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射城学園の殺し屋  作者: 黒楼海璃
伍 『異常』な連休(ゴールデン・ウイーク)
41/44

肆拾殺

 シュン達に小一時間程案内され、神楽かぐらざか家へとやって来た。

 シュンの実家は何処にでもある『普通』の一戸建てだ。そのシュンの家の隣にある家が二宮にのみやの実家。こちらも世間一般的にある『普通』の一戸建て。俺達の実家みたく、奇襲や不意打ちに備えた設備なんかは一切無い。天井裏に作られた通路や物置も無ければ地下室も罠も無い。ごくごく一般的な家だ。天井裏に物置部屋があるぐらいは『普通』の事だが。

 流されるがままにお邪魔し、流されるがままにリビングにて雑談をし始めた。


「――んでよぉ、ユキは昔っから甘えん坊でな。いつも俺の後を着いて来てよぉ、俺がちょっといなくなるとすぐ泣いちまってさー」

「お、お兄ちゃん~っ! そんな話しないでよぉ~!」


 主な話題はシュンの妹自慢についてが一つ。


「まあ妹が兄に甘えるのは『普通』でも可笑しくないだろ。なんて小さい頃から今に至るまでずっと甘えん坊だしな」

「えへへ~、お兄ちゃんだーい好きー!」


 俺の妹自慢が一つ。要約すると妹トークだ。

 但し俺が話をするのとシュンが話をするのとではそれぞれの妹の反応が違う。シュンの妹、ゆきちゃんは自分の話をされて恥ずかしそうに顔を赤くしている。大して俺の妹、伊佐南美は恥ずかしがる素振りなど一切見せずいつも通り俺にベッタリである。


「どうしたんだよユキ。甘えん坊なのはお前が可愛い証拠じゃねえかよ」

「か、かわ……っ!?」


 シュンに言われて穂乃雪ちゃんは頬を赤く染めて縮こまる。


「はっはっは。そんな風に恥ずかしがるユキも充分可愛いぜ。なっ、かな

「確かに神楽坂君の言う事には一理あります。ですが、言われている穂乃雪ちゃんが気の毒に思えてきたのですが……」


 二組の兄妹のやり取りを横で見ている二宮はニッコリと笑いながらそんな感想を口にした。俺達の中で唯一一人っ子である二宮としてはこうして兄妹で戯れているのが羨ましいと思う所があるのだろう。


「う~、お兄ちゃんもう止めてよぉ~」


 二宮の言う通り穂乃雪ちゃんは恥ずかしさのあまり顔を両手で覆ってしまう。


「ユキちゃん、ユキちゃん」


 すると伊佐南美がひょっこりと穂乃雪ちゃんの前にやって来て顔を窺う様にしゃがみ込む。


「ユキちゃんはー、お兄ちゃんの事が嫌いじゃないんだよねー?」

「え……う、うん……」

「じゃあさじゃあさー、嫌いじゃなかったら好きなんだよねー?」

「え? え、えっと……」


 突然の質問に穂乃雪ちゃんはセーラー服のスカートをギュッと押さえながらモジモジとする。 


「…………」

「……どーなのユキちゃん?」

「…………(コクリ)」


 あ、今小さく頷いた。シュンがシスコンである様に、この子もまたブラコンかそれの類なのか。それを確認した伊佐南美はニコニコと微笑んで、


「自分のお兄ちゃんの事が好きだったらー、ちゃーんと愛情表現しないと駄目だよー。例えばこんな風にー」


 俺にしがみついてスリスリと顔を擦り付ける。


「お兄ちゃんだいだいだいだーい好き!」

「はいはい」


 いつもの通りに俺が伊佐南美の頭をナデナデしてやる。ほぼ毎日やっている事だ。伊佐南美は再び穂乃雪ちゃんの所を向き、


「これぐらいはやらないとー、いつかは嫌われちゃうよ?」

「えぇぇぇっ!?」


 穂乃雪ちゃんはこの世の終わりみたく顔が赤から青へと変わる。そしてシュンの顔を見て、瞬時に俯く。


「お、お兄ちゃんに、お兄ちゃんに、お兄ちゃんに……」


 なにやらブツブツと呟いてもう一度シュンの方を見る。


「?」


 シュンは訳が分からず首を傾げる。


「はわわわ……」


 目が合った穂乃雪ちゃんはシュンに手を伸ばそうとしながら顔が真っ赤に染まっていく。


「や、やっぱり無理無理無理ーっ! そんなの恥ずかしくて出来ないよぉぉぉぉぉっ!」


 やがて、ヒュンッと手を引込め、両腕で自分の胸元を覆い隠して顔を赤くしながらブンブンと振る。

 あーあーあー。伊佐南美の奴、軽くイジってるな。

 伊賀にいた頃もだが、伊佐南美は兄がいる友達をいつもこの手でからかっている。大抵は笑って流されることが多いが、シュンの話を聞く限りでは穂乃雪ちゃんはブラコン、それも結構な甘えん坊だ。本心では甘えたいんだろうが、人前だと恥ずかしくて甘えられない。こういう女の子は伊佐南美にとってイジり甲斐のあるタイプだ。

 ちょっとやり過ぎな我が妹の頭をコツンと叩き、シュンにアイコンタクトを取る。それを受け取ったシュンはニッと笑って穂乃雪ちゃんの頭に手をポンッと置く。


「ユキ、別にそんな事しなくたって、俺はお前を嫌ったりしねえぜ? だから安心しろって」


 穂乃雪ちゃん指の隙間から、頭をナデナデしてあげるシュンをジッと見る。


「……本当?」

「ああ」

「本当の本当に、嫌ったりしない?」

「当たり前だってぇの。俺がお前を嫌うなんて、俺がテストで百点取るのと同じぐらいありえねえぜ?」

「確かにそうですね。それに関しては私が保証します。ですので穂乃雪ちゃんはどうか安心して下さい」


 シュンの例えに真っ先に同意したのは二宮だった。確かにシュンが小テストで百点満点どころか二桁を取った所すら見た事が無い。というかテスト中はほぼ寝ている。テスト中どころか授業中もだけど。


「…………うん」


 落ち着きを取り戻した穂乃雪ちゃんは小さく頷き、それを見てシュンは頭をナデナデしてあげる。それによってまた顔が赤くなる穂乃雪ちゃん。この兄妹のやり取りを二宮は微笑ましく見ている。

 俺からすれば、この三人は普段からこんな感じな印象を感じる。兄妹よろしくイチャつくシュンと穂乃雪ちゃん、それを外野から静かに見守り、時にはそっと中に入って静かに抜け出す二宮。こんな風に過ごしているからシュンと二宮は物別れせずにつるんでいられるのだと思う。

