弐殺
朝、黒い長ズボンに白いシャツ姿の少年が台所にいた。
何故台所にいるのか? 答えは簡単。朝食を作っているから。
「……まったく伊佐南美の奴、まだ寝てんのか」
少年が愚痴を言っていると、ふわぁ、と欠伸をする女の子の声が聞こえた。
「おはよーお兄ちゃんー」
現れたのは寝癖で髪が少しはね、浴衣がちょっと肌蹴て眠たそうな顔をゴシゴシと擦る少女。
「おはよう伊佐南美。んなだらしない格好してないでとっとと着替えろ。遅刻するぞ」
「うえ?」
少女は自分の胸元を見る。見えたのは浴衣が肌蹴て露出してしまった自分の白い下着。少女は慌てて胸元を隠す。
「むぅー! お兄ちゃんのエッチ! 見ないでよ!」
「んなんだったらサッサと服着て来い。朝飯冷めんぞ」
少年はそう言いながら食卓に作った朝食を並べていき、少女を差し置いて食べ始める。少女は大急ぎで自分の部屋に戻り、目にも止まらぬ速さで着替える。
「ふうー、おっまたせー!」
白いブラウスに赤いスカート姿の少女がやって来て食卓に着く。だが少年は既に食べ終えてしまっていた。
「ご馳走さん」
「え!? お兄ちゃん早いよー!」
「朝ギリギリまで寝てる奴が悪い」
少年はそう言うと自分の食器を流しに置き、身支度をするべくサッサと出て行った。慌てた少女も僅か五分で朝食を食べ終えて身支度を始める。
「おい伊佐南美、いつまで掛かってんだ。先行くぞ」
「もうちょっと待ってー!」
黒い学生服を着た少年は洗面所で支度をしている少女を急かす。
「おっまたっせー!」
髪を整え終えた少女が鞄を手にやっと出てきた。
「ったく。んじゃ行くか」
「よぉーしっ! レッツラゴー!」
少年は家の鍵を掛け、出発した。
◇
家から歩くこと十分ほどの道のり。
「着いたー!」
「ああそうだなー」
三重県にある、伊賀異業学園。ここが、俺たち二人が通っている学校である。
「それじゃあお兄ちゃん、また後でね」
「ああ」
伊佐南美と別れた俺は自分の下駄箱に靴を入れ、上履きに履き替える。そして自分の教室である一年二組に入った。それとほぼ同時、
「おーっす銃兵衛!」
横から一人の男子生徒が肩を組んでくる。ウザい。
「……坂田、鬱陶しい。離れろ」
「何だよぉ。折角友達が来たってのによぉ」
「俺はお前を友達と思った事はない」
「何だ何だ、相変わらずツレねえな」
男子生徒は元気良く笑うが、俺にとっては邪魔以外の何者でもない。
俺の名は服部銃兵衛。一緒にいたのは妹の伊佐南美。それでこのウザい男子生徒はクラスメイトの坂田啓次。
坂田は入学当初からの仲なのだが、兎に角こいつはウザ過ぎる。正直消えてほしい。
「何だ何だ。伊佐南美ちゃんと喧嘩でもしたのか?」
「俺が喧嘩をする理由なんて何処にも無い」
「カーッ! 本当にお前ら仲良いな! 羨ましいぜ!」
「言っとくが坂田、伊佐南美に手を出したら容赦なく殺すぞ」
俺はとりあえず軽めに殺気を出しておく。軽めと言えど、坂田はこれでもかなりビビる。
「わ、分かってる分かってる」
「啓次、服部君を怒らせたら駄目よ」
ヒビりまくっている坂田の横から一人の女子が話に入ってきた。黒いおさげで眼鏡を掛けた大人しそうな子だ。
「……栗原か」
こいつもクラスメイトの栗原綾香。坂田とは幼馴染らしい。だが俺は彼女をウザいと思ったことは一度もない。
「まったく啓次は。ごめんね服部君」
「何でお前が謝るんだ。別にこいつが手を出したら即効殺せば良いだけの話なんだからな」
「だから伊佐南美ちゃんには手出さないってば! 目がマジなんですけど!?」
「でもさ、それ聞いてると、服部君なんだかシスコンに見えるのよね……」
「その傾向があるという自覚はある。事実俺はアイツが大好きだからな」
俺はそう言うと自分の席である一番窓側の端っこに座る。
「寝る」
「寝るって、銃兵衛お前何時に寝たんだ?」
