参拾捌殺
俺と伊佐南美はW組棟の地下五階の訓練場に来ていた。
広さは一階と同じぐらい、更衣室に武器庫にシャワー室、その他諸々が備わっていた。ただ暫く使っていなかったからなのだろう、壁を指で擦ってみると埃が付いていた。
「伊佐南美、とりあえずまずは掃除だな」
「そうだね」
俺と伊佐南美は部屋を綺麗にするべく、
「「忍法『氷白凍』」」
部屋全体の埃を凍らせた。
空気中の水蒸気の温度を瞬間的に低下させて周囲の物体を凍らせる忍法『氷白凍』。応用すれば埃だけを凍らせることも可能になる。
床から天井、壁全てが凍りつき終わり、伊佐南美の忍法『濃振透』の振動波で凍った所だけを破壊。部屋の掃除が完了した。
「さてと。そんじゃ伊佐南美、着替えるか」
「うん」
俺と伊佐南美と揃って更衣室に入り、背中合わせで着替え始める。兄妹だし更衣室は一つしかないからお互い気にしない。普段だったら俺が伊佐南美の着替えを覗くと伊佐南美は俺のことを本気で殺しに掛かる。
制服を備え付けのロッカーに掛けて愛用の黒いジャージに着替える。
「伊佐南美、そっちは――」
終わったか、と言い終える前に俺が伊佐南美の方へと振り返ってみると、伊佐南美は今まさに半袖シャツを首に通り終えたばかりだった。要するに伊佐南美は上半身はまだ下着姿であり、伊佐南美の白いブラが丸見えだった。ちなみに下は黒い長袖ジャージを着ていた。
「ひゃんっ!? お兄ちゃんのエッチ! いきなり振り向かないでよ!」
伊佐南美は顔を薄っすら赤く染め、慌ててシャツで胸元を隠す。
「あー、悪い」
俺はすぐにそっぽを向き直す。伊佐南美の下着姿はもとい裸なんか何度も見慣れているから俺は特に何とも思わないんだが、伊佐南美はお年頃だからそこら辺は気にする様になってきたか。
「……もう良いよお兄ちゃん」
「んー」
俺は改めて伊佐南美の方を向く。伊佐南美は黒いジャージに身を包んでいた。
伊佐南美はまだ赤い顔を膨らませて恥ずかしそうに俺を見る。
「……お兄ちゃんのエッチ」
「だから悪かったって。わざとじゃない」
俺は機嫌直しに伊佐南美の頭を優しく撫でてやる。すると伊佐南美の表情が緩くなる。
「ふにゅ~、お兄ちゃん~」
すっかりと蜂蜜の如くとろとろとした顔になった伊佐南美が俺に体をくっつけて顔をスリスリと擦りつけてきた。充分ストレスは抜けたな。
「伊佐南美、充電したらトットと始めるぞ」
「は~い」
これで伊佐南美に虐殺されるという心配をせずに済んで俺は更衣室を出る。
俺と伊佐南美が10mほど距離を取って互いに顔を合わせる。
「んじゃ伊佐南美」
「うん」
――パッ!
俺達は互いに姿を消した。
「――ラアァァァァァッ!」
「――セィヤアァァァァァッ!」
俺は拳と伊佐南美の蹴りが衝突し、強い衝撃波が生まれた。
俺達兄妹は早速組み手から始めた。
暗器も忍術も使わない、純粋な身体能力のみで戦っている。
「――セイッ!」
伊佐南美の回し蹴りを俺がバク転で回避し、そのまま床を蹴って手刀を放つ。これを伊佐南美は手で払いのけ、逆に伊佐南美の方が手刀を放ってきた。俺はこれを避け、伊佐南美の腕を掴んでガラ空きの胴に強い膝蹴りを喰らわす。
「っ!」
伊佐南美は痛みを感じつつもニヤリと笑い、頭を大きく上げ、そのまま俺への頭突き!