 ちなみに俺と伊佐南美の場合(伊賀にいた頃)。ベタベタ甘えてくる伊佐南美を俺が可愛がり、それを隣で坂田(空気)と栗原が見ているという絵図が多かった。


 ――ぐぅ


「あ……」


 腹の鳴る音が聞こえた。音源は大きさからして穂乃雪ちゃん。


「…………」

「…………」


 さっきまで賑やかだった場が静寂に包まれる。正確には、外で郵便バイクの止まる音が聞こえてくるが。多分神楽坂家に郵便でも来たんだな。


「…………」

「ユキ、腹減ったんだな? そうだな。そういえば昼飯まだだったもんな。しょうがねえよ」


 カァァ、と顔を赤く染める妹を笑って撫でるシュン。


「では、これからお昼ご飯でも作りませんか? 私もお腹空きましたし」


 と、二宮が提案を出した。俺と伊佐南美はパンケーキを食ったが、まあ入るから別に良いか。


「穂乃雪ちゃん、一緒に作りましょう」

「う、うん。お兄ちゃん、ちょっと待っててね」

「おう。別にゆっくりでも良いぜー」

「あ、私も手伝いまーす!」


 女子組が並んでキッチンへと向かう。俺達男子組は何もせずに大人しく待っていた方が良いだろう。


「なあじゅう兵衛べえ、ちょっと良いか」

「ん? ああ」


 珍しくシュンが俺に話があるらしく、リビングから離れて廊下に出る。


「何だよ」

「……お前さ、金実を正直どう思う?」

「は?」


 いきなりの質問に俺はポカーンとする。


「何でも良い。お前が金実に対して思った事とかあるかって」

「二宮か? そうだな……」


 俺、服部銃兵衛から見た二宮金実とは……


「まあ、はっきり言ってしまえば、クソ真面目だな」

「ほうほう。他には?」

「やたらガリ勉。勉強のし過ぎ。何処まで勉強したら気が済むんだって話だぜ」

「後は?」

「後は……正直助かってる。二宮がくれたノートのおかげで俺はこの前の小テストは点が良かったし、勉強の事とかよく参考になるから、ああいう奴がクラスにいて本当に良かったと思ってる」


 俺の言ったことは嘘ではない。

 二宮は一言で言うなら『異常』なガリ勉だ。朝早く来て授業の予習を欠かさないし、休み時間中も机に座ってほぼ勉強。聞く所によると、放課後なんかは図書室にある高難度な参考書を虱潰しに読んでいるとか。一日の大半を勉強に費やす、まさにガリ勉だ。

 だからこそ俺は助かっている。射城学園の授業レベルはハンパなく高い。少なくとも中等部だけで東大に受かれるぐらいは難し過ぎる。それだけ大変な授業になんとかついていけているのも、二宮から貰った勉強ノートや休み時間中に勉強を見てもらったりしてくれているからだ。アイツがいなければ今頃俺は学業が詰んでいたかもしれない。

 俺が言い終えると、シュンはホッとしたように安堵する。


「あー、良かったー。これ以上金実に友達が出来なかったらマジでヤバかったからなー」

「……なあシュン、あえて触れないようにしてきたんだが、もしかして二宮って友達いないのか?」

「……今はれんざきが友達らしいし、軽く話す程度なら何人かいるけど、高校入るまでなら俺とユキを覗けば特別親しい友達はいねえな」


 やっぱりか。昨日のバスで言っていたから予想はしていたが、完璧に的中している。


「理由はあれか、ガリ勉だからか?」

「察しが良くて本当に助かるぜ。金実は小せえ頃から図鑑ばっか読んで色々と覚えたりしてな、周りからはちょっとした物知り博士みたく思われてたんだよ。小学校の頃も休み時間に授業の予習か、図書室で借りてきた図鑑を読むかで過ごしていたしでな。逆にそれのおかげで成績優秀っつうか、小一で小六の全国模試順位一桁だったんだぜ? 信じられるか?」

「まあ、信じろといきなり言われても簡単には信じられないな」


 口ではそんな事を言うが、内心では大して驚いていない。『異常』な人間が集まる学校にいるぐらいだし、それだけの事やってのけても別に珍しくない。ちなみに、俺と伊佐南美の両親とこうげんは小学校から大学までの学生時代に受けた模試全て全国一位か二位か三位だったらしい。詳しい記録は改竄したから本当の事か知らんが。


「そんな訳でよぉ、んなにも勉強出来過ぎる金実を気味悪く思う奴らが後を絶たなくて、その結果が今だ」

「……だとしたら余計に分からん。だったら何でシュンは二宮と物別れせずにつるんでるんだ?」


 どちらかといえばそっちに驚いている。成績も性格も頭の中身も色々と対称的なシュンと二宮が小さい頃から今に至るまでの間、絶対何処か離れても良い所はあった筈だ。シュンに至っては中学が男子校だった為、途中で分かれている。それなのにどういう理由なのか二人の間にそんな事が無い。決して付き合っている訳でもなく、ただの友達としてい続けているのが気掛かりだった。というかシュンこそ真っ先に離れていきそうな人間にも思えてくる。


「あー、まあ、お隣同士だし、会う事も多いからな。仲が悪かったらお互い嫌だろ? それに昔よぉ、一人でポツーンと図鑑読んでる金実を見てたらどうも心配になっちまってな。俺の方から絡んでたんだよ。金実も金実で適当に相手してくれてたんだが、それを続けてたらなんだかんだで意気投合しちまってな。おかげで俺と金実は物別れしねえって事だよ」

「成程な」


 詳しい経緯については教えてくれなかったが、シュンはシュンなりに二宮を気に掛けていたのだろう。それを察した二宮も二宮なりに相手をして、二人なりに今の関係を築いている訳か。

 良いな。そういう幼馴染がいて。俺なんて基本的には伊佐南美ぐらいとしか一緒にいないし、暗殺稼業をやっている訳だからおいそれと気の許せる友達も作れない。そもそも作る気が余り無い。


「つう訳だし、金実とは仲良くやってくれ。口じゃあ平気だとか言ってっけど、どうせアイツの事だから内心独りでいて寂しいだろうしな」

「それは別に良いんだが、シュンってそんなに人に気遣う奴だったか?」


 俺はシュンに疑問をぶつける。

 朝は鼾を掻きながら寝ていて一行に起きる気配も無く、ホームルームギリギリになって登校してきて体育以外の授業中は寝ていて放課後になったら真っ直ぐ寮に帰って部屋は散らかっているあのシュンがここまで二宮を心配するのは初めて見るからだ。