「三時。遅くまでバイトしてた」
「おいおい三時って。いくら生活費稼ぐ為にバイトしてるからって無茶すんなよ。体ぶっ壊れたらどうすんだ」
「俺はお前ほどヤワじゃねえから大丈夫だ」
俺は坂田の言葉を適当にあしらい、坂田と栗原を交互に見る。。
「どうせお前だって一晩中栗原と乳繰り合ってたんだろ」
「ちょっ、ちょっと服部君!? いきなり何言うのよ!?」
栗原は顔を赤くし、咄嗟に自分の胸元を隠して後退りする。
ちょっと栗原相手に言い過ぎたなこりゃ。
「あー、悪い栗原。訂正だ。どうせ一晩中栗原と乳繰り合う妄想でもして興奮してるんだろ」
「ちょっ、啓次っ!」
「はあっ!? ちょっと待てよ銃兵衛!」
栗原と坂田の口喧嘩が勃発している横で、俺は机に顔を突っ伏して目を閉じる。
さてと、伊佐南美は元気でやってるか確認しないと。別に俺がシスコンだからとか、そういう訳ではない。まあ、その傾向が出つつあるんだが。ただ心配なだけだ。あいつがまた、勝手に人を殺してないかどうかが。
(忍法・五感移し)
俺はそんな妹を心配しながら、窓の外にある木にとまっている烏に忍術を放った。
(この時間の伊佐南美は多分教室だろうな)
俺は忍法で憑依させた烏を動かす。
伊佐南美を探すこと五分弱。
(……いた)
予想通り伊佐南美は教室にいた。あいつはいつもの様に友達と仲良く喋っている。今日もいつも通りで良かった。ホッとした俺は術を解き、暫し寝る事にした。
◇
ここでこの伊賀異業学園について詳しく説明する。この学園は中等部と高等部の二つがある、この三重県伊賀市の田舎の方にある唯一の学校。元々はこの田舎町に住む学生達の為に作られた学校で、学費もそれなりに安い普通の学校。
ただ理事長が少し変わってる。何処が変わっているかというと、ある特定の生徒二人に対して随分と面倒見が良いから。
◇
午前授業、昼休み、午後授業と過ぎていき、放課後になってアナウンスが出た。
『中等部三年一組、服部伊佐南美さん、高等部一年二組、服部銃兵衛君は、理事長室に御越し下さい』
理事長が面倒見の良い特定の二人とは、俺達兄妹であるという事を、この学園の生徒は皆知っている。
◇
「やあやあよく来たね。銃兵衛君、伊佐南美君」
「はい来ましたー」
「…………」
部屋の造りが割りとシンプルな理事長室。そこに俺達兄妹と向かい合わせに座る男がいた。身長180cmと高く、黒スーツとワイシャツと黒いネクタイを着こなし、如何にも若手新米教師のような風貌を見せているが、明らかに『異常』だ。
理由は、男の顔に付いている、仮面にあった。白く笑い顔に作られたその仮面により、男の素顔が見えない。見えないどころか、俺と伊佐南美には分かる。一般人には隠していても、コイツの放つ殺気はヤバい。ヤバ過ぎる。
この仮面変人こそが、この伊賀異業学園理事長、伊賀山光元。元暗殺者。
「それで、首尾の方なんだが……」
「……ああ」
俺は持ってきたトランクを目の前の机の上に置き、蓋を開ける。中には沢山の札束がビッシリと詰まっていた。
「全部で五千万ある」
「うむ、成程。ご苦労だったね。流石は君達だ」
光元は懐から紙封筒を取り出した。中には札束が入っている。光元はそれを俺に渡す。
「これが今回の報酬だ」
「……確かに」
俺は札束を懐に仕舞う。
「それでこのお金なんだがね、私の方で処分させてもらおうか。無論寄付に使うつもりだが、君達が欲しいというのであれば貰っても構わないよ」
「いらん。好きにしろ」
「そうか。分かった。仁君」
「はい」
光元は助手の仁さんを呼ぶと、トランクを片付けさせた。
「さてと銃兵衛君、伊佐南美君。実はだね、あまり言いにくい事なのだが」
「仕事は無い、だろう?」
光元は驚いた顔になった、気がした。仮面つけてるから分からんが。