「ンガッ!」
これにはさすがの俺も悶えそうになったが、そこは忍者らしく強い忍耐力で我慢する。
我慢した後は伊佐南美の胸倉も掴んでバックドロップ。頭を床に強くぶつける。
「いったぁーい!」
伊佐南美は声を上げると両脚を俺の腰に絡ませる。このまま俺を締め上げるつもりか。
「させっかよ、ンなこと」
俺は両手で床を叩いてその勢いで立ち上がる。そして伊佐南三の両脚を掴んでからの怪天!
「わっ!? わっ!? わっ!?」
回る俺自身は平気だが伊佐南美はそうもいかない。五十回転した所で俺は脚を放す。すると伊佐南美は遠心力で遠くに吹き飛ばされる。それでも伊佐南美はすぐに態勢を立て直そうとする。
「円貫九形・螺旋!」
俺は怪天の勢いに乗って螺旋を発動。なんでも粉砕するドリルの如く伊佐南美に突っ込む。
「円貫九形・螺旋!」
伊佐南美も同様に螺旋を発動。
高速回転する互いの指先が衝突。衝撃波が気流に乗って螺旋状になる。
「――ぐッ!」
「――うあっ!」
結果は相打ち。双方後ろに吹き飛ぶが、俺はなんとか留まって床を蹴る。
(――源影――夏蓮!)
瞬間的加速歩法――源影。体重移動技――夏蓮。これによって秒速20mにまで加速して拳に掛かる体重を軽くする。
「羅生!」
一点重魂・羅生。打撃速度が速いほど、拳に掛かる体重が軽いほど威力を増す打撃型体術。常人なら喰らえば貫通してしまうぐらいの高速打撃を放つ。
「発頸!」
方や伊佐南美は山漠で振動波を生み出し、妙沌天侵・発頸を発動。着衣や皮膚などの人体の外側を攻撃する振動型体術で迎え撃つ。
――ズドォォォンッ!
俺の拳が伊佐南美の腹に命中。ここで『普通』だったら吹き飛ぶはずだが、そこはさすがは俺の妹、吐くのも堪えつつなんとか踏みとどまっている。そして伊佐南美からのお返し、発頸が炸裂。俺の全身に振動波が伝わり、強い衝撃を受ける。着ているジャージは光元経由で手に入れた特殊繊維でできているので破壊はされなかったが、体中の皮膚が痺れている。やっぱり伊佐南美の振動型体術は喰らいたくないな。
「セィッ!」
俺はまだ痺れる感覚が残っている手で伊佐南美の頭を掴んで床に叩きつける。
「チィッ!」
伊佐南美も即座に応戦。俺の足を掴んで転ばそうとしてくる。だが俺はその前にジャンプして回避。そこからの鉄墜ではない『普通』の踵落としを放つ。
「ンガッ!?」
脳天に踵落としが直撃した伊佐南美は頭を押さえてその場でジタバタ転げまわる。
「う~、お兄ちゃんギブギブッ!」
伊佐南美が涙目で降参を宣言。今日の手合わせは俺の勝ちに終わった。
「おいおい伊佐南美、また俺に負けてんじゃねえよ」
俺は文句を言いながら伊佐南美に手を貸して起き上がらせる。
「む~、だって~」
「だってじゃねえ。お前は俺よりも何十倍も強いくせに一度も俺に勝ってないってどういう了見だよ」
「う~!」
伊佐南美が俺をポカポカ叩いてくる。これで俺が千回ぐらい連勝している。まったく、伊佐南美には困ったもんだよ本当に。
どれだけ相手より強くても、弱くても、技量が優れていても、劣っていても、経験が多くても、少なくても、偶然でも、必然でも、結局は殺せた人間が一番優れた殺し屋になる。もしこれが本当の殺し合いなら、伊佐南美は俺に千回以上は殺されている。まあ俺も今までの日常生活で伊佐南美に千回以上は殺される思いしてるからおあいこなんだろうが。
負けた伊佐南美を普段通りに宥めて水分補給と柔軟体操を終え、俺と伊佐南美は部屋に隣接している二つの個室にそれぞれ一つずつ入る。
個室の広さは約畳三十畳。一体この地下空間の何処にここまで広い場所を確保できるんだとツッコミたくなるがそれは野暮というもの。
これから俺が特訓するのは刃刃幸との戦いで習得した桜散である。
羅生の極端技である桜散は発動時に時速1200km以上の速さを全身で生み出さないといけない。しかもその際にはそれに見合った筋肉と頑丈な体が必要になる。
筋肉に関しては肉体改造術、圧肉筋を使うことになる。これだったら桜散発動時に必要な筋肉量を確保できる。但し圧肉筋は普段から使わない技なので使い慣れていない。その為使用時間が短過ぎる。だからここでの鍛錬でそれをもっと慣れておくようにする。
俺は右目に黒眼を嵌めて早速取り掛かる。
「……圧肉筋」
バキバキバキバキバキッ!
