肆拾壱殺
竹井吉昭は早足で歩いていた。
「何で、何で神楽坂さんは……」
ブツブツと何かを呟きながら、目の前を睨みながら只管歩いていた。
「何で僕という運命の人がいるというのに、何で実の兄なんかに……」
竹井は決してイケメンではない。成績が学年トップでも無ければ部活で活躍してる訳でもない。ただ両親が弁護士をしているだけだ。それだけの事なのに竹井は自分は偉い人物と思い込んでいる。その証拠に今まで自分に逆らってきた者などいなかったし、常に周りから賞賛の言葉を掛けられていた。望むものは何でも手に入ったし、親に言いつけると言えば教師でさえ自分を特別扱いしてくれる。だがそれは、「親が弁護士」という肩書きを持っている竹井が偉いのではなく、その両親の方に周りの大人達が怯えているからだ。
何を隠そう、竹井の両親は凄腕の弁護士と言える実力者では無いものの、ありとあらゆる他人の弱みや秘密を調べ上げ、それをネタに揉め事や不祥事を穏便に片付ける手段を使うからだ。しかもヤクザなどの危険な連中とも関係を秘密裏に持っており、そんな相手を敵に回してしまえば自分達の社会的地位は殺されてしまう。それを防ぐ為には息子である竹井を特別扱いしなくてはいけない。
竹井は自分の要求が聞き入れられなくなると決まってその事を両親に報告する。その両親もまた親馬鹿で、世界一可愛い息子が不快な気持ちをしたとして相手を容赦なく叩き落とす。
具体的な過去の例を上げると、
・小学校の学芸会で息子が劇の主役になれず脇役に決まったので、相手の親を脅して無理矢理息子を主役にさせた。
・宿題が多過ぎると不満を漏らす息子の為に自ら担任と交渉(と言う名の脅迫)をして息子のクラスだけ宿題を消した。
・クラスの気になる女子生徒と二人きりになりたいと言った息子の為に、ヤクザを動かして女子生徒を拉致して息子の玩具にしてあげた。
などなど、今まで数え切れないぐらいの事をしてきた。
本人としては、自分の行いを悪いとは全く思っていない。寧ろ自分達は選ばれた人間だから何をしても許される。邪魔をする周りが悪いと思っている。そんな自己正当化の価値観で生きているのだ。
そんな竹井は今日、これ以上にない屈辱を受けた。
彼にとって女の子を好きになるなんて何度かあった。その中でも彼女は格別だった。身体が良いとか、顔が可愛いとか、理由は様々だが、今までに会った事の無い素晴らしさを持っていた。
初めて彼女に会ったのは二年のクラス替えで同じクラスになった時だ。それまであんな美少女がいるとは夢にも思っていなかった。直接話す機会は無いと思っていたから、遠くからジッと見つめる程度で我慢していた。
だがチャンスは訪れた。廊下を歩いている時に持っていた教科書をうっかり落としてしまった時だ。ノートと筆記用具もまとめて落としてしまい、辺りに散らばってしまったので拾うのが大変だった。
そんな時だった。彼女は彼に近寄って落としたノートや筆記用具を拾う手伝いをしてくれた。
拾ってくれた物を渡してくれた時に彼女が見せてくれた笑顔は今でも忘れない。本人は何事も無かった様に友達と場を後にしたが、この時彼は思った。
――彼女こそが、僕と結ばれるべき人なんだ。
客観的に見れば只の思い過ごしだろうが、彼はその日から兎に角頑張った。彼女への想いを綴った手紙を何通も送り、彼女が喜びそうなアクセサリーなどを大金はたいて買ってはプレゼントし、時には何度も言い寄ったりもした。
結果は最悪だった。どんな手紙、どんな高価な品、どんな口説きも全部効かず、遂には自分がストーカー呼ばわりされた。
それでも彼は諦めなかった。何度も言い寄って交際をお願いしたり、自宅にまでやって来たりもした。
それなのに、全部駄目だった。一体自分のどこが不服なのか真剣に考えてみたが、やっぱり見当がつかない。今度はゴールデンウィークにも学校と自宅に言ってみた。そして今までで最悪な結果だった。彼女の兄という人物が帰ってきており、その兄が激昂しながら断固拒否したのだ。だが家族に邪魔されようとへこたれず、竹井は手を伸ばした。
だが、目の前に厄介なのが立ち塞がった。なんと彼女というか、兄の知り合いがツテで自兵を雇ってきたのだ。何でも屋風情さえいなければ、全て上手くいっていた筈だったのだ。でもあの時耳元で言われた一言で凍りついた。
――いい加減にしないと、君の生活壊すよ?
その声には『普通』ではない、何か危険な雰囲気が混じっていた。金さえ払えば何でもやる自兵だ。本当に壊しかねない。竹井はそう思った。
一旦引き下がった方が良いと判断して逃げたが、彼にとっては怒りと復讐心で一杯になってしまった。特にあの兄は一番邪魔だ。
「……そうだ。あんな男がいるから神楽坂さんは僕と結ばれないんだ。きっとそうだ。そうなんだ」
「……おい竹井さん」
邪魔な人間は排除するに限る。これまでもそうしてきた。今度もそうしようと竹井は決めた。
「ふ、ふふふ、アイツを消して、神楽坂さんは僕のものに……」
「竹井さん!」
突然大声で呼ばれて他形はビクッとする。声のした方を向くと、そこには馴染みのある集団がいた。
「な、なんだ君達か。驚かさないでほしいよ」
「何言ってんすか。何度も読んでんのに返事しねえのが悪いんじゃないっすか」
この集団は不良に毛の生えた者達だ。年は竹井より年上で、恐喝、強姦、窃盗など平気でやる犯罪慣れした連中だ。竹井は中学に入る前からこの連中に大金で依頼して気に食わない奴等を酷い目に遭わしていた。
リーダー格である肌の焼けた青年がやれやれと嘆息する。
「ったく、今度はどうしたんですかい。さっきからブツブツ言ってよぉ」
「あ、ああ。ちょっとね……」
とここで、竹井は閃いた。いくら消したい相手でも、非力な自分には到底無理だ。だが、金に物を言わせれば話は別だ。
「……ねえ君達、ちょっとお願いがあるんだけど良いかな? 勿論報酬も弾むよ」
竹井は彼らに、好きになった女子生徒の兄の排除を依頼した。ここは人通りの少ない裏路地で、入る時も注意していた。話しても大丈夫だと分かっていた。
唯一の誤算は、羽鳥蛇蔵が近くに潜んでいる事に気付かず、会話内容全てを彼女に聞かれていた事だった。
◇
この日の夜、俺は伊佐南美と一緒に風呂に入った。
そう風呂である。高校生の兄と中学生の妹が一緒に風呂に入るなんて『普通』に考えればまずない。いや、絶対にないとは言い切れない。そういう家庭もちらほらあるだろう。仲が良くて睦まじいと思う人もいるだろう。
俺と伊佐南美も例外ではない。伊佐南美が中学に上がるまではほぼ毎日風呂が一緒だった。親が生きていた頃は父さんか母さんが一緒に入ったりもあった。伊佐南美は小さい手で俺の背中を頑張って流してくれたし、俺も伊佐南美の身体や髪の毛を綺麗に洗ってやった。
伊佐南美が中学生になり、お年頃になってきた頃は変わった。まあアイツにも恥じらいというのを学んだんだろう、俺と入る回数が激減した。俺としては毎晩妹の髪を洗う面倒が減って楽になったと内心思っているが、寂しくないと言えば嘘にもなる。
そんなこんながあっても、やっぱり伊佐南美と風呂に入るのは楽しかった。
「えへへ、お兄ちゃん~」
風呂から出た後の伊佐南美は黄色の浴衣姿で俺にベタベタ甘えてきた。これはいつも通りだ。
「お兄ちゃん、しゅき~」
「はいはい」
俺に頬擦りしてくる伊佐南美の頭を優しく撫でてやる。うーむ、いつ見てもやっぱり可愛い。
「ねえねえお兄ちゃん、今日も私とネンネしよー」
「ああ。構わないぜ」
「わーい! お兄ちゃんだーい好き!」
伊佐南美が俺をギュゥゥゥッと抱き締めて顔をスリスリとする。まったくこの妹という奴はよぉ、何処まで可愛いんだこの野郎。
「やっほー! たっだいまーっ!」
と、折角の団欒も束の間、邪魔な蛇が帰ってきやがった。
「……蛇蔵、失せろ」
「失せてヘビちゃん。ていうか死んで。今すぐに」
「えーっと二人共、ここ一応あたしの家なんですけど……」
「だからどうした。すぐにでも死ね」
「うんうん。死んで死んで。ていうか殺すよ?」
同じ空間にいるだけでロクな事に遭わなくなる疫病神こと蛇蔵の帰宅に俺達は『普通』の対応。即殺してぇ。
「えー? せーっかくあの後の事を報告しようかと思ったのになぁー」
「よし、それを伝えたらすぐに消えろ」
「ヘビちゃん、生涯嬲りと嬲針山地獄、どっちが良いか選ばせてあげるよー」
チャキ、と拷問用の針を取り出した伊佐南美がニコニコの無邪気な笑顔で蛇蔵に訊ねてくる。
「わ、分かったよ~、言うからそれ仕舞ってよぉイサちゃん~」
それを見た蛇蔵はアハハと苦笑いしながら渋々承諾する。もし拒否したらドSな伊佐南美による拷問講演会が開かれる訳だ。ちなみにタイトルは「馬鹿な蛇の調理法」。
「蛇蔵、サッサと言え」
