁじゅう兵衛べえ、ユキの胸が盛大に揺れてんなぁ。眼福眼福」


 言いやがった。実の妹のセクハラ同然の発言を早速言いやがった。シュンはそれはもう嬉しそうに穂乃雪ちゃんの胸部の上下を見ていやがる。気持ちは全く分からなくもないが、それを口にするかよ。


「……神楽坂君?」


 と、隣の二宮から冷たい視線と殺気を感じた。見てみれば優しそうな二宮が普段はまず見せない睨み顔になっている。


「あなたは先日私がお話しした事をもう忘れてしまったのですか?」

「いやだってよぉ、ユキのあれ見りゃ男女関係なく誰だって思うだろ。なっ、銃兵衛?」


 おい。俺に話を振るな。しかもよりによって今後の生死を大きく左右する修羅場にしようとするな。


「神楽坂君、服部さんを話の中に入れて場を凌ごうとするのは止めて下さい。服部さんに迷惑です。仮に服部さんがそう思ったとしても、神楽坂君は穂乃雪ちゃんのお兄さんです。思うだけならご存分にどうぞ。ですがそれを口にする事が問題です。兄からの性的な発言を受ける事で妹がどれだけ傷付き、関係を悪化させるか、あなたは分かっていて言っているのですよね?」


 おーおーおー、俺に救いの手を差し伸べてくれて感謝したが、その後の二宮の説教が怖い怖い。理事長の殺気並みに怖い。


「あのな金実、そこまで長ったらしく言うなよなぁ。眠いって」


 で、当のシュンは慣れているのか、怯える様子を見せない。てか慣れてるって……



 パンパカパーン!

 なんてやり取りをしていると、もうゲームが終わっていた。


「いぇーい! 勝った勝ったーっ!」

「あーっ、負けたー」


 勝者は伊佐南美。接戦だったようだ。


「神楽坂君、この続きは服部さん達がお帰りになった後でじっくりと」

「うぇぇ、面倒くせぇ」


 一旦話を切り上げる事になった。二宮さん、キャラが変わってるから怖いです。


「エヘヘヘ、お兄ちゃん、勝ったよー」


 伊佐南美が無邪気な笑顔で戻ってきた。


「よしよし、えらいえらい」


 そんな可愛い妹にこれはご褒美をと、伊佐南美の頭を優しく撫でてあげた。伊佐南美はふにゅぅ~と蕩けた顔になって喜んでいる。


「おっにぃちゃぁんっ!」


 嬉しい伊佐南美は案の定抱きついてきた。いつもの事なのでナデナデは続ける。が、


「……お兄ちゃん、ユキちゃんのおっぱい、どうだったぁ?」


 伊佐南美が俺にしか聞こえないくらい小さい声で聞いてきた。さっきのシュンと二宮との会話、穂乃雪ちゃんには聞こえなかったが、伊佐南美にはちゃんと聞こえていた。

 ヤバい、俺の身体を締め付ける伊佐南美の腕力と握力が『普通』じゃない。折れる。骨折れる。肉千切れる。治せるけど。

 俺は文字通り必死に伊佐南美の頭を撫でて機嫌を立てる。ここで伊佐南美が発狂したら大惨事になる。

 すると、そのやり取りを見ていた穂乃雪ちゃんが残念そうな顔になっていた。理由を察した俺は、シュンに目配せし、それが分かったシュンはニッと笑い、穂乃雪ちゃんの頭を撫でた。


「お、お兄ちゃん?」


 いきなりの事に穂乃雪ちゃんは顔を赤くして困惑する。シュンはうんうんと撫でる。


「ユキ、撫でてほしかったらそう言えよ。ちゃんと撫でてやるからさっ」

「っ!? お、お兄ちゃん~っ!?」


 穂乃雪ちゃんは恥ずかしくなってシュンをポカポカ叩く。シュンはにこやかに撫で続ける。

 妹達へのご褒美もこのくらいにしておいて、次の対戦に入る。内容はさっきと同じテニス勝負。


「銃兵衛、手加減しねぇぞ」

「そりゃこっちの台詞だ。負けねぇからな」


 対戦するのは俺とシュン。ゲームは所詮子供のお遊びだが、俺自身はまだガキだ。遊べる時は有意義に遊びまくって、殺す時は容赦なく殺す。


「なあ銃兵衛、これに負けた方が後でなんか奢るってのはどうだ? 勿論全員分」

「良いな。乗った」


 ちょっとした賭けも混ぜて、兄同士の対決が今始まる。


 ――数分後。


 パンパカパンパンパーンッ!


「チックショォ……」

「まぁた勝っちまったな」


 そして終わった。

 一回勝負だと面白くないので、先に十勝した方が勝ちというルールにしたのだが、俺が呆気なく全戦全勝。しかもシュンは一点も取れずに連敗して悔しがっていた。


「何で銃兵衛、こんなに強ぇんだよぉ……」

「何でって、前作のデラックス、結構やり込んでたからな」


 俺達兄妹が以前住んでいた田舎町では娯楽施設というものが無い。精々駄菓子屋があるぐらいで、子供の頃は友達とゲームしたり外で遊んだりしてした。特にデラックスには熱中していた。世間が飽きても俺達は暇だったのでそれでずっと遊んでいた。気が付いたら完全に遊び倒していて、別の意味で飽きてしまった。

おかげでコントローラー捌きはプロゲーマー並みになっている。


「くっ……銃兵衛っ! 次は『デストロイ・ボンバー(爆弾ぶつけるゲーム)』で勝負だっ!」

「良いぜ」


 パンパカパーンッ!


「チッ! 今度は『ファイナル・スナイプ(的当て)』だっ!」

「オッケー」


 パンパカパーンッ!


「…………」

「…………」

「……銃兵衛、次は……」

「無理すんなよシュン。これ以上負けたら余計恥だぞ」


 お前だって分かってるだろ。チーム戦なら兎も角、俺とサシでやったって勝てないってぐらい。積んできた経験が違うんだから。そりゃ妹が見てる前で負けっ放しは兄としてカッコ悪いのは分かるが。


「……チッ。こりゃ潔くするか。んで銃兵衛、賭けの方なんだが」

「あのさ、乗っといてなんだが、別に無かった事でも良いんだぞ?」


 正直俺が奢ってもシュンが奢ってもどっちでも良かった。決してそれが目当てで勝った訳ではないし。問題なのは連敗し続けているシュンの不甲斐なさが未だ残っているという点であり、


「何言ってんだよ銃兵衛っ! 男なら、一度交わした約束は守るのが筋ってモンだろっ!」

「そりゃそうだが……」


 確かに、ここで賭けを無しにしたら、可哀想なシュンに情けを俺が掛けたって事でシュンがカッコ悪いままだ。そんな姿を穂乃雪ちゃんに見せるのはシュンにとっては死ぬよりも嫌なんだろう。大いに分かるぞその気持ち。俺も伊佐南美にカッコ悪い姿なんて見せたくない。下手したら殴られるか嬲られる。最悪殺される。