俺の全身から生ゴムを引き絞るような怪音が鳴り響き、筋肉が増量される。圧肉筋の継続時間は一分しかないので手っ取り早く始めることにする。
(――源影――源鱗――羅生!)
俺は源影の応用技、源鱗で秒速30mまで加速。これで準備万端。
「桜散!」
俺は全身を同時に動かし、目の前に立てた的目掛けて音速の拳を放つ。が、
――ズドンッ!
「あ、あれっ?」
妙なことが起こった。放たれた拳は確かに高速だった。けど音速にまで達していない。的は拳が激突して砕け散ったが、今のは単なる羅生だ。桜散じゃない。
『只今の打撃、秒速120m=時速432km』
黒眼の表示でも音速の三分の一ぐらいしか出ていない。前はちゃんとできていたのに。
「……どうなってんだ?」
俺は不思議に思いつつも、もう一度桜散を放つ。この前とまったく同じ様に全身を同時に動かし、合計時速1200km越えの一撃を放つ。
――ズドォォォンッ!
さっきよりも速かった。拳から放たれた衝撃波が一直線になって飛び、的が粉々になる。けど不自然だ。これも音速には達していない気がする。
『二回目の打撃、秒速200m=時速720km』
黒眼の表示を見てみたら案の定だ。確かに速度は上がっている。けど音速ではない。
圧肉筋の継続時間が終わり、俺の筋肉が元に戻る。疑問に思った俺は黒眼に訊ねてみる。
『……マスター。二時間後、絶頑刀『神流月』を用いて再度お願いします』
それは要するに、神流月でも試せということか。ここは黒眼の指示に従った方が良いだろ。そんな訳で暇な二時間を圧肉筋の練習に当てた。
そして一時間後。全身がバッキバッキの筋肉痛になるまで練習した圧肉筋はなんとか三分から五分ぐらいまでは持続できるようになった。そしてその休憩で一時間を使い、俺は神流月を腹から抜刀。キチンと濯いで的を用意し、もう一度圧肉筋を発動からの源影で源鱗で桜散を発動。
結果。神流月を使った桜散で出せた速度は時速800~1000kmほど。やっぱり速度を乗せるものが頑丈なだけあって速度は申し分ない。けどそれでも音速には達していない。それに思う所が一つあった。
音速打撃の桜散。これを拳や刀以外で出せないのかと。例えば足蹴りや頭突きによって音速の一撃を喰らわしたり、もっと応用すれば返し技にも使えるのではとも思っていた。それを黒眼に訊ねると、黒眼は『分析中。少々お待ち下さい』の表示を出して十秒後。
『………………桜散の応用可能に関する分析結果。
理論上では応用可能。但しマスターの身体能力を考慮すると現時点では不可能。
解決策:マスターが強くなれば可能性は出てくる』
黒眼の出した結果は、なんとも曖昧だった。少なくとも今の俺ではまだ無理だ。だから鍛錬あるのみだな。
いきなり大技を使えないのは、ゲームで初心者が上級技を使えないのと同じみたいだ。しばらくは圧肉筋や、圧肉筋を使わない源鱗が可能どうか試していこう。
もっと練習をしたい所なのだが、これ以上は後遺症が残るような負担をかけてしまう恐れがあると黒眼が表示している。それならシャワーでも浴びることにしよう。
◇
俺がシャワーを浴びていると、扉越しから声が聞こえてきた。
「お、お兄ちゃん……」
声の主は伊佐南美だった。
