第十話 満月の名付け
寺の雨漏りの修繕が終わり、ひと月が過ぎた頃だった。
瓦はすっかり落ち着き、梁も乾いた音を取り戻している。
夜の境内に染み込んでいた、あの重たい湿気も、もう感じない。
満月の夜だった。
俺は縁側に腰を下ろし、みたらし団子を一本、湯呑みの茶で流し込みながら、御神木を眺めていた。
夜気は冷えすぎず、虫の声も控えめで、妙に「整った」夜だった。
そのときだ。
御神木の根元――
月明かりの中から、てくてくと何かが歩いてくる。
最初は、狸かと思った。
だが、近づくにつれ、それが人形ほどの背丈の女の子だとわかる。
装束は陰陽師。
白と黒を基調にした、どこか古風な衣。
そして――
額には、小さな角が二本。
「……妖かし、か?」
俺は反射的に身構えた。
すると、その小さな女の子は立ち止まり、腰に手を当てて言った。
「待て待て。物騒じゃのう」
「我じゃ。我」
声は高いが、妙に尊大だ。
「よう供養してくれたの。褒めてつかわす」
その手には、孔雀羽の羽団扇。
孔雀の羽を束ねたそれを、ぱたぱたと気まぐれに仰いでいる。
……思い出した。
「あの時の……鬼か」
首塚で斬った、あの陰陽師。
供養は、きちんと護摩を焚き、経も上げたはずだ。
「そうじゃ。よく覚えておるな」
「今日は満月。我の復活祭じゃ」
そう言って、孔雀羽の羽団扇で、俺の顎をひらひらとくすぐる。
「ほれ。名を授けよ」
「名がなければ、落ち着かぬ」
少し考えてから、俺は言った。
「……咲夜、でどうだ」
女の子は目を瞬かせ、ふっと口元を緩めた。
「ほう……サヨ、とな」
「よい名じゃ。気に入った」
その瞬間だった。
縁側の影から、気配が増える。
長女のエリカ。
次女のアヤメ。
長男のトウヤ。
水子の魂たちが、わらわらと集まってきた。
「サヨ!」
「遊ぼうぜ!」
「追いかけっこ!」
途端に、サヨの眉がぴくりと動く。
「なぬ! わっぱ!」
「しつけがなっておらぬぞ!」
そこへ、イズナが飛び出してくる。
「わーっ! サヨが怒ったぞー!」
「逃げろー!」
境内に、小さな足音と笑い声が弾ける。
俺は縁側に残り、最後の団子を口に放り込み、静かに満月を見上げた。
夜は、穏やかだった。
祓うべきものは、もうない。
整ったものが、ここにある。
孔雀羽の羽団扇が、月明かりを受けて、かすかに揺れる。
境内の奥から、足音が遠ざかっていく。
「まてっ〜! タヌキ!」
「キツネだよっ!」
笑い声は、夜気に溶けるように消えていった。
満月はただ、すべてを照らしていた。




