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第二十九話 別れ

 走り出すと、冷たい風が顔を煽った。走るほど、焦らなくていいはずだ。けど、あたしは一直線にのびている道を早く通り過ぎたくて、早くいつも思い描いていた顔に出会いたくて、足が自然と速くなってしまった。

 病院に着き、あたしは一呼吸おいてから中に入った。病室まで案内してもらっている間、いろんな顔を思い浮かべた。驚いた顔とか、喜んでうれしそうな顔、反対に妙な笑顔を浮かべ、あたしを歓迎しない顔。どれがいいとかじゃなく、あたしのことを拒む顔はされたくない。と思った。

 病室の前に着くと、しばらく深呼吸をした。周りに人がいるけど、あたしのことを見ている人は少ない。

 ゆっくりと開ける。隙間から風があたしの頬をなでる。はじめにあたしに気付いたのは、秀司の母親だった。少しだけ驚いたように目を見開いたけど、優しく微笑みかけてくれた。

「こっち、いらっしゃい」

 呼ばれて、おばさんの隣にあるイスに腰掛けた。腰掛けてやっと気付いたけど、秀司は眠っていた。点滴をして、顔色はよく見えるけど、やせてる。ここ数日間、秀司になにがあったのかあたしは知らない。

「倒れてから・・・しばらくは元気に見えたんだけど、病気は進行していて、体はもたないのよ」

 だからこの通り眠っているのよ。とおばさんは付け加えた。

「病気・・・そんなに進行してるんですか?」

「・・・思っていたより、進行は遅いってお医者様は言っていたけどね。夏よりずっと体は病巣に犯されてきてるって」

 真っ白の布団からはみ出した手に触れて、握りしめた。

「最近いろいろ考えるのよ。秀司の小さかった頃のコトとか、自分の昔のことまでさかのぼってしまうのよ。秀司がいない間はずっと、写真なんかを眺めたりしてね。今もそう。昔から全然変わらないわ。変わったのは体ぐらいかしらね」 

 言った後の笑顔には影が見えた。笑っているけど、本当は泣きたい。

 あたしは秀司の手を両手で包み込んだ。あたしもよく考えるんだ。思い出して泣く日もあるんだ。秀司と過ごした日々を、大切な思い出を。その度にあたしって役に立たないんだって思えるの。

 今も眠っている秀司を見てつくづく思う。あたしって一体秀司の何なんだろうって。

 ついに泣き出してしまうと、おばさんは肩に手をのせてしばらく黙ってあたしを泣かせてくれた。おばさんがしばらく外に行くと、あたしに気を使って病室を出ていくと、秀司の顔に近くにイスを寄せて頬に手を当てた。起きないようにそっと触れるだけ。

 温かい。それでもって柔らかい。生きてる。

 呼吸をして、あたしと同じ空気を吸ってる。

 生きてる。生きてる。秀司はちゃんと、この世界に生きてる。

 涙が勝手にあふれて、真っ白のシーツの上に顔を埋め涙を隠した。嗚咽を押さえようとしたけどどうしてもでてくる。生きてることが嬉しいって感じたのは初めてだ。人が生きてるなんてこと、当たり前でこんなに気にしたことない。秀司に触れているだけで、あたしはあたしでいられる。

 急にビクッと体がはねて、あたしは手を引っ込めた。秀司が起きてしまったようだ。

 ゆっくりと瞼を持ち上げてあたしの方に首を傾ける。じっと見つめて、優しく微笑んであたしの頬に触れた。

「また、泣いてんじゃん」

 いつも聞きたかった声が涙をあふれさせる。涙を拭いながら、どうにか話そうと口を開いた。

「会いたかった。メールとか・・・つながらなかったから、あたしどうしたらいいのか分からなくなっちゃって」

 言い訳だったかもしれない。早くここに来ればよかったのに、それを言い訳してる。秀司の目は相変わらずあたしを優しく見つめる。

「・・・考えてたんだ。美香と一緒にいない自分ってどうなるのか。平気でいられるのかなって、考えてたけど、意外と平気かなって思うと・・・離れてみたくなった」

 こうなるとあたしは心のどこかで思っていた。いつもそうだった、秀司があたしを必要としないときは、あたしと離れたくなったときだって。

「美香はオレのこと・・・同情してる部分あるんじゃないのか? とかって、前にも言ったよな。そうじゃないって分かってるけど、気持ちは美香を押しつぶしてる気がする。美香の自由を奪ってる気がした。美香の幸せを願いたいと思ってるけど・・・オレは傷つけるばっかだろ? だから、はなれよう」

 嫌って言いたい。はなれようって、あたしは病気の秀司を見放すってことだよね。無理だよ。あたしは同情の気持ちはあるけど、ちゃんと好きだから一緒にいるんだ。だから、無理。

 なのに言葉が出てこないのはどうしてなの。

「オレは別れたくないから・・・少しだけはなれてみないかってことを言ってるんだけど」

 でも、遠回しにでもそれは確実に「別れ」を意味してるんだよ。

「・・・わかった。あたし確かに同情とかしてるかもしれない。だけどね、ちゃんと好きなんだよ。秀司の事好きだから、ここにいるんだよ。それは分かっててね」

 優しい微笑みが一瞬だけ悲しく曇った。本当の少しの間だけだったから、すぐにあたしに笑顔を見せた。それから秀司の手があたしの頬をつかんで引き寄せた。

 最後のキスにはしたくない。

 生きてることを強く感じる唇をあたしはしばらく目をつむって、感じていた。


 帰ってからおばさんから電話がかかってきた。あたしはおばさんに秀司に伝えてほしいことを言った。たとえ別れていてもあたしと秀司は、友達でいたいって。病気のこと、心配させてほしいし、たまには顔を見せてほしい。喋ったりもしたい。あたし達は、縁を切るために別れたんじゃないから、ちゃんと友達としては一緒にいさせてほしい。 

 それだけ言うと、必ず伝えるわとおばさんは言って電話を切った。

 ツーツーという音があたしの涙が流れる音のように聞こえる。しばらく受話器を握ったままあたしは泣いた。何度も泣いてるのに、心なんてすっきりしない。あたしが幸せになる方法、秀司なら分かってるはずなのに、あたしを突き放すなんて。

 一緒にいるだけで幸せだよ。一緒にいられるだけで、笑えるんだ。泣けるんだ。

 それが一番の幸せだったのに。



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