「どうした伊佐南美」
「……い、一緒に入ってもいーい?」
「……好きにしろ」
「う、うん。じゃあ入るね……」
扉をゆっくりと開けて伊佐南美がひょっこりと入ってきた。
勿論伊佐南美は素っ裸だ。伊佐南美は頬をうっすら赤く染めながら両手でそれぞれ体の部位を隠しながら俺に近づいてくる。
伊佐南美の肢体は華奢でありながらそこそこ色っぽく肉がついていて、妹ながらなんとも言えない美しさで、肌は汚れなく透き通っていた。胸も特別大きくなく小さくなく、伊佐南美の掌にすっぽりと収まるほどの大きさだ。
「……お、お兄ちゃん、あんまりジロジロ見ないで。恥ずかしいよぉ」
「あー、悪い」
俺はすぐ正面に向き直る。 恥ずかしいなら入ってくんなよ。
妹の裸を見て興奮する趣味は俺には無いので――もしあったら伊佐南美に嬲り殺しにされる――特に気にしない。すると伊佐南美がおぶさる様に背中にしなだれかかる。
「……どうした、伊佐南美」
もし相手が実の妹ではなく、まして親戚関係にも無い女子だったら俺は慌てている所だが、妹という時点で何の問題も起こらない。それに今の伊佐南美の行動は俺に甘えたい、つまりストレスが溜まっていることを既に理解してる。だからヘタに拒否すると伊佐南美が発狂してしまう。
「……お兄ちゃん、お父さんとお母さんが死んで、もう三年経ったね」
「……だな」
俺達の両親――服部獣蔵と服部伊佐南祈。裏の世界に住み着いた野獣と裏の世界を魅了した美女。俺達兄妹が尊敬する対象であり、大好きな家族。俺が中学生の頃に突然の病死。原因は不明。
父さんと母さんが死んで三年。色々とあったがそれでも暗殺稼業が続いている。それも一重にあの光元の奴のおかげだというのが正直不満だが。
「私達さ、明日もちゃんと生きられるかな?」
「さあな。けどその為に俺達は日々努力してんだ。だから毎日頑張っていこうぜ」
「うん」
その後仲良くシャワーを浴び終えた俺達は廿楽との約束の為に一階に戻ってきた。俺達が扉を開けていざ潜ってみると、
――ビュンッビュンッビュンッビュンッビュンッ!
数十本にも及ぶ曲刃が飛んできた。
「おわっ!?」
「ひゃあっ!?」
俺達は即座に避ける。よく見てみると二人の女子がいがみ合っていた。
「雛子、今日こそ……!」
「上等だよ匁!」
片方は白い道着に黒袴姿で日本刀を構えた高等部一年W組主席、廿楽雛子。そしてもう片方は初めて見る、目を覆うぐらいにやたら髪が長い女子。廿楽と同じ道着に袴姿なのだが、所々穴が空いている。というか破れている。
その女子の全身から、刃が生えていた。さすがに頭には生えていないが、手や指、腕、肩、胴、足の至る所に大きさ長さ様々な曲刃が生えているのだ。あの女子もやっぱり『異常』な人間か。
深く突き刺さった曲刃を抜いてみる。曲刃は鎌の刃に近い形状だった。
「……おい廿楽」
俺は廿楽に声を掛ける。
「殺ってやる! 雛子の全身剥いて肉塊にしてやる!」
「良いよ別に。その前に私がその刃を全部叩き斬って、ついでに匁の歯も全部ヘシ折るから」
駄目だこりゃ。聞こえてねえ。ていうかお互いに殺気出してるし。このままだとこっちまで巻き込まれるな。
俺はもう一本曲刃を抜いて伊佐南美に渡す。
――ピッ!