 シュンはやれやれ、と言いたげそうに溜息を吐く。


「あのな銃兵衛、俺だって他人に気ィ遣ったりするぜ? まあ普段はだらしねえけどよ」


 自覚があるなら直せよ。あと気を遣うのなら部屋片付けろよ。ルームメイトに迷惑と思わんのか。と言ってやりたかったが話を拗らせるだけなので止めておく。

 とこんな感じで俺とシュンの話が終わった所で、郵便バイクの音が聞こえた。


「おっ、郵便来たか。ちょっと見てくるか」

「……多分違うんじゃないのか? さっきも来てたし」

「え? そうか?」

「ああ。穂乃雪ちゃんから腹の音が鳴った時に外から聞こえたぞ」

「マジかよ。けど念の為見てくるわ」


 シュンがそう言って郵便物の確認に行って十数秒後、シュンが睨み顔で戻ってきた。シュンの目線の先には、両手で持った数十通にも及ぶ青い封筒と白いハガキ一枚だった。


「どうした?」

「……いや」


 シュンはそれだけ言ってリビングに戻る。キッチンでは女子組が昼飯を作っている最中だったが、そろそろ出来そうだった。


「お兄ちゃん、どうしたの?」


 白いエプロンを着た穂乃雪ちゃんがシュンの元へとやって来て訊ねる。


「……郵便取りに行ったらよぉユキ、また来てたぜ」


 シュンが青い封筒の束を見せると、穂乃雪ちゃんは何かに怯えるように顔が暗くなってしまう。


「また来たんですか? これで八回目ですよ」


 封筒が目に入った二宮もやって来て普段見せない険しい表情になる。


「どうしたんですかー?」

「シュン、一体何が来たんだよ」


 何なのか分からない俺と伊佐南美はシュンに問い掛ける。


「また手紙が来やがったんだよ」

「それは見て分かる。何の手紙かって聞いてんだ」

「……ユキのストーカーだよ」


 ……………………とりあえず。

 女子組の作った昼飯を食べ終え、俺と伊佐南美はシュン達から詳しい事情を聞く事にした。

 なんでも今年の四月から穂乃雪ちゃんはストーカー被害を受けているのだそう。と言っても相手は誰なのか見当が付いていた。それは四月のクラス替えで同じクラスになったとある男子。

 本人曰く、自分は成績優秀で親は弁護士だから金銭的に裕福、将来は自分も弁護士になるから恋人になっても問題ない、寧ろそうすべきだと。そう言ったにも関わらず、穂乃雪ちゃんは断った。理由は、今はそういうのを考えていないから。これは明らかに自分がブラコンである事を隠したものだ。けどその男子はそれで納得する訳が無く、何度もしつこく言い寄ってきた。その時は一緒にいた友達が割って入り、一旦は諦めた。

 それからというもの、その男子は毎日の様に穂乃雪ちゃんに話しかけてきたり、告白の件を考え直してくれないかと言い迫ったり、下駄箱に手紙を入れたりしているらしい。その度に穂乃雪ちゃんの友達がガードに入ったりしているが、その男子が諦める訳が無かった。

 休日になると自宅の方にまで押し掛けて来るか、何十通ものの手紙や高価なプレゼントを送っているらしい。ここまでされて『普通』の女子中学生が耐えられる筈も無く、取り分け穂乃雪ちゃんは引っ込み思案で言いたい事をハッキリと言えないタイプの人間なので余計に始末が悪かった。

 以上の事を詳しく聞いたシュンは、それはもうお怒りになったそうな。今すぐにでも家に乗り込んで血祭りに上げてやろうかと思ってしまったぐらいに。まあ二宮が冷静かつ論理的に説得してくれたおかげで怒りは抑えられたが。

 シュンの気持ちは俺にも分かる。伊佐南美を付け狙うストーカーなんぞ現れたら二度と顔も思い浮かべないぐらい痛めつける必要がある。シスコンたるもの、妹を守ってなんぼだ。


「まったくよぉ、いくらユキが可愛くて巨乳で髪が綺麗で肌が柔らかくておまけに可愛いからって、人の妹に手出しやがって」

「神楽坂君、聊か不謹慎な単語が混ざっていたような気がするのですが。あと可愛いを二回言っています」


 更にタイミングが悪い事に、両親が旅行でゴールデンウィーク中は家を留守にしてしまう。幸いにもシュンが帰省するので穂乃雪ちゃんが一人になることは無いが、それでも心配は多い。例えばさっき来た手紙がそうだった。

 中々高価な手紙の内容をザッとで確認してみると、『僕はあなたの事が好きです』『僕はいつもあなたの事を想っています』『あなたの奏でる音色は僕の心を満たしてくれます』『僕とあなたは結ばれる運命なんです』『僕があなたを幸せにしてみせます』etc……

 要約すると典型的なストーカーが書くような内容ばかりだった。


「……なあ、一つ質問なんだが、この『あなたの奏でる音色』ってのがやたら多く書いてあるのは一体何なんだ?」

「あー、ユキは吹奏楽部でな。大方ユキが楽器弾いてる時に聴いたんだろ。今日も部活行ってたんだろユキ?」

「う、うん」

「あー! だからユキちゃんセーラー服なんだー!」


 伊佐南美が納得したようにポンッと合点ポーズ。

 実の所、俺もそれが気になっていた。連休にも関わらず、何故穂乃雪ちゃんがセーラー服姿なのか分からなかったが、学校の部活動に行っていたというので納得した。多分このセーラー服が学校の制服なのだろう。そして制服のまま俺達と会って今に至るという事だ。俺はてっきりシュンが趣味で着せているのかと思った。何処かで着替えるタイミングあったろうに。


「……実はその、今日学校に行った時にも声を掛けられて……」

「何っ!?」

「そうなんですか?」


 コクリ、と小さく頷く穂乃雪ちゃん。


「その時は、一緒にいた友達のおかげですぐに退いてくれたし、帰る時も一緒だったから大丈夫だったよ」

「なら、良いんだが……」


 怒りの湧いたシュンもそれを聞いて安堵の息を吐く。


「穂乃雪ちゃん、一つ質問です。土日にも部活があるとして、この方とはほぼ毎日会っていると考えて良いでしょうか?」

「うん。日曜日は部活無いけど、それでも時々家の前にいたりしてたよ」

「んだとぉっ!?」


 それを聴いたシュンが立ち上がって大声を上げ、穂乃雪ちゃんがビクッ! と反応して怯える。それに気付いたシュンは怒りによって熱くなった興奮を慌てて冷ます。


「ユキ、わりい」

「い、良いのお兄ちゃん。気にしないで」

「……だったら良いんだけどよぉ」


 シュンはガサツで勉強できなくてその他諸々の事も色んな意味であれだが、妹を人一倍心配するシスコン。怯えさせてしまった罪滅ぼしにシュンは穂乃雪ちゃんの頭を優しく撫であげる。