「じゃあ仕方ないか。さてと、何にするか」


 俺としてはジュースの一本でも良いが、シュンのこの態度を見ていると、そういう訳にもいかないよなぁ。


「……どうする?」


 裏の世界でだと、この手の賭け事は生死を賭けるものだから、負けた相手を容赦なく殺すが、表の世界だと内容が可愛いから対応に悩む。

 困り果てて女子組に助けを求めた。


「そうですね、いきなりですし、すぐには決めかねませんね……」

「う、うん」


 穂乃雪ちゃんと二宮までも困っている中、途中からスマホをイジッていた伊佐南美が、


「じゃーあー、ここはどーう?」


 スマホを俺達に見せてきた。



「うひゃひゃひゃぁっ!」

「き、きれい……」

「美味しそうですね」


 やって来たのはシュン達の地元、新宿にあるとあるケーキ屋。伊佐南美が見せた食べログで紹介されている。綺麗なフルーツの彩りと確かな美味しさが評判で、女性層を中心に人気だとか。

 今、女子組は運ばれてきたケーキの数々に目を輝かせていた。それは男である俺から見ても分かる。綺麗に飾られたフルーツやコーティング、人気になるのも頷ける。但し値段はちょっとお高め。


「あの、神楽坂君。本当に良いんですか? 人数分奢って頂いて」

「おう。約束だからな」


 代金は全てシュンが持つ事になっている。そういう約束だからだ。ただ、シュンが財布の中身を見ながら溜息を吐いていたのをこっそり見て気の毒に思えた。こんな事なら態と負ければ良かったか。


「あーんむっ!」


 伊佐南美はそんな事を他所にケーキを食べ始めた。続いて穂乃雪ちゃんと二宮、俺とシュンもだ。


「んーっ! おいしーっ!」

「……美味しいね」

「ふむ。確かに評判が良いだけの事はありますね」


 見た目だけでなく、味に関しても女子組はお気に召したようだ。まあ俺も食べてみたが美味いな。


「お兄ちゃん、あーんっ♪」


 伊佐南美が自分の分を俺に差し出してきた。俺は喜んでそれを食べ、お返しに自分の分も食べさせてやる。


「えへへへ、お兄ちゃん~♪」


 伊佐南美は上機嫌で俺にスリスリ頬擦りしてくる。ふむ、相変わらず可愛い妹だ。


「は、はわわわ……」


 この恒例なやり取りを見ていた穂乃雪ちゃんが顔を赤くし、自分のケーキとシュンを繰り返して見る。


「? どうしたユキ?」


 その行動に疑問を感じたシュンが訊ねる。


「お、お、お、お兄ちゃん……」


 そして、自分のケーキを一口フォークに乗せ、そのままシュンに持っていこうとする。


「あ、あ、あ、あ……」

「……ユキ、恥ずかしかったらやんなくても良いんだぞ?」

「はぅっ!?」


 事の次第を察したシュンに指摘されて、穂乃雪ちゃんはボンッと顔から湯気が出る。それを見ていた俺達は可笑しくてつい笑ってしまう。


「はっはっはっ。ユキ、お前のそういう所も可愛いぞ」

「っ!? お、お兄ちゃん~っ!」


 恥ずかしくなってシュンをポカポカ叩く穂乃雪ちゃんは、俺達から見てもブラコンな妹だった。



 ケーキ屋を後にした俺達は軽く買い物したり談笑したりして時間が過ぎていき、終わりの時間へと向かっていた。


「あーあー、なぁんかあっという間だったなぁ、連休」


 家路を歩く道中、シュンが面倒臭そうに言う。

 ゴールデンウィークも残るは明日だけとなり、学園に帰らないといけない。今回はちょっとした事件のせいで短く感じてしまったのだろう。俺としては日常のほんの一コマに過ぎなかったが。


「もう学校かぁ、だりぃなぁ」

「神楽坂君、私達は学生なんですから、分別をしっかりとしなくてはいけませんよ」

「えー、けどめんどい」

「けどではありません。穂乃雪ちゃんも、連休明けだからと気を抜かないよう気をつけて下さい」

「う、うん……」


 二宮の真面目っぷりな発言には毎度感心してしまう。俺も成績悪いから頑張らないとな。

 ところで、さっきから穂乃雪ちゃんの元気がない。ずっと俯いて時々溜息を吐いている。


「なんだぁユキ。さっきから暗ぇ顔しやがってよぉ」

「う、うん。お兄ちゃん、明日で帰っちゃうんだよね?」

「まあな。家戻ったら準備しねぇと。あーあー、面倒臭え、面倒臭え。いっそ学校バックれようかなぁ」

「神楽坂君、それをやってしまうと穂乃雪ちゃんが一番心苦しくなると思いますが」

「だよなぁ。だから面倒なんだよなぁ」


 やれやれと頭を掻き毟るシュンに静かにツッコミを入れる二宮。穂乃雪ちゃんはまだ元気が無いままだ。

 チラリと穂乃雪ちゃんの方を見たシュンがポンッと穂乃雪ちゃんの頭に置いて優しく撫でる。


「え? お兄ちゃん?」

「ユキ、どうせ夏休みになったらまた帰るからよぉ、寂しがんじゃねぇよ。そン時になったらまたヨシヨシしてあげるからさ。それまで我慢しろって」

「ふえっ!? も、もうお兄ちゃんったら~っ!」


 穂乃雪ちゃんは恥ずかしくなってまたシュンをポカポカ叩く。それを見ていた二宮がクスクス笑い、それに釣られて俺達も笑い出す。


「も、もぅ~っ!」


 羞恥により顔どころか全身が真っ赤に染まって思わずシュンに顔を埋めてしまう穂乃雪ちゃんはなんとも愛らしく見える。まあ伊佐南美の方が何十倍も可愛いが。

 暫く歩いた所で、シュン達は家路に着いた。


「んじゃな。また明日」

「おう。またな」

「ユキちゃん、またあっそぼうねっ!」

「う、うん。バイバイ」

「では明日もお会いしますが、一先ずさようなら」


 ここで俺達は別れてそれぞれ帰宅する。俺と伊佐南美は電車に乗って巣鴨まで行く。本当は走るのが速いが、都会で目立つ行動は怪しまれるので『普通』の人間らしく公共交通機関を使う。