「う、うん」
俺にせかされる蛇蔵はストンと正座し、ポケットから色々と取り出した。
まずは件のストーカー、竹井吉昭がガラの悪い連中とつるんでいて、その連中との会話を録音したというのでそれを聞く事にした。
要点をまとめるとこんな具合だ。
・穂乃雪ちゃんはシュンによって束縛されており、あらゆる自由を奪われている。自分に興味が無いのはそうするように強要されているからだ。
・しかもシュンは金にものを言わせて自兵を雇って穂乃雪ちゃんを逃げられないようにしている。
・シュンを始末して自分が穂乃雪ちゃんを救う。そうすれば彼女は自分に振り向く。
・連中には見返りとして大金+伊佐南美や二宮を好きにしてもいい。
と、言う事為す事でたらめばかりを事実みたいに早口で言っていた。唯一の事実は自兵がぼったくりな所ぐらいだ。
これは明らかに自身の頭の中の理想が現実だと勘違いしている。少しでも違う部分が現れたらそれを全力否定して排除に当たる、俺達が狩る標的に入るタイプの人間だ。
竹井はその他にも、シュンや俺達の始末と穂乃雪ちゃんの略奪を連中に依頼していた。会話内容がスムーズに進んでいるので、過去にも似た様な事をし続けている感じだ。もし面倒事になっても竹井が親に頼めばどんな黒も白にするとかも言っている。
「……これはまた面倒臭えな」
「面倒だねー」
別に簡単に殺せるし、寝る前に殺しに行ってついでに蛇蔵も殺して寝るぐらいは出来るんだが、今回ばかりは場合が場合だ。それは最終的な手段として温存する必要がある。
逆に言えばこういう事だ。
「まあ、殺さない程度で痛めつければ問題ないよな」
「だね~」
相手を殺さずに揉め事を解決するのは殺し屋にとって無用な技術だが、それを持っていないと表の世界で鳴りを潜める時に苦労してしまう。
けど、これをシュンに聞かせたら絶対に激怒して竹井家に乗り込みかねないし、具体的にどうするかは明日考えよう。要点は相手をボコれば良いんだし。
「蛇蔵、ご苦労だったな。という訳だからサッサと失せろ。殺すぞ」
「う~! ジュウくんのいけず~!」
蛇蔵は涙目になって部屋から出て行く。隙あらば殺ろうかと思ったが、流石にそこまでさせる程アイツも二流ではない。
「お兄ちゃん、ネンネしよーよー」
そろそろオネムの時間になってきた伊佐南美が欠伸をしながらグイグイと服の裾を引っ張ってくる。
「伊佐南美、少し待ってくれ。理事長に電話する」
「えー、こんな時間にー? 理事長さん寝てるんじゃないー?」
「いや、あの人この時間帯はアニメ鑑賞してるってこの前言ってただろ」
「あー、そっかー」
テヘペロ、と伊佐南美は可愛く仕草を取る。
実は出発前夜、仕事を片付けて帰還した理事長に、「もし何かあったら遠慮なく電話しておいで。夜はアニメ見てるから真夜中でもオッケーだよ」と言われていたのだ。
仕事が大量に残っているのに呑気にアニメ見てる場合かよとかツッコミを入れたかったが、一応雇い主だし、その辺は北条さんがなんとかしてくれるだろう。
てな訳で、早速理事長に電話をする事にした。
『はい、もしもし』
「もしもし理事長、銃兵衛です」
『やあ、こんばんは銃兵衛君』
「夜分遅くにすみません。ちょっと理事長に話があって。今大丈夫ですか?」
「うん良いよ。丁度『キラキラ☆スター』終わった所だし」
「そうですか……」
理事長さん、あなた仕事はどうしたんですか? ちなみに『キラキラ☆スター』とはアイドルを目指す女の子が主人公のアニメである。
とりあえず、理事長に事の次第を話す事にした。
『……ふーん、そっか。それはまた面倒臭いね。神楽坂君の事だから、学校辞めて実家に帰るとか言い出しそうだし』
「確かにそうですよね。理事長としてはそれはマズい事ですもんね?」
『まあね。抹消するのは簡単だけど、次世代を担う『異常』な若者を無慈悲に消すのは教育者としての器が問われるから不必要に消したりするなって言われてるんだよね。銃兵衛君、悪いんだけどそっちでなんとかしてくれないかな?』
「それは別に構いませんが、事後処理とかは理事長がやって下さいよ。いくら俺でもそこまでやりたくありません」
『勿論良いよ。君達の頼むだもん』
理事長は快く協力してくれた。日頃から暗殺の仕事を請け負っているおかげで信頼は得ているし、光元からの紹介もあって随分と買ってくれている。
「あの理事長、ついでに聞きたい事があるんですけど良いですか?」
『ん? 何かな一体?』
「その、神楽坂俊介と二宮金実の『異常』についてなんですけど……」
俺はどうしても気になる事があった。それはシュンと二宮が射城学園に来た理由である『異常』さについてだ。二宮は大体予想出来るが、シュンの場合は何が『異常』なのか見当がつかないでいたのだ。
本当は知らなくても損はしないが、知りたくないと言えば嘘にもなる。いくら理事長でも生徒の個人情報を簡単に言う訳……
『知りたいの? 良いよ。教えてあげる』
あっさり教えてくれやがった。この学園の情報管理はどうなってんだ。ここまでザルだと『ZEUS』に滅ぼされるぞ。
『まず二宮君についてだけど、彼女は分かるよね。彼女はあの二宮金次郎の血を引いた勉強家なんだよ』
「……でしょうね」
薄々思っていたけど、本当にそうだったとは。
二宮金次郎こと二宮尊徳は誰もが知る勤勉の象徴。小学校の校庭に銅像があったりするので大概の日本人なら知っている。朝から夜まで毎日働き、合間を縫って勉強に勤しみ、貧しくなった実家を再興に成功。その甲斐あって財政の建て直しを依頼され、600近い村の建て直しをしたという。
『血を引いたって言ってもね、実際はかなり遠縁に当たる人物の家系なんだ。それでも一番二宮金次郎の血が濃くてね。二宮君は物心ついた時から生活の殆どを勉強に費やしていて、最高偏差値はなんと90越えまでいったりしたんだよ』
「きゅ、90!?」
なんだそりゃ一体。テストで90点なら分かるが、偏差値で90取るってどんな頭してんだよ。俺でも良くて70、伊佐南美は80ぐらいしか取れないのに。
『二宮君の場合は『異常』なぐらい学力が高過ぎるせいで小中学校の平均学力に大きな支障をきたしてたんだ。だから彼女が通っていた中学校に手を回してそこそこ勉強のレベルが高いウチに入学させたって訳。ああいう優等生は後々自分で自分を壊しかねないから』
「そうですか……」
多分だが、二宮本人はその自覚は無いと思う。自分が勤勉の象徴の血を引いた、ある種の天才少女だなんてこれっぽっちも思っていない。
理由は、二宮の普段の態度だった。アイツは言ってしまえばクソ真面目だ。自分の素行を決して崩さず、淡々と勉強をしてきたのは趣味の一環ぐらいにしか考えいない。授業態度も生活態度も模範生となれるほど完璧なもので、遅刻、欠席、早退、服装の乱れは一切無し。積極的に挙手して発言するし、昼飯を食う時でさえいただきますとごちそうさまを必ず言う、帰る時も挨拶を忘れないなどなど数え切れないくらいの真面目っぷり。
ところがだ、真面目な人間ほど人生のドツボに嵌りやすい。暗殺稼業に出会った被害者の一部にはクソ真面目だったりバカ正直だったりする人が多い。そういう性格は頭の回る屑共に利用されやすいからな。まあそんな屑共はちゃんと殺してるけど。
二宮の性格は長所だ。だが長所は時に短所にもなる。今の内に矯正しておかないと取り返しがつかなくなる。
「で理事長、神楽坂の方は何なんですか?」
『ああ、神楽坂君の方なんだけど……あ、銃兵衛君ゴメン。今から『銃姫と刀士の放蕩旅』見なくちゃいけないから切るね』
「あ、分かりました。おやすみなさい」
『うん。おやすみ』
理事長は電話を切った。ちなみに『銃姫と刀士の放蕩旅』とは、没落した王族の姫(かなり強い)と流浪の刀使い(同じく強い)が流れるままに旅をするアニメである。
あの人の見るアニメはラインナップが色々だな。夜更かしして大丈夫なのかよ。夜な夜な人を殺している俺が言える立場でもないが。
そんな事はどうでも良いか。俺はスマホを置いて伊佐南美に顔を向ける。伊佐南美は頭をカクンカクンと揺らしていて、半分以上眠っているのを持ち前の忍耐力でうっすら起きているだけだ。
「伊佐南美、もう寝るぞ」
「……う、にゃあ~」
伊佐南美は残っていた力を全て投げ捨てるように俺に抱きついてきて、そのまま俺を押し倒し、眠りに入ってしまった。
「……おいおい」
俺はやれやれと溜息を吐く。妹に上から抱きつかれる姿勢で寝るのは珍しい事ではないが、それはまだお子様だった頃の話だ。でもコイツもお年頃。なんと言うか、その、
(……コイツもしばらくしないうちに重くなりやがって)
この前抱っこしてやった時は軽かったのに、時間の進みは早いな。なんて思っていると、
(ガスッ!)