「しっかしよぉ、どうしたもんかそのストーカー野郎。いっそ警察にでも突き出すか」

「神楽坂君、それは恐らく無意味だと思います」


 シュンの憎たらしげに言った提案を二宮がバッサリと却下する。


「何でだよ金実」

「良いですか神楽坂君。警察はストーカーという存在に対して弱いのです。被害を立証しにくいですし、手紙やプレゼントを贈られて困っていますと言った所で高確率というかほぼ確実にスルーされるでしょう。最悪穂乃雪ちゃんが刺されない限り、警察は動いてくれません。加えて補足しますと、相手の親は弁護士です。仮に警察沙汰に持ち込んだとしても解決は難しいでしょう」


 俺も二宮と同じことを思っていた。というのも、小学生の頃に伊佐南美がストーカーにあっていたことがあったからだ。犯人はロリコンの浪人生。かなりの頻度で伊佐南美に付き纏っていたが、最終的には服部家総出による虐殺で葬って戸籍からレンタルビデオの会員情報に至るまでの全てを消した。

 暗殺稼業をやっている中でも、何十人という若い女性に付き纏っていたストーカー(有名会社社長の一人息子。但し浪人生)が父親の力で法の目を掻い潜り、悪行の限りを尽くした奴を見た事だってあるし、思い返すだけで数え切れないぐらいのクズ共がいた。全部殺したけど。

 今回の場合もよくあるケース。しかも相手の親は弁護士なので二宮の言う通り難しい。


「チクショォ、いっそ殺せたら良いんだけどよぉ……」


 おーいシュン。出しちゃいけない殺気が出てるぞ。

 殺してほしいなら俺達が引き受けてやろうとか言いそうになったが、裏の世界で生きている以上は不必要な干渉はなにかとマズい。それに言った所で信じてくれるかどうかは別問題だし。

 不安げになる穂乃雪ちゃんと二宮。恨みがましそうに拳を震えさせるシュン。俺としてはどうにか力になってあげたい。けどそうなるとやっぱり殺し屋としての俺が出てしまう。

 ただ一つだけ、どうにかなれる突破口があるにはある。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん」


 伊佐南美が俺の肩をチョンチョンと指で突く。


「何だ伊佐南美」

「いっそのことさ、ヘビちゃんに相談してみれば?」


 伊佐南美がその唯一の突破口――我らが従兄妹のへびぞうの話を持ち出した。

 俺もそれを考えていた。裏職業殺し屋の蛇蔵は表職業自兵。自兵は金さえ積めばどんな荒事も引き受ける何でも屋。たとえストーカーが相手だろうが追い払うぐらいの事はやってくれる。しかも蛇蔵の事だから快く格安で引き受けてもらえるだろう。

 それが平和的かつ安心安全確実な解決法なのだが、それをいの一番に言わなかったのには理由がある。


「……伊佐南美、それも手といえば手なんだがな、蛇蔵だぞ?」

「……だよね。ヘビちゃんだもんね」


 一番の問題は、蛇蔵が『異常』なまでに疫病神ということだ。この際、俺達だけなら別に良いんだが、依頼を引き受けたシュン達にまで不幸が襲い掛かるのは嫌なので渋ってしまう。


「服部さん、蛇蔵とは誰ですか?」


 伊佐南美との会話を聞いていた二宮が蛇蔵について聞いてくる。シュンと穂乃雪ちゃんも同じ様に顔を向ける。


「蛇蔵ってのは俺達の従兄妹でな、自兵やってんだよ」

「何っ!? マジか銃兵衛!?」


 真っ先にシュンが食いついてきた。胸倉掴んできたから顔近いって。


「頼む銃兵衛! その自兵、紹介してくれ! ユキを付け回す野郎をブッ潰してぇんだ!」

「シュン、落ち着け。本音を言えば紹介してやりたいし紹介された蛇蔵からしてみても願ったり叶ったりだと思うけどな、アイツには一つ問題があってだな。それのせいで面倒な目に遭うのは極力避けたいんだよ」

「それでも頼むっ! 俺はユキを守れるならなんだってするし、死んだって構わねえ! 助けると思って紹介してくれよぉっ!」


 おーおーおー、顔近いしシスコン発言するし声大きいし息荒いし。

 ここまで興奮して頼まれると断るに断れん。それにいざとなればストーカーと蛇蔵をまとめて始末すれば綺麗さっぱり治まる。


「……分かった。けど一つだけ約束してくれ。紹介した後で何か起こっても、俺達兄妹を怨むのだけは止めてくれ」



「……っつう訳だよ」

「ふむふむふむ。なるほどなるほど」


 電話で呼び出した蛇蔵に事の顛末を話し終えた。電話では、「おい蛇蔵。仕事持ってきた。ちゃんとやんなかったらる」と言った所、「うんオッケー!」と即答で返ってきて十分で到着した。

 ちなみに今回の依頼に関する報酬なのだが、こういう場合はケースバイケースで金額が変動するのが『普通』で、ストーカー関連の依頼だと基本的には高額である。だが俺の紹介であることと、依頼人クライアントが俺の友達ということで随分と割安になっている。


「それでー、そのストーカー君から送られてきたお手紙とかプレゼントとかは今どうしてるのー?」

「……えっと、手紙は一応残しておいた方が良いって金実ちゃんが言ったから残ってるし、プレゼントも開けるのが怖いから包装されたまま物置の中に全部仕舞ってます」

「オッケー。じゃあそれ調べるから後で全部拝借させてね。それとそのストーカー君から電話が掛かってきたりとかは?」

「あ、いえ。今の所は無いです。多分番号は知らないと思うし……」

「ふむふむ。了解了解。学校にいたら最低でも一回は言い寄られる、かー。体を触られたっていう様なボディタッチとかは?」

「それは無いです。でもその、肩を掴まれそうにはなりましたけど、友達が遮ってくれたから触られずに済みました。あ、ただ……」

「ただ?」

「その、体育の授業中とか……あ、私の学校は体育は男女別々なんですけど、それでも遠くから私を見てきたりはあります」

「ほうほうほう」


 蛇蔵は穂乃雪ちゃんの話を親身になって聞き、聞いた内容をメモしていく。自兵モードの蛇蔵はこういう時になると役に立つ。その他だと殺し屋を除いて邪魔以外の何物でもない。


「えーっとー、連休中はお兄ちゃんがいてくれるから安心としてー、連休明けになったらまた逆戻りだよねー。ストーカーってやる事がエスカレートして面倒臭いことになっちゃったりするからねー。本当に困りものだよー。しかも親が弁護士でしょー? こりゃまた随分と厄介ですなー」