 電車に揺られたら徒歩で叔父さんの家へと帰る。


「ねえねえお兄ちゃん、もう連休終わっちゃったね」

「そうだな。束の間の休息も済んだし、また明日からりまくらないとな」

「うんうん。それにヘビちゃんの顔も暫く見ないで済むし」

「そうだな。それは非常に大きい事だな」


 あの馬鹿蛇のムカつく面をもう見ないと思うと心底嬉しい。次会ったら問答無用で殺したくなるぐらいに嬉しい。ていうか、帰ったら即殺そう。伊佐南美と競争だな。

 さてさて、一体どうやって蛇を調理しようか考えながら叔父さんの家へと到着した。


「ただいま戻りました……って、あれ?」

「ただいまでーす! ……あー」

「やあ二人共。おかえり」


 扉を開けて玄関に入ると、そこには既に叔父さんが立っていて、更に一人の客人が来ていた。どうやらその人と話をしていたたのだろう。しかもその客人には見覚えがある。


「……ご無沙汰しております。銃兵衛様、伊佐南美様」


 客人は俺達を見るなり、手に荷物を抱えながら礼儀正しく挨拶をした。

 相手は男だった。身長は180と高い。黒いスーツを着こなし、黒い革靴に黒い革手袋、黒いネクタイと黒で統一された服装だった。顔は中々のイケメンで、これで愛想が良ければ百点満点なんだが、生憎と無表情を崩さないという勿体無い事をしている。

 彼の名はじん。苗字不詳。経歴不明。三重県の田舎にある中高一貫校、伊賀異業学園理事長にして元暗殺者である伊賀いがやまこうげんの助手である。


「ど、どうも仁さん。何でまたあなたがこんな所に?」

「はい。本日はお二方へ光元様からの使いで参りました。まずは伊佐南美様」


 仁さんは持っていた荷物の包みを開き、中の木箱を開ける。それを伊佐南美に手渡し、伊佐南美はそれを受け取る。受け取った荷物は細長い形状しており、黒い布に包まれていた。

 伊佐南美が布を取る。


「うひょーっ!」

「……へえ」


 出てきたのは、一本の刀だった。と言っても一般的な日本刀よりも短く、脇差に近い長さだ。それでいて『普通』よりも反りが大きく、黒漆に桜の花びらが描かれた鞘に収められている。


「……銘はこくとうざくら』。大きさは伊佐南美様に合わせております。どうぞお試し下さい」

「わー」


 伊佐南美が『夜桜』を抜く。刀身は黒刀、刃紋はみだれさかちょう。あと特徴的なのは、刃に鋸みたいな大きいギザギザがついてる事だ。これで相手の骨肉を抉り取ってグチャクヂャにする、刃先部分は『普通』に真っ直ぐだから刺して抉る事も出来る。確かに伊佐南美に合ったというか伊佐南美だけの刀だ。


「えへへへ、わーい! わーい!」


 伊佐南美は新しく買い与えられた玩具で遊ぶようにして『夜桜』を振り回す。おい待て伊佐南美。人が近くにいるのに振り回すな。危ないだろ。

 何回か動かし、どうやら気に入ったみたいで、


「仁さん、光元さんにお礼お願いしまーすっ!」

「はい」


 ニコニコと満足そうな笑顔で光元への謝礼をお願いし、仁さんは静かに返事をした。


「伊佐南美お前、いつの間に光元に頼んでたんだよ」

「えーっとねー、前にお姉さんとり合った時に小太刀壊れちゃったからー、あったらしい刀が欲しいでーすって光元にお願いしたら、良いよーって言ってくれたのーっ!」

「マジかよ。武器ぐらい、理事長に言えばいくらでもくれただろ」

「そうなんだけどさー、今理事長さんにはお世話になってるしー、あんまり迷惑掛けたくないんだよねー」


 ふむ。それもそうだな。理事長には暗殺稼業や鍛錬場所で何かと世話になっている。それに色々と悩んでいたりするし、余計な苦労を掛けてさせる訳にはいかない。だったら光元の野郎に目一杯迷惑を掛けてアイツを困らせてやろうって魂胆だな。偉いぞ伊佐南美。後でヨシヨシしてやる。


「伊佐南美様、もう一つこちらも」


 続いて仁さんはもう一つの包みから四角い木箱を取り出す。

 中から現れたのは一枚の仮面だった。顔の左半分を覆い被るように作られ、色は黒く、揚羽蝶の翅を模した装飾が付いている。そして目の部分が黒いシート状の何かで覆われている。


「名はコクチョウ。装着時、目の部分に銃兵衛様がお持ちのコクガンと同じディスプレイが表示されます」

「ひょひょーい!」


 伊佐南美はどっかの悪趣味な怪人が付けてそうな黒い仮面、黒蝶を手にとって顔に嵌め込む。


「…………」

「……わーいわーい!」


 とりあえず、どうやって嵌めるのかについては置いておくとして、伊佐南美本人は気に入ったようだった。


「えへへへ、どーうお兄ちゃん?」


 自分なりにポーズを取る伊佐南美が感想を訊ねてきたので、


「……似合ってるには似合ってるが、お前それも光元に頼んだのか?」

「うん。光元さんにー、お兄ちゃんみたいにお顔隠すのが欲しいでーすって言ったらー、良いよーって!」


 コイツ、刀と一緒に顔隠す装備も頼んでいたとは。何かと抜け目が無い。

 確かに今まで伊佐南美は顔を隠さずに暗殺をこなしてきた。俺はコクエンで顔の下半分を隠しているが、伊佐南美にはそういう装備を与えられなかった。何でなのか光元に理由を聞くと、伊佐南美が覆面付けると暑いから嫌だという訳で拒否ったらしい。覆面が駄目でも仮面なら良いのかよ。ならなんで最初からそうしなかったんだ。本当にコイツの思考回路は『異常』だ。それでいてそれが『普通』だ。