「ぐっ!?」
突如、俺の顔面に鉄拳が炸裂した。それは伊佐南美の拳だった。
この野郎、スヤスヤと可愛い寝顔しながら条件反射で殴りやがったな。あたかも俺の心を読んだみたいに。
そりゃ確かにさ、女の子相手に重いとか言うのは失礼だけどさ、防御出来ない体勢のまま殴った挙句に反撃出来ない顔するのは本当に止めてほしいよ。
「……ま、いっか」
たかが殴られたぐらいで腹立てるのも大人気ないし、俺も就寝する事にした。
「……すぅ、おにいちゃん、しゅき。えへへへ……」
当然、時々聞こえてくる伊佐南美の寝言も一字一句キチンと聞きながらであったが。
◇
次の朝。
「…………」
俺が目を覚ました時、一番最初に見たのは美少女の寝顔だった。
どういう事だこれは。何故俺は美少女と一緒に寝ている。『普通』の思春期真っ只中の男子高校生ならそう考えるだろう。
だが俺はそうではない。コイツは妹だ。昨日俺が待たせたばかりに俺を押し倒して眠ってしまったのだ。
「……まったくお前って奴はよぉ。こんなにも可愛い顔で寝やがって」
俺は伊佐南美の髪を優しく撫でる。すると伊佐南美が顔を少し動かす。
「……うへへ、おにいちゃん、もう食べられないよぉ……」
起きたかと思ったら、どうやらまだ夢の中だ。しかも寝言がベタという。大方俺と美味しい物を食ってる夢でも見ているんだろうな。
「……はぅぅ、おにいちゃん、わたしたちきょうだいなのにぃ~そこダメだよぉ~」
……本当にコイツはどんな夢見てんだ。
時計を確認してみると時刻は午前七時。ちょっと早いが一回殴って起こすか。いや駄目だ。この体勢では殴れん
「伊佐南美、伊佐南美」
試しに伊佐南美の頭を指で突いてみる。
「……ん、ん……」
反応があった。伊佐南美は身体をモゾモゾとさせ、瞼がゆっくりと開かれる。
「……おにいちゃん、おはよー」
「ああ。おはよう」
黒い瞳を見せた我が妹が起床した。寝顔も可愛いが目覚めた時の顔も可愛い。
「伊佐南美、起きたならどいてくんねえか? 俺が起きられないんだが」
「ぅえ?」
伊佐南美はポカンとして、今自分が何処で寝ているのかを時間差で理解してくれた。
「あー、ゴメンゴメン」
良い子な伊佐南美は四つん這いに起き上がるとハイハイしてどいてくれた。
「うー、眠い」
俺もむくりと起き上がり、女の子座りしている伊佐南美が朝のナデナデを待ち構えて頭を出してくるので、その楽しくゆれる頭を優しく撫でてやる。それだけの事なのに伊佐南美は最上級の笑みを浮かべる。
「なあ伊佐南美、お前どんな夢見てた?」
とりあえずまずはさっきの寝言の正体について聞いてみた。気になってしかたがない。
「うーんとね、うーんとね……」
伊佐南美は頬を赤く染め、モジモジしながら胸元を両腕で隠す。
「……そんなの、恥ずかしくて言えないよぉ」
おい待てやコラ。どんな夢見てたんだよ。
詳しい内容をボコッて聞くとして、俺達は着替えを済ませて居間に向かう。
その途中、俺達に疑問に思うことがあった。
「なあ伊佐南美」
「なぁにお兄ちゃん?」
「蛇蔵って何で来なかったんだろうな」
「さぁ?」
それは寝ている時に蛇蔵がやって来なかった事だった。アイツだから来たら殺すと言っても来るだろうに。後で本人に聞いてみるか。
障子を開いて居間に入ると、既に千蔵叔父さんが食卓に座って新聞を読んでいた。
「お、銃兵衛君、伊佐南美ちゃん、おはよう」
「おはようございます叔父さん」
「おはようございまーす!」
俺も伊佐南美も朝の挨拶をして食卓に着く。
タタタ、と台所から足音が聞こえてきた。
「ジュウくん、イサちゃん、おっはー!」
東京自兵高校の制服の上にエプロンを着た蛇蔵が天真爛漫な笑顔で挨拶してきた。疫病神女だが一応礼儀として挨拶するか。
「おはよう蛇蔵。とりあえず死ね」
「おはようヘビちゃん。いますぐ死んで」
「二人共、そんな朝から物騒だよー」
アハハハと苦笑する蛇蔵は逃げるみたいに台所へと引込んでいく。
「二人共、蛇蔵には相変わらずだね」
従兄妹同士のやり取りを横で見ていた叔父さんがヤレヤレとした表情で言ってくる。
「叔父さん、いつまでもあんな蛇飼ってたら駄目ですよ。すぐに殺処分しないと。なんなら俺がやりますよ」
「そうですよ叔父さん。私だったら一年掛けてじっくり殺しますから任せて下さい」
「君達、蛇蔵は一応私の娘なんだが……」
何を今更な。叔父さんもそうやって甘やかしているから蛇蔵も独り立ち出来ないんですよ。独り立ちした時点で即殺しますが。
言わずもがなだが、羽鳥家での食事は全て蛇蔵一人で作っている。折角親戚の家に来たんだし伊佐南美も手伝ったら良いのではと『普通』に考えたら思えるがそうはいかない。
あれは俺と伊佐南美がまだ小学生の頃だった。三人で協力して料理を作ってた時、偶然蛇蔵の肘にぶつかった俺は偶然転んで偶然戸棚に背中をぶつけ、偶然戸棚の上に仕舞ってあった食用油が偶然落ちてきてしまい、偶然蓋が開けっ放しであった為に俺と伊佐南美は油塗れになってしまい、蛇蔵は無事だった。
俺と伊佐南美が中学一年の頃だった。三人で料理していた時に偶然蛇蔵が誤って包丁を俺に振ってしまい、咄嗟に避けた俺は偶然隣にいた伊佐南美にぶつかり、その拍子に伊佐南美は偶然持っていたボウルを落としてしまい、そのボウルの中に偶然入っていた天ぷら衣用の水を床にぶちまけ、それに偶然滑った伊佐南美の足が偶然俺に蹴りを入れる形となり、回避出来なかった俺はそのまま伊佐南美目掛けて転んでしまい偶然にも互いの額と額を強打した。
この他にも蛇蔵と台所にいるだけで多大な被害を受けた結果、俺達は蛇蔵と料理する事を止めたのだった。
「お待たせー! 出来たよー!」
しばらくして蛇蔵が朝食を作り終えて食卓に並べる。御飯、豆腐とワカメの味噌汁、卵焼き、焼き海苔、漬物と日本の朝食を思わせる献立だ。
「それでは、いたたぎます」
「いっただきまーす!」
「……いただきます」
「……いただきまーす」
まず最初に蛇蔵が卵焼きをはむ、と頬張り、続いて叔父さんが味噌汁を啜り、その後に卵焼きを食べたのを確認した俺と伊佐南美は朝飯に手を付ける。
「……うん、大丈夫だな」
「おいしー」
「ねえねえジュウくん、イサちゃん、今さっき完全にあたしとお父さんを毒味役にしたよね?」
「正確には叔父さんを、だがな。別にお前は毒死しても一行に問題無いしな」
「うんうん。むしろ私達がヘビちゃんに毒盛りたいぐらいだしね」
「ヒドイ!」
蛇蔵が作った料理には細心の注意を払う必要がある。
中一の頃だった。蛇蔵が偶然市場に行って買った生ガキが偶然俺と伊佐南美にだけあたってしまって三日三晩寝込む羽目になり、蛇蔵は偶然無事だった。
小学五年生の頃だった。遊びに来ていた蛇蔵が作ったカレーが偶然腐っていてしまい、それを知らずに食べた服部一家は食中毒を起こした。
中三の頃だった。偶然蛇蔵が作ってくれた料理全部が偶然塩と砂糖を間違えて作られていた。しかも全部が偶然大量投入していた。
この他にも以下同文。
「お父さんお父さん! 二人があたしの料理を毒扱いしてくるー! 何か言ってよぉっ!」
涙目になって訴えかける蛇蔵に、味噌汁を啜り終えた叔父さんは申し訳無さそうに口を開く。
