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第三十三話 結婚

 秀司は時間が経つにつれて、恐ろしくなるほどに体の変化がおこっていた。それを気付いているのは、あたしだけじゃなく、秀司の友人もどこか引っかかる程度には気付いていると思う。おばさんと話すことが増え、少しずつ秀司の命の期限が、迫っていることを気付かされていく。

 入院生活を強いられるようになり、本人の強い希望で一時退院をすることもあったが、あたしの誕生日の日が最後といっても過言でない。秀司本人も、それを覚悟してあたしに結婚しようと、持ちかけたはずなのだ。

 食事もほとんど喉を通らない日が増え、点滴する秀司の腕を見るたびに、胸が締め付けられる。時々果物を持っていくけど、ほとんど食べてはくれない。言葉がはずんでいるときが多いけど、無理してるようにも聞こえる。

 そして、秀司はあたしに冷たく当たるときがある。仕方のないことだと思うが、あたしも堪えきれず泣いてしまう。冷たくされるのは、秀司が苦しくて、どうしても言葉をぶつけたくなるからだ。あたしはそれを受け止めるけど、どうしても溜め込んでしまう。誰かに打ち明けることもできずに、あたしは泣くだけ。

 死の恐怖が一体どんなものなのか、あたしは知らない。自殺でもしてみれば分かるのかと思って、屋上に行って見たことがある。

 誰もいない屋上の、フェンスのない丸裸の校舎のテッペン。あたしが淵に足をかけて下を見下ろすと、世界が広がる。だけどあたしが落ちるとしたら真下になり、そこにはただのコンクリートの地面しかなかった。そこに頭をぶつけるのか、側面をぶつけるのか、どれが一番苦しいだろうと考えながら、自分が落ちていくことを想像する。

 考えてみても、よく分からない。

 落ちてみることは到底無理だ。

 怖い。まちがっても、この足を滑らしたくないって思った。

 あたしはそこで一歩踏みとどめれば、生きることを選べる。だけど秀司はどれだけ死から遠ざかろうとしても、お互いが距離を縮める。そしてぶつかって、出会ってしまうと秀司は恐怖から逃れられなくなってしまうんだろう。

 あたし捕まって欲しくない。光のあるところにいてほしい。

 だけど、病院で会う度に、悲しくなってしまう。優しく笑ってくれるその顔を見れなくなる日は、近いんだと思わされるから。


 あたしは片手を挙げて、秀司の手に乗せた。

 真っ白のウェディングドレスは着れないけど、真っ白のサマードレスをかわりに着た。ベールはおばさんが作ってくれたレースのちょっと形の崩れたやつ。秀司は真っ白のスーツを着て、いつもとは違って見える。

 小さな小さな教会。いろんな人が来れるほど広くないけど、あたしの友達も秀司の友達も、来れるくらいのスペースはある。お金はおばさんとあたしの両親がだしてくれた。といっても大したお金じゃないけど。

 真っ赤な絨毯の上をあたしが秀司を支えながら歩く。ゆっくりじゃないと秀司が倒れてしまいそうで落ち着かなかった。

 神父の前で止まるとあたしたちは少しだけ距離をおいて、まっすぐ前を見据えた。それから神父の言葉に頷きなががら、ちらちらとお互いを見た。

 誓いのキス。憧れる言葉。

 あたしの前にかかっているベールをもちあげて、一瞬周りを見渡す。静かだけど視線だけがあたしたちを見てる。こんなに人がいるところでキスするのは初めて。緊張する。あたしの肩に手を乗せてゆっくりと顔を近付けてくる。あたしもそのスピードに合わせて瞼をおろす。

 触れるだけの短いキス。初めてしたキスのような甘酸っぱさ。

 夢みたいな世界にいる。あたしも秀司も現実の世界の人じゃないみたい。

 全部が嘘で、あたしと秀司は事故に遭う前の普通のカップル。何事もない毎日が愛しくて、一緒にいるだけで幸せになれる。あたしと秀司の未来は明るくて遠く、果てしない道のりが用意されていた。そのなかでいろんな話をして、あたしの将来の話、秀司の将来の話。未来はぜんぜん広かった。

 今はどうなんだろう。あたしは自信なくしそうだ。こんなに幸せなのに、悲しい。

 祝福されてるのに、隣にいるはずの秀司が見えなくなりそう。

 

 形だけの結婚式が終わると、秀司と一緒に病院に戻った。

 秀司はベットの上に横になると、安心したように微笑みを浮かべた。

「幸せだな。こんなこと、夢みたいだ。好きな人と一緒にいられるってことだけでも、すごいことなのに、結婚までできるって・・・オレってすっごい幸せなやつ。指輪、つけてる?」

 秀司の手を握って、指輪の位置を確かめさせた。あたしたちの気持ちの在り処はここにあるんだよって、教えてあげるみたいに。

「あたしも幸せ。嬉しすぎて、また、泣きそう。だけど、泣かないね。今日は本当に幸せだし、秀司には笑ってる顔を見せてあげたいから。・・・どっちもかわいい顔とはいえないけど」

 苦笑いすると、秀司も笑った。すっと手がのびてあたしの頬に触れた。

「ごめん、本当なら・・・これからちゃんと幸せにしてやるはずなのに」

 秀司は笑ってるけど、あたしは笑えなかった。弱気な発言をしたのは初めてだ。いつもはこんなこと言わない。ずっと言わないでいてくれると思ってた。あたしのことを考えて、苦しまないように。

「もう、駄目なのかもな。みんな知ってると思う。オレの体とか、心とか弱ってくの分かるだろ? 少しずつ、おかしくなってるのが分かる。オレってどんどんこんな風にして、自分を見失ってくんじゃないかなって。死ぬって、心臓が止まるから死ぬんじゃなくて・・・オレの心が亡くなったら、もう終わりだよね」

 頬に振れる手をあたしは包み込みながら、頬をすり寄せた。

「ごめん。ごめんな、ちゃんと元気になるって言ってたのに、こんな体になって。こんなに弱いやつだし、美香を幸せにするだけの力はもうないんだ。オレの力で幸せにするのが、当たり前なのに・・・」

 秀司の目から大きな粒がこぼれた。涙。キラキラしてて、光ってる涙は綺麗。あたしの目から流れるやつも、秀司みたいに見えてるといいけど。

「あたし、幸せ、だよ。今、この瞬間、一緒にいられるのがすごく嬉しくて、幸せなんだ」

 秀司は知らないんだよ。あたしが秀司の傍にいられるだけで幸せなこと。負い目になってるなんて感じたことない。秀司はあたしの首に手を回して抱きしめた。声にならない涙が何粒も頬をつたって、何粒も胸を濡らした。

「だから」声が叫んでる。あたしの声なのに違う人の声みたい。「死なないでぇ!」

 返事はなかった。あたしの泣いてる声が大きいのか、秀司の声が大きいのか、あたしたちはえんえんと泣いてばかりで、せっかく結婚式をしたのに、思い出は涙に染まってしまった。言葉は必要なかった。だけど、あたしはまだ声を聞きたかった。



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