「……銃兵衛様」


 はしゃいでる伊佐南美を見ていると仁さんが話しかけてきた。


「何ですか?」

「光元様より、銃兵衛様へと言伝を頂いております」

「……正直聞きたくないですけど、一応聞きます」

「はい。『一度僕の方に電話をしてくれ。話したい事がある』。以上です」

「……分かりました」


 予想通り短い伝言。伊佐南美に荷物届けるついでだったんだろうが、もし伝言だけだったらそんな事の為だけに仁さんをパシらせてたのかよ。光元の野郎は人遣いが荒い奴だ。


「では私はこれにて失礼致します」

「もう良いのかね? 今晩くらい泊まっていっても……」

「いえ。ご好意有り難く存じます。ですがヘリを待たせておりますので」

「そうか。では光元君に宜しく伝えてくれ」

「はい。では」


 仁さんは一礼してすぐに去って行った。


「……チッ。光元の野郎」

「お兄ちゃん、光元さんには一応お世話になったんだからさー、そういう言ったら駄目だよー?」

「それは分かってるっての。けどやっぱりアイツは気に食わねぇ」

「もーう。お兄ちゃんったらー」


 伊佐南美はやれやれと溜息を吐く。俺の態度に呆れているのだ。


「光元君か。そういえばこの前、うちに来たね」

「え? そうだったんですか?」

「ああ。夜中に訪ねてきたんだ。ちょっと野暮用の帰りで顔を見に来たって言ってね。私もまだ起きていたから軽く話はしたが、すぐに帰っていったよ」

「そうですか……」


 夜中に人ン家を訪問するなんて非常識だな。夜な夜な暗殺の為に不法侵入している俺が言うのもなんだが。

 それに、この前と叔父さんは言っていたが、時期的に考えてちょうど『ZEUS』と接触した頃だ。


「しゃあねぇ。電話すっか」


 先に伊佐南美を部屋へと戻し、俺は別の部屋で一人になって光元に電話を掛ける。


『……やあ銃兵衛君』

「よう光元。とりあえず死ね」

「はっはっは。相変わらずだね。君は」


 何を今更な。当然の挨拶をしてきたのに光元は笑ってやがる。まあ一々気にするのも面倒か。


「こっちも色々と言ってやりたい事もあるが、先にそっちの用件を聞く。手短にな」

『ああ分かった。まず最初になんだが、どうだね? そっちの生活には慣れたかな?』


 光元が聞いてきたのは、俺達の射城学園での生活の様子についてだった。


「……まあ、慣れたっちゃあ慣れた。こっちもこっちで変なのに出くわすけど、田舎にいようが都会にいようが俺達がやる事なんて変わんねえしな」

『そうか。少なくとも元気そうで何よりだよ。君達を東京に送った時は内心心配していたからね』

「嘘つけ。お前程の奴が人を心配するなんてある訳ないだろ。あと送ったじゃなくて押し付けたんだろうが」


 光元のムカつく発言にイライラいながらも会話を続ける。対して光元は平常通りに話す。


『銃兵衛君、君がそんな誤解をするのは無理も無いが、僕は押し付けたつもりは無いんだよ? 何かあれば僕だって力になるつもりでいるしね』

「どうだかな。で、他の用は?」


 サッサと光元との話を終わらせたいので、次の話題に早く移らせる。


『うむ。次になんだが銃兵衛君、単刀直入に聞こう。君達は『ZEUSゼウス』と接触したそうだね』


 ピク。

 光元の口から、奴等が出てきた。当然と言えば当然か。


「やっぱお前も知ってたんだな。『ZEUS』を」

『まあね。今は教職についているが、僕も元は暗殺稼業を生業としていた。連中の事は頭の中には入っているよ』

「この際、何で事前に教えなかったとか言わんが……光元お前、どれだけ知ってる?」

『…………』


 光元が黙る。


「答えろ光元」

『……銃兵衛君。僕は何でも知っている訳ではない。知っている事しか知らない。そしてその知っている事は今は言うべきではないよ』


 つまり、教える気は無いって事か。予想はしてたがやっぱりムカつく。


「今じゃないなら、いつ教えてくれる。言え」

『……それは、君達の頑張り次第だよ銃兵衛君。はっきりと言わさせてもらうが、君達は弱い』

「……ああ。知ってる」

『知っているのならば話は早い。無論君達の腕を悪く言う気は無い。今のままでも充分強い。それに辿り着くまでに努力しているのも分かる。だがね、それでも弱い。所詮は裏の世界でひっそりと生き延びる程度のレベルだ。少なくとも君達には、僕の知る事を知ってもその後に降り注ぐ脅威から己を守れる力が無い。要するに言わないのではなくて君達の身も考えて言えないのだよ』


 光元は痛い所を突いてくる。ムカつくが、言っている事は正しい。

 弱い。そんなの今更な事だ。俺は弱い。伊佐南美も弱い。頭で分かっているつもりだ。さなゆきとの戦いでも俺は満足いく結果に届いていない。寧ろ足りなさ過ぎる。伊佐南美の方もそうだろう。鍛錬中に時々しょげてたし。

 全然足りない。もっと鍛えないと強くないと勝てない。このままじゃ、次刃刃幸とり合う時に負ける。絶対負ける。そんなの嫌だ。死んでも勝ちたい。

 勝ちたい。殺したい。強くなりたい。生欲きたいではなく殺欲ころしたい。いや、そりゃ生きたいけど、それでもりたい。命を奪いたい。潰したい。自然と俺の心の中で激しい欲求が込み上げる。

 俺は前にも何度かこういう欲に駆り立てられる時があった。生物が生存本能を持つ様に、俺みたいな暗殺者もまた本能で殺す奴もいる。ただそれは殺しを生業とする暗殺者ではない。殺す事を楽しむ只の快楽殺人者だ。伊佐南美なんてもはやその域だし、俺も危うい。光元の下で修行していた時によく指摘されていたが、一向に直らんから困っている。


『誤解の無いように言うが、僕は決して教えたくない訳ではない。ただ君達がそれに賄える力量が足りないと言っているんだ。もし僕の知る事を知りたいのならば、強くなりたまえ。強くなり、己を知り、世界を知り、殺しを知るんだ』

「……ああ。分かったよ」


 コイツの言う事にはムカつくが、今回は黙っておこう。全部事実だし。反論出来ん。


「で、話はこれでもう終わりか? なら切らせてもらうが……」

『ああ、待ってくれ銃兵衛君。もう一つ聞きたい事があるんだが』


 もう光元の声すら聞きたくないのに引き止めてきやがった。ウゼエ。


「何だよ。ササッと言え」

『ふむ。聞きたい事というのは……紫苑ちゃんは元気かね?』

「は?」


 今度は一体何の話かと思っていたら、理事長の――紫苑さんの事について聞いてきた。しかもちゃん付けって。


「ま、まあ元気だが?」

『そうか。それはなによりだ。ありがとう』

「……それだけか?」

『ああ。それだけだよ?』


 呆気なく終わった会話に口が開きっぱなしになっていた。折角なので、俺からも光元に疑問をぶつけて見る事にする。


「おい光元、今度はこっちの質問に答えろ」

『ふむ。何だね?』

「お前、一体どういうつもりなんだ?」

『どういうつもり、とは?』

「とぼけんな。知ってんだよ。うちの理事長、紫苑さんの祖母、嵐崎楓が伊賀出身で、俺らの祖父さん祖母さんの先輩だって」

『…………』


 光元がやられたと言わんばかりに黙り込む。


『……そうか。まあ知ってしまったのは仕方ないね』

「で、さっきの質問なんだが、どうしてお前は紫苑さんを気に掛ける?」

『何の事かね? 僕には心当たりが無いんだが』

「だからとぼけんなって。紫苑さんが『ZEUS』のエージェントにられそうになったのを助けただろうが。千蔵叔父さん言ってたぞ。お前が訪ねてきたって」


 詳しくは聞かなかったが、叔父さんの所に来たのは恐らく、紫苑さんが『ZEUS』のエージェントの一人、『盗剣魔ロバー・ソード』こと御子みこしばと戦った後の時間帯。紫苑さんを助けたその足で叔父さんに会い、そのまま何事も無く去って行ったようだが、東京タワーの上にいる相手に攻撃出来る奴なんて思いつく限りコイツぐらいだろ。