「……蛇蔵、何も言い返してやれないお父さんを許してくれ」
「そんなぁっ!?」
それは仕方が無い。現に叔父さんは一番蛇蔵からの被害が多い。この前も蛇蔵が作った卵料理で偶然腹を壊した事もあったらしいし、蛇蔵が偶然投げた手裏剣が偶然叔父さんが気に入っていた陶器に当たって粉々に砕いたこともあったらしい。
料理だけでなく普段から多大な被害に遭っている叔父さん。それでも尚蛇蔵を勘当しないのは、そんな事ぐらいで一々気にしていたら暗殺者としての器が問われるし、蛇蔵を産んで早くに亡くなってしまった叔母さんの分まで可愛がってやりたいという親心がある為だ。要するに叔父さんは親バカなのである。
「つうか蛇蔵、昨日は寝床に来なかったが、何してたんだ?」
「何って、お父さんと寝てたんだよー?」
マジかよ。殺されると思ってはいただろうが、よもや父親と寝ていたとは。
叔父さん、大の大人が年頃の娘と添い寝するのは少しみっともないと思うんですけど。
「……あっそ」
「……ふーん」
って言わないでおく。なんせ俺達だって両親が生きていた頃は家族一緒によく寝ていたから人の事を言えない。特に俺は母さん、伊佐南美は父さんと一緒が多かった。あのスタイル抜群の母さんが放つ特有の母性は昔からホッと出来るものがあったし、鋼の様に硬い肉体を持った父さんは抱き心地満点だった。あの二人となら毎晩でも寝たくなる。子供が横で寝ているのにも関わらず平気で夫婦の親睦を深めていなければもっと良かったんだが。
「はいお父さん、お茶」
「ああ。ありがとう」
朝飯を食べ終え、蛇蔵が食後のお茶を入れる。
「はい、ジュウく……」
「ほい伊佐南美」
「うん」
但しそれを受け取ったのは叔父さんだけで、俺と伊佐南美の分は俺が入れた。
「ねえねえジュウくん。何であたしの入れたお茶飲まないの?」
「お前が入れたお茶なんざ飲めるか。ぶっかけるぞ」
「うんうん。ぶっかけて電気をバチバチィッ! ってやりたい」
「うぅ~っ! お父さん~!」
「……蛇蔵、すまん」
「うぎゃぁ~っ!」
昔、蛇蔵が入れたお茶に偶然猛毒が盛ってあって、俺はそれで死に掛けた経験がある。それ以降は自分でお茶を入れるようになった。伊佐南美も似たり寄ったりな経験を受けた。
「それで二人共、今日はどうするんだね?」
隅っこで落ち込んでいる蛇蔵を尻目に叔父さんが今日の予定について聞いてきた。
「今日も友達の所に。ちょっと心配なんで」
叔父さんには穂乃雪ちゃんのストーカーについては一応話してある。
昨日蛇蔵が集めた証拠をシュンに教えようかどうかについてだったが、妹のことになると人が変わるシスコンなアイツだ。聞いただけで豹変するかもしれないが、それはそれで竹井の自業自得だろう。
「それじゃあ俺達はこれで。行くぞ伊佐南美」
「うん」
今から出る間際、俺と伊佐南美は兄妹仲良く蛇蔵に手裏剣を投げた。
――ヒュンッ!
だが投げた手裏剣は偶然にも二本が途中で交差する所があり、そこでぶつかりあって軌道が逸れてしまった。
「チッ」
「ちぇ~」
俺は舌打ちし、伊佐南美は頬を膨らませて部屋に戻った。
◇
着替えた俺達は早速シュンの家へと向かっていた。電話は入れてあるが、普段の俺達の移動だと五分ぐらいで着いてしまうので、ここは一般人らしく電車を使って移動した。正直面倒臭かったが、あまりにも早過ぎると不自然に思われてしまうから我慢だ。
街中を歩くと、やっぱり自兵高校の制服に身を包んだ学生が結構いた。いくら相手が同い年ぐらいでも相手は戦闘のプロ。正体がバレたら厄介だから慎重に行く。
「――おっにぃちゃぁんっ!」
とは言ってもだ。伊佐南美が俺にベタベタくっ付いてくるのは変わらない。内でも外でも表でも裏でも甘えたがるのは『普通』の事だ。寧ろこうしてくれれば只のカップルか仲の良い兄妹だと思ってくれる。
「えへへへ、お兄ぃちゃんっ!」
「はいはい」
俺は伊佐南美の頭を撫でてやる。こうやって妹を可愛がれたし、歩いての移動も案外得だったかもな。
そんなこんなで歩いてるとあっという間に神楽坂家に到着した。
「おーっす銃兵衛、伊佐南美ちゃん」
「うっす」
「おはようございまーす!」
だらしなく服を着たシュンが出迎えてくれた。
「二人共、おはようございます」
「お、おはようございます」
その後に二宮と穂乃雪ちゃんがやって来て挨拶をする。
「シュン、昨日はどうだった?」
俺達が帰った後、竹井が再び訪れる事は無かったが、それ以外の不穏分子が来ないとも限らない。シュンには用心するよう言ってはあった。
「おう、昨日はあのストーカー野郎は来なかったぜ。ただよぉ……」
「ただ?」
「……銃兵衛達が帰った後、金実にすげぇ説教されたんだよなぁ」
シュンが横目で二宮をチラッと見る。今は伊佐南美と穂乃雪ちゃんと談笑している二宮はこっちに気付いてニコッと笑い掛けた。
だが俺には分かる。あの笑顔の内の半分には怒りが混じっている事を。普段は怒ったりしない優しい人はいざ怒る時になると怖くなる。普段は優しい父さんや母さんが鍛錬に失敗して俺をタコ殴りにしたり半殺しにした時と同じ様にだ。今回の場合は、シュンの自業自得だろう。人前で妹にセクハラする節を含んだ事を言ったんだ。第三者に怒られて当然だ。
一番意外だったのは、その怒ったのが二宮という所だ。
「あの二宮も怒る時とかあるんだな」
「当たり前だろ。金実だっていつもは怒んねえけど、いざ怒ったら面倒臭えんだよなぁ。中学ン時にユキを泣かした野郎を俺がボコったら金実に半日も説教されたしよぉ」
「……そのボコったってのは具体的に言うと?」
「全治一、二週間ぐらいだったかな。忘れちまったけどそんなぐらいだ」
そりゃ怒るよ。あとシュン、妹を泣かしたならせめて全治三ヶ月か半殺しはやらないと。
「まっ、ンな事ァ慣れてっから良いんだけどよぉ。とりあえず入れよ」
「あ、ああ」
シュンに言われるがままに神楽坂家へと入っていく。
軽いもてなしを受けて談笑が始まった。
「でよぉ銃兵衛、小学生の頃のユキは俺がちょっとでもいなくなるとぐずっちまってなぁ。頭撫でてやると可愛い笑顔見せんだよこれが」
「お、お兄ちゃんっ! そんな小さい頃の話しないでよぉ~っ!」
「伊佐南美の場合はぐずったりしなかったな。只、何処に行っても俺と一緒が良いって駄々捏ねてはいたけど」
「えへへ、そうだったけ~?」
会話内容は勿論妹トークだ。これほどまでにシュンと気の合う話なんてそうそうありはしない。昨日と同じで、シュンのする話を聞いた穂乃雪ちゃんは恥ずかしがり、伊佐南美はいつも通り俺にくっ付く。二宮はその横で静かに聞いていた。
「いやぁ、ここまで話の合う奴なんざ、金実以外だと銃兵衛が初めてだな。他の奴等なんて俺がユキの話するとドン引きするのが大半でよぉ。一体何処にドン引きする所があるんだって話だぜ」
「……まあ、穂乃雪ちゃんの魅力について延々と語っていたら引いてしまうのは無理もないと思いますが」
二宮がボソッと言った。俺も似た様な経験があるから分かる。小学生の頃に伊佐南美の自慢話をしまくっていたら周囲に引かれてしまった事があった。ちなみに父さんも俺と伊佐南美の子供自慢を半日程語り続けていたら後日周りから変な目で見られたそうな。