 蛇蔵はまるで、ストーカーを相手にしたかのような口振りでやれやれと嘆息を吐く。蛇蔵の見解も俺や二宮と同じで解決が難しいと判断した。


「穂乃雪ちゃん。そのストーカー君の名前を教えてくれない? 住まいと苗字と弁護士って職種から情報割り出してみるからさー」

「は、はい。あ、そういえばその人から、両親の名刺貰いました。今、部屋にあります」

「そなの? じゃあそれも預かるね。持ってきてもらってもいーい?」

「は、はい」


 そう言って穂乃雪ちゃんが立ち上がって自分の部屋に向かおうと駆け出したその途端だった。

 俺の動体視力が正しければ、穂乃雪ちゃんは偶然にも、何も落ちていない綺麗なフローリングの床にツルッと足を滑らせて、偶然にも頭から床に突っ込んでいき、偶然にもそれによって穂乃雪ちゃんのセーラー服のスカートが重力に逆らって捲りあがり、暗殺稼業で培った動体視力によって、その露になったスカートの中を……見てしまう直前で視界が暗くなった。


「ギュムッ!?」


 ゴンッ! という音と、穂乃雪ちゃんの間の抜けた声が、ほぼ同時に聞こえた。多分頭を床にぶつけたんだろう。


「お兄ちゃん、見た?」

「……いや。助かった伊佐南美」


 尚、俺の視界が暗くなった原因は、伊佐南美が背後から俺に目隠しをしてきたからだ。もしあそこでスカートの中を見てしまうと伊佐南美に虐殺される。だからもし伊佐南美がやらなくても反射的に顔を逸らしていたかもしれなかった。


「ユキ!?」

「穂乃雪ちゃん、大丈夫ですか!?」


 まだ目隠しされているので状況はよく分からないが、シュンの声と二宮の声が聞こえた。


「う、うん……平気」


 次に聞こえた声は穂乃雪ちゃん。どうやら偶然にも運がよく、脳震盪は起こしてないようだ。


「……なあユキ、無事なのは良かったんだが、パンツ見えてんぞ」

「ふひっ!? ひゃあっ!」


 あー、やっぱりか。頭から突っ込んで転んだから、多分尻を突き上げる姿勢になったんだろう。その拍子でスカートが大胆に捲れてパンツ丸見え、と言った所か。


「はわわわわわぁぁぁぁぁっ!」


 穂乃雪ちゃんの可愛らしい悲鳴が聞こえる。それから程なくして、俺の視界が元に戻る。目に入ったのは、顔を赤くし、両手を股辺りに挟んで何かを隠すようにへたり込んでいる穂乃雪ちゃんと、それを慰めているシュンと二宮、その三人をニコニコ顔で見ている蛇蔵、俺の背後からばぁーっと出てきた伊佐南美だった。


「うぅ、み、見られた。お兄ちゃん達に、パンツ見られた……」


 涙目になってしきりにブツブツと呟く穂乃雪ちゃん。やっぱり年頃の女の子というのは下着を見られたらこういう反応をするのが『普通』なのだろうか。はたまた、スカートを穿いたままでんぐり返しして俺や栗原達にパンツを盛大に見せたのに平気な顔している伊佐南美が変なのだろうか(伊佐南美が中二の時の話)。女というのはいつ考えても不思議である。


「あー穂乃雪ちゃん、名誉の為に言っておくが、俺は何が起こったのか見てなかったぞ。伊佐南美が目隠ししたからな」

「そうだよユキちゃん。お兄ちゃんとー、後ろから目隠ししてた私は何も見てないよー」

「……本当?」

「本当本当。嘘だったら殴って良いから」

「うんうん。嘘だったらいくらでも怒って良いから良いから」


 俺と伊佐南美も懸命に慰める。そして蛇蔵をジロリと睨む。今のはどう考えてもお前のせいだろこの疫病女。


「気にするこたぁねえよユキ。お前のパンツなんてしょっちゅう見てんじゃねえかよ」

「待って下さい神楽坂君。それはどういう事ですか?」


 穂乃雪ちゃんを慰めている二宮が目の色を変えてシュンに訊ねる。


「どうもなにも、妹の下着ぐらい毎日見てるぜ? ほら、洗濯とか洗濯とか洗濯とか。つってもユキが中学に入ってからはロクに見てねえけど」

「……そういう事でしたら良いのですが」


 明らかにシュンに軽蔑する眼差しを向けていた二宮が目の色を元に戻す。


「……え、でもお兄ちゃん、昨日帰ってきた時に、私のスカート捲ったよね?」

「神楽坂君?」


 穂乃雪ちゃんの証言により、二宮の目が再び変わる。


「いやいや、別にそれくらい兄妹の間じゃ『普通』の事だろ? なあ銃兵衛」

「いや、そりゃ伊佐南美の体を触るぐらいは時々あるが、流石の俺でもそこまではやらんぞ」


 妹にスカート捲りをしようものなら虐殺は確定の俺達の日常。勿論俺はその気が全く無いので問題は無いが、シュンの場合は妹へのセクハラは合法だと思っている可能性があると見える。


「あとその、お兄ちゃん、時々私のお尻とか触ってくるよね?」

「神楽坂君?」

「何言ってんだよ。妹へのセクハラは合法だぜ?」


 言いやがった。早速言いやがった。堂々と言いやがった。

 というか、二宮の視線がドンドン険しくなっているような気がするんですけど……


「神楽坂君、あなたは穂乃雪ちゃんに何をしているのでしょう? いくら兄妹とはいえ、その様な事をして穂乃雪ちゃんが不快な気持ちになると思わないんですか?」

「いや、触ってやったらユキが嬉しそうな顔するからついつい」

「え?」

「は?」

「ほえ?」


 俺、伊佐南美、二宮の三人は一斉に穂乃雪ちゃんを見る。穂乃雪ちゃんは顔を赤くしながらモジモジと指を動かし、目を逸らしていた。


「あのな、一応言うけどな、俺はユキが心の底から嫌がってんだったらセクハラなんざしねえぜ? けどよぉ、俺がユキの尻とか胸とか触ったら苦情は言うけど顔は嫌そうじゃなかったんだよ」