『…………』

「光元、黙ってばかりじゃなくてよぉ、少しは教えてくれよ。何で政府嫌いのお前が、政府側についた嵐崎楓、その孫娘である紫苑さんに関わる? 暗殺者としての顔じゃない、明らかに私情だろ」


 お前の顔なんて見た事無いけどな。

 俺がずっと違和感を覚えていた。思い返せばそれは最初からだった。暗殺の仕事が無くなった。だから用済みの俺達を光元は退学にし、別の学校へ編入させる。それは学生兼暗殺者の中では『普通』だ。そこまでは良い。だが何故よりにもよって光元は無法者が集う学校ではなく、政府の後ろ盾がある射城学園を選んだのか。何故伊賀出身で祖父母の先輩の楓さんは政府側についたのか。それでいて何故光元は楓さんや紫苑を嫌わないのか。


『……まあ、なんというか、その』

「はぐらかすな。言え。言いやがれ。それとも教えたくないのか?」

『……本音で言えば教えたくないね。けどこれぐらいなら知られて問題は無いだろう。銃兵衛君、確かに僕は日本政府を好ましく思わない。過去に何度か張り合ったしね』


 伊賀山光元は政府、というか国嫌い。奴が今までに暗殺稼業で殺してきた人間の殆どが政治家や国会議員、その関係者達ばかりだ。何でそこまで嫌っているのか。別に光元と言えど全ての政府関係者を嫌ってはいない。このご時世にもマトモな人間は稀にいる。表の世界の政府にはそういう奴がいるから表では殺さない。

 ところが、これが裏の世界になると変わってくる。裏の世界に出入りする政治家はクズ以下だった。己の私利私欲の為に国民も国も平気で利用するし裏切るし邪魔者も消す。裏の悪人の中でも厄介だ。悪事の証拠を揉み消すから裏が取り難い。金にものを言わせて護衛なんていくらでも用意出来る。それも実戦経験豊富な連中ばかり。強力なパイプも持っている以上、ヘタに関われば自分達が狙われやすくなる。過去に暗殺に失敗して存在そのものを消された暗殺者だって沢山いた。俺だってるのを躊躇してしまう。

 だがだ。これが光元になるとそうでもない。光元は自分の危険もリスクも承知で、周りの空気も読まずに躊躇いも自愛も持たず手当たり次第に容赦なく惨殺した。ある時は表では国民に慕われているが、裏では数え切れないスキャンダルやら悪行やらを繰り返しやり続けていた大物政治家を殺した事もあった。証拠は全て揉み消した筈なのに、光元は『異常』な情報収集力とネットワークを駆使して証拠を集め、『異常』な戦闘力で警備に関わっていた人間全てを始末し、『異常』な冷酷さで標的ターゲットを惨殺した。警察が発見した時には標的の身体は原形を留めておらず、内臓や骨、肉、髪の毛一本に至るまで徹底的に無惨な姿に変わり果てていた。

 これをやれば光元への危険は増す。当人はそんな事をどうでもよく思い、次々と殺した。片っ端から殺した。相手がどんな言い訳しようが言い繕うが殺した。裏の世界の生活を邪魔するから殺した。遂には政府そのものが腐っていると判断した光元は日本政府壊滅を企てた。結果は失敗。但し大打撃を受けたそうだが詳しい事は何も分かっていない。その後光元は政府壊滅をぱったりと止めた。

 俺はこれが気掛かりだった。何故あの光元が止めてしまったのか。失敗したり中断して再会するならまだ分かる。けどあれ以来光元は何もしなくなった。相変わらず暗殺稼業は続けていたが。


『別に難しい理由は無いよ。ただ楓さんに頼まれただけなんだ』

「は?」


 意外な返答に俺は耳を疑う。


「どういう事だよ頼まれたって」

『そのままの事なんだがね。もう少しで片がつく矢先に楓さんが急にやって来て、『これ以上は手を退いてくれ』と頭を下げられたんだ。僕としては私事で動いていたし、楓さんが伊賀にいた頃には何かとお世話になっていたから快く引き受けたんだよ』

「じゃあ、お前が紫苑さんを助けたのも……」

『そうだとも。楓さんに昔お願いされてね。『自分にもしもの事があった時は、あの子を守ってくれ』、と』

「……何で、それだけで応じるんだよ。損得勘定も無しにどうして」

『そうだね。『普通』に考えれば僕にとって得は無い。逆に損するだろう。けど、これだけは譲れない。他ならない楓さんや紫苑ちゃんの頼みなら尚更ね』


 私事で動いていたと言っていた。暗殺者が仕事以外で殺しをするのは基本タブーだ。俺や伊佐南美も人の事は言えんが。それは光元自身がよく分かっているのに、自ら私事で殺して、タブーを破ってまであの二人の頼みを聞こうとする。自分への利益も考えずに。一体光元の何がそうさせているのか知らんが、それを聞いた俺の感想は、


「……お前、やっぱり根っからのロリコンだな」

『はっはっは。懐かしいね。君のお父さんにもよく言われていたね』


 やっぱコイツの性癖だろうな。父さんから聞いた話じゃあ、光元は幼女を連れ回したりとか女子小学生の体操服姿を盗撮したりとか着替えを覗いたとかやっていたらしい。父さんも流れで付き合っていたが最後は祖父さんに半殺しにされたとか。俺はてっきり小学生以下が好みと思っていたが、女子高生も許容範囲か。いや、失礼だが紫苑さんは体格が小さいからオッケーなのか。


『ああ。そういえば銃兵衛君。僕からも一つ良いかね?』

「あ? 何だよ」

『いやね、君達が学校からいなくなって以来、君の友達のさかけい君が毎日の様に僕の所を訪ねてきてね』

「諦めろ二度と顔見せんな声聞かせるな失せろと伝えてくれ。あとくりはらあやに、少しは坂田の躾ぐらいしてくれと伝えてくれ」

『うむ。了解した。何かと大変な事はあるが、もしもの時は僕も力になろう。いつでも頼りたまえ』

「ああ。そんな事があったらな」


 坂田なんて空気はどうでも良いしつい最近まで忘れていたから置いておくとして、光元の野郎に頼らないといけない。考えてはいるが、正直コイツの力を借りるのは屈辱だが、利用出来るものは何でも利用するがモットーの忍者にとってそれは微々たるものだ。それに、本当にその時が来ないとも限らないし。