そして一緒にノーモーションから曲刃を二人に向かって投擲。
「「っ!」」
廿楽と匁と呼ばれている女子はほぼ同時に気付いて刀と曲刃で弾いた。
「あ、服部君」
やっとここで廿楽が俺達に気付いた。遅過ぎだっての。
「よお廿楽。一体どうしたんだそんなにも殺気だって」
「あー、別に。ちょっと匁と喧嘩してただけ。あ、そうだ服部君、紹介するね。この子は刃渡匁。クラスの次席だよ」
「……宜しく」
刃渡は生えていた曲刃を仕舞ってペコリとお辞儀。刃渡はヘアゴムを取り出して散らばっていた髪を纏め上げて刃渡の素顔がハッキリ見えるようになる。
(……ほぉ、結構可愛い顔してるな)
超シスコンな俺が心の中でそう思うほどに刃渡は中々可愛い。何で髪を纏めていなかったのか知らんが、『普通』の学校には一人か二人くらいはいる人気者系女子の顔だ。
「んで、喧嘩の原因は一体何だよ」
俺が訊ねると廿楽と刃渡はそれぞれの得物で相手を指しながらまたいがみ合う。
「匁が悪い」
「雛子が悪い」
「分かった分かった。客観的に聞こうじゃねえか。で?」
今度は二人揃って俺の方を向く。
「……どっちが先に服部君と手合わせするかで言い争いになって、気が付いたら斬り合いになったんだ」
「おい」
俺は呆れ半分でツッコむ。
「お前らさ、そんな理由で喧嘩してたのか?」
「そんなことって何?」
「そんなことだろ。どっちが先にやりたいかで喧嘩するんだったら……二人まとめて掛かって来い」
俺は指をポキポキと鳴らしながら言う。それを見た廿楽と刃渡は顔を見合わせ、もう一度向き直る。
「……良いの? 二人掛かりで」
「どうぞどうぞ。但し、お互い素手だけな」
「……分かった。匁もそれで良いよね?」
「うん」
喧嘩のムードも静まり、その入れ替わりで俺vs廿楽&刃渡の決闘ムードが流れ出す。
「それじゃあ服部君、行くよ」
「同じく」
「おお。遠慮はいらねえ。本気で来い」
◇
一時間後。
「う、くっ……!」
「痛ッ……!」
廿楽と刃渡は痛みで床に蹲っていた。一方の俺は平然と立っている。というか一撃も喰らっていない。ギャラリーの女子達は呆然と立ち尽くし、伊佐南美はいつも通りのニコニコ顔。
俺は廿楽と刃渡が繰り出す突きや蹴りを悉く避けては体重を乗せた打撃を放っていた。それで一時間も持つのは凄いことだが、どうやら喰らっても我慢してたみたいだ。
「おーい、お二人さん大丈夫か?」
蹲る二人を覗き込む。廿楽は兎も角、刃渡に至っては途中で曲刃を出してきたりしたが、そこら辺は想定済みだったので簡単に避けて一撃喰らわしてやった。
「や、やっぱり服部君凄いね、アハハ……」
「……何で。頚動脈を的確に狙った筈だったのに」
廿楽は苦笑い、刃渡は悔しくて歯軋りしているが、大丈夫そうだな。てか刃渡、なんの躊躇無く頚動脈を狙うなよ。俺も人のことは言えんが。
「えーっと廿楽、という訳だから俺ら帰るな」
「あー、うん。また明日」
廿楽が力無く手を振るのを確認した俺は伊佐南美と共にW組棟をあとに……
「……おい伊佐南美」
しようと思ってたのだが、肝心の伊佐南美はというと、
『伊佐南美ちゃん猫みたいで可愛いー』
『はい。お菓子食べる?』
『伊佐南美ちゃん髪綺麗だねー』
「にゃあ~♪」
いつの間にか他の女子達にすっかり可愛がられて子猫状態になっている。
別に本当に猫になった訳ではなく、伊佐南美は心が和むと猫の様になってしまう。俺としては可愛く思えるから良いんだが、俺といる時以外で子猫になる伊佐南美なんて見たことが無い。相当ここが気にいったみたいだな。
「おーい伊佐南美、帰るぞ」
「にゃあ? にゃあ~!」
猫の鳴き声のまま伊佐南美が俺に寄ってきて抱きつき、スリスリと顔を擦りつけてくる。いつもの伊佐南美だ。
「そんじゃなあ」
「にゃあ~!」
俺と猫は後ろで俺達のスキンシップを見てクスクス笑っている女子達と、腹を押さえ込む廿楽や刃渡を背に寮へと戻るのであった。
◇
俺が伊佐南美を連れて寮に戻ってみると、入り口辺りで馴染みのある二人が話をしていた。
「シュン、二宮」