「『忍法・読心眼』であんたの考えている事ぐらいすぐ分かる……と言いたい所だが、なんとなくそんな気がした」
「……これは驚いた。まあ、その通りなんだ」
「何でですか理事長ー?」
伊佐南美が無邪気に聞いてくる。光元は二人から顔を逸らす。
「それがだね、もうこの辺りにはいないんだ。君達に殺してほしい人は」
「だろうな。何れ潮時かと思ったが、まさかもう来るとはな」
「うむ。それに伴って、君達に伝達がある」
光元は立ち上がると、自分の机の引き出しから紙切れを二枚取り出し、二人の目の前に置いた。その紙には『退学通知』と大きい字で書かれていた。
「伊賀異業学園中等部三年一組服部伊佐南美君、高等部一年二組服部銃兵衛君。本日付をもって、君達二人を退学処分とする」
それを聞いた瞬間、俺は手刀を光元の喉元に突きつける。
「……光元、俺はあんたに利用されるのは構わないし、利用価値が無くなったらサッサと捨てるというその考えを否定はしない。が、それは流石に俺も怒るぞ?」
銃兵衛は殺気を出しながら光元を睨む。仁さんが制止させようとしたが、光元が手を出して仁を止める。そして光元は冷静だ。
「……落ち着きたまえ銃兵衛君。僕は君達のご両親に返しきれないぐらいのご恩を受けている。だからここで君達を捨てようとは思わない。それに、只退学させる訳ではない。とりあえず話を最後まで聞いてくれ」
「そうだよお兄ちゃん」
伊佐南美に宥められ、俺は収まらない殺気を出したままは手を引っ込める。俺は座り直し、再び光元を睨みつける。
「で、俺達は退学後にどうすればいい?」
「安心したまえ。手は打ってある。君達にはこの学校に編入してもらう」
光元がそう言って取り出した一枚の紙。そこにはこう書かれていた。
『東京射城学園編入手続き』
「東京……」
「いじょーがくえん?」
「この学校の理事長とは、古い付き合いでね。頼み込んで編入してもらえたんだ」
「どういう学校なんだここは」
「それは行ってからのお楽しみと言いたい所なんだが、まだ君達の意思を・・・」
「行く」
俺は光元が言い終わる前に即答した。
「じゃあ私も行きます」
すると今度は伊佐南美も言い出す。そんな俺達の様子を見た光元は腕を組んでふむ、と納得する。
「成程。流石はご両親に似ただけある。正にソックリだ」
「光元、俺はあんたにも色々と世話になったんだ。今更我が儘は言わねえよ」
「私もお兄ちゃんが行くなら行きます!」
俺は相変わらずの無愛想で、伊佐南美もいつもの無邪気な笑顔で言う。
「ふむ。頑張りたまえ。面倒な手続きは僕がしておくから」
「ああ」
俺と伊佐南美は理事長室を後にし、急いで家に帰った。
帰宅後すぐに引越しの身支度を始め、色々とやっていて時間が掛かり、終わったのは夜十二時だった。
俺と伊佐南美が遅い夕飯を食べている時、俺はふと疑問に思った事を伊佐南美に問う。
「良いのか伊佐南美」
「何がお兄ちゃん?」
「お前、友達多いんじゃないのか?」
「別に良いよー。それよりも心配なのはお兄ちゃんだよ。坂田先輩に栗原先輩と仲良かったのに」
伊佐南美が言った瞬間、俺の箸を動かす手が止まった。
「……俺は別に、友達が少なくても大した支障なんか出ないし」
「まったくお兄ちゃんはー。支障でまくりだよー? そんなんだとずぅっとさびしんぼになっちゃうよー?」
「まあ、それはそうだが」
俺は伊佐南美の反論に口ごもる。
「とにかくー、向こうで友達を作りなさい。いいですかー?」
「いや、何でお前が……」
「いいですかー?」
「……分かった分かった」
伊佐南美の押しに負けた俺は、渋々返事する。困ったな。どうやって友達を作れば良いんだ。
夕飯を終え、サッサと風呂に入り、伊佐南美の要望で同じ布団に寝る事となった。
「お兄ちゃん、おやすみ」
「ああ。おやすみ」
俺たち兄妹は、ゆっくりと眠りに就いた。