 そろそろ切るか。伊佐南美が寂しがってるだろうし、ちゃんと可愛がってやらないと。


「そんじゃあな」

『ああ、銃兵衛君。最後に一つ』

「何だよ」


 切ろうと思ったらまた光元が引き止めた。ウザい。ウザ過ぎる。


『僕も『ZEUS』の動きについては調べているがね、近々動き出すかもしれない。特に『死神』達には気を付けたまえ』

「おい光元。その死神ってのは比喩か? マジの死神か?」

『ではね。今後も頑張ってくれ』

「おい待て光元……」


 俺の制止を無視して光元は電話を切った。


「何なんだよあの野郎。つくづくムカつく」


 言う事だけ言って結局切りやがった。訳分かんねぇ。

 光元の野郎、死神達と言った。つまり『ZEUS』内には死神と揶揄されるエージェントが複数いるという事だ。そんな呼ばれ方されてるぐらいだし、かなりヤバいかも。だがそれだけ教えといて何で詳しい情報を教えないんだよ。今度会ったら絶対殺してやる。

 色々と鬱憤は溜まっているが、今は俺を待っている伊佐南美の下へと行く事にする。ヘタに叔父さんの家で暴れられても迷惑だからな。主に叔父さんに。

 蛇蔵? 寧ろアイツは巻き込まれろ。


「おーい、伊佐南美……」


 部屋へと戻った俺が目にしたのは、


「あ、お兄ちゃん♪」

「んぐっ!? んーんーんーんーっ!」


 とても嬉しそうな顔で拷問器具を持った伊佐南美と、鎖と手錠で逆さ吊りにされた蛇蔵だった。ボールギャグで口が塞がれているので何を言っているのか分からない。多分必死に助けを求めているのだろう。


「……一応聞くぞ。何やってんだ?」

「何って、ヘビちゃんで遊ぶのぉ~♪」


 蛇蔵ではなく蛇蔵遊ぶか。大方ストレスが溜まりまくった伊佐南美に蛇蔵が会いに来て、丁度良かったからストレス発散したくて伊佐南美が遊ぼうと思ったって所か。


「あのな伊佐南美、何馬鹿な事やってんだよ」

「んぐぐっ! んーんーんーっ!」


 呆れ果てる俺を見た蛇蔵は助けてくれると思って首を縦に振る。


「ちゃんと俺も混ぜろよな。二人で仲良く遊ぶぞ」

「うん。いーよー」

「んぐーーーーーっ!?」


 とりあえずまずは適当にボコって全身に針を突き刺して内臓と肉を抉り出して手頃な大きさに解体するか。

 いざ遊ぼうと思ったら、叔父さんに見つかって止められたが。もうちょっと早くやってたら腹から上は刈れたのになぁ。



 ゴールデンウィーク最終日。この日に俺達は射城学園へと帰ってきた。


「あーあー、ユキに会いてぇ」

「神楽坂君、言うのが早過ぎます」

「だってよぉっ!」


 学校に帰ってきてからの第一声が妹に会いたいとか。情けない兄貴だ。気持ちは分かるが。特に伊佐南美なんて俺と一緒じゃないと一分に一回は俺に会いたいとか思っているそうだ。でないと精神的ストレスがかなり溜まるとか。


「きゅふふふ、お兄ちゃん~♪」

「はいはい」


 その伊佐南美はというと、送迎バスに乗り始めてから降りるまでずっと俺に抱きついていた。鬱陶しかったが可愛い妹に抱きつかれるのは嬉しかったので大目に見てあげた。今も俺の腕にしがみ付いて顔を擦り付けているので頭を優しく撫でてやる。おかげでストレス発散になっている。


「はあ、明日から授業とかめんどいぜ」

「神楽坂君は普段寝ているではありませんか。ちゃんと起きて授業を受けて下さい」

「えぇ~っ! めんどいったらめんどいんだよぉ~っ!」


 シュンが我が儘を慣れた様に諭す二宮。この二人、普段からこうだな。


「んじゃあ銃兵衛、サッサと部屋戻ろうぜ」

「あ、ああ。そうだな。伊佐南美。寮戻るから一旦離れろ」

「うん。分かったー」


 大人しく離れてくれた伊佐南美にナデナデしてやり、俺とシュン、伊佐南美と二宮で別れて寮へと戻る。

 寮の部屋に戻って荷物の整理を行う。ただシュンは片づけが苦手な奴で、旅行鞄から出した服やらを適当に放って散らかす始末だった。しかし同室だと案外慣れるもの。俺は気にせず自分の荷物を整理する。

 大体終わった所で、


「シュン、ちょっと出かけてくる」

「おお。何処行くんだ?」

「……野暮用」


 とだけ言って寮を出る。

 暫く歩いて辿り着いたのは理事長室。


「いやぁ、二人共ご苦労様」

「いえ。理事長もありがとう御座います。俺らの我が儘聞いてもらって」


 応接用ソファーに座るのは俺と伊佐南美。向かい側には金髪赤眼の美少女、嵐崎紫苑理事長だった。その後ろには秘書のほうじょうゆうさんが控えている。


「良いよ良いよ。君達には面倒掛けてるし、これくらいはちょっと無理を通せばいけるから」

「……以後気を付けます」

「だから本当に気にしなくて良いって。銃兵衛君はお堅いなぁ」


 ニッコリと笑う理事長が無駄に可愛い。年も近いからだと思うが、この人に見つめられると『普通』の男子ならオチるだろう。『異常』な俺には世界一可愛い妹・伊佐南美がいるから大丈夫だが。ヘタにオチれば死ぬし。あと横からの伊佐南美の視線がガチ怖い。


「まっ、この竹井夫婦も次期に浮き上がる傾向は見えてたから、今の内に出る芽を摘んでおくのに越した事は無いけど」


 理事長は竹井弁護士夫婦の資料をパサッと机に放り捨てる。

 ちなみに、これは後で知った話だ。竹井吉昭は俺達に痛めつけられた恐怖と両親を殺された悲劇、更に両親が散々やって来た悪行を叩くマスコミの精神攻撃から髪の毛の色も抜け、すっかり抜け殻になり果ててしまった。その後は親戚のいる地方へと引っ越したのだが、怯えた子犬の様にビクビクしているせいで転校先の学校で『都会育ちのモヤシ野郎』と馬鹿にされてイジメられたそうだ。そのせいもあってか元々崩れ掛けていた精神状態が完全に崩壊し、部屋に引き篭もって一切の光を断ってしまったそうな。俺達にとってはどうでも良い、些細な日常の一コマだけど。

 続いて俺は光元と話した内容を理事長に伝えた。


「それにしても、光元さんがそんな事をねぇ。本当に不思議だね。何で光元さんってボクには優しいんだろう。嬉しいと言えば嬉しいけど、今までお祖母ちゃんぐらいにしか優しくされなかったから正直ムズムズするよ」