「…………」


 えーっとそれはつまり、穂乃雪ちゃんはそういう事なのか。


「お、お兄ちゃん……そんな事、言わないで……!」


 当の穂乃雪ちゃんは恥ずかしさのあまり、涙目になってしまう。


「あー、悪い悪いユキ。泣かすつもりはねえんだって」


 シュンが穂乃雪ちゃんの頭をナデナデして慰めに入る。


「うぅ、お兄ちゃんの意地悪……」

「マジで悪かったって。けどよぉ、お前が尻触られたり、胸揉まれたり、一緒に風呂入ったりとかしてても嫌がる素振りとかあんまり見せねえから」

「ってちょっと待ておい。今何て言った?」


 俺はシュンのとんでもない発言に耳を疑う。


「何ってよぉ、何度も言わせんなよ。だからユキの尻触ったり」

「その後だ」

「ユキの胸揉んだり」

「だからその後」

「一緒に風呂入ったり」

「神楽坂君!?」


 とうとう二宮も耐え切れなくなってしまって声を上げてしまう。

 対してシュンは面倒臭そうな顔になって説明する。


「別に変でもねえだろ? 兄妹で風呂なんて。ちなみにユキが小学生の頃の話だぜ?」

「なんだそういう事か。驚かすなよ……」


 俺も二宮も安堵の息を吐く。小学生の頃ならまだ良い。俺だってそれぐらいはある。だが今だに一緒に風呂に入るのは流石に一線を超えかねん。というか超えてる。絶対超えてる。この前伊佐南美と一緒にシャワー浴びた俺が言える立場でもねえけど。というか昨日、俺も伊佐南美があまりにもせがむから一緒に風呂入ったよ。断ったら殺されるから。


「でもお兄ちゃん、昨日一緒にお風呂入ろうって誘ってきたよね?」

「っておい!」


 顔が真っ赤な穂乃雪ちゃんから新たな証言が発覚した。

 この男、兄にして妹をなんだと思っているんだ。俺だって人の事は言えんが。


「ああしたな。けどユキ嫌がってたしよぉ、あっさり引いたじゃねえか。いくら俺でもユキが本当に嫌がるような事はしねえ。そんな事して嫌われるのも嫌だしな」


 もう既に嫌われても可笑しくない事をしまくってるくせに何を言っているんだ。


「つうかユキ、名刺持ってこなくも良いのか?」

「え? あ、そうだった。今持ってくるね」


 あ。話逸らした。


「神楽坂君。先程のお話、後でじっくりと聞かさせてもらいますからね?」

「えー、めんどくさー」


 二宮は似合わない殺気をチラつかせ、それに対してうげーとするシュン。ちなみにこの間、蛇蔵は何もせずにただニコニコとしているだけだった。

 穂乃雪ちゃんが言われた通りに持ってきた名刺を蛇蔵に渡し、ついでにシュンが今まで送られてきた手紙やプレゼントの入ったダンボール箱を何往復もして持ってきた。手紙だけで三箱分、プレゼントは大きさによるが四箱分もあった。

 この『異常』なのか『普通』なのか分からない量に蛇蔵も予想はしていたのだろう、大して驚いておらず、


「じゃーあー、後で車来るからー、それまで待っててねー」


 寧ろせんぞう叔父さんに車の手配を頼んで自兵らしく動いていた。多分こういうのに慣れているんだろうな、蛇蔵は。


「あーあ、これで邪魔な荷物が無くなってせいせいするぜまったくよぉ」


 シュンがダンボール箱を積み終えて面倒臭そうに頭を掻き毟り、リビングに戻ろうとしたその時だった。

 ツルッ! ゴンッ!


「だああああああああっ!? いってぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」


 シュンが何も無い所で盛大に転んで額を強打した。


「お、お兄ちゃんっ!? だ、大丈夫っ!?」


 今度は反対に、穂乃雪ちゃんが真っ先に駆け寄る。


「し、心配すんなユキ。これぐらいだったら平気だ……」

「その割にはとても痛そうですか?」


 二宮もシュンの悶絶打つ姿を心配しつつ駆け寄る。


「しかし、神楽坂君にしては珍しいですね。普段だったら転ぶ事はまず無いというのにも関わらず、まして何も無い所で転ぶとは非常に珍しいです」

「た、確かに。私だったら兎も角、お兄ちゃんが転ぶだなんて本当に珍しいね」

「そんなにシュンが転ぶのが珍しいのか?」


 俺は二人の会話に疑問を感じて訊いてみる。


「はい。例えば石に蹴躓いて転ぶような出来事の場合、普段の神楽坂君でしたら蹴躓く石を反射的に避けますので。仮に転んだとしても途中で体勢を立て直して転ばずに済む事が多々あります。今回の場合は非常に珍しいです。少なくとも私の知る限りでは初めて見た光景です」

「私も、お兄ちゃんが転び掛ける所までは見た事ありますけど、まるで条件反射みたいに体を動かして結局は転ばなかったっていうのが多くて。私も初めてお兄ちゃんが転ぶの見ました」


 ……人は生きている中で何回かは転ぶものだ。そして咄嗟に受け身を取ろうとする。俺や伊佐南美だって不注意で転んでしまうし、反射的に受け身を取ったりしている。

 けどシュンは、その前提を崩す。躓きそうになると反射的に足が避ける、転びそうにはなるが、反射的に動いて転ばないという行動を取れる。


(……なんともまあ、変わった反応の持ち主なもんだな)


 こんな所で、自分のクラスメイトの変わった一面を見られて幸運だったと内心で思いつつ、受け身も取れずに額を打ったシュンを心配する。まあ見た所シュンの身体は丈夫そうだし、激痛でも問題ないだろう。


「神楽坂君、いくらあなたの身体が丈夫だからとはいえ、注意力散漫なのは良くありませんよ? もしもの事があればどうするつもりなんですか?」

「別によぉ金実、これぐらい平気だっての。変な心配しないでくれって」

「いけません。神楽坂君が大怪我でもして、一番悲しむのは穂乃雪ちゃんなんですよ? 神楽坂君もその辺りの自覚をもう少し持って下さい」


 と、二宮がそこまで言い終え、ずれていた眼鏡を掛け直したその時だった。

 軽く動かしただけなのに、突然二宮の眼鏡のツルがポロッと取れ、そのまま落下した。


「あっ!?」

「おっと!」


 俺は反射的に動き、床に落ちる前に眼鏡をキャッチする事が出来た。


「あ、ありがとうございます服部さん」


 二宮は俺が差し出した眼鏡を丁寧に受け取り、丁寧に頭を下げてお礼を言う。


「二宮、その眼鏡、ネジが外れてるぞ」


 キャッチした時に確認してみたが、二宮の眼鏡はネジが外れてツルが取れてしまったみたいだった。


「そうですか。ネジが外れるなんて稀なので珍しいですね」


 二宮はそう言い、持ってきていた小さな鞄から眼鏡用ドライバーを取り出して、慣れた手つきでネジを締めていく。


「……二宮、お前もしかして、いつも眼鏡用ドライバー持ち歩いているのか?」

「あ、はい。以前にネジが外れるような事がありまして。その時はドライバーを持っておらず大変でしたから、それ以来持ち歩くようにしているんです」

「成程な……」


 という事は、慣れた手付きからすると二宮はこれまでに何回か眼鏡を直した経験がある様だった。稀とか言っているが、大方眼鏡を分解してまた直すを繰り返して慣れたのだろうが、真偽は知らなくても今は良いか。