「ん? おおっ! 銃兵衛! 伊佐南美ちゃん!」
「こんにちはお二人とも」
俺が声を掛けるとシュンは手を振り、二宮は礼儀正しくお辞儀。
神楽坂俊介、二宮金実。シュンは俺のクラスメイトにして俺以外唯一の男子でルームメイト。二宮も同じクラスメイトでR組一の秀才。
「二人共こんな所でどうしたんだ?」
「今度のゴールデンウィークについて話していたんです。そろそろ近くなってきましたし」
二宮の言う通り、もうすぐゴールデンウィークだ。東京に来て初めての連休。殆ど伊佐南美と過ごすことになるが、それはいつものことだから特に変わりばえしない。でもまだ何の準備もしてないな。
「あぁっ! 早くユキに会いてえ! 今頃俺がいなくてさぞかし寂しがってるだろうなぁっ!」
シュンは相変わらず妹のことしか頭に入っていない。気持ちは大いに分かる。俺の普段は殺しと妹ぐらいしか頭に無い。
「二人共、ここで話すのもなんだし、部屋行こうぜ」
「おおっ。そうだな」
「では、お言葉に甘えさせてもらいます」
その後俺達四人は場所を部屋に移し、女子寮の門限が来るまで雑談をして楽しんだ。
◇
中江努は部下の山崎茂雄と共に、取引先の須藤印刷会社に来ていた。
「ようこそ中江さん。お待ちしておりました」
中江と山崎を出迎えてくれたのは、社長の須藤聡だった。二人は簡単に挨拶を終え、本題の話に移った。
「……それで須藤社長、こちらが例の物です」
中江はトランクを開け、中に入っている、百枚にも及ぶ紙束を見せた。須藤がその一枚を取り出して確認する。
「……確かに。では、こちらが」
須藤もトランクを二人の前に出して開ける。中には大量の札束がギッシリと詰まっていた。中江と須藤はお目当ての物を受け取り、次の予定について話をし始めた。
「須藤社長、こんなこと言いたくはないんですが、そろそろここら辺が潮時だと思います。この前、飯島建設と滝野金融の社長が同じ日に殺害されたってニュースが報じられていましたよね。あの犯人が、我々の様に法の目を掻い潜る者を狩る連中の仕業なんじゃないかと、知人から聞いたんです。これ以上続けていると、ひょっとすれば我々も」
「……かもしれませんねえ。しかし中江さん、私の下には頼もしい駒がいる。ちゃんと気をつけていれば何の問題もありませんよ。それに、その犯人の正体はあくまでも噂でしょ? 聞く所に寄れば飯島建設も滝野金融の人達も皆手練れだったそうじゃないですか。そんな人達を簡単に殺せる人間が、果たして本当にいるかどうか」
須藤の言うことにも一理あった。
中江が須藤と覚醒剤の取引をして三年経つ。最初は須藤から持ちかけてきた話だった。覚醒剤を混ぜた紙を現金と取引。印刷会社に紙を持っていっても怪しまれる可能性は極めて低い。おかげで今まで何度も取引は上手くいっている。その間に秘密を漏らそうとする人が現れれば、いつも須藤の部下が消してくれていた。須藤の親戚の中に、政治家の嫁になった人がいるらしく、そのツテで法から逃れてきた。
ここ最近物騒な事件が多い。だが須藤の言う通り、なんら問題は無い筈だ。そう思っていた。隣に座る山崎が、それを否定するかのように笑い出した。中江と巣道刃ムッとする。
「山崎、何がそんなに可笑しい」
「あ、いえ。申し訳ありません。なんせ……お前らがあまりにも平和ボケしているからな」
突然、山崎の声と口調が変わり出した。中江と巣道刃慌てて山崎から離れる。
「な、何だ山崎。お前、一体」
「あーあ、お前はいつまで、山崎茂雄が生きてると思ってんだよ」
山崎の体から、バキバキという奇怪な音が鳴り響きだす。山崎の腰や肩、手や足、指などの全身が有り得ない方向へと曲がりに曲がり、顔までもが変形していく。
「はぁ、やっぱりこの忍法は疲れるわ本当に」
山崎の着ていたスーツを脱ぎ捨てて姿を現したのは、真っ黒いロングコートに身を包んだ一人の少年だった。
「だ、誰だお前は」
「……中江努、須藤聡、お前らはさっき話した通りのことをしてきた。確かに手を引くべきだったが、それは少し手遅れだったぞ」
――ドスッ!