「はい。何であのロリコン野郎がそうなのかは知らないですけど、大方理事長を嘗め回したい欲求でもあるんじゃないですか?」

「酷い言われ様だねぇ……」


 今更ですよ理事長さん。光元は幼女の為なら大企業の社長でも総理大臣でも惨殺する奴ですから。


「後は、『死神』か」


 理事長は光元から聞いた『ZEUS』の動向について何やら思い当たる節がありそうな顔をする。


「理事長?」

「え? あ、いや、ゴメンゴメン。なんでもない」


 あははは、と誤魔化す理事長は何か知っている。多分、楓さん殺しに関わったエージェントのなかに死神でもいるのだろうか。絶対いるだろ。死の神なんだし。


「ところで理事長、仕事の方はどうなんですか?」

「え? あー、あははは……」


 答えずにただ力なく笑う理事長は目を逸らした。ふと理事長の机に目をやる。理事長室に入ってきても気にはなっていた。ゴールデンウィーク前に見た時よりも高さは低くなっている。だがまだ残っている書類の山を。


「全然終わらなくてさ。また暫く徹夜だよ。本当に困っちゃうなぁ。あはははは……」

「理事長、目が笑ってないですよ」


 この人、よく見たら目の下に若干隈が出来ていた。仕事してたからか深夜アニメ見てたからかは知らんが、これが続くとなると折角の美少女容姿も台無しだ。この人の自業自得だけど。


「少し休んだらどうです? 疲れてるように見えますけど」

「それがそうもいかないんだ。この連休中に問題をやらかした生徒達の罰則とか経費とかその他諸々に関する書類が増えだしてさぁ、ここ三日ぐらいロクに寝てないんだぁ」

「そですか……」

「理事長」


 気の毒に思ってると北条さんが話の中に空気を読まずに入ってきた。


「何? 優子さん」

「政府より追加書類が送られました。本日中に処理してもらいたいとの事です」


 と、北条さんは百科事典並みの分厚い書類の束を理事長の前にドンと置いた。


「アハ、アハ、アハハハ……」


 もう理事長が可愛そうになってきた。笑いが笑いになってない。


「あ、銃兵衛クン。帰ってきてすぐに悪いんだけド、今日も暗殺のお仕事お願いネ? 後で優子さんから資料貰っテ」

「は、はい。分かりました……」


 これは素直に受けてサッサと退散しようと結論に至り、北条さんから資料を受け取って隣で理事長に苦笑いしていた伊佐南美の首根っこを掴んで早足で理事長室から出た。その直後に『ウギャァアアアアアッ!』とか『ゴンッ!』とか『グエッ!?』とか変な音が聞こえた気がした。うん、気がしたな。



 あきがわは自分が勝ち組だと信じて止まなかった。裕福な家庭で産まれた彼女は幼少期から英才教育を受け、自分は特別な存在だと周りから言われ続け、エリート学校に進学して常に学年上位の成績を保ってきた。彼女は大学卒業後は大手貿易会社に入社し、即戦力となって数年経って幹部にまで上り詰めた。『普通』に考えればそれは素晴らしいが、秋川の脳内は『普通』じゃなかった。

 自分は選ばれた人間。そう思い込んでいる秋川は自分が気に入らないものは徹底排除した。少しでも意見の食い違う友達をあらゆる手段を用いて底辺まで叩き落したし、自分が好きな男子に近寄る女達の変な噂を流して人生を潰したり、酷い時には親友と言った同級生を騙して奴隷の様に扱い、飽きたらガラの悪い男達の玩具として捨てた。その事実を暴露しようとする人間を何人も消した。秋川は頭が良い反面、独裁者的な考えを持つ女で、全ては自分が法であり絶対だと言い切っていた。

 秋川の性格は社会人になってからも続く。同期入社した女性社員の弱みを握って奴隷にして自殺まて追い込んだり、上司の男性社員と何人も密かな関係を持ってコネを作り、ミスをしても仕事が出来ない社員に責任を押し付けて自分は澄ました顔でいた。勿論秋川を嫌う社員も大勢いたし、もっと上の人間達も秋川の諸行については知っていたが、それを口にすれば自分が死んでしまうと社長でさえ言えない。現に社長秘書が秋川に注意したら次の日からその秘書は姿を見せなくなったのだから。

 正に秋川は女王同然で気持ちが良かった。そんな彼女は貿易会社に勤務している事を利用して副業を始めた。

 取り扱うのは臓器、麻薬、女性、その他危険物の取引だった。お嬢様育ちな秋川は金を惜しまず裏の世界に出入りする連中と繋がりを作った。健康な臓器を違法に入手したり、麻薬密売拳銃密売、女児や若い女性を攫って外国に売り飛ばしたりなどを平気で行った。若い方が高く売れるからだ。その中には自分の嘗て同級生だった女性達もいたが、秋川にとっては商売道具か家畜ぐらいの認識であり、


「……何言ってんの? あんたみたいな駄目人間を私みたいな選ばれた人間が使ってやってるんだから感謝して欲しいぐらいよ」


 自分より上の人間なんて何一つ認めていなかった。

 手に入れた大金を元手に売買を続ける。最近の傾向としては腎臓や肝臓、十代の娘がよく売れるので使い捨ての手下を雇って用意する。特に人攫いには気を遣う。大事な商品なので傷なんてつけられないが一度捕まえれば楽なものだ。拘束して好きなように調教出来るし、時には薬漬けにして肉便器に仕上げた事もあった。途中で壊れればすぐに捨てて新しい商品を見つけるだけだから。

 秋川が表向きは大手企業の優秀な若手幹部、裏向きは闇取引をやって五年ほど経ったある日。

 彼女は暗闇を彷徨っていた。今自分が何処にいるのか分からない。身体が思うように動かない。自分の身に何が起きたというのだ。

 誰かの声が聞こえる。秋川は重たい瞼をゆっくりと開けた。


「ん……っ……!?」


 そして、絶句した。

 秋川は今、何処かの廃工場に監禁されていた。金属製の拘束具で身体を大の字に拘束され、身動きが一切取れない。服は着ていたし口もふさがれていない。大声を上げるが大した意味は無い。やけに寒い。もう五月な筈なのに。


「ど、何処よここ……」

「きゅひゅひゅひゅ♪」


 秋川の耳元に不気味な笑い声が聞こえた。声のした方に顔を向けると、そこには奇妙な格好の少女がいた。少女は全身を変な黒いコートで覆い、顔も蝶の翅みたいな飾りがついた仮面を装着している。

 少女は屈み込んで顔を近づける。


「だ、誰よあんたっ!? わ、私にこんな事してゆ、許されると思ってんの!?」

「秋川美菜子。貿易会社の若手幹部。でも裏では臓器やらお薬やら女の子やらを売り飛ばす悪い人ー♪」


 秋川を無視して少女は秋川の正体を淡々と述べる。少女はコートの中から書類の束を取り出して秋川に突き付ける。

 書類を見た秋川の顔は真っ青になった。その書類は今の今まで自分のしてきた事の全てが記載されたものだったからだ。


「オバサンはー、私達の世界に勝手に入って勝手にあーんなことやこーんなこととかしゃったのでー、おしおきしまーす♪」

「な、何言ってんのよ!? あんた警察? フザけてんの!? この私の手に掛かればね、あんたみたいなガキなんて……あとオバサン言うな!」

「きゅひゅひゅ。そっれじゃあはっじめまーす!」


 少女は書類の束を放り捨てて、腰に下げてあったそれを抜き取った。

 それ――やたら反りの大きい、黒い刀身を持った鋸の様な日本刀を。


「えいっ!」


 ――ブシュッ!