 そんな事よりも俺は、ニコニコ顔で見つめてくる蛇蔵を睨みつける。シュンが転んだのも、二宮の眼鏡が外れたのも、明らかにコイツのせいだ。無関係な奴まで巻き込みやがって。後で殺してやる。

 俺の思考を読み取ったのか、蛇蔵は逃げる様にして運転している千蔵叔父さんに寄り、二言三言囁いた。それを聴いた千蔵叔父さんは小さく頷き、俺と伊佐南美にも軽く会釈してそのまま車を走らせた。

 千蔵叔父さんが去り、俺達だけになった。


「じゃーあー、私ももうちょっと残ろうっかなー」

「帰れ」


 蛇蔵がまだ居座りそうなので俺はそれを突っ撥ねる。


「えー? 良いじゃんジュウくん。ケチケチしないでよー」

「帰れ。サッサと帰れ。今すぐにでも消え失せろ」

「むー、ジュウくんのいけずー」


 蛇蔵がプクーッと頬を膨らませ、指でツンツンと俺を突く。触れるな。殺すぞ。


「……あの、伊佐南美ちゃん」

「はーい。なんですかー?」

「服部さんと蛇蔵さんって、仲が悪いんですか?」


 ニコニコで見つめる蛇蔵と、限りないくらい睨みを利かせてる俺のやり取りを外野で見ている二宮が伊佐南美に質問する。


「別に仲が悪い訳じゃないですよー? ただお兄ちゃんがヘビちゃんを嫌っているだけでーす」

「それは仲が悪いという意味では……?」

「ちなみに私もヘビちゃんとは仲は悪くないですけど、ヘビちゃんの事は嫌いでーす」

「……そうですか」


 もはや突っ込む気力も失せてしまった二宮は大人しく引き下がった。

 誤解があるかもしれないが、俺達兄妹と蛇蔵は仲が悪い訳ではない。もし仲が悪ければこんな風に依頼を持ってきたりしないし、そもそも羽鳥家に泊まったりなんて事もしない。ただ嫌いなだけである。

 だから別に、もし蛇蔵が死にそうだったら後ろからトドメを刺してやるし、拉致られたら監禁場所ごと木っ端微塵に吹っ飛ばすし、金を貸してと言われたら一日一割イチイチ(一日過ぎる毎に利子が一割増えるの意)で返してくれるのなら貸すし、買い物に誘われたら全部蛇蔵に請求を回すし、遊びに誘われたら全身全霊を持って殺すし……蛇蔵の人柄は俺達も認めているのでただ嫌っているだけ。蛇蔵自身も俺達を嫌ってないので何かとつるむことはある。


「良いから帰れ蛇蔵。ハッキリ言って邪魔だ」

「ジュウくんったらー、別に良いじゃーん」

「抱きつくな。鬱陶しい」

「あはは。ジュウくん照れてるー」

「伊佐南美、この馬鹿をなんとかしてくれ」

「はーい」


 俺に言われるままに伊佐南美が蛇蔵を引き剥がそうとする。その光景を見ていたシュン達は、


「……金実、見た所仲良さそうだな」

「そうでしょうか……?」

「絶対そうだって。俺とユキだってあんな感じだしな。なっ、ユキ」

「う、うん」


 そんな風に温かい目で見ていた。

 だがそんな平和が長く続かないのが、世の常々と言ったものであって。


「か、神楽坂さん!」


 不意に、弱々しい声が聞こえた。声のした方を向いてみると、学ランを来た一人の男子がいた。見た目からして恐らく中学生。


「た、竹井君……!?」


 その男子生徒を見るや否や、穂乃雪ちゃんが怯え出し、すぐさまシュンの後ろに隠れるように引込んだ。


「ユキ、ひょっとしてだが、この野郎か?」

(コク)


 確認を取ったシュンが何の迷いも無くズカズカと男子生徒に近寄っていく。

 ガシッ!

 嫌な予感がすると判断した俺はシュンの腕を掴んで制止させる。


「おい、放せ銃兵衛」

「落ち着けシュン。今ここでコイツをとっちめても悪く言われるのはお前の方だ。せめて物的証拠があってからにしろ」

「物的証拠ならあるじゃねえか。この野郎がユキに送りつけた手紙やらなんやらが」

「それだけだと証拠にはならん。二宮が言った事をもう忘れたのか?」


 俺とてシュンの気持ちは分からなくもない。けどただやって来ただけだとギタギタにしたくても出来ない。後々面倒な事になるだけだ。

 男子生徒は何かを決めたかのようにグッと拳を作り、シュンの前にやって来る。


「あ、あの、お兄さん!」

「テメェなんぞにお兄さんなんて呼ばれる筋合いなんざ無ぇよっ!」


 おぅおぅおぅ。まるで自分の妹を嫁に出したくない兄が言う様な事を。煩いし顔怖いし近所迷惑だし穂乃雪ちゃんビビってるし。


「あの、ぼ、僕はたけよしあきと言いま……」

「失せろストーカー野郎がぁっ!」


 自己紹介を終える前にシュンが続けて怒鳴り散らす。

 だが、いきなり怒鳴られた男子生徒もシュンの気迫に驚いたが、それでも退かない。


「僕はその、神楽坂さ……」

「誰もンなこたぁ聞いてねぇよっ! 誰が許すかぁっ!」


 まだ何も言ってないのに怒鳴って拒否った。


(……マズいな)


 このままシュンのボルテージが上がり続けたら最悪この竹井とかいう男子生徒がボコボコにされる。そうなれば間違いなく竹井は親にチクって、最悪裁判沙汰を起こしかねない。

 それ以前に、シュンが煩いし穂乃雪ちゃんがあまりの怒り様のシュンを見て完全に怯えきっている。その穂乃雪ちゃんを二宮が庇う様にして後ろに隠しているし、これ以上は避けないといけない。