「いやぁ、やっぱ妹がいるって良いよなぁ。なんつうかさ、こう守ってあげたくなるっていう感じが湧いてくるっつうかさ。やっぱユキが可愛いからだろうなっ」
「お兄ちゃん~っ!」
「あー、分かる分かる。妹に近づく悪い虫は全部払わないとなっていつも思うな。なんせ伊佐南美は可愛いからな」
「わーい! お兄ちゃんだーい好き!」
照れる妹と喜ぶ妹を持ったそれぞれの兄はそれぞれの自慢話が止まない。すると、
「あ、そういや銃兵衛、悪い虫っていえば、昨日のストーカー野郎どうだったんだ?」
シュンが昨日押し掛けてきた竹井のその後について訊ねてきた。この話題が出てきて、二宮と穂乃雪ちゃんの表情が険しくなる。
「……目下調査中。詳しい事が分かったら教えるだとよ」
「……そっか」
シュンはがっかりして項垂れる。本当は色々と分かったんだが、それを言ってしまっても良かった。だがあのシスコンなシュンが聞いたら発狂するだろうからあえてまだ分からない状態にしておいた。余計な詮索をされるかと思ったが、シュンは見た目通りアホな部分も多いのでその辺は無かった。
「それにしてもさ、こうも家の中に篭ってばっかりは流石に良くないんじゃないか? 今日は外で遊ばね?」
少し重くなった空気をなんとか軽くしようと、俺は明るめの話題に切り替える。
「外でって、俺はユキが良いんだったら別にそれでも良いんだけどよぉ……」
「今は止めておいた良いと思いますが……」
シュンと二宮は穂乃雪ちゃんをチラッと見る。確かに竹井がうろついてる中で出掛けるのは危なっかしい。二人はそれを気にしている。ひょっとすれば竹井が雇った不良共が来る可能性だってある。
「穂乃雪ちゃん、大丈夫だって」
俺はニッと笑い、
「もし何かあったら、絶対に守ってくれる素敵なお兄ちゃんがいるだろ?」
なっ? とシュンに顔を向ける。
「あったりまえだ。ユキは俺が守る。何があってもだ」
シュンがドヤ顔で言い切る。それを聞いた穂乃雪ちゃんの顔はよく熟れたトマト並みに赤くなる。
「でユキ、どうする?」
「……うん。行く」
穂乃雪ちゃんの了承を貰い、早速俺達は出掛ける事とした。
◇
時刻は昼前に指しかかっていた。とりあえずシュン達三人の地元を中心にショッピングを楽しんでいた。現在は服屋にいる。
「うーん、金実ちゃん、これどうかな?」
「そうですね、これは少々派手過ぎるかと思います。穂乃雪ちゃんには落ち着いた色などが似合うのではないでしょうか。例えばこれなどは?」
「そうかぁ? ユキの持ってる服ってそんなんばっかだと思うぜ。もうちょっと派手でも良いだろ。ほれ、これなんかとか」
「……神楽坂君、流石に金色で『VERY CUTE』と大きく書かれた服は穂乃雪ちゃんには合わないかと……」
地元組は和気藹々と服選び、
「お兄ちゃん、こっちとこっちってどっちが良いかなー?」
「伊佐南美、どっちも同じ黒だと選びようが無いんだが……」
「えー、お兄ちゃんも黒ばっかじゃんー」
田舎組も和気藹々と服選びをしている。尚、田舎組の方は黒い服ばかりである。
「銃兵衛、黒だけじゃなくて他の色の服とかも選べよな。なんか俺、銃兵衛が黒以外着てんの見た事ねえぞ」
「良いじゃねえかよ別に。黒が一番落ち着くんだよ。逆にシュンの服は派手過ぎるんだよ。あと、俺は紺とか灰色とか着てたぞ」
「だから充分地味じゃねえかよぉ」
俺とシュンの服のセンスは真逆である。勿論俺は黒以外もあるにはある。但し暗めの色が主体だが。一方のシュンは赤、青、黄色、緑、金色と言ったカラフルかつ派手な服が多く、地味な色が一枚も無い。例えるなら俺が陰、シュンが光だ。
「あーっ! このスカート可愛い! しかも安ーい!」
伊佐南美はピンクのミニスカートを持って俺の元へと来る。
「ねえねえお兄ちゃん、これ買ってもいーい?」
「別に良いんだが、お前似たようなの持ってんだろ」
伊佐南美の持っている服は俺と違って黒い外にも明るい色のものが沢山ある。三重にいた頃は街に行く度に服をよく買っていた。結局は着たまま血で汚れて古雑巾送りになってしまうのが現実だが。
「むぅー、またそういう事言うー。お兄ちゃんにはこの可愛さが分からんのですかー?」
頬を膨らませる伊佐南美。女子の服なんて何年経っても理解出来る訳無いだろ。
「駄目だって言ってないだろ。買いたきゃ買えよ。自分の金でな」
「わーいっ! あとどうしようっかなーっ!」
伊佐南美は上機嫌に次の服を選び始める。
「うーん、金実ちゃん、やっぱりこっちが良いと思うんだけど」
「そうですか。ではこちらはどう思いますか?」
「うーんと、うーんと、これ可愛いなー」
二宮と穂乃雪ちゃんも服選びに時間が掛かっている。
「……銃兵衛、外で待ってようぜ」
「あ、ああ」
俺とシュンだけ先に会計を済まして店の外で待つ事にした。
女子と買い物をすると時間が掛かる。誰かが言ったその名言は事実であり、この後女子三人は一時間近く出てこなかった。
◇
服屋の後に本屋にも立ち寄り、シュンと二宮が中学時代に溜まり場にしていた喫茶店で一休みしていた。
「いやぁ、しっかし銃兵衛よぉ、こうやって友達とブラブラすんのはやっぱ良いもんだな」
「確かにそうだな」
俺は肯定してブラックコーヒーを啜る。
「えへへ、可愛い服買えったぁ、買えったぁ~♪」
気に入った服を買えてご機嫌な伊佐南美はニコニコとオレンジジュースを飲んで無邪気だ。
「……それで、この後はどうしまうしょうか?」
カフェオレを飲んでいた二宮が訊ねてきた。
「んー、そうだなぁ。買い物の次はやっぱゲーセンかカラオケだろっ!」
「神楽坂君、穂乃雪ちゃんはまだ中学生で、ゲームセンターやカラオケは学校の校則では保護者同伴でなければ行けないですよ?」
「んだよぉ金実。俺の中学時代なんざゲーセンにカラオケはバンバン行ってたぜ」
「それは神楽坂君の通っていた中学校が校則が若干ゆるい私立校だったからです。穂乃雪ちゃんは市立校なのでそういう訳にはいかないんです」
「……まあ、俺は兎も角、ユキが校則違反になんのは流石にマズいよな」
「別に私服なんだしなんとかなるだろ?」
「そうもいかねえんだよ。ここら辺のゲーセンとかカラオケってのは、保護者無しだと学生は学生証見せて身分証明しねえと入れねえって決まりのあるトコ多いんだよ」
「もし身分証明を怠った場合、近隣の学校に連絡が入る事になっています。ですから私達だけで行くのは無理になります」
それはまた徹底してあるな。伊賀にいた頃はカラオケボックスなんてトコは無く、精々駄菓子屋か小さなゲーセンがあったぐらいだ。あとは遠出でもしないと遊ぶ所は山か川ぐらいだ。そんな生活を送ってきた俺としては、都会では『普通』の事なのか、はたまた前まで俺達がいた田舎の学校が『普通』じゃないのか疑問に思う。
けど待てよ。そしたらシュンはそんな決まりお構い無しにカラオケやらゲーセンやらやっていたというのか。射城学園に入る前からガサツというか素行が良くないというか。
「じゃあどうする? 他に遊べそうな所とか無いのかよ」
「んー、そういやここからちょっと歩いた先に穴場のゲーセンあったな。そこよく行ってたんだがよぉ、身分証明いらなくて気軽に入れるんだぜ」
「……そんな所、あったんですか?」