「あぁっ、あぁぁぁぁぁっ!?」


 秋川はいきなりの出来事に訳が分からず、ただ突然の痛みに声を上げた。

 少女が秋川の足に日本刀を突き刺したのだ。


「えいっ! えいっ! えいっ!」


 少女は刺し続ける。足の指を一本一本切り落としながら。


「イ、イヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーっ!」


 秋川は絶叫した。少女はお構いなく刺す。足を大体刺し終えると、次は腹部を刺した。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッーーーー!」

「えへえへへへ♪」


 秋川の悲鳴をまるで楽しむかの様に少女は刺す。兎に角刺す。刺しては抉り、刺しては抉る。


「あは、あははは。たのちぃなぁ~♪」


 少女は秋川を刺した日本刀、その刃についた血をクンクンと嗅ぐ。そして、


「ペロッ」


 小さな舌で可愛く舐めた。その光景は同年代の男子ならキュンと来るだろう。舐めているが血なのを除けば。


「や、やめ……」

「あ~、おいちいなぁ~」


 少女はペロペロと、まるで飴でも舐めるみたいに日本刀に付いた血を舐め続ける。


「おいちいなぁ、おいちいなぁ、も、もっと、もっとペロペロしたいなぁ~」


 少女は狂ったように、それでいてそれはもう嬉しそうに舐め続ける。痛みで我を忘れかけていた秋川が残る意識の中で見たのは、自分の血をウットリとした顔で舐め続ける美少女の顔だった。

 舐め終わった少女はまだ物足りなさそうに綺麗になった刀身をまだ舐めていた。


「あぁ、あぁ、ペロペロ、ペロペロ……」


 少女はゆっくりと、ゆっくりと秋川に目をやった。その時の少女の目は、『普通』じゃなかった。


「ひ、ひ、ひ……」

「あは、あははは」


 少女はまた刺した。腹部をこれでもか、これでもか、と。


「ひ、ひぎゃぁあああああああああっ!?」

「あはっ! あはははははは! ははははははははははっ!」


 少女は笑いながら刺す。刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す。


「もっと、もっとさすの。もっとさすの。さすのさすのさすのさすのさすのっ! おにくっ! ち! ち! ち! ちィッ!」

「アアアアアアアッッッーーーーッッッ!」

「ハハッ! もっひょ、もっひよ、もっひょ! ひゃははははははっ! もっひょぉぉぉぉっ!」


 秋川はもはや言葉にならない悲鳴を、少女は言葉にならない笑い声を叫び続ける。

 少女は笑っていた。但しそれは『普通』の笑顔じゃない。狂った人間の、頭の可笑しい人間の、『異常』な人間が見せる笑顔だ。


「グッチャグチャ、グッチャグチャ! グッチャグッチャグッチャグッチャグッチャグッチャ! グッチャグチャ!」


 少女の刺す速度が速まる。『普通』に考えればもう秋川は死んでいる。だが少女は刺し方が別の意味で上手だ。死なない程度に抑えて肉を抉っている。

 粗方終わって、少女は日本刀に付いた血をまた舐め出した。


「はぁ、はぁ、はぁ、ペロペロ、血ィ、ペロペロ、血ィ、おいちぃのぉ~」


 少女は顔を返り血ではなく熱で赤く染めて、内股になって足をモジモジさせながら血を舐め続ける。まるで性的な快楽を受けているようにも見えた。


「あ……や……め……て……」


 秋川は、ここまで生きてるのが奇跡だと思っていた。最後の力を振り絞り、枯れた声で助けを求めた。だが少女からの返答は、


「オバサンはぁ~今まで何人売りましたかぁ~? 何人消したましたかぁ~? 何人イジメましたかぁ~? その中でぇ~、オバサンは一人でも助けてぇ~って言われませんでしたかぁ~? その時オバサンは~、助けてあげましたかぁ~?」


 秋川は死に際の走馬灯の中で、今まで自分が陥れた人間達が恐怖する姿を見た。その時自分はどんな顔をしていたか。勝ち組だと思って散々やってきた。勝ち組だから報復なんて絶対無い。そう信じていた。


「あ……あ……か……は……」

「それじゃあぁ~もういっかいっ!」


 少女は容赦なく秋川を攻め立てた。肉の切れる鈍い音と少女の笑い声が無人の廃工場内に響き渡る。


「あはははっ! にくさすのっ! にくさすのっ! さすのさすのさすのぉぉっ!」


 ――ブチッ、ブチッ、ブチッ、ブチュッ


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁぁぁぁぁぁんっ!」


 ――ブシュゥゥゥゥッ!


 少女が喘ぎ声を上げて、とうとう秋川を刺し終えた。盛大に出血した秋川は既に息絶えていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……血ィ、血ィ……」


 そしてまた刃についた血を舐め始める。


「……霞」


 そこへ、外野で一連の出来事を見学していた一人の少年が静かに入ってきた。正確には、秋川と取引で繋がる人間達を始末し終えて少女の様子を見に来たら偶然少女が遊んでいる途中だったのだ。


「あ~、影く~ん」

「そんなに楽しかったのか? 人を嬲り殺しにするの」

「うん~。たのちかったぁ~」


 少女は満足げな顔でニコニコと笑いながら血を舐める。


「えへへへ~、血がおいしい~」

「血舐めんのは良いけど、全部終わってからにしろ。サッサとズラかるぞ」

「は~い……あ!」


 少年に言われて無邪気に返事をした少女は日本刀を仕舞って後片付けに取り掛かろうとした。が、何故か立ち止まった。


「どうした?」


 少年が訊ねると、少女は頬を赤く染め、股辺りを手で隠す仕草をする。


「えへへへ、パンツ濡れちゃってたぁ~」

「……お前、アホか」


 少年は呆れて物も言えない。

 この十分後、廃工場内には静寂が訪れた。

 後日。秋川美菜子が学生時代から今までに行ってきた所業や闇取引の実体が公になったのは、彼女の死体が発見されてから数日後の事だった。

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