「シュン、お前ちょっと引込め」


 俺はシュンを羽交い絞めにして外野へと持っていく。


「放せやぁ銃兵衛! ユキの一大事なんだぞっ!」

「分かってるっての。けど冷静になれって。ここでお前が暴れても状況が悪化するだけだって。……なあ穂乃雪ちゃん」


 俺は二宮の後ろにいる穂乃雪ちゃんを呼ぶ。呼ばれた穂乃雪ちゃんはそろーっと顔を出す。


「……は、はい」

「折角だし、話だけでも聞いてやったら?」

「はあっ!? 銃兵衛お前、何言ってっ!?」

「話を聞くだけだぜ? 別に内容次第によってはOKしたらとかは言ってねえ。あくまでも話を聞くだけ、だ」


 『話を聞くだけ』をやたら強調して言う。これには流石のシュンも興奮を抑え、「……分かった」と了承してくれ、穂乃雪ちゃんに目をやる。


「ユキ、何かあったらちゃんと守ってやるから。なっ?」

「う、うん」


 シュンに説得されるがままに、穂乃雪ちゃんはオドオドした様子で竹井の前に出る。

 それを待ってましたと言わんばかりに竹井が話を切り出した。


「神楽坂さん! あなたの事が好きです! 僕と付き合って下さい!」

「ごめんなさい!」


 …………

 決死の告白をものの0.5秒で断られた。

 が、ストーカーというのは一度フラれたぐらいでは諦める訳がない。


「どうしてなのさ神楽坂さん!? 僕だったら君の事を絶対に幸せに出来る! というか、僕以外にそれが出来る男なんていないんだよ!」

「で、でも私、今はそういうのとかは興味ないから……」

「お願いだよ! 僕がいつも君の事を想って書いた手紙は読んでくれた!? あれを一通書くのに僕は凄い時間をかけたし、プレゼントだって君に似合うようなものばかり選んだんだよ!」

「け、けど……」

「神楽坂さん! もう一度考え直してくれないかな!? 君には僕しかいないんだよ!」


 早口で喋り捲る竹井は、その興奮と声の大きさに気圧されて歯切れの悪い穂乃雪ちゃんの手を握ろうと腕を出そうとした。


「はーい! ストーップ!」


 とここで、空気を読まないのかグットタイミングなのか、蛇蔵が二人の間に割って入った。ちなみにもし蛇蔵が入らなければシュンの鉄拳が起こった。


「な、何ですかあなたは!?」


 いきなりの闖入者は竹井に自分の素性――自兵のライセンスを兼ねた生徒手帳を見せた。それを見た竹井の顔がサァーッと赤から青へと変わっていく。

 蛇蔵は穂乃雪ちゃんをシュンの所に戻させ、クルッと竹井の方に向き直る。


「さてさて竹井吉昭君~? 女の子に恋するのは結構なことだけど~、少しは向こうの気持ちとかも分かってあげようね~?」

「相手の気持ち? 何言ってるんですか。僕は神楽坂さんの事を第一に考えて……」

「ほうほうほう。じゃーあー、当のご本人に聞いてみましょーかー!」


 蛇蔵はスキップ交じりで歩いて穂乃雪ちゃんにニコーッと顔を近づける。


「穂乃雪ちゃん、穂乃雪ちゃん。お姉さんからの質問があります。よろしいですかぁー?」

「あ、は、はい」

「よーし。では質問その一! 穂乃雪ちゃんはどうして竹井君の申し出を断ったのかなー?」

「え、えーっとその、さっきも言ったとおり、今はそういうのに興味ないから、です」

「はいはい。では質問その二! どうして興味ないの?」

「えっと、今は部活を楽しみたいとか、勉強頑張りたいとか色々あって、勿論恋愛とかもあるだろうけど、その……」


 穂乃雪ちゃんはシュンの方をチラッと見て、恥ずかしそうに顔を赤く染め、


「……今は、お兄ちゃんもいるから」


 その言葉の意味を理解した蛇蔵は顔を大きく縦に振る。


「ふむふむふむ。要約するとー、穂乃雪ちゃんはお兄ちゃんの事が大好きだからー、恋愛とか興味ないって事だねー? 念の為確認するけど、それはあくまでもお兄ちゃんとして好きなんだよね? 異性としては見てないよね?」

「は、はい。それだけは誓って言えます。それとその」

「ん? なーに?」


 穂乃雪ちゃんは今度は竹井の方をチラッと見て、申し訳無さそうに俯く。


「えっと、手紙とかプレゼントとか、本音を言えば嬉しかった部分もあるけど、あんなにも沢山送られてきたら、流石に鬱陶しいかなって」

「(グサッ!)うっ!」


 あ。今、何かが刺さる音が聞こえた。


「あと、そもそも竹井君は全然タイプじゃないっていうか、寧ろしつこ過ぎて逆に嫌っていうか……」

「(グサグサッ!)うぐっ!」


 あ。また聞こえた。


「その、本当にごめんなさい」


 最後に穂乃雪ちゃんは深々と頭を下げて謝罪。しかし、これで諦めてくれたら誰も苦労しない。


「か、神楽坂さん! そんな事言わないでよ! 僕が君の事を一生掛けて守るからっ!」

「べ、別にお兄ちゃんが守ってくれるからいいもんっ!」


 おお。大胆なブラコン発言。言ったご本人も恥ずかしくて顔が赤いご様子。そしてそれを聞いたシュンは物凄く嬉しがっている。


「神楽坂さん! 僕の愛に答えてよっ! お願いだからっ!」

「竹井君、竹井君」


 フラれた事でヒートアップし続けている竹井に少しも気圧されず、『普通』に近寄った蛇蔵は、竹井の耳元で何かを囁いた。それを聞いた竹井はギョッとして数歩後ずさる。。


「分かった? 諦めた方が良いと思うよー?」


 蛇蔵がニッコリと、しかし殺気を混ぜて忠告すると、竹井はまるで猛獣にでも追われたかのように顔を歪め、その場から走り去ってしまった。

 俺と伊佐南美と蛇蔵はこの時、竹井が振り向き際に俺達を心のそこから憎悪するような目を向けていたのを確認できた。


「おい蛇蔵、一体何を言ったんだ?」


 俺は思わず蛇蔵に聞いてみた。


「えーっとねー、『君がやって来てから今の今までの会話、全部録ってあるから、しつこいとご両親にクレームしちゃうぞー?』って言ったのー」


 蛇蔵は小悪魔っぽくニシシと笑う。流石は自兵。こういう事になると抜かりが無いな。

 いくら親が弁護士とはいえ、その息子が何か問題を起こせば本人達の信用に響く。そりゃ本職を生かして隠蔽する事ぐらいはやるだろうが、何しろ蛇蔵は自兵。小さくも証拠があるから変に言い掛かりを言えないし、もし万が一の事になったら蛇蔵を捨て駒にして俺達は悠々と過ごせる。

 しかし、さっきの竹井のあの目、絶対に何かがある。そう確信した俺と蛇蔵はアイコンタトを取る。


「……そぉうだったぁっ! そういえば私、用事があるんだったー!」


 蛇蔵はわざとらしく声を上げてトンットンットンッとステップを踏んで近づいてくる。


「じゃーあージュウくん、何かあったらいつでも連絡しってねー!」

「ああ。分かったからトットと行け」

「はいはーい」


 蛇蔵はニコニコと笑いながら、その場からいなくなり、後は俺達だけになった。


「……さてと、戻るかシュン」

「そうだな」

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