「おお。見つけ難いトコにあってな。金実と会わねぇ日はほぼ毎日行ってたっつうかそこしか行かなかったな。ゲームの数は他よりか少ねぇけど、結構緩々だな」
「成程。どおりで神楽坂君が停学になったりしない訳です」
二宮は呆れて納得した。俺も内心呆れている。お前勉強とかはどうしたんだよ。
「よしっ! んじゃソコ行くか!」
「待って下さい神楽坂君。百歩譲って私はまだ大丈夫ですが、穂乃雪ちゃんは止めておいた方が良いのでは? 昨日のストーカーが潜伏しているとも限りません」
二宮の言う事は尤もだ。しかも蛇蔵の情報に寄れば竹井の手駒である不良共は、普段は人通りの少ない所に屯しているらしい。穴場的なゲーセンに行くのはどうぞ食べて下さいと猛獣に餌をやるようなものだ。
「あー、だよな。あそこ緩いから不良とかたむろってる時多いんだよなー。やっぱりどうすっかなー」
シュンは少し考え込んであっ、と何かを思いついた。
「そういや、家に『ウルトラパーティー・デラックス』あったな。帰ってあれやるか」
「え、シュンお前、あれ持ってんのか?」
『ウルトラパーティー・デラックス』とは、中学生の頃に少し流行った大人数で遊ぶテレビゲームだ。十種類程のゲームがあってそこそこ楽しめるのだが、あまりにも飽きが早くてすぐにブームが途絶えてしまった。
「おう。あれから復刻版の『ウルトラパーティー・デラックスSP』が発売してな。試しにやってみたら面白いんだよこれが」
「へえ、そっか」
デラックスはよく伊佐南美を連れて栗原や坂田と退屈凌ぎによく遊んでいたが、他に遊ぶ場所も無かった俺達田舎者にしてみればある意味貴重なゲームだ。
「俺はそれでも構わんが」
「私もオッケーでーす!」
「よし。んじゃ決まりだな」
会計を済まして店を出る。丁度そのタイミングを見計らったように、俺にメールが来た。
スマホを取り出して確認すると、相手は蛇蔵だった。
『鯒恥湯火桶!井伝靄伝!』
こっちは準備オッケ、いつでもやって、か。俺は空白メールで返信して伊佐南美に目配せする。
「……(コクン)」
伊佐南美は小さく頷く。
商店街を抜けて神楽坂家へと戻る途中、
「あー、悪い。ちょっと俺トイレ行ってくるわ」
シュンが催したくなってきた。
「今ですか?」
「おお。家まで走ってもまだかかるしな。近くに公園のトイレあるから行ってくる」
「は、はい。分かりました」
そう言ってシュンはダッシュで向かった。
「悪い。俺も行きたくなった」
「え、服部さんもですか?」
「ああ。すぐ戻る」
「あ、私も行ってきまーす」
「伊佐南美ちゃんもですか?」
「はい。すみませーん」
俺達兄妹もトイレへと向かう。
「お兄ちゃん、食いつくかな? 食いつくかな?」
「食いつくだろ。あからさまに餌を撒いてやったんだし。連中はバカだから大丈夫だろう」
俺と伊佐南美はただついていくだけだが、シュンは本当に催した。それもその筈。喫茶店にいた時、シュンに気付かれないように薬をシュンの飲み物に入れたからだ。
公園までは走っても五分も掛からなかった。
まあ、俺も伊佐南美もトイレが目的ではなく、シュンが戻るのを待っていた。
少ししてシュンが戻ってきた。
「ふう。お? 銃兵衛に伊佐南美ちゃんも来たのか?」
「ああ。ちょっとな」
と、丁度良いタイミングでメールが来た。相手は勿論蛇蔵。
『ゴー!』
内容はこの一文だけだったが、これで全ての仕込みは済んだ。
「なあシュン、二宮と穂乃雪ちゃん、今頃あのストーカー野郎が雇った奴等にラチられてんぞ」
「はぁっ!?」
「いやさ、昨日俺達が帰った後に蛇蔵が竹井を尾行してたんだよ」
ここで俺は、蛇蔵の調査した結果を話した。それを聞いたシュンは、話の途中から赤くなっていた顔が怒りで炎の如く燃え上がる。
「おい銃兵衛、それが分かってんだったら何で今の今まで俺に教えなかった?」
「だってさ、お前に言ったら発狂して殺しかねないだろ? そんな事になって一番悲しむのは穂乃雪ちゃんだぜ?」
「……じゃあ何か? もし仮にそうだったとして、お前らがここにいんのは、金実とユキを餌にしたかったからって言いてぇのか?」
シュンはブチ切れる寸前まで怒りを抑え込んでいる。もしここに竹井がいたらシュンは容赦なく殺しているだろう。
「いや、少し違うな。もし餌だとしてもただ食いつかせるだけはしない」
ここでまた蛇蔵からメールが来た。本文は無いが、データファイルが添付されていた。それを開いて中身を確認する。
「どういう意味だよ銃兵衛」
「シュン、お前喧嘩得意だろ? 奇遇にも俺も喧嘩好きなんだよ」
◇
二宮と穂乃雪は人気の無い古びた廃工場にいた。否、連れてこられたのだ。
彼女達は俊介達がトイレに行って二人だけになった直後、いきなり背後から口を塞がれ、微力な抵抗も虚しく数人の不良達に押さえ込まれて無理矢理連れてこられた。
「……一体、何なんですかあなた達は!?」
二宮は怯える穂乃雪を庇う様に抱き締めて不良達に問い掛ける。だが不良達はニヤニヤと笑うだけで何も答えない。
答えはすぐに分かった。奥から誰かがやって来た。
「やあ、神楽坂さん」
「た、竹井君っ!?」
それは幸せそうに、そして狂ったように笑顔を向けた竹井吉昭だった。
「やっとだよ神楽坂さん。やっと君と僕は結ばれるんだ。僕は凄い嬉しいよ」
「え? え? え? ど、どういう事?」
「……成程。そういう事ですか。あなたは自分に全く振り向いてくれない穂乃雪ちゃんを拉致して、否応でも既成事実を作り、それをネタにして穂乃雪ちゃんを一生自分のものにするつもりなんですね」
二宮は竹井と不良達を見て、これまでの情報を元に頭をフル回転させて自分なりの答えを出した。それは流石は二宮金次郎の血を引くだけあった。
「察しが良くて助かりますよ。えーっと、先輩って言ったら良いんですかね。心配しなくても先輩の相手は彼らが努めてくれますから、一人だけ仲間外れなんて事はしませんよ」
「お気遣いどうもありがとうございます。ですが謹んでお断りさせてもらいます」
「断れるかどうかは彼らの気分次第でしょうね。まあ、無理でしょうけど」
竹井の言う通り、不良達は二宮と穂乃雪に対して性的欲求を満たしたいと言わんばかりな眼差しを向けている。
(……人数が多すぎますね)
パッと数えただけでも三十二人いる。隙を見て逃げ出すのはまず無理だし、外にも見張りは確実にいるだろう。もし仮に、奇跡的に逃げ出せてもこの人数ならすぐに追いつかれてしまう。取り分け腕力にも大きな差がある。二宮は今までの人生の殆どを勉強につぎ込んできたガリ勉だ。喧嘩どころか抵抗すら叶わないだろう。
このまま無抵抗で数十人の男達に陵辱されると思うと、羞恥と悔しさで歯軋りしてしまう。
「こんな事をして、許されると思ってるんですか!?」
最後の足掻きに叫ぶ二宮。だがその足掻きに竹井はポカンと首を傾げる。
「何言ってるんですか? 許されるに決まってるでしょ。だって、僕は正しいんだからっ!」
竹井の返答を聞いた二宮は悟った。彼の頭の中は既に可笑しくなっている。例えたくない表現だが、狂っているか腐っていると言った方が手っ取り早いぐらいに。
「さてと、まだ日は昇っているけど、そろそろ始めようかな。安心して神楽坂さん、最初は優しくしてあげるからね」
