犬兎の戦い
鈴城家────それは、女が寵を争う戦場でございます。
何日も雨がしとしとと続き、本日は久しぶりの晴天でございました。
鈴城家の若様であらせられる信一郎様もつかの間の休息と日当たりの良い縁側にて微睡まれておりました。
リラックスされている信一郎様の所へ女達が集まって来たのでございます。
信一郎様を起こして不興を買わぬよう女達は目線のみでお互いを牽制しておりました。
しばらくしてからでございます。廊下側より小さなざわめきがおこったのでございます。
女達が頭を垂れ道を譲ったその先にシャムール様がいらっしゃいました。
光沢のある淡い珊瑚色の長い毛並みが美しく、他の女達とは一線をかす気品がございます。
信一郎様のお傍に侍るシャムール様。さすがに最古参且つ、旦那様や奥様にもご寵愛を受けているシャムール様に逆らう者はおりませんでした。
しかし、悲劇は起こってしまうのでございます。
「暑い」
なんと信一郎様、眉間に皺を寄せ険しい顔でシャムール様から離れるように寝返りを打たれたのでございます。
あまりの事に私には、周りの空気が凍ったように感じたのでございます。
シャムール様はそれはそれはショックを受けられたご様子で、よろよろと後退されたのでございます。
そして弱り目に祟り目とでも言いましょうか、更に不幸な事がシャムール様に訪れたのでございます。
シャムール様がよろけた先は廊下。折しも奥様がお掃除をされていました。
……そう、騒々しくも忌まわしき掃除機とやらで。
「ギニャ━━━━!!」
「あらあら、そんな声を出してはしたないわよ~」
哀れ、シャムール様。掃除機────いえ、悪魔の餌食となってしまったのでございます。
「シャムール様!!!あぁ、なんて酷いお姿に!」
ショックのあまり悪魔に吸われて乱れ艶を失ったままの毛をつくろう事もせず、呆然とするシャムール様に駆け寄るショタ子様。
「くすくす」
不意に私の後ろから笑い声が聞こえ振り向くと庭の奥様が大切にしている鉢の傍に、ユーリ様とマルガリータ様がいらっしゃいました。
笑っていらしたのはユーリ様でございました。
「確かに、そんなに無駄に毛があると愛しの君も暑いでしょうに。その無駄毛で掃除をしてしまえば少しは役に立つんじゃなくて?」
「五月蝿いわね。そっちこそ毛がなさすぎてシワシワの老人みたい!シャムール様のような長毛の方がよっぽど美しいわ。それに若君も触り心地が良いと褒めていらしたわ」
シャムール様を庇い、前に出て白と銀色の毛を逆立てるショタ子様。
尊敬するマルガリータ様を侮辱され、ユーリ様は怒りに震えているようでございました。
「なんですって!?もう一度言ってみなさいよ、この変態!!」
「誰が変態ですって!?そっちの方がよっぽど変態じゃない、このオカマ!!!」
「お、オカマですって!?三毛猫のオスの価値も分からない変態に言われたくもないわ!!!」
これぞ、キャットファイトという事でしょうか。
ショタ子様、ユーリ様共に睨み合い、シャーッ!!と歯をむき出し威嚇され、一触即発の雰囲気でございます。
周りにいた女達は巻き込まれては堪らないと、波が引くように縁側から逃げたのでございます。
睨み合いが続く中、廊下からトテトテと可愛らしい足音が複数聞こえて来たのでございます。
「あ、お兄ちゃんだ!!!ここ、気持ちいいね~」
足音の主は、主様達のご好意で現在居候させていただいている子猫達でございました。
無邪気に熟睡されている信一郎様へ駆け寄っていき、喉を鳴らしながら擦り寄る子猫達。
張り詰めた空気が一気に霧散したような気がいたします。
「……ふわぁぁあ。ぼく、眠くなっちゃったよ。おやすみなさい、お姉様達~」
一番日当たりもよかったのでしょう、その内の一匹が熟睡している信一郎様の上によじ登り丸くなったのでございます。
他の子達も倣うように、各々気持ちの良い場所を探して熟睡していくのでございました。
その光景はもう、安らぎを体現したかのようでございます。
マルガリータ様はその光景と目の前の光景を見比べ、ため息をつかれました。
「ここまでにしなさい。若君が起きてしまうでしょう?」
諫められたショタ子様とユーリ様は、ハッと気づかれたようで申し訳ありませんと恥らいながら謝罪し、縁側を離れたのでございます。
そして、信一郎様に侍るのは子猫達のみとなったのでございます。
故事成語の中に、犬兎の戦いという話がございます。
韓盧という足の速い名犬が、東郭逡というすばやい兎を追い掛け回したそうでございます。
やがて疲れきり二匹はそのまま亡くなったそうで。
その二匹をたまたま通りかかった農夫が見つけ、何の苦もなく同時に得たという話だそうでございます。
出典『戦国策(斉策)』