鈍い音が聞こえた。気が付いた時には、中江の左胸に小さな刃物が突き刺さっていた。
「お、お前、は……」
中江はその場に倒れこみ、そのまま動かなくなった。少年は須藤の方を見た。正確には、亡骸となった須藤を。
「……霞、ご苦労さん」
「えへへっ」
須藤は既に後ろから首を刃物で刺されて死んでいた。奇妙な黒いロングコートに身を包む一人の少女が音も気配も無く刺したのだ。
「影くん、山崎茂雄の変装お疲れ様。中々大変だったね」
「まあな。霞も須藤の部下共の始末助かった。まあ、これぐらいはいつも通りか」
「うんうん。そうだね」
少女は刃物を仕舞いこむと少年に抱きついた。
「……何やってんだ、霞」
「ふにゅ~、充電中~」
少女は蕩けた顔を少年に見せる。少年はクスッと笑うと少女の頭を撫でる。
「霞、仕上げに取り掛かるぞ」
「はーい!」
少年と少女は、それから十分後に姿を消した。
◇
「いやー、ご苦労様二人とも。はい、報酬」
理事長がいつものように報酬の入った紙封筒を俺達に差し出す。
「……どうも」
俺はそれをありがたく受け取って制服の中に仕舞う。
「ところでさ銃兵衛君、もうすぐゴールデンウィークだけど、予定とかってもう決まったの?」
「あ、はい。基本的には伊佐南美とデートです。都心に親戚が住んでいるんでそこに泊まるつもりです」
「ふーん。そっかー。良いなー。ボクなんかまだ大量に残ってる仕事を片付けないといけないからさ」
ハハハ、と虚しく笑う理事長の机にはドッサリと何百枚の書類が積まれていた。要するに休日出勤かよ。
「あーあ、このまま仕事放って何処かに遊びに行こうかなー」
「理事長」
と、職務放棄発言をした理事長の後ろにいつの間にか現れた北条さんの目がキラリと光っていた。
「……ゆ、優子さん、分かってるよ? ちゃんと仕事するよ? サボったりしないよ?」
「……いえ、それでしたら宜しいのですが」
北条さんはそう言ってめがねを掛け直す。ていうかこの人が理事長やったら良い気がしてきたんだが……
「じゃあ俺達はこれで。理事長もちゃんと仕事片付けて下さいよ」
「う、うん。また暗殺の依頼とか来たらお願いね?」
「分かってますって。なあ伊佐南美」
「うん! 人を殺せるなら何でもします!」
俺達が理事長室を出ようとしたその時、
「あ、そうだ銃兵衛君、最後に言い忘れてたことがあった」
理事長が何かを思い出したらしく、引きとめた。
「何ですか?」
「都心に行くのは構わないけどさ、あそこは自兵とか多いから気をつけてね? 特に自兵機関のある区域は」
「……了解です」
俺と伊佐南美はそれぞれの教室に戻り、それぞれのその日の学校生活を送った。