竹井がカッ、カッ、とゆっくり近寄ってくる。穂乃雪は恐怖で二宮に強く抱きつき、二宮は穂乃雪を大事そうに抱き締める。
「や、やだ……。助けて、助けてお兄ちゃんっ!」
穂乃雪の大きな声が工場内に響き渡る。だが竹井はニヤリと笑う。
「無駄だよ神楽坂さん。あの男は来ないよ。そう、絶対に来ない。だってこの場所を知っているのは僕達だけなんだからさ……」
「げふっ!」
「がっ!」
「ごはっ!」
と、ここで突如、工場の外からいくつかの悲鳴が聞こえた。
「な、何だ?」
悲鳴の次に、工場の扉を開ける重々しい音が聞こえ、二人の少年と一人の少女が入ってきた。
「……よぉテメェら、よくも人の妹に手ぇ出してんじゃねぇかよ」
その内の一人は笑っていたが、一般人が出すには『異常』なぐらいの殺気を出していた。
◇
「……まあ、一応間に合ったか」
どうやら強姦される前で良かった。尤も、そうなりそうになっても既に張ってある予防線が守るが。
公園で事の次第を話した俺達は、蛇蔵が送ってくれた地図を頼りに、二宮と穂乃雪ちゃんが連れ去られた場所へと走って向かった。道中で、
『竹井が犯したミスは三つある。まず一つ目は、事前に俺達を始末しなかった事だ。予めシュンを潰しておいてから人気のない所に連れ去れば第三者が乱入してくる確率は低くなる。多分穂乃雪ちゃんの事で頭が一杯で、そこまで思考回路が回らなかったんだろうな』
『二つ目は奴の思い込みのし過ぎだ。それも典型的なストーカーよりも度を超えたな。もし万が一ラチったのがバレても、弁護士である親が白にしてくれるとでも思っている。親の方もきっとそうするだろうが、蛇蔵が証拠を押さえてるから裁判になっても勝てる確率は低い』
『……んでよぉ、最後の三つ目は?』
『……三つ目はな、シスコンの兄を怒らせたらどうなるか知らないって事だ』
場所は案外近くて走って十分も掛からない廃工場――不良共が溜り場にしている場所の一つ――だった。外でタバコを吸っていた見張りはシュンと一緒に背後から忍び寄って殴って気絶させた。
「な、何であんたらがここにっ!?」
突然の俺達の登場に竹井は驚きを隠せないでいた。自分の計画を完璧と思っていたんだろうが、それには大きな穴があったんだよ。
「その答えはぁ~こうだぁっ!」
俺達の登場の次は、上から飛び降りて登場してきた、一匹の蛇。
「この世の悪を絶対許さない正義の味方、け~んざんっ!」
「「「…………」」」
ビシッと決めた蛇蔵だったが、俺も伊佐南美も不良達までもが可哀想な目で見る。
「……蛇蔵、カッコよく決めたつもりみたいだけどな、全然決まってないぞ。あとさっきの登場の仕方、スカートが捲れてパンツ丸見えだったぞ」
廃工場の天井から飛び降りたら蛇蔵のスカートは重力と風圧に馬鹿正直に従って太股どころかパンツが見えるなんて当たり前なのにコイツは『普通』にやった。大方アニメだと見えない様に作ってある場合が多いからそれを見て安心してたんだろう。後で殺すか。
「うぅ~ジュウくんっ! 誰のおかげでここに来れたと思ってるのさっ!?」
「ンな事分かってらぁ。サッサと二人を連れて離脱しろ。ハッキリ言って邪魔だ」
「むぅ~、ジュウくんの意地悪~」
スカートの裾を両手で押さえ、頬を膨らませて怒る蛇蔵。客観的に見ればこの表情も可愛いかもしれないが、中身が中身だから何とも思わない。
「こ、このっ」
蛇蔵に面喰っていた不良も我に返って数人で取り押さえようと近寄ってきた。蛇蔵はそれを確認すると、ニコッと優しく笑い、
――ドガッ! バギッ! ゴギッ!
近づいてきた順に次々と地に伏してしまう。
いつも俺と伊佐南美に殴られて蹴られてな蛇蔵だが、素人の不良程度を倒すぐらい『普通』に出来る。九九を覚えるよりも簡単なことだ。
「はいはいはーいっ! 怪我したくなかったら、どいたどいたーっ!」
ナイフを持つ不良には拳銃――シグ・ザウエルP239を射撃して破壊しつつ二宮と穂乃雪ちゃんを連れていく。
廃工場から出る擦れ違い様に、
「……ジュウくん、派手にやるのは少しだけだからね?」
「……はいはい」
心配そうな顔で忠告してきた。俺が裏の顔でやらないように言ってくれているけど、そこまで分別がつかない程馬鹿じゃない。
蛇蔵、二宮、穂乃雪ちゃん、殿に伊佐南美が出てくのを確認し、
「じゃあシュン、暴れるのは良いけど、二宮と穂乃雪ちゃんを幻滅させない程度でな」
「おぉ。本当はブッ殺してやりてぇ所だが、銃兵衛に免じてそうしてやらぁ」
パキポキ、ではなくゴキゴキ、と指を鳴らすシュンの顔は鬼の形相というか鬼そのもの。
「ひ、ひいぃぃぃぃぃっ!」
シュンの顔を見た竹井の顔は恐怖で歪んだものとなっている。
「き、君達何をボサッとしてるんだ。は、早くソイツらを片付けろ」
「た、竹井さん、でも……」
「良いからやれっ! どうせここで消えても僕の親が揉み消してくれるっ! やれっ! やれっ! 殺せっ! 殺せっ! 殺せぇっ!」
竹井は元々可笑しかった頭の中身が余計に可笑しくなり、ついに発狂してしまった。我を失って不良達に俺達を殺すよう命じてきた。
不良達は竹井程精神状態はヤバくなく冷静だ。それでも俺達の放つ独特な殺気に気圧されて近くに転がっていた鉄パイプや持参のナイフを構える。
(……馬鹿だなコイツらは)
結果は見え見えだった。
「――オラァァァァァァァァッ! この野郎がァァァァァァッ!」
妹の為なら大量殺人すらやってのける迫力を得たシュンは、喧嘩慣れした動きと鋭い拳や蹴りで暴れ回り、次々と不良達を亡き者にしていく。厳密には死んでないけど。
「やれやれ……」
俺の方はというと、一応暗器は持っているが、ヘタに使う訳にはいかないので、シュン同様に拳と蹴りだけで不良達を屠っていく。日頃から鍛えている俺の打撃は一般人に当たれば軽く骨に皹は入るし、ショック死させるぐらい造作もない。もう一度厳密に言うが、奴等は死んでいない。
「この野郎っ!」
不良の一人がシュンにナイフを突き刺す。だがシュンはまるで機械が反応したかの様に瞬時に避け、容赦のない蹴りを入れた。
俺が観察した以上、シュンの喧嘩慣れは『普通』の枠の中では『普通』じゃない。体格は中肉中背だが、隠れて鍛えている部分もある。その癖して鍛えて出来た傷は兎も角、切り傷や打撲痕などの喧嘩でできた傷が一切見当たらないのを寮で一緒に風呂に入った時に確認している。
さっきから不良達はシュンに反撃を繰り返すが、シュンはそれを精密機械並みの反応速度で避ける。反応というより、反射に近い。
これは俺の仮説だが、恐らくこれがシュンが射城学園に入学出来た理由。要は『異常』な反射神経の持ち主。刺激が脳に届いてから身体が動く『反応』と違って、脳を通り越して直接筋肉に刺激が届いて機械的に動く『反射』。自分への攻撃に対して回避行動を取る時のみ反射的に動く。昨日二宮から、シュンは今まで転びそうになっても反射的に動いて転ばなかったと言っていたが、まさにそれがこれだ。
暗殺稼業をやっている俺はここまでの反射神経を持った人間に出会った事は無い。殺そうと思ったら反射で避けるから爆弾か何かで場所ごと木っ端微塵に吹き飛ばすしかない。後は相手に自分の存在を分からなくさせるぐらいだ。もしシュンが標的だったら殺りづらかっただろう。
不良を半分ほど片付けて周囲を見渡すと竹井の姿が見えない。俺達が暴れている隙を見て逃げたようだ。どうせ無駄なのに。なんて思っている俺は鉄パイプで殴りかかってきたチャラ男もどきの攻撃を避けて顔面パンチを喰らわす。
喧嘩が始まってから十分も経たずして残り人数が十人以下となり、奴等は身体がガクガク震えだす。それもその筈。たった二人、しかも素手でいる相手に武器を持ってしても傷一つ付けられず、その内の一人のシュンが放つ尋常ではない殺気と怒りで鬼みたいに笑っている顔を見れば誰でも怖がるし泣きたくもなる。俺の場合は父さんがよくこんな顔してたから慣れてるけど。
「……お前らさ、これ以上余計な損害出したくなかったらトットと失せろ。そして二度と目の前に現れるな」
俺がやんわりと警告してあげると、残っていた不良達は顔を合わせ、気絶している仲間達を抱え、残ったのはフラフラしながら逃げていく。擦れ違い様に恐怖で顔が歪んでいたり涙目になっている奴もちらほらいたし、チビッている奴もいた。
「ふぅ……ってあれっ!? あのストーカー野郎どこ行きやがったぁっ!?」
今頃になってシュンは竹井がいなくなっている事に気付いた。あんなに興奮していたら無理も無いか。
「安心しろよシュン。ちゃんと手は打ってあるから」
「……おーいっ! ジュウくーんっ!」
頃合いを見計らって蛇蔵が入り口とは反対方向から入ってきた。
「は、放せっ! 放せぇっ!」
逃げようとした竹井の首根っこを掴んでズルズルと引き摺りながら。
こういうのはどうせ首謀者だけトンズラするものなので蛇蔵を使って逃げたら捕獲するようにしておいた。
「それ~!」
「うわぁっ!?」
蛇蔵に放り投げられて竹井は俺とシュンの前で尻餅をつく。竹井はシュンの顔を見て顔が真っ青になり、後ずさる。
「よぉ、よくもユキにこんな事してくれたじゃねぇかぁ……」
シュンは指を鳴らしながらゆっくりと竹井に近づき、竹井は座り込んだまま後ろに下がる。
「や、止めろっ! ぼ、僕に何かしてみろ、親に言えばあんたらみたいな『普通』な人間なんて、簡単に消せるんだぞっ!」
「……だからなんだよぉ」
シュンは竹井の胸倉を掴んで持ち上げ、顔を近づける。
「俺はな、ユキを酷い目に遭わせたテメェを絶対許さねぇ。テメェの親が俺を潰そうが消そうが関係ねぇ。地獄の果てまで追い詰めてやんよぉ」
シュンは竹井を殴ろうと拳を振り翳すが、俺はその腕を掴んで止める。
「……何すんだよ銃兵衛。放せよ」
「落ち着けシュン。少し待て。おい蛇蔵」
「はいはーい」
蛇蔵は取り出したスマホを操作してある動画を竹井に見せる。
動画を見た竹井は水よりも空よりも蒼くなった。その動画とは、竹井が不良達に依頼する所や不良達が二宮と穂乃雪ちゃんを拉致する所、さっきまでの会話内容全てを撮影したものだった。
「別に裁判起こしても良いんだよー? でもー、そうしたらー、そしたらそしたらこの動画を突きつけてぇ~、ガッシャーン! ドーンッ! バラバラーッ! ワーッ! だよー?」
オノマトペで可愛く表現しているが、要するに訴えればお前は社会的に死ぬ。それが嫌なら黙っていろと言いたいのだ。
「よぉし、覚悟はいいなこの野郎」
「シュン、最初にも言ったけど、二宮と穂乃雪ちゃんを幻滅させない程度だから殴るのは一発だけにしとけよ。蛇蔵、一発ぐらいなら大目に見てくれるだろ?」
「うん、オッケー。別に~俊介くんが一発殴っただなんて知らない見てない分かんな~い」
蛇蔵はのほほんとスキップ混じりに廃工場から出て行く。
「や、止めろ。ぼ、僕は神楽坂さんと結ばれる運命の……」
「うるせぇぇぇぇぇんだよっ! このストーカー野郎がぁぁぁぁぁぁっ!」
竹井の最期の命乞いも、シュンの怒号と鉄拳によって無と化した。
誤解がないように言っておく。竹井は死んでいない。
もう一度言う。竹井は死んでいない。ただシュンに殴られて気絶してしまっただけである。
◇
小さな戦いを終えた俺とシュンは廃工場から出て待っていた伊佐南美達の元へと戻ってきた。
「ユキ!」
「お兄ちゃん!」
シュンが戻ってきて、穂乃雪ちゃんは思わずシュンに抱きついた。
「ユキ、大丈夫だったか? 怪我とか痛いトコとか無えか?」
「う、うん。大丈夫。うっ、うっ……」
穂乃雪ちゃんは目からポロポロと涙を落とす。
「うっ、うっ、うわぁぁぁぁぁぁんっ!」
我慢しようとしてたみたいだが、中学生の女の子にとってはあまりの恐怖で我慢できず、シュンの胸に顔を埋めて泣き出した。
「……ひっぐ、ひっぐ、怖かった、怖かったよぉ、お兄ちゃんっ!」
「ゴメンなユキ。俺がいながら怖い目に遭わせちまって。本当にゴメンな。けどもう大丈夫だからな」
「ひっぐ、お兄ちゃん……」
穂乃雪ちゃんは兎に角泣いた。俺達が横で見ているのも気にせず目一杯泣いた。『普通』の女の子にとっては仕方ないか。
「金実も悪かったな。巻き込んじまって」
「いえ、気にしないで下さい神楽坂君。穂乃雪ちゃんが無事だったのは良かったのですが、これは少々問題になるのでは? 一応暴力沙汰ですよね?」
二宮が危惧しているのはこの一件が公になる事だ。竹井が目を覚ませば事の次第を真っ先に親に言うだろう。そうしたら穂乃雪ちゃんの通う学校や射城学園にも手が入る。射城学園の場合はどうとでもなるが、穂乃雪ちゃんに再び魔の手が降りかかるのは避けたい。
だが、それは全て愚問だ。
「安心しろ二宮。こういうのはな、黙っておいて知らぬ存ぜぬを通せば何とかなる」
「あの、それはそれで良くないのでは?」
「何言ってんだよ。向こうだって酷い事しようしてたんだぜ。おあいこだっておあいこ」
「いえしかし……」
「金実、何堅いこと言うなって。たまにははっちゃけねえと毒だぜ?」
「これははっちゃけるというより、寧ろ隠蔽に近いのでは……?」
今更だな。竹井だって親に隠してもらおうとしてたんだし、やるぐらいならやられる覚悟は当然持っている。持っていないで実行する人間はクズ以下だ。
事後処理を蛇蔵に押し付けて神楽坂家と向かう道中、
「さてと、これからどうすっか。帰ってゲームするって気分でも無くなっちまったし」
「そうですね。本日はここで解散という事にしませんか? 私も流石に疲れてしまいましたし」
平然を装っていた二宮の足先は少しフラフラとなっている。『異常』なガリ勉でも二宮はそれ以外は一般人。精神的疲労はかなりのものだ。
「悪いな銃兵衛、付き合わせちまって」
「気にすんなよ。俺も久々に喧嘩できて楽しかったし」
「服部さん、喧嘩は本来楽しむものではないと思いますが……」
まあ、肩慣らしにもならない雑魚だったが。これだったらマフィアを相手にした時がまだマシだった。
「そんじゃまた明日な」
「おう。じゃあな」
「行くぞ伊佐南美」
「はーい!」
俺と伊佐南美は最初は徒歩で、途中から家の屋根から屋根を飛びながら叔父さんの家へと戻る。
かくして、女子中学生ストーカー事件は『普通』の日常の一コマの中で無事解決……していない。
「お兄ちゃん」
「ああ。分かってる」
本当の解決はここからだ。
「伊佐南美、明日ちゃんと起きろよ」
「はーい」




